2012年07月21日

性について208

性同一性障害について、書いている。
ところが、先に進めないのである。

あまりに、資料が少ないせいもある。

更に、出版されるものの、大半が、告白本である。

例えば
私は現在、性同一性障害(GID)であることをカミングアウト、つまり公表している。
本当は、性同一性障害、という言葉は嫌い。なんだか障害というと可哀想なイメージがあるでしょう?それ以外にしっくりくる呼び方が見つからないから仕方ないけど、私は病気っぽくて嫌。自分が病気だとか障害がある、という感覚はない。だから、別な言葉をいつも探しているんだけど・・・なかなかピントくる言葉が見つからない。
ちなみによく混同される言葉をあげて説明するならば「ゲイ」は同性愛者の意味。私の場合は、自分は女性として男性を好きになるから、同性愛とはちがう。つまり「ゲイ」ではない。
わたし男子校です 椿姫彩菜

とても、解りやすい。
解りやすくて、逆に、解らなくなる。

簡単に言えば、体は、男で、心は、女。
だから、性同一性障害と、判定された。

では、どうして、性同一性を破壊されたのか・・・
疑問である。

生まれ持ってのもの。
そう言うしかない。

それで、性転換をして、女になったので、法律により、性別を変更できる。
これで、おしまいになる。

確かに、障害と判定されるまでは、同性愛のカテゴリーに入れられた。
男が、男を好きになるから。
でも、心が女だから、違う。その通りである。

時代が進み、許容範囲が広がった。
一応、そのように、理解する。

さて、また、混乱することになるが・・・
私が、タイによく出掛けて、性同一性障害の人たちから、話を聞くと、更に複雑なことになる。

性転換を目指して、毎日、辛苦して働く、カトゥーイたち・・・
だが、中には、こんな人もいる。

心は、女よ・・・でも、性転換したいと、思わない・・・
だって、折角チンチンあるのよ・・・
それを、取る必要は無いの・・・

男の体のままで、女装して、男と愛し合う、それで、満足しているという。

だが、ゲイではないのである。

ある種、何かを超えている。

丁度、その修行中に出会った、若者と、ホテルで話すチャンスがあった。
綺麗に化粧をしている。
全く、女性である。

彼? 彼女は、性転換を望む意識は、希薄である。
それには、性転換をした男たちの、様々な、苦悩、苦痛を見聞きしていることが、大きかった。

ホルモンのバランスにより、酒を飲むと、おかしくなる者。
術後から、性格に異変が出てくる者。

兎に角、それは、精神的にとても、大変なことであると、言う。

それならば、性転換をせず、安定した気持ちのままで、男の人と愛し合いたいという。
そして、今は、体を売って生活している。

同じ考えの、カトゥーイは、海外の男から気に入られて、愛人になり、優雅に暮らすという。
だから、性転換しなくても、やって行けるという。

性行為は、アナルセックスである。
極めて、同性愛行為に近いのであるが、矢張り、違うのである。

タイ人は、その点、実に曖昧でもいいのである。

だが、日本の場合を見ると、上記のように、明確にしたい、明確にする。

更に、中には、性転換を出来ずにいると、精神的に、荒み、自暴自棄になる、タイプもいる。
23歳だという、彼? 彼女に出会った。
睡眠薬を常習していた。
だが、25歳で、性転換をしてから、精神的が安定し、とても、優しい女性に、変身していた。

昔、障害は、個性だと言う言葉が流行った。
そして、今も、それは通用するようである。

彼ら、いや彼女たちも、それが、個性なのである。

これから、研究が盛んになり、更に、深く、その心理を追求する人たちが現れるだろうし、また、スムーズに、その個性を発揮できるような社会になることを、願う。

実は、少数派である。
そして、それは、認知されたかに見える、同性愛者にも言える。

人は、百人百様の性のあり様を持つものだ・・・

ノーマルといえども、矢張り、人それぞれの、セックスの好みを持つと、同じである。

バリアフリーが、当然の如くに行われるようになった。
この問題の当事者たちにも、社会がバリアフリーを設けることである。



posted by 天山 at 02:23| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月22日

性について209

男の子だった、椿姫彩菜さんのエッセイを読むと、次第に現実が過酷なものになってゆく。

鏡をのぞくと私が映る。私は鏡の中の自分を「男」だと思ったことは、一度もない。私は無意識に「女」として自分を眺めていた。・・・
でも、現実はそんな自分の欲求とはかけ離れていくばかりだった。学校へは短髪、短パンの制服で通わなければならず、校舎には「男子トレイ」しかない。どうしても入りたくない・・・。私は立っておしっこをしたことがなく、いつも個室へ入って用を足した。

まだこの頃は、ママに与えられるがままに服を着ていたから、下着はもちろん男の子用だった。でもそれ以外で、「男」と「女」に区分けされるものはなかったように思う。

それでも、食い止められない恐ろしい変化が、私の身に起こり始める。年齢とともに「身体」が自分の思う「女性」ではなく、「男性」へ変わりだしたのだ。こんな気味の悪いことはない。そもそも、私にはなんで「しっぽ」がついているのか? 自分の身体にしっかりとついてしまっている「それ」でさえ、なるべく見ないようにしてきたのに、現実は厳しかった。
わたし男子校出身です。

私も、直接そんな男の子に会った。
そして、相談を受けた。
更に、精神科へも、通っていた。

次第にイライラしてくる・・・
もう、ペニスを取りたい・・・
でも、先に袋を取る・・・

「それ」に対する違和感である。

だからといって、男が好きだという訳ではなかった。
兎に角、自分のあり様を変えたいという。
つまり、女になることなのである。

心理カウンセラーでは、間に合わない相談である。
何故、そうなったのか・・・心理的に云々という問題ではないのである。

普通は楽しみなはずの修学旅行の「お風呂の時間」も、私には苦痛でしかなく、とうとう一度も入らなかった。
私は、性器について考えないようにしていたし、話題にもしたくなかった。とにかく邪魔なもの。私になぜかついている「しっぽ」は、そのうちなくなるんだ、と自分に言い聞かせた。・・・

「男の子」と「女の子」の身体のちがいが大きくなればなるほど、私の「心」と「身体」はバラバラになっていった。しかも、どんどん社会的な常識がわかってくる年齢と重なり、自分のアンバランス感が精神を追い込んでいく。
そんな苦しみを誰よりもわかってほしいのが家族。もし、親が理解をしてくれたなら、苦しみは半減したと思う。でも、うちの場合、私が女らしくすることを誰より嫌ったのがママであり、パパだった。ママは、私が男らしくすれば喜び、私に女を感じたら激怒する、という感じだった。
上記より

女脳と、男脳という、見方があるが、彼は、完璧に女脳だったのだ。

アンバランス・・・
当人でなければ、解らないジレンマである。

そして、女の子になって、男の子を好きになりたい・・・
女の子になって、女の子を好きになりたい・・・

その逆もあるのだ。

ここで、更に、苦しいことは、ホモという言葉が使われて、いじめを受けることである。
更には、オカマという言葉。

なんで「男」になっていくんだろう・・・
この苦しみは、当人でなければ、理解できないだろう。

それにしても、身体だけは本当に「男」になっていくんだ。「女」として生きていくことがだんだん難しくなっていく・・・。悲しい未来、絶望的な大人の段階。
上記より

それから、彼の「女」への道のりが、描かれるエッセイである。

彼、いや彼女の場合は、父親より、母親が強固だった。
母親との、バトル・・・

一般的、児童心理学などでは、理解できないし、分析も出来ないのである。

だから、脳学である。
精神が、心が、というより、脳が女なのである。

それで、少数派であるから、障害と、名付けられる。
性同一性障害と、判定されると、性転換手術も、受けられ、日本の場合は、性別変更を行う事が出来るようになった。

それは、良い事である。
しかし、彼女たちは、今度は、子供を産むことが出来ないという、現実に打ち当るのである。

身体が、女になった・・・
良かったではない。

結婚は、女性であるから、出来る。しかし、妊娠は、出来ない。

有名芸能人も、結婚を前提にした付き合いと公表したが、相手の両親が反対したいという。つまり、女であるが、女の機能が無いということだ。
セックスは、できる。ただ、それだけ。

男の、セックスは、勃起、挿入、射精で終わる。
しかし、女のセックスは、その他に、妊娠という、重大事がある。
それが、無いのである。

性同一性障害・・・
とても、悩ましい問題である。

多くの告白本が出ているが・・・
それは、上記の繰り返しになる。

以下、省略して、次のテーマに、移らざるを得ない。

posted by 天山 at 05:34| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について210

それでは、性転換に移る。
悩んでいる人たちのために、追加で書くことにする。

性転換をするには、まず女性ホルモンを何度か打ち、次に去勢手術となる。

去勢の順番は、睾丸、つまり、タマを取る。
次に、胸を入れて、最後は、残った性器を取る。

ただし、その前に、性同一性障害であるという、判定が勿論、必要である。

これに関しては、専門家に任せたい。

エストロゲンの投与を二週間に、一度すると、生殖能力が低下する。
睾丸と前立腺が萎縮する。
そして、乳房が成長することもある。

肌の質感が細やかになり、皮膚が薄く感じられるようになる。
体毛の密度が下がり、色が薄くなる。

男性的頭髪の減少が止まり、頭髪が濃くなり、髪質が柔らかくなることもある。

筋肉が落ちて、体脂肪のつき方が変化するために、女性的な体型に変わってゆくこともある。
体臭や尿の匂いが、変化する。

重要なのは、精巣が萎縮すると、元に戻らないということである。

副作用は、一生、更年期障害と闘わなければならないこと。
抑うつ状態、血栓症、肝機能障害、免疫力低下、寿命が縮まることなど。

更に、乳がんを引き起こす、可能性がある。
心不全、糖代謝にも、異常をきたす可能性がある。

だるさがあり、朝起き難くなる。精神的に不安定になる。

普通、睾丸摘出手術をするまでに、半年以上のホルモンを打つ必要がある。
睾丸は、男性ホルモンを出す部分である。

その手術は、全身麻酔で行われる。
陰嚢の、裏筋の中央部を一センチ切開して、摘出する。

入院する必要はない。
二時間ほど、安静にしていて、翌日から普通通りに生活できる。

ただ、中には、手術により、命を落とす場合もあるということ。
身体が、パニックを起こすのである。

豊胸手術である。
女性ホルモンだけで、ふくらむ人もいるが、矢張り、シリコンを入れることが、多い。

胸の筋肉をはいで、その間に、シリコンを入れる。
シリコンを入れる場所は、脇の下か、乳房の下からの、どちらかである。

術後は、毎日のマッサージが必要である。
それは、とても、大変で、激痛が伴うものである。

私も、タイにて、丁度、豊胸手術をした、カトゥーイから、話を聞いた時、毎日、マッサージが欠かせず、とても、痛みを伴うと聞いた。

最後の手術は、多くは、タイで受けるという。
世界中から、希望者が殺到するタイ・・・
本場なのである。

最初の手術は、膣腔形成、陰茎切除、睾丸切除、陰核形成、陰核とは、クリトリスである。これは、昔は、出来ないものだったが、技術が進み、感覚を得られるクリトリスを造れるようになった。
大陰唇の形成。可能ならば、小陰唇の形成。新しい尿道口の形成である。

そして、二度目の手術が行われる。
およそ、七日後である。

膣腔の壁に、陰嚢皮膚を移植するのである。
つまり、膣を、陰嚢の皮で造るというもの。

別の方法は、ペニスの皮を使う方法もある。
以前は、皮膚の移植で行っていたが、技術が進化したのである。

膣の深さは、平均すると、四インチから、五インチで、10から12,5センチである。

これは、医者の腕によると、思われる。
これ以上の詳しいことは、専門家に譲る。

性について、を、読んでこられた方は、男性器と、女性器が、同じ素材で作られていたことを、記憶していると、思う。

だが、矢張り、この手術は、命懸けのものである。

更に、術後は、また、大変である。
傷口の痛みは、死に至る痛みだという。

生まれ持った性を、取り替えるという、行為・・・
命懸けでも、それを望む人たちがいる。

とすると、彼ら、彼女たちに、少しばかりの、優しさを持って接したいものである。

更に、である。
術後は、まだ終わらない。

今度は、膣が塞がらないように、ダイレーションという行為を続けなければならないのだ。

半年から、一年、規則正しく、毎日行うのである。

膣拡張作業である。
ダイレーターとは、直径三センチ、長さ二十センチのプラスチック製のステックである。

膣周辺を消毒して、毎日、規則正しく行う作業である。
本当に、ご苦労様である。


posted by 天山 at 23:59| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

もののあわれについて571

御年の程かぞへ給ひて、源氏「親子の中の、かく年経たる類あらじものを、契りつらくもありけるかな。今は物うひうひしく、若び給ふべき御程にもあらまじを、年頃の御物語など聞えまほしきに、などかおぼつかなくは」とうらみ給ふに、聞えむ事もなく恥づかしければ、玉葛「足たたず沈みそめ侍りにける後、何事もあるかなきかになむ」と、ほのかに聞え給ふ声ぞ、昔人にいとよく覚えて、若びたりける。ほほえみて、源氏「沈み給ひけるを、あはれとも今はまた誰かは」とて、心ばへいふかひなくはあらぬ御答と思す。
右近に、あるべき事宣はせて、渡り給ひぬ。




お年を数えて、源氏は、親子の間で、こんなに長く逢わなかった例はないでしょう。悲しい縁でありました。今では、恥ずかしがったり、子供のような年でもないでしょう。これまでの、積もる話をしたいが、どうして、よそよそしいのです。と、恨み言を言うが、玉葛は、申し上げることもなく、顔も上げられず、足もまだ、立たないうちに落ちて行きましてから後は、何もかも、頼りないことで、と、微かに、申し上げる声は、昔の人に、よく似て、若々しいのだった。源氏は、微笑んで、落ちていらしたのを、お気の毒とも、今は、私の他に、誰がいましょう、と、頭の悪くない、返事だと、思う。
右近に、心得ることを、おおせられて、源氏が出てゆかれた。

あはれとも今はまた誰かは
この、あはれ、は、沈み給ひける、を、あはれ、と思うのである。

心が痛い、あはれ、なのである。

足たたず沈みそめ侍り
和漢朗詠集、巻下、日本紀宴歌
かぞいろは いかにあはれと 思ふらむ みとせになりぬ 足たたずして

あるべき事、とは、六条の院で暮らすための、こと。




めやすく物し給ふを、うれしく思して、上にも語り聞え給ふ。源氏「さる山がつの中に年経たれば、いかにいとほしげならむと侮りしを、かへりて心はづかしきまでなむ見ゆる。かかるものありと、いかで人に知らせて、兵部卿の宮などの、このまがきの内好ましうし給ふ心乱りにしがな。好き者どもの、いとうるはしだちてのみ、このわたりに見ゆるも、かかるもののくさはひのなき程なり。いたうもてなしてしがな。なほうちあはぬ人の気色見集めむ」と宣へば、紫「あやしの人の親や。先づ人の心はげまさむ事を先に思すよ。けしからず」と宣ふ。源氏「まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにてもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし」とて、笑ひ給ふに、面赤みておはする、いと若くをかしげなり。
硯ひき寄せ給うて、手習ひに、

源氏
恋ひわたる 身はそれなれど 玉かづら いかなるすぢを 尋ね来つらむ

あはれ」と、やがてことりごち給へば、げに深く思しける人の名残なめりと見給ふ。




難の無いことを、嬉しく思い、紫の上にも、お話しする。
源氏は、そのような田舎に長く暮らしていたので、どんなに可哀相な様子だろうと見くびっていたのに、かえって、こちらの方が、気恥ずかしい思いです。こんな子がいると、ぜひとも、皆に知らせて、兵部卿の宮などが、この邸を気にすることなど、心を騒がしたい。好き者たちが、とても真面目な顔をして、この辺りに、姿を見せるのも、このような、種になる女が、いなかったからだ。何やら、世話を焼いてみたくなる。知らない顔をする男の、やり方を見てやりたいものだ、と、おっしゃると、紫は、変な、親御ですこと。まず第一に、人の心をそそるような事を先に、考えるなんて。いけません、と、おっしゃる。源氏は、本当に、あなたを、私が今のような気持ちだったら、そのように扱ってみたかったものです。全く考えもしなかったことだ。と、笑うと、紫は、顔を赤らめて、とても、若く綺麗である。
硯を引き寄せて、手習いに、

源氏
恋いつづけてきた、この身は、昔のままだが、あの娘は、どういう縁を辿り、尋ねてきたのだろう。

あはれ、と、独り言をおっしゃる。紫は、お言葉通りに、深く愛していらした方の、忘れ形見なのだと、思うのである。

後撰集より
いづくとて 尋ね来つらむ 玉かづら 我は昔の 我ならなくに

あはれ、との、独り言に、万感の思いを、託す。

兵部卿の宮は、源氏の、弟である。

その弟の心を、玉葛によって、乱してやりたいと、言うのである。




中将の君にも、源氏「かかる人を尋ね出でたるを、用意してむつびとぶらへ」と宣ひければ、こなたに参うで給ひて、夕霧「人数ならずとも、かかる者侍ふと、先づ召し寄すべくなむ侍りける。御わたりの程にも、参り仕うまつらざりけること」と、いとまめまめしう聞え給へば、かたはらいたきまで、心知れる人は思ふ。




夕霧の君にも、源氏は、これこれの人を見つけ出したのだが、気をつけて、仲良くしなさい、と、おっしゃるので、参上されて、夕霧は、人数にはいらなくとも、こんな者がいますと、真っ先に、および付ければ、よろしかったのです。ここに、お移りの時にも、お伺いしませんでした、と、とても、生真面目に申し上げるので、くすぐったいまでに、事情を知っている人は思うのである。

かたはらいたきまで
黙って聞いていられない程に、気の毒な程に・・・

何故、すぐに、教えてくれなかったのですか・・・
と、夕霧は、源氏に言うのである。

我が妹ではないか・・・

物語が、どんどんと、面白くなってゆく。

posted by 天山 at 00:08| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月25日

もののあわれについて572

心の限りつくしたりし御住まひなりしかど、あさましう田舎びたりしも、たとしへなくぞ思ひくらべらるるや。御しつらひより初め、今めかしう気高くて、親兄弟と睦び聞え給ふ御様かたちよりはじめ、目もあやに覚ゆるに、今ぞ三条も、大弐をあなづらはしく思ひける。まして監がいきざしけはひ、思ひ出づるもゆゆしき事限りなし。豊後の介の心ばへを、あり難きものに君も思し知り、右近も思ひいふ。おほぞうなるは、事も怠りぬべしとて、こなたの家司ども定め、あるべき事ども掟てさせ給ふ。豊後の介もなりぬ。年頃田舎び沈みたりし心地に、俄かに名残もなく、いかでか、仮にても立ち出で見るべきよすがなく覚えし大殿の内を、朝夕に出で入りならし、人を従へ、事行ふ身となれるは、いみじき面目と思ひけり。大臣の君の御心掟の、こまかにあり難うおはしますこと、いとかたじけなし。




思う限りの、数奇を凝らした筑紫の住まいだったが、思いもよらない、田舎のものだと、比べ物にならないほどに見える。部屋のしつらいを始め、今風で、上品で、親兄弟として、親しくしておられる方々の、御様子や、お姿をはじめ、目も眩むほどに思える。今は、三条も、大弐を取るに足りないと、思うほどだった。まして、監の、意気込みや、態度は、思い出すのも、いまいましい。豊後の介の心ばえを、珍しいものと、君も認めて、右近も、そのように思うと、口にする。普通にしていれば、事も行き届かないに違いないというので、こちらの執事連中を決めて、するべきことを、色々、指図される。豊後の介も、家来になった。
長年の、田舎暮らしで、腐っていた心には、急に打って変わって、とうてい仮にでも、出入りできる縁などないと思っていた、お邸の中を、朝晩と、出入りし、人を指揮して、事を取り仕切る身になったのは、非常に名誉なことだと思う。大臣の君の、お心遣いが、細かに行き届き、またとない程、おいで遊ばすことも、恐れ多いのである。




年の暮に御しつらひの事、人々の御装束など、やむごとなき御列に思し掟てたる、かかりとも田舎びたることやと、山がつのかたに、あなづりおしはかり聞え給ひて調じたるも、奉り給ふついでに、織物どもの、われもわれもと、手をつくして織りつつもて参れる、細長、小うちぎの、いろいろ様々なるを御覧ずるに、源氏「いと多かりける物どもかな。方々に、羨みなくこそものすべかりけれ」と、上に聞え給へば、御くしげ殿に仕うまつれるも、こなたにせさせ給へるも、皆とうでさせ給へり。かかる筋はた、いとすぐれて、世になき色あひにほひを染めつけ給へば、あり難しと思ひ聞え給ふ。




年の暮れに、お部屋飾りのこと、人々の、お召し物などを、身分の高い方々と、同列に言いつけられる。器量は、これでも、好みが田舎ぽいところがないかと、山里育ちのように、侮って、考え申し上げ、仕立てたものも、一緒に差し上げるついでに、織物などの、我も我もと、人々の工夫を凝らして、色々織り、持って上がった細長、小うちぎの、色合いの様々を御覧になり、源氏は、とても沢山の品物だ。方々に、恨みの出ないように、分けなければいけない、と、紫の上に、申しげたので、みくしげどの、で、お仕立てしたものも、こちらで、お仕立てしたものも、皆、お取り遊ばした。
こういうことには、とても上手で、この上ない色合いや、綺麗さに、染付けされるので、類ない人だと、あり難く思うのである。

こなたにせさせ給へるも
紫の上のことである。

小うちぎ
貴族の女の上布であり、打ち掛けである。

源氏は、玉葛が、容貌は美しいが、長年の田舎暮らしのことゆえ、好みが、田舎ぽいものかと、考えている。


posted by 天山 at 00:02| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月26日

もののあわれについて573

ここかしこの打ち殿より、参らせたる打ち物ども御覧じくらべて、濃き赤きなど、さまざまを選らせ給ひつつ、御衣櫃衣苔どもに入れさせ給うて、おとなびたる上臈ども侍ひて、これはかれはと取り具しつつ入る。上も見給ひて、紫「何れも劣りまさるけぢめも見えぬものどもなめるを、着給はむ人の御容貌に、思ひよそへつつ奉れ給へかし。着たる物のさまに似ぬは、ひがひがしくもありかし」と宣へば、大臣うち笑ひて、源氏「つれなくて人の御容貌おしはからむの御心なめりな。さては何れをとか思す」と聞え給へば、紫「それも鏡にてはいかでか」と、さすがにはぢひておはす。




あちこちの、打ち殿から、差し上げた打ち物の、色々を比べて、御覧になり、紫の濃いものや、赤いものなど、様々な、あれこれを選び、御衣櫃や、衣箱に入れて、年取った上臈の女房達が、傍に控えて、これは、あちらに、あれは、こちらに、と、取り揃えて入れる。
上も御覧になり、紫の上は、どれも、劣り勝る様子も見えない品のようですが、お召しになる方の、お顔を考えて、差し上げください。お召し物が人に合わないのは、見苦しいことでしょう、と、おっしゃる。源氏は、微笑、素知らぬ顔で、人々の御器量を想像するというお気持ちらしいな。それでは、あなたは、どれをと、思いますか、と、申し上げると、紫の上は、そんなことは、鏡などで、どうして解りましょう、と、はにかんでいる。

打ち殿
色合いを出し、艶を出すために、衣を打つ仕事場所である。




紅梅のいと紋浮きたる葡萄染めの御小うちぎ、今様色のいとすぐれたるとは、かの御料。桜の細長に、艶やかなる掻練とり添へては、姫君の御料なり。
浅はなだの海賦の織物、織りざまなまめきたれど、にほひやかならぬに、いと濃き掻練具して、夏の御方に、曇りなく赤きに、山吹の花の細長は、かの西の対に奉れ給ふを、上は見ぬようにて思し合す。




紅梅の、くっきりと浮き紋になった、葡萄染めの、御こうちぎと、流行の、とても綺麗なのは、こちらの、お召し物。桜の細長に、艶の良い、かいねりを付け添えたのは、姫君の、お召し物である。
あさはなだ、の、海賦の織物の、織り方は上品で、鮮やかではない色合いのものに、とても濃い紅の、かいねりをつけて、夏の御方に。くすんだところなく、赤いものに、山吹の細長は、あの西の対へ、差し上げるのを、上、源氏は、見ないふりをして、想像するのである。

海賦
海辺の風物、貝、波などの、模様。




内の大臣の、はなやかに、あな清げとは見えながら、なまめかしう見えたる方の交らぬに、似たるなめりと、げにおしはからるるを、色には出し給はねど、殿見やり給へるに、ただならず。源氏「いでこのかたちのよそへは、人腹立ちぬべき事なり。よきとても物の色は限りあり、人の容貌は、後れたるもまたなほそこひあるものを」とて、かの末摘花の御料に、柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れるも、いとなまめきたれば、人知れずほほえまれ給ふ。梅の折枝、蝶、鳥、飛びちがひ、唐めいたる白き小うちぎに、濃きがつややかなる重ねて、明石の御方に。思ひやりけだかきを、上はめざましと見給ふ。空蝉の尼君に、あをにびの織物、いと心ばせあるを見つけ給ひて、御料にあるくちなしの御衣、許し色なる添へ給ひて、同じ日着給ふべき御消息、聞えめぐらし給ふ。げに似ついたる見むの御心なりけり。




内大臣が、華やかで、まあ、綺麗だと見えながら、優しく見える所がないのに、似ているらしいと、殿の言葉通りに、推し量られて、それとは、顔に出さないが、源氏が横目で、眺めると、紫の上の心は、穏やかではないらしい。
源氏は、いや、この器量比べは、当人には、腹が立つに違いない。良いものだといっても、物の色には、程度がある。人の器量は悪くても、また、矢張りあるものは、あるのだから、と、あの末摘花の、お召し料に、柳の織物の、結構な唐草の乱れ模様を織り出したのも、とても派手なので、人知れず、微笑まれる。
梅の折枝、蝶や鳥の飛び違い、唐風の白い小うちぎに、濃い紫の艶のあるものを重ねて、明石の御方に。見た目も、気品がありそうなものを、源氏は、憎らしいと御覧になる。空蝉の尼君には、青にびの織物の、品のあるものを捜し当てて、ご自分のお召し料の、くちなし色の衣に、許し色を加えて、皆が、同じ日に、お召しになるようにと、お手紙を、廻される。想像どおりに、似合う姿を見ようという、気持ちなのである。

内大臣とは、紫の上の、父である。




皆御返りどもただならず、御使の禄、こころごころなるに、末摘花東の院におはすれば、いま少しさしはなれ、えんなるべきを、うるはしくものし給ふ人にて、あるべきことはたがへ給はず、山吹のうちぎの、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうちかけ給へり。御文には、いとかうばしき陸奥紙の、少し年経厚きが、黄ばみたるに、
末摘「いでや、賜へるは、なかなかにこそ。

きてみれば うらみられけり から衣 かへしやりてむ 袖を濡らして

御手の筋、ことあうよりにたり。
いといたくほほえみ給ひて、とみにもうち置き給はねば、上、何事ならむと見おこせ給へり。




皆の返事は、心を込めてあり、お使いへの禄も、それぞれに気を配り、末摘花は、二条の東の院におられて、少しは区別して、つつましくするべきだが、几帳面にされる方で、するべきことは、疎かにせず、山吹のうちぎの、袖口の、大そうすすけているのを、重ね着もなく、使者に与えた。お手紙には、
どうも、いただくのは、かえって悲しくて

着てみれば、恨めしく思えます。この唐衣は、お返ししましょう。涙で、袖を濡らしまして。

筆跡は、特に古めかしい。
源氏は、しきりに微笑みを浮かべて、すぐに手放さないので、紫の上は、どうしたのかと、覗き込むのである。

ことにあうよりにたり
古風であり、昔の型から、抜けない。


posted by 天山 at 05:41| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月27日

もののあわれについて574

御使にかづけたる物を、いとさびしくかたはらいたしと思して、御気色あしければ、すべりまかでぬ。いみじく、おのおのはささめき笑ひけり。かやうに理なう古めかしう、かたはらいたき所のつき給へる、さかしらに、もてわづらひぬべう思す。源氏「はづかしきまみなり。古代の歌よみは、から衣、袂、濡るるかごとこそ離れねな。まろもその列ぞかし。更に、一筋にまつはれて、今めたきる言の葉にゆるぎ給はぬこそ、妬きことははたあれ。人の中なることを、折節おまへなどの、わざとある歌よみの中にては、あだ人のといふ五文字をやすめ所にうち置きて、言の葉の続き、たよりある心地すべかめり」など笑ひ給ふ。




お使いに取らせた物が、とてもみすぼらしく、体裁が悪いと思い、殿のご機嫌が悪いので、使いは、こっそりと退出した。酷いことと、女房達が囁き合い、笑う。
このように、むやみに、古風で、はた迷惑な所のあるのが、小ざかしく、扱いに、手を焼くのだと、思われる。源氏は、美しい目元だ。昔風の歌詠みは、唐衣とか、袂ぬるる、といった恨み言が、抜けないようだ。私も、その類だ。ただ、一つの流儀にしがみついて、今風の文句に、惹かれないのは、恐れ入るよ。一同の中にあり、その時々の、御前などで、特に集めて、歌を詠む場合などでは、まどい、が欠かせない三文字だ。昔は恋のやり取りには、あだ人の、という五文字を、句の切れ目に読み込むと、言葉の続き具合が、落ち着く気がする、などと、笑うのである。

これは、末摘花の、歌に対する、批判である。
堅物で、昔風を、そのままにしている。
融通が利かないのである。

きてみれば うらみられけり から衣 かへしやりてむ 袖を濡らして
着る、うら、かへし、が、衣の縁語になり、なんとも、昔風であり、今ひとつ、臨機に欠けるのである。

やすめ所
句の中止する所で、上の句と下の句の、切れ目である。

紫式部は、日記に、上の句と、下の句の、つながりに、悩んでいた。
上手くゆかないと・・・

この歌の場合は、から衣、そして、かへしやりてむ、が、古臭いのである。
要するに、衣を、から衣と言い、袂濡るる、という、恨み言の関わりである。

その時代も、歌詠みは、どんどんと、生成発展していたということである。




源氏「よろづの冊子、歌枕、よく案内知り、見つくして、そのうちの詞を取り出づるに、よみつきたる筋こそ、つようは変らざるべけれ。常陸の親王の書き給へりたる、紙屋紙の冊子こそ、見よとておこせたりしか。和歌の髄脳いと所狭う、病去るべき所多かりしかば、もとより後れたる方の、いとどなかなか、動きすべくも見えざりしかば、むつかしくて返してき。よく案内知り給へる人の口つきにては、めなれてこそあれ」とて、をかしく思いたる様ぞ、いとほしきや。




源氏は、あらゆる草子や、歌枕をよく勉強し、読み尽くして、その中の言葉を取り出してみても、読み慣れている調子は、たいして変わらないだろう。常陸の親王が、書き残して置いた、こうや紙の草子を読んでみろと、寄越してきたが、和歌の規則が、とても細かく書いてあり、歌の病の避けるべきところが、沢山上げてあったので、元来、不得手の方面で、いよいよ、そのために、自由に詠めなくなりそうに思えた。面倒臭くて、返してしまったのだ。よく勉強している方の詠み方としては、ありふれている、と言い、面白く思っている様子は、可哀相だ。

常陸の親王、とは、末摘花の、父親である。
その常陸守が、和歌の髄脳、和歌の奥義を書いたのである。

ここでは、源氏の歌論が述べられている。
つまり、作者の歌論である。

いとほしきや
愛しいとは、現代に使われる。
頑固一徹の末摘花が、可哀相なのだ。




上、いとまめやかにて、紫「などて返し給ひけむ。書きとどめて、姫君にも見せ奉り給ふべかりけるものを。ここにも、物の中なりしも、虫皆そこなひてければ、見ぬ人、はた、心ことにこそは遠かりけれ」と宣ふ。源氏「姫君の御学問に、いと用なからむ。すべて女は、たてて好めること設けてしみぬるは、さまよからぬ事なり。何事も、いとつきなからむは、口惜しからむ。ただ、心の筋を、漂はしからずもて沈めおきて、なだらかならむのみなむ、目安かるべかりける」など宣ひて、返しは思しもかけねば、紫「返しやりてむとあめるに、これより押し返し給はざらむも、こがこがしからむ」と、そそのかし聞え給ふ。
情棄てぬ御心にて、書き給ふ。いと心安げなり。

源氏
返さむと いふにつけても かたしきの 夜の衣を 思ひこそやれ

ことわりなりや」とぞある。




紫の上は、とても真面目に、どうして、お返しされたのです。書き写して、姫君にも、お見せ申しけ上げれば、よろしかったのに。私の所にも、何かの中にありましたが、皆、虫がついてしまい、見ていない私は、特別、歌の道には、暗くて、と、おっしゃる。
源氏は、姫君のお勉強には、全然役に立たないだろう。総じて、女というものは、特に気に入ることを見つけて、それに凝ってしまうので、みっともない。何事であれ、少しも、知らないのは、感心しないだろう。ただ、心を、移り気ではなく、落ち着けて、うわべだけでも、穏やかにしていることこそ、感じのよいものだ。などと、おっしゃり、返事のことは、気に掛けていないようである。
紫の上が、お返ししたいとありますのに、こちらから、置いておくような、お返事をなさらないのも、意地悪なことでしょう。と、お勧めする。
思いやりのあるお方であるから、返事をお書きになる。とても、気安い風である。

源氏
返そうと、おっしゃるにつけても、その衣を敷いて、独り寝なさるあなたを、思います。

もっとも、ですね。と、書いてあるらしい。

古今集
小野小町
いとせめて 恋しき時は むば玉の 夜の衣を 返してぞきる

心ことにこそは遠かりけれ
髄脳を見た人は、際立って、歌の道から、遠くにいる。歌をよく知らない。

今で言えば、短歌の作り方である。
それに、拘ってしまえば、自由に、伸び伸びとした歌詠みは、出来ないという。

日本語の面白いところで、返す、という言葉に、お返ししますという意味を、裏返すという意味に、取り替える。

源氏は、小野小町の、夜の衣を返してぞきる、に、歌詠みを懸けたのである。

玉葛を、終わる。


posted by 天山 at 00:01| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月28日

国を愛して何が悪い21

今では近代国民国家が一般的な「国のかたち」(国家形態)として世界に拡散しているが、そうなる前は朝鮮などは「主権国家」として国際的に見なされないばかりか、「半主の国」でさえなかった。
それまで東亜世界における世界秩序を主宰してきたのは中華である。中華の天朝朝貢冊封秩序が東亜世界の核であり、主権国家などという概念は19世紀の国際政治では普及していなかった。そのため、李朝朝鮮の主権はいかなる国からも認知されていなかったというのが、歴史の常識である。
せいぜい清国か日本の「属邦」としか認知されていなかった。この史実を韓国はもっと自覚するべきだろう。もともと主権などないのに、「奪われた」と主張することはできない。もしそんなことを言うなら、それは妄語、虚言、歴史の捏造である。
黄 文雄 韓国は日本がつくった

更に、日韓併合ではなく、二つの国家の統一国家、日韓合邦であった。
それを、多くの列強諸国が、承認したのである。

更に、韓国の中でも、合邦を支持するものが、少なくなかったという。
事大主義に固執する、両班の多くは、合邦に反対したが、1904年設立の、一進会をはじめとする、合邦推進諸団体が結成され、韓国の混乱と衰退を防ぐ手段として、合邦に期待したのである。

実際、朝鮮は、独自で、事を変える力はなかった。
全く、個人の思惑ばかりで、先に進まない。
要するに、自分の国をどのようにするかという、意識に欠けていたのである。

更に、合邦国家というものは、何も、日韓ばかりではない。
多くの例がある。

清帝国なども、満州人とモンゴル人の連合国家であり、合邦国家であった。

第二次世界大戦後、合邦国家という、国家形態は、主流でなくなる。それは、植民地帝国の崩壊により、民族の競合と浄化が加速したからである。

朝鮮民族は、諸民族連合に不慣れで、有史以来、孤立を守り、属国の道を選んできたのである。

そして、日韓合邦は、異議を唱えるはずの、清国、また、利害関係の深いロシアでさえ、異議を唱えなかったのである。

これが、史実である。

近代国民国家の国家主権と、その独立を確立・認知するのは、国際法的な取り決めだけではなく、国際的政治力学も大きな力を持っている。これは、現在でも変わらない事実だ。
黄 文雄

更に、加えて、日韓合邦国家という、近現代史の巨流を背景として、三回にわたる、日韓協約を経て、つくられた、同君合邦国家なのである。

日清戦争によって、朝鮮が、独立を果たし、日韓合邦によって、「無主の国」の国民として主権が認められていなかった朝鮮人の、国際的地位が向上したのは、日本の御蔭であろう。

何度も言うが、もし、そうでなければ、今の、韓国は、無い。
中国か、ロシアに蹂躙させていた。

大韓帝国などという国も、存在しなかったのである。

よくよく、韓国人は、歴史を学んで、よくよく、当時の世界情勢から、当時の、朝鮮の状況を鑑みるべきである。

日本を恨むどころか、日本に、幾度も、感謝しなければならないだろう。

現在、世界で、韓国という国として、認められていること・・・
それは、日本の努力によってである。

だが、何故、韓国人は、いつまでも、反日だけで、自己統一性を保つのかといえば、事は、簡単である。

その、民族性である。

千年に渡る、中華帝国との、主従関係、君臣関係・・・
そこから、生まれた、事大主義と、自律性、主体性の、欠如である。

朝鮮半島の歴史を、冷静な目で見れば、他律性以外の何ものでもないのである。

中華の属国であり、大中華に対する、小中華であることを、誇りに思っていたということ。
現在は、韓国の歴史を、どのように教えているのか・・・

都合良く、勝手な解釈で、夢のような、歴史教育をしているのであろう。
何せ、聞くところによると、世界の歴史、文明は、韓国からはじまった・・・

何もかも、韓国が世界の中心である。
どこかの、新興宗教のような、歴史観である。

このような、お馬鹿な民族を、誰が、真っ当な民族と思うか・・・

朝鮮半島が、中華帝国と宗属関係になったのは、676年に始まる、統一新羅の時代からである。

唐の援助によって、半島を統一したため、自ら大唐新羅郡、と名乗ったのである。

そして、半島の、事大主義がはじまったのも、この時である。
事大とは、大きな事、国に、従う。
自らを、卑下して、付き従うという、考え方である。

ちなみに、その際、亡んだ、百済の人々は、新羅にも、唐の人にも、なりたくないと、多くの人たちが、日本にやって来ている。
天智天皇の御代である。

その時、日本側は、彼らを温かく、受け入れ、住む土地を与え、更には、能力、才能のある者を、朝廷が召し出している。

さて、新羅の後は、高麗朝である。
中華帝国から冊封され、朝貢関係にあったが、比較的自主性は、守られていた。

それが、本格的に、中華の干渉を受けるのは、大明帝国時代の、李朝からである。

李朝の太祖、李成桂は、1392年、易姓革命にて、高麗を簒奪したが、実権支配の獲得を、明の太祖に認めてもらうため、国家主権を、すべて明に売り渡した。
明の、属国となるのである。

統一新羅の時代に、唐の属国になり、事大主義を培い、李朝において、身も心も、属国意識に染まることで、完成したのである。

これが、朝鮮民族の、今に至るまでの、抜き難い、性質となった。

この、劣等感・・・
しかし、若い世代は、その劣等感も、知らないゆえに、捏造した、歴史教育を受けて、国際社会からは、はみ出すほどに、愚かな言動を繰り返すのである。

posted by 天山 at 01:56| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月29日

国を愛して何が悪い22

中国人からすれば、朝鮮はすでに漢の時代から中国の一部なのだ。中国の歴代王朝の封国といえば、漢時代の「呉楚七国の乱」で知られる呉や楚が挙げられるが、それよりもさらに一段下の外藩、つまり外様大名程度としてしか見なされていなかった。そもそも、朝鮮をつくったのは中国の箕子だと、中国人は主張するほどなのだから。
黄 文雄

中国が近現代でも、この中国人の一般的な朝鮮版図観は、変わっていないのである。

蒋介石は、第二次世界大戦後の、対日処理を協議した1943年、カイロ会談で、ルーズベルト大統領に、高麗の返還を要求しているのである。
返還である。
元から、こちらのものという、意識である。

更に、朝鮮人である。
属国意識が強烈で、中国の朝鮮省になることを、小中華から、大中華への、昇格だと、喜ぶのである。

シナ人かぶれの、両班にとっては、恩寵だったのである。

現在の、韓国人は、これを、どう解釈するのか、尋ねてみたいものである。

1895年、日本が、清国に勝利し、下関条約で、清国が朝鮮の独立を認めたのである。

これ、日本のお蔭である。
それを、否定するならば、今の、韓国という国は無い。
中国になっていたか、ロシアになっていたのである。

何故なら、その後は、日本とロシアの、朝鮮半島を巡る紛争は、絶えなかったのである。

また、それが、日露戦争の一因ともなったのである。

日本は、朝鮮の独立を守るために、1904年、日露戦争中の第一次、1905年の、日露戦争後の、第二次、1907年の第三次と、三回にわたり、日韓協定が結ばれたのである。

第二次日韓協約を経て、大韓帝国は、日本の保護国となり、1905年、日本は、ソウルに統監府を設立して、朝鮮の内政、外交を指導、監督することとなった。

この、総監時代を含めて、40年という場合もある。
日帝36年ともいう。

それでも、まだ、韓国は、国家として認められていなかった。
つまり、外交権が無いのである。

ハーグの万国平和会議へ密使を送り、列強の力を借りて、日本を牽制しようとしたが、外交権が無いという理由で、会議への出席を拒まれているのである。

当時、初代総監となった、伊藤博文が、朝鮮の近代化をはかるために、尽力していた。
ゆえに、韓国の密使という、陰謀に対して怒り、高宗を謁見して、
かくの如き陰険な手段を以って日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるは捷径なるにしかず。
と、答えている。
捷径とは、早道であるという意味。

深谷博治博士著「明治日本の対韓政策」より

けれども、日本は非文明的、非人道的な働きをしてまでも韓国を滅ぼさんと欲するものではない。韓国の進歩は大いに日本の望むところであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてもよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。日章旗と巴字旗とが並び立てば日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を滅ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚くするについては、自分の赤誠を貢献しようとしている。しかも、戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって、韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基づくのか聞きたいものである。
日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合邦する必要はない。合邦は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協定を結んだ所以なのである。

そして、その後、日本の手を離れた韓国は・・・
大統領はじめ、国の支配層、官僚、公務員・・・
その腐敗、汚職、嘘偽りは、止まるところを知らないのである。

昔の、大統領が、汚職で手に入れた、15億円の金を使われたとして、取り返したい・・・
呆れて、物が言えないのである。

日帝時代に、建設したものは、今も健在であるが、その後の韓国の建造物は、すぐに壊れる。
手抜き工事なのである。

工事費を浮かせて、誰が、取るのか・・・
全く、そこには、責任感などという意識は、無い。
自分の懐が豊かになればいいのである。

国民国家意識が、皆無である。

国家として、成り立っているのが、不思議なほどである。
米軍が撤退したら、即座に、北朝鮮に攻め込まれるだろう。

伊藤博文は、日韓併合は、考えていなかったのであり、むしろ、反対だった。
最後に、併合も止む無しと、受け入れたのである。

日韓合邦は、東洋永遠の平和のためであり、日本の自衛のためにであり、朝鮮民族の安寧のためであり・・・

伊藤は、朝鮮の独立を最初に認めたのは、個人としてはじめてであり、国家として認めたのは、日本が初めてだと、言う。

そして、伊藤は、韓国朝廷の官使に対して、
韓国人の何ぴとが自らその独立を主張したであろうか。かつまた、韓国人の何ぴとが自ら韓国の独立を承認したであろうか。あるならば聞きたい。韓国人は、三、四000年来、固有の独立を有するよう言っているが、自分はこれを承認できない
と、問い掛けている。

現在の、韓国人は、どう考えるのか・・・
聞いてみたいものである。

現在も、国民国家の意識は、希薄であると、私は、思う。
自己を認識する、何の手立ても持たないのである。
あるのは、反日感情のみ・・・

そのうちに、北朝鮮から、韓国と、中国の領土に組み込まれるのが、目に見えるのである。


posted by 天山 at 05:12| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月30日

国を愛して何が悪い23

李朝朝鮮において、事大主義が決定的になったのは、高麗朝を滅ぼし、李朝を成立させた、太祖、李成桂が、それまでの尊仏崇武を廃止して、尊儒崇文を国是とし、朱子学を国学と定めてからである。

ちなみに、日本の江戸時代、朱子学を主として、将軍家が推奨したが、仏教も、国学も、盛んだった。そして、老荘思想も、である。

高麗時代は、仏教国家だった。それ以前の、三韓時代も、そうである。
日本に仏像を贈ったのも、百済王である。

大陸、半島での、仏教隆盛は、大陸では南北朝時代から、隋、唐時代で、朝鮮では、高句麗、新羅、高麗時代であり、日本では、奈良、平安時代である。

大陸で、仏教が隆盛して、儒教が衰退する。
その中で、宋の時代、儒教に変わり、理気学という、新儒学が唱えられた。

それを、南宋の朱子が集大成したものが、朱子学である。

大陸では、仏教が衰退すると、朱子学が定着し、元の時代になると、公認されるようになる。
その、朱子学が、半島にも流れて、李朝時代に、国教化されたのである。

朱子学は、三綱五倫、つまり、君臣、父子、夫婦の道、三綱と、君臣の義、父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信、五倫を、中核にして、厳格な道徳秩序によって、支えられると、考えた。

同時に、国王を国父、王妃を国母とする、家父長的な家族主義の絶対化により、忠君愛国の名分と秩序を唱える。

これを形式的に、法に変わり、支えるのが、礼である。
だから、朝鮮は、君父を、中華の君を父として崇めるという、忠誠心が非常に強くなった。

つまり、それは朝鮮が、当時の中華帝国である、明王朝に臣属として、忠誠を誓うことを意味したのである。

そして、悪名高い、両班、ヤンバン官僚体制を確立することになった。
加えて、大中華の属国、礼儀之邦と認知されることで、李朝による、支配が正当化され、共に、大中華に奉仕する理論付けが確立された。

これが、歴史である。

朱子学を国教化した、李朝は、大中華に対する君臣の義が、絶対化され、以来、朝鮮は、朱子学の大義名分に従い、君臣の義を守り続ける運命を、自らが負ったのである。

不幸のはじまりであった。

李氏一族の、属国願望は、限度を超えて、徹底したものになり、明から国号を希い、国王の認知を求めて、生殺与奪の権利を、すべて宗主国に任せてしまった。

人類史上類例を見ない属国根性である。
黄 文雄

唖然とすることは、朱子学は、単なる、儒教の一部を取り入れたものであり、朝鮮では、仏教用語を用いて、孔子、孟子の教えを解釈しただけであるということ。

現代韓国においても、精神文化の核は中華で誕生した朱子学であり、韓人が独自に創出したものではない。
黄 文雄

韓国では、儒教が盛んで・・・云々・・・
嘘である。

朝鮮にはその独自的文化なし。もしあるとすれば、仏教文化と儒教文化などの外来文化のみ。
高橋亨 朝鮮人の特性

唯一、独創性のあるものは、ハングル文字である。
しかし、それも、朝鮮自らが、破棄したのである。
日本の努力によって、ハングルは、日の目を見たという、皮肉である。

現代韓国人が、反日を叫べば、叫ぶほど、史実としての、歴史が明らかにされるのである。

やぶ蛇と言う。

ハングルの復興については、以前に書いたとおりである。

その他、愚かしいことが、多々あるが、省略する。
ただ、日本と比べると、全く違う文化的受容力だということだ。

日本にも、大陸から、あらゆる思想が輸入されたが、日本は、それらを、独自に日本的、日本流に変容し、伝統文化にまで、高めたのである。
更に、取り入れなかったものもある。

宦官などは、日本には存在しない。
科挙の制度も。

宗教、宗派は、強烈な排他性を持つ。
しかし、朱子学は、宗教ではないが、それ以上に、極端に無情な排他主義である。

だから、朱子学を国教化したということは、あらゆる思想、学問を排斥したということである。

例えば、諸子百家、陽明学、仏教、西学と呼ばれたキリスト教、東学といわれた民間信仰の、儒教、仏教、道教を取り入れたものなど・・・

そして朱子学の国教化によって、半島では他者に対して絶対不寛容で、まったく空疎な空理空論を果てしなく繰り返すという儒教的精神風土が形成された。現代の韓国の朱子学者も、この性格をしっかりと受け継いでいる者が多い。
黄 文雄

今日でも、この傾向から抜け切れないでいるのは、一目瞭然である。
南北の対立、内部抗争に見られる不寛容さは、まさに李朝時代からのもの。

そして、一番は、朱子学によって、大に従うという、事大主義が完成したということだろう。
更に、それを、今も冷静に判断する思考力に欠ける、韓国人という民族に、未来を見るとき、何か、暗澹としたものを感じるのである。
一致団結するのは、反日の時だけで、後は、反目、批判、中傷・・・・
現代韓国の、社会問題は、一向に解決の目途が見えない問題ばかりである。

それなのに、宗教に入信すると、何にせよ、盲目になり、イスラム圏に平気で、キリスト教を布教に行くという、信じられない行為をする人たちがいる。
陶酔型の信仰なのであり、決して、理性的ではないのである。

posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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