2012年06月29日

もののあわれについて570

大臣、東の御方に聞えつけ奉り給ふ。源氏「あはれと思ひし人の物うじして、はかなき山里に隠れ居にけるを、幼き人のありしかば、年頃も人知れず尋ね侍りしかども、え聞き出ででなむ、をうなになるまで過ぎにけるを、覚えぬ方よりなむ、聞きつけたる時だにとて、移ろはし侍るなり」とて、「母も亡くなりにけり。中将を聞えつけたるに、悪しくやはある。同じごと後見給へ。山がつめきて生ひ出でたれば、鄙びたる事多からむ。さるべく事に触れて教へ給へ」と、いとこまやかに聞え給ふ。花散里「げにかかる人のおはしけるを、知り聞えざりけるよ。姫君の一所ものし給ふがさうざうしきに、善き事かな」とおいらかに宣ふ。源氏「かの親なりし人は、心なむ、有り難きまでよかりし。御心も後安く思ひ聞ゆれば」など宣ふ。花散里「つきづきしく後見む人なども、こと多からで、つれづれに侍るを、嬉しかるべき事になむ」と宣ふ。殿の内の人は、御女とも知らで、「何人また尋ね出で給へるならむ。むつかしき古ものあつかひかな」と言ひけり。




大臣、源氏は、東の御方、花散里に、姫君をお預けになる。
源氏は、いとしく思っていた人が、落胆することがあり、寂しい山里に引き籠り、小さい子があったので、長らく、密かに尋ねていたのですが、探し出せずにいました。年頃になるまで、そのまま過ぎてしまい、思いがけない所から、見つかりまして。聞き出した今からでもと思い、呼び寄せることにしたのです。と言い、母親も、亡くなりました。中将もお願いしたことゆえ、差し支えないでしょう。同じように、お世話してください。田舎で育ったので、気がつかないところが、多いでしょう。適当に機会を見て、教えてください、と、このごまと、申し上げる。花散里は、本当に、そんな方のいらっしゃることを、知りませんでした。姫君が、一方でいられるのが寂しいところに、よいことですね、と、気持ちよく、お引受けになる。源氏は、その母親だった人は、気立てが珍しくよくて、あなたの、気立ても安心なものと思い、申し上げています、などと、おっしゃる。花散里は、私の手で世話をする人なども、そんなになくて、暇なところですから、嬉しいことです、と、おっしゃる。お邸の中には、姫様だと知らず、どんな方をまた、捜しだしたのだろうか。やっかいな、骨董いじりのようです、と、言うのである。

おいらかに
鷹揚に、素直に・・・

つきづきしく
相応しく・・・

つれづれに
暇です・・・

古ものあつかひ
古いものを世話する、面倒をみる・・・




御車三つばかりして、人の姿どもなど、右近あれば、田舎びずしたてたり。殿よりぞ、綾何くれと奉れ給へる。
その夜、やがて大臣の君渡り給へり。昔光る源氏などひふ御名は、聞き渡り奉りしかど、年頃のうひうひしさに、さしも思ひ聞えざりけるを、わのかなる大殿油に、御凡帳のほこめびより、はつかに見奉る、いとど恐ろしくさへぞ覚ゆるや。




御車三つばかりで、お供の人の身なりなど、右近がいるので、田舎くさくなく仕立てている。殿からは、綾、何やと賜る。その夜、早速、大臣の君が、お出でになった。
昔は、光る源氏などというお名前で、聞いていたが、長年、こういう所とは、かけ離れた生活で、今は、それほどにも思わないが、かすかな大殿油の光で、御凡帳の隙間から、少しばかり拝見し、美しいお姿には、恐ろしいばかりに思うのである。

作者と、玉葛が、主語になっている。




渡り給ふ方の戸を、右近かい放てば、源氏「この戸口に入るべき人は、心ことにこそ」と笑ひ給ひて、庇なる御座につい居給ひて、源氏「火こそいと懸想びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け。さも思さぬか」とて、凡帳少し押しやり給ふ。理なくはづかしければ、そばみておはする様体など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、源氏「今少し光見せむや。あまりに心にくし」と宣へば、右近かかげて少し寄す。源氏「おもなの人や」と少し笑ひ給ふ。げにと覚ゆる御まみのはづかしげさなり。




お渡りされるほうの戸を、右近が少し押し開けると、源氏は、この戸口を入るような人は、心がときめく、と笑って、庇の間の座に座る。源氏は、この灯は、恋の気分がするものだ。親の顔は、見たいと聞いているが、そうは思わないか、と、凡帳を少し押しのける。姫が、たまらなく恥ずかしく、横を向いている姿など、とても感じがよく見える。嬉しくて、源氏は、もう少し明るくと、思わせぶりすぎる、と、おっしゃるので、右近は、芯をかき立てて、少し寄せる。源氏は、無遠慮な人だ、と少し笑う。確かに似ている、目元の美しさである。




いささかも、他人と隔てあるさまにも宣ひなさず、いみじく親めきて、源氏「年頃御行方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆き侍るを、かうて見奉るにつけても、夢の心地して、過ぎにし方の事ども取り添へ、忍び難きに、えなむ聞えられざりける」とて、御目おしのごひ給ふ。まことに悲しう思し出でらる。




少しも、他人として、隔てを置くようには話さず、大変、親らしく、源氏は、長年の、行方も知らず、心にかけない時とて、ないほどに心配していましたが、こうしてお会いすると、夢のような気がして、過ぎ去った昔の事が、色々思い出され、たまらなくなります。何も、申し上げることができないほど、と、御目を拭くのである。本当に、悲しく、思い出されるのだった。

忍び難きに
これは、あはれにも、通じる。
過ぎにし方の事ども取り添へ、あはれに・・・

え なむ 聞え られざりける
え、は、強調である。
話しが出来ぬほどに・・・

こうした、心模様に関して、本居宣長が、感心したのである。
際に渡り、微に渡り、心模様を描く、物語。

その心の綾が、幾重にも、幾重にも、重なり、物語の主題が、見えてくる。
それを、もののあはれ、と、一言に託す。

ものあはれ、を、しみじみと、云々は、別の言葉である。
しみじみ、という言葉は、物語の中に、多く使われている。

しみじみと、思うだけではないのである。
もののあはれ、とは、日本人の、思想と言える。

西欧の思想というものではない。
言挙げせずという、思想である。

語り尽くすというのが、西欧の思想であるならば、日本の思想は、語らぬ思想である。

禅でいうところの、不立文字でもない。
禅の、それは、語り尽くして、なお、語るということを、言う。




posted by 天山 at 00:01| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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