2012年07月01日

国を愛して何が悪い17

19世紀、大航海時代を通して達成された、世界全体を覆う空間革命は、統治する国と、統治される国、植民する国と、植民される国を生み出す。

西欧で、誕生した新しい国は、ナポレオン戦争を通じて、海外植民地の獲得へと向かうのである。

それにより、国富を増し、列強として、君臨した。

それは、19世紀末には、完了する。
その結果、日本、ロシアのような、自己変革のできなかった国は、エチオピア、タイのような例外を除いて、大半が、西欧列強の植民地、あるいは、準植民地と、転落する。
タスマニア人のように、消え去った民族もいる。

長い間、中華思想により、安穏としていた清国も、1840年から42年のアヘン戦争以後、衰亡してゆくのである。
当然ながら、属国であった、朝鮮も、それを避けることは、出来なかった。

19世紀における、国際法としての、万国公法は、国家という概念について、どのように規定していたのか。

その、公法における、近代西欧の国際秩序体制とは、大航海時代以後に生まれた、近代西欧国民国家によって作られた、世界秩序である。

そこでは、英、仏、オランダなどの、西欧国民国家は、自主の国といわれる、主権国家である。更に、文明国である。

日本、中国、ペルシャ、オスマントルコなどは、半主の国、半文明国、それ以外の地方は、未開の地、である。

未開の地と、みなされた場所は、先住民がいても、独自の国家体制があっても、無主の地、とみなされ、先占の法理により、自主の国が自国領として、編入することが認められたのである。

この思想は、どこからのものか・・・
キリスト教、白人主義の、差別思想である。
更に、その思想は、イギリスにおいて、作られた。

事実を追うと、そのようになるが、問題は、白人主義と、キリスト教に尽きるのである。

半主の国、中国の属国である朝鮮は、当然のことに、無主の国とみなされた。
世界中、どこの国も、朝鮮を、独立国家とは認めていない。

それゆえ、今、韓国人が言う、日帝により、独立、主権を奪われたという、お話しは、お話しである。全く根拠が無い。
当時の、国際関係から見ると、勘違いであり、無用な議論である。

独立も、主権も無いのに、どうやって、それを、奪うことができるのか・・・

金を持たない人間が、金を盗まれたとは、言わないだろう。
そのような、狂ったことを今になって言う、韓国人とは、歴史を知らない。
または、全くの、無知としか、言えない。

属国であったという、事実は、研究家によって、様々に分析されている。
ここでは、それらを省略する。

ただ、言えることは、属国でも、他の属国と比べて、下の下であったという、事実である。
韓国人は、自身で、よくよく調べてみることである。

朝鮮は、「礼記」にある、天子七廟、諸侯五廟の規定を守り、天神を祀ることを避けて、五廟のみを、祀っていたのである。

ところが、日清戦争後、下関条約により、朝鮮が解放され、独立を果たした、1896年、国王の高宗が大韓帝国の、帝位に就いてから、天神を祀ることが出来たのである。
統一新羅時代から、千余年を経ている。

韓国が、千年属国から開放され、主権国家となったがゆえの、ことである。

どうであろうか・・・
現在の、韓国人の若者たちに、正しい歴史教育を行っているだろうか。
偏狭な思想により、単なる反日教育をしているならば、信頼関係も、友情関係も、築けないのである。

更に、反目し合えば、マイナスの事象だけが、起こる。
隣同士の国であるのに・・・

実に、勿体無いことである。

日本を、国際社会で、貶めようとすれば、するほど、韓国は衰退する。
何故なら、国際社会は、それほど、アホではない。
多くの研究者がいて、事実を研究している。

一人合点の考え方では、孤立するばかりである。
更に、日本が、韓国支援をする際に、日本国民の拒絶に合えば、助けようとも、助けられなくなる。

日本には、韓国が必要ないが、韓国は、日本が必要なのである。

古代史を見れば、半島の没落した王朝の人々が、日本に助けを求め、更には、帰化しているのである。

そして、そこから、日本の伝統文化も、生まれた。
それは、与えられたものではない。
半島の人たちが、恩返しとして、日本に尽したのである。

日本は、朝鮮に与えたが、中華帝国からは、搾取され続けたではないか。

それを、よくよく、鑑みて、物を言うべきである。

それでは、慰安婦の問題を取り上げる。

属国の、朝鮮が宗主国の、中華帝国に捧げたもの、主要貢物には、牛馬、金銀、そして宦官、更に、慰安婦である。
それを、貢女、と、呼んだ。

朝鮮は、昔から、売春立国だったのである。

1980年代以後、日本に対して、従軍慰安婦問題を、言うが、古来から、それは韓民族独自の、文化ともいえるものである。
根拠無き、日本の従軍慰安婦問題を、言えば、言うほど、やぶ蛇で、歴史を詮索され、その事実が、明らかにされる。

古来から、慰安婦を中華帝国に送り続けた、売春立国、それが韓国の歴史的事実である。

その伝統が、残っているようで、2011年の統計では、日本に、五万人以上、アメリカに、三万人以上の、韓国人売春婦が存在し、問題になっている。

更に、オーストラリアでは、韓国人女性の入国に、非常に敏感になっている事実である。つまり、売春行為を目的として、入国するというものである。

ここまで言っても、解らなければ、言う。
今も、朝鮮の伝統である、慰安婦が存在するということである。
それが、朝鮮の伝統なのである。



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2012年07月02日

国を愛して何が悪い18

朝鮮半島は、アジア最大の、貢女の産地として、見なされていた。

驚くべきことである。
更に、最近まで、韓国は、管理売春国家として成り立っていたのである。

妓生、キーセン、などは、今でも存在する。

今更、慰安婦問題でもないだろう。

韓国人は日帝が大量の朝鮮女性を従軍慰安婦として強制連行したと非難するが、そもそもその事実を示す客観的な証拠など存在していない。だが、仮にもしそのようなことがあったとしても、朝鮮が唐の時代からしばしば北方民族に強制連行された悲しい歴史からすれば、取るに足らない出来事のはずである。「男女授受親しからず」の儒教倫理を受容する前の朝鮮半島では、性についてそれほど厳しい規制はなかった。儒教受容後でも、妓生は別世界として扱われていた。
黄 文雄 韓国は日本人がつくった

中国の文献から見ると、高句麗時代の風俗は、荒淫で恥も無い、高句麗人の女遊びの相手は、一人とは限らず、乱交風俗であると、書かれている。

統一新羅の時代から、李朝朝鮮に至るまで、例年、宗主国の、元、明、清へと、貢女を捧げてきたとの、記録がある。

婚姻の習慣から言えば、古代朝鮮は、売春婚の国である。
中華帝国をはじめとする、北方諸王朝への貢女の献上は、古代から有名だったのである。

少し、深入りすると、元時代、モンゴル人統監下での、貢女献上は、高句麗の貴族社会では、苦痛なほどだったと、いう。

「処女」を献上しなければ、ならなかったのである。
これが、慣例となった朝鮮では、元が抱える、もと南宋の降人部隊(南宋漢人部隊)に、女を献上したことから、明、清へと、朝鮮の貢女献上の悲劇が続いたのである。

美女や、処女であるだけではなく、その身分が、朝鮮国王の妹、王女、あるいは、大臣の娘が好ましいと、されていたのである。

また、侍女を出す場合も、美人、処女であり、両班の娘、妾が望ましく、それ以外の地位のある者を貢女として、選んではならなかった。

もし、不正が発覚すれば、責任官使が逮捕され、厳しく罪に、問われたのである。

現在、韓国が騒ぐ、従軍慰安婦問題には、日本政府が関与したといわれるものは、一件もない。

逆に、韓国では、戦後も、国家管理売春が横行していただけではなく、朝鮮史における、慰安婦の輸出や、売却の史料も存在している。

李朝時代、毎年、宗主国に、貢女、宦官を献上していたのは、史実である。

西洋の、伝道師、シャルル・ダレが、書いた、朝鮮事情には、李朝朝鮮は、毎年、宮廷慰安婦として、美女3000人を、出していたと、書いている。

更に、驚きは、妓生、キーセンは、世襲制だったというのである。

その全盛期は、高麗朝末期から、李朝初期である。
一牌、二牌、三牌という、段階に分けられ、それぞれ、宮女に近い、官位を与えられていた。
そして、地方の、キーセンは、もっぱら、官使の接待にあてられ、性の奴隷として存在していたのである。

三牌の集落は、売春宿になって、両班たちの、遊びの場であった。

千年以上に渡り、貢女と、宦官の献上を繰り返していた朝鮮である。

そして、駐留軍慰安専用の、ウォーカーヒル、つまり、米軍兵慰安総合遊興村も、現在の、退廃理髪店に至るまで、脈々と、続いている。
最近までというより、今も、それが存在するのである。

売春立国韓国なのである。

現在も、日本に五万人以上、アメリカに三万人以上の、韓国人、売春婦が、入り込んでいる。
オーストラリアが、それを危険視しているほどである。

韓国では、中学生の教科書に、日本の従軍慰安婦について、記述しているが・・・
呆れる。

やぶ蛇になるだろう。
事実を知った時に、子供たちは、どういう反応を示すのか・・・

アメリカ在住の韓国人が、至る所に、慰安婦の像を建てるという。
そうして、後々、大恥をかくことになるだろう。

今回、私は、貢女だけではなく、宦官も、献上していたということに、非常に驚くのである。

宦官とは、男子の去勢である。
信じられない思いである。

そこまでして、ご機嫌を取っていたという事実である。

属国でも、下の下の存在だったということが、実によく納得できた。

そして、それを甘んじて受け入れていた朝鮮人である。

醜い韓国人、を書いた、朴テヒョク氏も、書いている。
韓国は高麗、李朝時代を通じて、政治、社会制度から学問、生活習慣まで、中国を完全に模倣しようと努めた。韓国は、中国文化の優等生だった。韓国人は、古代には独自の名前を持っていたが、新羅時代に入ってから後に、中国名を名乗るようになった。韓国の姓は、天降姓といわれる金氏、朴氏、昔氏の、三王姓以外は、すべて唐式に改姓された。

李朝朝鮮は、中国の完全無欠なコピーであることを誇って「小中華」と称したものだった。何と不運なことだったか!そこで中華思想、科挙制度、中央集権から、ごていねいなことに宦官まで真似をしてしまった。・・・・
中国が世界でもっとも完成された国家であり、中国文化がもっとも優れているという独善的で、思い上がったものである。

そこで、宦官になるのは、貧しい若者たちが、生活苦から栄達を夢にて、残酷なことに、自ら去勢して、宦官になることを志願したという。

その、宦官は、日韓併合のときまで、宮廷にはびこっていた。
宦官たちは、中国の宦官と同じように、利権を漁ることだけを、生き甲斐にしていた。

つまり、献上しただけではない。
韓国にも、宦官制度を置いたのだ。

調べるにつれて、嫌になる話である。


posted by 天山 at 00:56| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月03日

国を愛して何が悪い19

韓国は、悪臭を発する中国文化―――とくに儒教によって、どれほどまで毒されてしまったことだろうか。それで、韓国人は中国人を「垢奴」テノムと呼んで蔑む。垢にまみれた不潔な人々という意味である。韓国人同士で相手を侮蔑しようとするときには「お前は中国人のパンツをはいているのではないか」といって、よく罵る。
朴 テヒョク 醜い韓国人

更に、
韓国で中国人のイメージといったら、貪欲であるとか、人をなかなか信用せずに用心深い、とかいったものだ。それなのに韓国人は、今日にいたるまで、中国文化のくびきから抜け出せないでいる。
と、いうことだ。

ここで、不思議なことは、儒教文化の、悪臭という表現である。
日本では、孔子の論語に対して、非常に良いイメージを持っている。

中国と、韓国における、論語と、日本における論語に対する、意味が違うということが、解るのである。
これについて、説明することは、省略する。

それにしても、孔子の論語、そして、儒教という倫理道徳がありながら、中国人も、韓国人も、世界の手本のような、人間がいないのは、何故か、不思議である。
つまり、論語の読み方が、全く違うということであろう。

日本人が、論語を読む場合は、実は、日本的精神が、大きく介入しているといえるのである。

中国人の顕著な特徴は、無秩序で、汚く、けたたましく、騒々しいことだ。まったく自分本位で、派閥を組んで争うことを好む。いつも人を妬んで、自制心を欠き、人の悪口ばかりいっている。ホラを吹く。体面ばかり重んじて、いたずらに誇り高い。協調精神を欠いていて、自分の過ちを認めようとしないーーーといったものだ。これらの特徴は人の性格のなかの悪い面をそのまま表している。国家よりも一族の利益を願い、官が腐敗していて、社会が賄賂漬けになっているところも、同じことである。


派閥を組んで争うとは、現在も、中国共産党の中では、頻繁に行われている。

次が、問題である。

西洋の帝国主義者たちが19世紀に入ってから、アジアへやって来ると、まず腐敗しきっていた中国が餌食になった。次ぎは日本だった。ヨーロッパの猛獣たちは、中国という巨大な獲物を食いちぎるのに忙しかったから、彼らの牙が日本へ向くのは半世紀ほど遅れた。最後が韓国だった。この意味では韓国は日本よりも恵まれていたはずだった。
それなのに、李朝のもとにあった韓国は、この貴重な時間を中国とまったく変わらずに、中国ゲームに耽って、無為に過ごした。


ロシア船が、今日の北朝鮮の、沖合いにやってきたのは、1864年である。
韓国では、日本でいう、黒船ではなく、異様船と、呼ばれた。

更に、翌年は、アメリカの商船ジェネラル・シャーマン号が来航して、有名なシャーマン号事件が起きた。
シャーマン号は、通商を拒否されると、日本海から、大同江を遡り、ピョンヤンまで来て、なお通商を求めたが、軍民によって襲撃されて、焼き払われた。

李朝は、鎖国を宣言すると、1866年、キリスト教に対する禁令を発して、三年に渡り、大迫害を行う。

この結果、韓国で布教に当っていた、フランス人神父9人と、8000人以上の信徒が処刑されたのである。

当時の、李朝は、12歳の高宗が王位に就く。
幼いために、父の興宣大院君が摂政となった。大院君とは、国王の実父に贈られる称号である。

李朝末期と、清朝末期の状況は、よく似ている。

清朝では、6歳の同治帝が、即位し、前帝の側室だった、西太后が摂政として、実験を握った。
更に、14年後に、皇帝が死ぬと、妹婿の子であり、4歳の光緒帝を皇帝にし、摂政政治を続けた。

大院君も、西太后も、国難をよそにして、権勢を貪るのである。

大院君は、財政難でありながら、全国に重税を課して、秀吉の韓国侵略の際に焼き払われた、三百年も廃墟の景福宮を王宮として、再建したのである。

だが、執政10年目に、王妃一族との権力争いに敗れて、隠退を強いられた。

その後の、韓国は、中国の紫禁城の大奥で西太后と光緒帝が争いをしたのと同じく、大院君派と、王妃派が抗争した。

王妃派が、日清戦争で中国が破れた後、ロシアと結んで、日本と結んだ大院君派と、抗争したが、大院君派が争奪したのである。

それは、以前に書いた通りである。

その後は、清朝も、朝鮮も、国内動乱の時期に入ったのである。

韓国は、今日でも重い「中国病」にかかっている。


韓国が近代国家として、発展するためには、われらのなかの中国的なものを消し去らなければならないのだ。


日本人は、日本列島が中国大陸からかなり離れて、中国から侵略をこうむることがない位置にあった幸運を、もっと天に感謝すべきだろう。中国文化と日本文化は、中国文化とヨーロッパ文化との間にあるのと同じほどの大きな違いがある。


確かに、言われてみれば、そうである。
しかし、これから、その中国の牙が日本に向かう。
中国の、日本侵攻は、すでに始まっているのだ。

日本の領土を核心的利益などと、平然として言う。
勿論、日本だけに限らない。核心的利益となれば、どこの国のものでも、我が物とする、中国流の、考え方である。

民主党政権最後の、総理大臣になるであろう、野田首相は、中国と円と元での、取引をするとの約束をした。

つまり、ドルを介さないで、取引するというのである。
これは、どういうことを意味するのか。
アメリカ外しである。

基軸通貨である、ドルを外すのであるから、穏やかではない。

更に、中国側は、どう捉えるのか・・・
日本を取り込んだと、考えるのか・・・

とても、危険な状態を生んでいることは、間違いない。


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2012年07月04日

国を愛して何が悪い20

列強時代、朝鮮が清国の属国であったことは各国ともに承知していたことで、朝鮮外交をめぐる交渉は李朝朝鮮ではなく清国を通して行われていた。朝鮮の国事や人事までも、清国政府が決めていたからだ。
黄 文雄

1885年、イギリスが朝鮮半島南端の巨文島を占領したときも、李朝には通告せず、イギリス駐在清国大使に連絡がいったのである。

更に、李朝政府には、連絡することなく、占領を了承したのである。

翌年、李朝国王の高宗が、有事の際にロシアに保護を求めようとして、ウエーバーに送った新書が、清国に発覚した。
その時、宗主国の代表として、朝鮮に駐在していた、袁世凱は、高宗を問い詰め、遂に、国王退位の厳しい措置を建言したという。

当時、日本は、国益を考えて、朝鮮を「自主の国」と主張していたが、清国の圧倒的存在感に押され、清国を宗主国と認めざるを得なかったのである。

1885年、井上馨外務卿が、清国に提出した、「朝鮮弁法八か条」でも、しかたなく、清国と妥協して、朝鮮の政務を清国と日本で、共同管理すると、第一条で提案している。

日本は、朝鮮が、自主独立の近代国家として、変わることを期待していたのである。

しかし、1875年、日本軍の戦艦が、演習中に、朝鮮軍に砲撃された、江華島事件の結果、朝鮮開国が行われると、日米英露などの列強が、朝鮮を中国の属国と認めなくなったのである。

そして、朝鮮と単独に、密約、条約などを結び、外交関係を持つ国が出てきたため、清国は、朝鮮管理を更に、強化した。

それは、朝鮮の第三国への公使派遣は、認めるが、全権の二文字は、使用禁止にした。

更に、レイヤク三論なるものの、順守を強要した。
一、 朝鮮公使は駐在国に赴任したら、必ず清国公使館に先報し、清国公使を経て相手国と折衝すること。
二、 公私外交の席上、韓国公使は必ず清国公私の次席に座すること。
三、 重要交渉がある時には事前報告し、相手国に関係なく属邦体制を守ること。

何とも、悲しい限りである。

だが、裏では、約束を黙殺し、日米英露の力を利用しつつ、清国を牽制していたのである。

19世紀に入り、李朝は、清国から保護を強化されたり、高宗をロシア公使館に移して、クーデターで親露派政権を立てたり、日露戦争後は、日本に保護されたりと、巧みに相手を変えていた。

これだけ、保護国を乗り換えてきたのである。
今頃、日帝時代の、云々を言うのは、実におかしいのである。

ゆらゆら揺れて、自主独立を保てないという、朝鮮の、その民族の心意気など、無いといえる。

そして、更に、面白いのは、清国の朝鮮省という、中華帝国の編入を喜ぶという、アホ振りである。

今なら、どうだろうか・・・
韓国人が、中国になるのを、喜ぶ人たちがいるだろうか。

しかし、先祖たちは、そうだったのである。

いくら、捏造しても、事実は、残っている。
韓国人の先祖は、中国になることを、事の他、喜んだ・・・

さて、清国では、アヘン戦争が起こり、その後に、太平天国の乱が起こる。
更に、もう一つ、イスラム教徒の乱、回乱が起こる。

1851年から、64年に渡る、反清農民革命である、太平天国の乱は、人類史上最大の、叛乱といわれる。
その死者は、五千万人、あるいは、人口の五分の一といわれる。

そして、1862年から77年の、回乱は、死者二千万人と、推定される。

この、内乱の中で、ベトナムは、清仏戦争により、完全に、フランスの手に落ちた。

朝鮮半島では、日本、ロシアが介入して、それに危機感を抱いた清国は、朝鮮の管理監督権を握る、李鴻章を中心に、今後の処分について、議論が絶えなかったのである。

回乱が起こった後で、清国は、大幅な行政改革を行った。
回部、つまり、新疆ウイグルを、福建省の台湾を、1887年に、正式に組み入れたのである。

そして、朝鮮である。
それを組み入れるために、介入している、日本とロシアの勢力と対抗するために、指導と管理を強化した。

朝鮮省を設立し、列強諸国に対して、朝鮮は、清国の固有領土であると、アピールしたのである。

地政学的に言えば、朝鮮は、日本にとって、ロシア南下の脅威を阻止する場所であり、清国にとっては、外敵を防ぐ自然の防壁となる。

ゆえに、清国は、朝鮮農民の反乱の鎮圧にかこつけて、軍隊を派遣し、そのまま、朝鮮半島の守りを固めようとしたのである。

日本、ロシア、清国などによる、朝鮮獲得競争が静かに、進行していた。

そして、日本と清国では、朝鮮の指導と管理について、多くの経営策が議論されていた。

それを、おおよそまとめたものがある。
一、 漢の四郡建置の例に従い、朝鮮国王を廃止、その地を清国の一省とする。
二、 朝鮮国王を存置するとしても、周の例に従い、監国を置く。
三、 有力なる軍隊を派遣して、その海港を清国の下に置く。
四、 朝鮮の内政革新を断行する。

その他にも、日本に取られた、琉球を取り戻そうという個所もある。
朝鮮前後六策、といわれる。

それにしても、朝鮮の問題なのに、一切、朝鮮側の発言が無いのである。というより、発言さえも、無視され、相手にされなかったというのが、事実である。

うすのろ・・・というしかない。
要するに、中国により、朝鮮は支配されていたのが、事実なのであり、あのままでいれば、確実に、現在は、中国領になっていたということである。

日清戦争により、日本が勝ったことにより、現在の韓国という国が、存在するのである。


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神仏は妄想である。375

得体の知れない、修験道である。

様々な、研究家が、修験道に関して書いているが、それが的を得ているというものは、無い。
それぞれ、修験道の一部をのみ、取り出して、解説している。

今は、道教に関して書いている。
そこで、その道教の、民衆道教に、非常に似たものであるという、見解を私は持つ。

学者の中には、修験道とは道教の日本版である、という人もいる。

また、しいて言えば、日本の民族信仰である、神祇信仰に仏教をはじめとする大陸伝来の諸信仰が結びついて、長い間に日本の風土にとけこんで生まれてきた日本独自の宗教である、と言う。

それでは、何が一体、中心的要素なのであるのか・・・

今までの、研究から、三つの、意見がある。
一つは、仏教的なもの。特に、密教とする説である。

それは、神仏習合の一つのタイプであり、中心は、神祇信仰の中の、山岳信仰と、仏教の中でもっとも教義作法が、分化発展している、密教であるということだ。

宗教的に見れば、原始的なものと、高度なものとの、結合ということになる。

修験道が、陰陽道的要素が多いのも、密教が基調になったことの、必然的結果であるとする。

もう一つは、密教の持つ仏教的要素と、陰陽道的要素が目立つが、それらは、表面を服飾しているのにすぎない。
その本質は、原始宗教の、呪術、巫術であり、その信仰に他ならないという。

日本の民俗信仰を、本質にするということから、密教を基調とする考え方から、対立するものである。

そして、もう一つは、山岳に登山修行することから、異常な験力を獲得することであり、その力を得たものに帰依する、信仰するというもの。

結論を言えば、神祇信仰と並び、日本人の持つ、現実肯定の論理の具体化された、宗教とみるべきなのではないか、ということだ。

さて、陰陽道、五行説などは、中国で生成発展したが、それらは、大陸では、陰陽道にならなかった。日本のみが、陰陽道として、成立している。

そこで、その陰陽道と修験道に共通するのが、呪法である。
陰陽道が密教に結びつき、その密教を取り入れて、形を整えたのが、修験道となったと、考えられる。

実は、呪法は、奈良時代に、禁断された呪禁が、公認されている陰陽寮の、他の方術に寄生して、平安時代以降の、陰陽道を確立していった。

そこで、修験道は、陰陽師の方術に寄生するのではなく、禁止されたものを、受け継いで、平安時代を通して、地方の民間信仰の中に、溶け込んだということである。

ある、研究家は、
修験道にみる陰陽道的呪術は、密教を通し間接的摂取ではないか、との意見である。

しかし、陰陽道も、修験道も、確実に、民衆道教に、影響を受けているというか、それによって、教義、あるいは、行為を形作ったものであると、言える。

これは、他の文化的行為にも、言えるが、仏教的、儒教的という、表面に対し、裏面では、道教の影響が、脈々と伝わっていると、思われる。
更に、儒学もあるが、老荘思想は、日本の知識人たちに、大きな影響を与えた。
しかし、それが、即座に道教として、認識されたのではない。

あくまでも、老荘思想として、である。

だが、道教は、大陸では、老荘思想が、中心の経典になっているのである。

そこで、私は、修験道に関して、研究という意味では、抵抗が無いが、その実態に関しては、否定する。
何故か。
山岳にての、修行という荒行には、性格の偏向、偏狭が付きまとうものである。

更に、甚だしい、妄想と、蒙昧である。
肉体の業により、つまり、肉体を痛めることによって、何か特殊な力を得るという、考え方には、賛同できないのである。

学問として、色々と、分析するのは、問題がないが、それを行為することに、問題がある。

要するに、社会と隔絶された場所にての、信仰とは、そのまま、社会と隔絶されているのである。

そして、更なる迷信を生み出し、人々を、惑わせるのが、関の山である。
本人は、自己満足で、いいが、それを対人として、行為することは、迷惑千万である。

私としての、結論は、矢張り、得体の知れないものなのである。
そして、得体の知れないものは、危険である。

社会と、隔絶されたところで、精神疾患に陥り、手のつけようの無い者を、特別扱いして、とんでもない目に遭うのが、関の山である。

彼らを、日本の民間信仰を云々という、分析は、正しくない。
日本の民間信仰は、太陽信仰であり、明るいものである。
山岳という場所は、また、その修行は、決して、明るくないのである。

得体の知れない、魑魅魍魎を相手に、自己満足に陥り、更には、性格を破壊させる者も、多数いるのである。

そして、彼らが、相手にしている、神仏というものが、あるならば、それは、神仏とは、言い難いものであり、明るい昼間には、決して出てこないものである。

陰陽師の真似をし、密教という、偽の仏教の加持祈祷の真似をして、民衆をたぶらかすのが、関の山である。

正に、彼らの神仏、その他の、霊威というのは、妄想に他ならないのである。

そして、道教的なものからの、教義を取り入れているものもあり、矢張り、得体が入れないものである。


posted by 天山 at 23:59| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月06日

神仏は妄想である。376

宗教としての道教を、見ると、道家、易、陰陽、五行、シン緯、巫祝、天文など、さまざまな要素を集大成したものである。

ただし、これは、出来上がって行く過程においてのもの。

すでに出上がった、道教の内容ということになると、べつの視点が必要になる。
その時、およそ、四つの視点に、区分けされる。
哲理的なもの、倫理に関するもの、医術に関するもの、方術に関するもの、である。

更に、それらが、微妙に重なり合うということ。
道教が、実に、不透明なのは、その一つが欠けても、更に、その一つのみでも、道教ということが出来るということである。

成立道教も、民衆道教も、然り、である。

さて、その哲理的なものであるが、これが道教の教義、教学に当るものである。
天地万物の原理、すべてのものの、根元としての、道、天道について、論じたものである。

具体的には、老荘思想に関するものと、それに基づき、作られた、経典類である。

そして、神仙である。
彼は、その道の実践者であり、それらの、伝記、系譜類なども、一つの経典となる。

説明する前に言うが、実に荒唐無稽なものである。

およそ、宗教の経典とは、凄まじい人間の妄想力である。

何せ、道教の目的は、不老長生であるから、それ自体が、曲者である。

人間が、永遠に生きられないものであるという、厳然たる、事実に、反しているのである。妄想と、言うしかない。

例えば、いかに、養生法を守っても、悪事をすれば、すべての修行は、無効になり、不老長生の目的は、達せられない。
これこそ、道教の倫理である。

すでに、四世紀に、地仙になるためには、三百の善行を積み、天仙になるには、千二百の善行を必要とする。
もし、千九百九十の善行を積んでも、最後に、一つの悪事をすれば、それまでの、善行は、無効になるという。

これは、決して、仙人にはなれないという、前提としか、思えない。

何せ、人間である。
それを、見越しての、教えのようである。

更に、この道教の倫理は、時ともに、強調されてゆく。
そして、その善とは、一般的な道徳を意味するもので、道教のみで、規定する特殊なものがあったわけではない。

ただし、儒教や、仏教の場合と違うのは、決して善そのものが、目的ではない。
不老長生に到達するための、手段なのである。

あくまでも、実践的なものだった。
が、これこそ、中国大陸の人たちの、実に、現世利益的な考え方である。
だが、決して、目的には、達することができないという・・・

悪を避けて、善を行わなければ、早く死ぬという、道徳観である。

儒教や、仏教の倫理のように、概念化されたり、思想化されたりするものではないのである。

そして、今の中国を考える上でも、実に有効にことであるが、中国民衆の実践道徳は、孔子、孟子などの説いた、儒教の倫理や、老荘思想に基づく、理念に支配されたものではなかったのである。

中国民衆の、道徳とは、道教の実践的、倫理によって、支えられていたのである。

道教の、実践道徳を記した「善書」が、民衆に受け入れられたのである。

実際、儒教の理念、その思想に関しては、日本の方が、真っ当だったといえる。
儒教は、日本によって、完成されと、私は言う。

研究家は、言う、
したがって、儒教倫理の理念だけで中国人の生活を律するのは、近世以降の日本における儒学者ならびにその系譜をひく学者・思想家の描いた空中楼閣的な虚像にすぎない、といってもいいすぎではないと思う。
と、のこと。

まさに、その通りである。

以前、禅について書いた際に、老荘思想の言葉によって、その概念によって、禅が解釈されたといった。
中国禅は、決して、天竺からのものではないのである。
仏陀の系譜を、そのまま、継ぐと信じた、禅の人たち・・・

老荘思想によって、固められた、禅という、思想を、真実の禅であると、信じきって、禅宗が、成立したのである。

更には、中国での、多くの偽書である。

道教が、仏教と、対決するために、書かれた偽書には、仏陀が、道教の開祖とまで、書いたのであるから、開いた口が、塞がらない。

しかし、この民衆道教が、日本に与えた影響は、計り知れないのである。

更に、道教を説明しつつ、その妄想について、書き綴る。

道教の中心は、不老長生である。
ということは、直接的には、肉体的命の維持が、最大の目標に成る。
当然、医術的の部門が、最重要視される。

それは、現世利益的な宗教としては、その特徴を発揮するのが、最も多かった部門である。

質量共に、道教の大部分を占めていたのは、当然である。
その具体的な事柄について、書き続けることにする。

更に、それらの中では、今でも、行われているものが、多数ある。
そして、仏教の派閥の中でも、知らずに、道教的方法を取り入れているものもあるのである。


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2012年07月07日

神仏は妄想である。377

道教の、医術は、五つに分けられる。

一つは、辟穀、へきこく。
五穀を食べず、草根、木皮などから、食糧を作る。断穀ともいう。

五穀を避けて、火で料理したものを食べる。すると、おのずから、肉体が清浄になり、精神の自由と、長生きができるというもの。

こんなことをしていると、まず、性格が、変形してしまうだろう。
草食より、悪い。
ベジタリアンという人たちは、どこか、偏るのである。

肉体を、清浄にするのは、水である。
水以外にない。
体の、七割は、水により成る。

さて、次は、服餌、ふくじ、である。
服薬ともいう。

色々な薬の作り方と、その服用の仕方である。
薬とは、仙薬のことである。つまり、不老長生を得るために、それを服用することが、絶対に必要であるとする。

その薬には、上中下があり、上は、仙薬で、これを飲めば、神仙となり、不老長生を得るだけではなく、あらゆる精霊、鬼神を自由に、駆使することができるという。

中薬は、性を養うもので、強壮剤とか、保健薬的にものである。
下薬は、草薬ともいい、病気を治す薬である。

更に、これらには、毒虫、猛獣、悪霊などを払う効果もあるという。

現存する最古の薬物書、神農本草経、には、不老長寿を得る上薬が、百二十種、性を養う中薬が、百二十種、病気を治す下薬は、百二十五種、すべて三百六十五種の、動植物、鉱物性の薬物について、仔細に挙げている。

これは、漢方にも、大きな影響を与えたのである。

そして次ぎは、調息、ちょうそく、である。

一種の呼吸法である。
人間の精神は、一つの気であるという、考え方で、天地万物の根元のエネルギーである、元気と通ずるのである。

ゆえに、気を消耗させず、長生のために、重要であるとした。
吐く息を少なくし、気を体内に蓄積する方法が、調息である。

胎息とも呼ぶ。
これは、今も、至る所で、用いられる。

具体的に言うと、鼻で深く吸い、一端、息を止める。心で、静かに百二十を数える。そして、口から、微かに、吐くのである。
意気を吸う時も、吐く時も、羽毛が微妙だにしないように、静かに、しかも、吐く息は、吸う息よりも、少なくする。

行う時間帯は、夜半から正午までの時間である。
正午から、夜半までの午後は、死気であるから、効果がないという。

そして次ぎは、導引である。
これは、日本でも、導引術として、行われている。

一種の、按摩、マッサージのことである。
目的は、調息と、同じである。

更に一つは、房中、ぼうちゅう、である。
調息、導引と同じく、体内の気を消耗しないための、方法である。

これは、陰陽の気、つまり、男女の気の調和によって、気の損ずるのを、防ぐものである。

セックスの仕方である。
だが、時代が下るにつれて、欲望の浄化という目的が、単なる、性交術といった、淫猥なものになっていった。

今でも、この房中術を学んで、セックスのあり方を説いている人がいる。
交合により、生気を得るというような、何とも、暗示的な要素が強いのである。

例えば、老化を防ぐために、若い女と、交わり、その途中で女が絶頂に達した時の、息を吸わずに、性器を通して、若いエネルギーを取るというような、仕方である。

その際に、射精はしない。

エネルギーを吸い取った後で、射精をするというもの。

房中過多で、死を早めるという。
それは、本当のことだろうが・・・
それでは、マスターベーションで、射精を止めて、それを繰り返して、エネルギーを得ることが出来るかといえば、出来ないのである。

陰陽の交わりが必要なのである。

こういう、道教の方法は、極めて自然に反する行為である。
人間は、自然に消耗して、老化してゆくことが、当然の存在である。
動物も、然り。

だが、永遠に生き続けるというのだから、どこかに、無理が生ずるはずだ。

その中には、現代にも、有効に生かすことが出来る、方法もあるだろうが・・・
特に、漢方などは、今も、有意義に使う事が出来る。

だが、人間は、生まれると、すぐに、死に向かって生きる存在である。
奇想天外どころか、人心を惑わすこと、多々あり。

次ぎは、日本の陰陽師などを、熱狂させた、方術である。
方位学などという人たちもいる。
占いのそれとは、別物である。

だが、占いも、道教の方術に影響を受けているのである。

飛行機で、地球の反対側に行く時代に・・・とは、言え、何か意味がありそうに思えるところが、曲者である。


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2012年07月08日

神仏は妄想である。378

道教の、方術は、医術とならび、重要な内容を示す部門である。

目標である、神仙になるための、方法を、人間の肉体から追求するのが、医術だとすると、人間の存在する、自然の側から求められたのが、方術である。

神仙の定義は、自然の理にかない、生老病死を超越して、あらゆる自由を獲得した、全能の存在である。

それゆえ、方術は、神仙になるための、最も基本的な条件となる。

しかし、容易に自然の理にかなうことは、できない。そのためには、色々な難しい手続きを取る必要がある。

この、手続きを、方術という。

しかし、自然の理にかない、生老病死を超越するという考え方は、実に矛盾している。
自然の理にかなうことは、生老病死を生きることである。

理にかなうというより、非常に、傲慢であるということに、気づかないのである。

これを、真っ当に信じるとは、どこか、狂っている。
更には、誇大妄想というしかない。

方術の目的は、神仙になるための、手段である。しかし、神仙になれずとも、一時的にせよ、神仙同様の能力を獲得することが、必要だったのだ。

研究家は、書く、
方術というのは、方法がまことに複雑怪奇で、内容的にもまったく不可解で神秘的なものになっていくのである。

そして、その神秘性・・・
その元が、老荘思想なのである。

だが、実は、方術の、権威づけのために、後になり、哲理として、老荘思想を取り付けた。あるいは、こじつけた、のである。

簡単に言えば、老荘思想とは、何の関係もないのである。

偽書など、朝飯前に、書いてしまう、大陸の民族性であるから・・・

さて、方術は、三つに、分けられる。
一つは、禁呪、きんじゆ、呪禁、じゆごん、ともいう。

災いを避け、長生きをするための、まじないや、呪文、そして、守るべき禁忌で、これを犯せば、災いを蒙ったり、短命に終わるという。

更に、吉凶の判断、預言、星占いもある。

次ぎは、神符である。
災いを逃れ、病気を治し、妖怪変化、鬼神の祟りを消滅する威力を持つ。

今で言えば、お札である。

更に、面白いのは、退散、消滅させるだけではない。
鬼神を自由に駆使する力もあるという。

これが、日本の陰陽師に使われたのである。

そして、一つは、斎礁と、科儀である。
禁呪、符に威力があるのは、元始天尊、つまり、皇天上帝以下の、多くの道教の神々の加護によるものである。
その神々へ、壇を設けて、願文を捧げ、ひたすらに、祈ること。
その祭祀の儀式などを、科儀という。

それは、成立道教の眼目である。
民衆道教は、それがなくてもいいのである。

現在でも、アジアの国々の、中華系の人たちは、床に、元始天尊を祭るのを、よく見る。

ここで、面白いのは、道教は、一神教ではない。
多神教である。

最高位に、元始天尊が、存在するが、その他、多くの神々が存在するのである。

老子も、荘子も、神の一人である。

道教は、実に、深いものだとは、言わない。
滅茶苦茶なのである。

それを、成立道教は、老荘思想に帰結しているのである。

根拠としての、老荘思想である。

勝手に、作り上げたものを、老荘思想に、こじつけて、体面を保つという・・・

勿論、すべてが、迷信として、跳ね除けることは、出来ない。中には、現代でも、有効に生かす事が出来るものもある。

だが、それ以上のものは、妄想以外の、何ものでもない。

老荘の無為自然を生きるならば、それらの、方法は、必要がない。
心の欲するままに、人生を楽しむことであり、何か、特別な修行や、訓練などは、否定しているのである。

以前に、少しばかり、禅の時に、説明した個所を、読み返して欲しい。

禅にある、厳しい修行も、否定するのである。

楽しく食して、楽しく性行為をして、自然に近く生きる、無為自然である。
いずれ、死ぬ身であるから、心を、流して生きてゆくことなのである。

不死身になるなどとは、一切言わないのである。
そして、不死身とは、自然に反する行為である。
全く、老荘思想と反対のことを、道教、特に、成立道教は、教える。

成立道教は、宗教である。
それこそ、魑魅魍魎の素である。
人間の、妄想の限りなさを、見るものである。

posted by 天山 at 00:04| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月09日

最後の沈黙を破る。64

世界的に自然災害が多くなり、その一つ一つを、忘れてしまうほどだ。

昨年の東日本大震災・・・
横浜にて、その地震の揺れを感じていた。

私は、マンションの同じ階の人たちが、無事であるかと、廊下に出た。
丁度その時、一つ隣の部屋の、ご主人が戻って来られていた。
お母さん、大丈夫ですか・・・
大丈夫です・・・

しかし、その後で、お母さんは、脳梗塞を起こして、倒れたという。
今は、介護ホールに入っていらっしゃる。

それだけでも、気の毒に思った。
元気な人だったのにと。

そして、東北地方の地震の、被害の全貌が解るにつれて、不安を覚えた。
矢張り、多くの人が、津波にのまれて、亡くなっていた。

更に、家を失い、家族を失いと、次々と入ってくる情報に、ただ胸を痛めた。

それから、被災地への、ボランティア活動が、始まった。

私も、出来ることをと、東松山市に、毎日、衣類を送り続けた。
そして、被災した人の、子ども達が、保育園で一杯になったという、保育所に、送り始めた。

そして、一段落。
その後、私は、今ではないと思うようになった。
今は、まだ、いい。
支援物資も、順調である。

被災した人たちは、先が長い。
その、長い年月を共にするには、何をするべきかと、考えた。

その間に、自衛隊、アメリカ軍のトモダチ作戦・・・
様々な、国からの、支援と援助があった。

だが、日本だけではなかった。
大雨による、洪水被害・・・
更に、冬に入ると、東欧の寒冷による、死者の数が日増しに増える。

自然災害である。
多くの人が、犠牲になった。

東日本大災害は、自然災害だけではなく、原発事故である。
これが、大変な事態に陥ることになった。

昨年の一年間で、数多くの被災地が、生まれた。
世界的に、である。

個人の力では、限界があるのは、当然である。
それでも、一人から、始まる。
一人から始まらなければ、始まらないのである。

フィリピン、ネグロス島の、バコロドに慰霊と支援に向かった途中の、セブ島の、セブシティでは、ホテルの方から、大火事があり焼け出された人たちが、テントで生活していると言われた。
そこで、すぐに私は、渡せる衣類を持参して、その場所に出掛けた。

小屋のような、家々に住む人たちである。
一軒が火災を起こすと、見る間に、広がるだろう。

その近くのスラムも、見て、納得した。

助けを必要としている人たちが、世界には、大勢いる。
それを、需要と供給とすると、需要が圧倒的に、多いのである。

そして、考えた。
軍事費という、膨大な、お金があれば、それを世界の助けを必要としている人たちのために、使えないのかと。

しかし、それは、甘い考えである。
心情には、訴えることが出来るが、現実的ではない。

国連をはじめとする、多くの団体がある。
それでも、足りない。

70億人に達した、世界の人口である。
そして、飢える人たちが、確実に、10億、20億人といる。

これ以上の人口増加は、誰もが求めないだろう。
更に、これにより、争いがはじまるとしたら・・・

今こそ、世界が一つの国家になって、対処しなければならないと、思うが、しかし、自国の国益という幻惑に、それぞれの国が、一つになどなるはずがない。

情報が、瞬時のうちに、世界に広がるほど、グローバル化した世界の、先行き・・・
私は、新しい思想が必要だと、思った。

それは、宗教によらない思想である。
宗教と、主義が、今までの、争いの大元だった。

人類の良心・・・
その人類の良心を目覚めさせる思想である。

人類が、生き延びてきたのは、共生の考えがあったからだ。
人間は、一人では、生きられないのである。

共生の思想は、分かち合いの思想になる。
この、共生の思想が、新しい思想として、歩みだすこと。
それ以外に無い。

それぞれの、民族と、宗教を認め、それを超えて、共生を目指すしか方法が無いのである。

と、この考え方も、浮ついている。
何故か。
世界には、まだ、それほど、進化した国は、少ない。
いまだに、全体主義、絶対政権の国が存在する。

それは、たった一人の人のためにある、国家である。

簡単に言えば、所有欲の何物でもない。
一人の人の、所有欲によって、国が造られている。

それらの、国々が、何らかの目覚めを起こさなければ、実現しないのである。

すると、国家間の、話し合いになる。
そして、世界の法律である。

国際法というものがある。
その国際法を、すべての国が受け入れること。

だが、これを書いてゆくと、終わらない。
また、時代性と、時代精神というものを、考えることにする。


posted by 天山 at 05:45| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月10日

霊学66

心的生活は、一つは外側からわれわれに流れ込んでくる情報を選り分けて貯える過程と、他は市場で拡げてみせるために奇想をこらした内的な織物を織る過程との、二種の区別から成っているのではない。このような区分は、いくつかの理由からして、任意的で人為的なものである。
コーエン

言葉に帰結するな・・・
と、更に、コーエンは、続ける。

第一に、われわれは、外部で進行している事がらを受動的にわれわれのうちに描くのではない。
たとえば、わたくしが月明かりの空をみつめているとき、月やたくさんの星のそのままの写しがわたくしの心に印銘されたりはしない。確かにわたくしの指の痛みは、わたくしの指を刺しているピンを描き出しはしなし、また事物は、それが実際には違っていても、その大きさや形や色には変わりないようにみえる。

第二に、外部世界についてのわれわれのもろもろの知覚は「相互依存的」であって、知覚を呼び起こす物的刺激が互いに独立しているとは異なる。

第三に、われわれの心の状態そのものが、外部からの信号の受容の仕方を決めている。われわれは、何によらず事物や人びとがこうであると自分で信じているところのものに反応し、ほんとうにそうであるところのものに反応しているのではない。
われわれは、そこにあることを期待し、希望し、恐れ、信じ、あるいは知っているものを見る。・・・
コーエン

事物や、人々を、自己の愛情と憎しみ、確信と先入観を画くカンバスのように扱うのである。
そして、それは、知覚の、もっとも単純な作用にも、解釈が入り込んでいるからだ、という。

それぞれが何かはっきりしない秘密のやり方でもって、スエーデンボルグのような神秘主義哲学者や、因子分析学者や、あるいは学習理論家でさえも、彼らのもっている信じられないような幻想で、自己の世界を解釈しようとする企てを構成していることは否定できない。
コーエン
信じられないような幻想・・・
理解に苦しむ、幻想である。

スエーデンボルグとは、あの、霊界探索の書を著した。

意識の物理的次元・・・
それでは、理解され得ない、経験の要素多々あるのである。

更に、物理的次元で理解できる経験の形式でさえも、内部的な規則によって、支配されることがある。
精神物理学から、多くの証拠が、このことを支持するために、上げられている。

だが、話を進める。

知覚するにも、解釈が入り込み、更に、心の状態は、それ自体で、究極的に、外側の場面と結びついている。
内部的な、織物は、外部のでき事によって、供給された素材と、パターンから織りなされている。

そして、それは、それぞれに、秘密のやり方で、自己の世界を解釈しようとするのである。

勝手な解釈、勝手な思い込みである。

宗教における、信仰心というものを、見ると、まさに、それにより、自己の世界を解釈して、憚ることなく、行われる。

それが、強ければ、強いほど、信じられない、幻想の中に、入り込むのである。
決してそれは、神聖なものではない。
魔力である。

我が心の内に、魔物を住みつけてしまうのである。
あらゆる、事象が、その信仰心に結びつく。

宗教心理学というものがあるが・・・
いずれ、紹介するが・・・

霊的次元に接触すると、思うのか、否か・・・

とても、面白いのに、死んでも、魂は、残る、更には、転生するというもの。
霊学では、転生を考えるが、生まれ変りではない。

誰それの、生まれ変りである、というのは、ウソである。
転生するのは、意識の一部なのであり、更に、多くの意識の一部が混合して、行われる。

霊学に至る道に行くために、心理学を通っているが、まだまだ、通らなければならないものが多数ある。

私の霊学とは、過去の神道系の言うところの、霊学ではない。
あちらは、儒教、道教に対抗するための、理論であり、更には、道教に取り入れられた理論である。

何かに、対するものという、意識は、その何かに、飲み込まれる可能性もある。
そして、飲み込まれたのである。

つまり、壮大な幻想と、妄想である。

私が言う、霊学とは、古道のことである。
古道とは、古き道である。
日本の、古き道とは、何か・・・

それを、こうして、時代に、時代性に合わせて、突き詰めている。

古神道という言葉も、手垢にまみれた。
宗教として、成るということ事態が、誤りである。

古道とは、霊学である。
そして、私は、学者ではない。
単に、霊学と、名乗っている。

学者とは、以後、私の霊学を、研究し、幻想と、妄想逞しく、尾ひれはひれを付けて、解釈する者たちである。
度し難い者たちという。

posted by 天山 at 06:19| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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