2012年06月24日

性について206

性同一性障害、トランスジェンダーについての、論文、エッセイ、カミングアウト・・・その他諸々の本を読んでいくと、次第に、こんがらかってきた。

そして、私は、男社会の規範で、理解しようとしていることに、気づいたのである。

肉体が男で、心が女の場合・・・
恋愛対象は、男であると、考えていたが、違う。

好きな人は、好きなのだ。
それが、恋愛に至ることもある。
そして、恋愛とは、セックスに行く道でもある。

だから、結婚後に、性同一性障害を持つ人が、男だったが、女に変更することもある。

男女別という、明確な、区分けで成り立ってきた社会は、実は、非常に歪だったのだ。
しかし、今、この混沌とした、男女という区分けの他に、カテゴリーを作るとしたら、社会は、混乱の極みになる。
と、考えること自体、私は、古い人間、いや、頭の固い人間なのだろう。

ゲイという立場ならば、理解する。
男が男を愛する。
それも、男社会の、規範の中での理解である。

結婚し、妻子を持って、女になった人がいる。
その人を理解するに、私には、百年早い気がしてきた。

心が女で、肉体が男の子が、好きな女と付き合った。
そして、仲良くなり、それなりの、距離に来た時、言われた言葉が、私、ネコなの・・・
えっ・・・
ネコって・・

つまり、レズビアンだった。
その彼女と、仲良くできたのは、友人としての、関係だった。

よく、巷では、男女関係に、友情は、成り立つか・・・
そんなもの、成り立つはずがない。

仏様で無い限り、無理。

男女関係ならば、実に、簡単である。
だが、これが、上記のような関係ならば、複雑で、混沌としているのである。

更に、混沌は、続く。

男同士の友情と、思っていたが、本当は、片方の男には、心の女がいた。
ある時、それが、噴出する。

友情を超えて、好きだったのだと、気づく。

君と、体の関係を持ちたいと、友人に言われた、心も体も男の方は、絶句する。
だが、今は、このような関係は、珍しくないのである。

そして、心も体も男だが、それも、友情の延長だと、肉体関係を結ぶという。
勿論、ただ、体を相手に差しだして、好きにさせる程度なのだが・・・

以前も、書いたが、女とのセックスはいいが、好きな相手は、男・・・
それ程度までは、私も、理解できたのだが・・・

トランスジェンダーに関して、調べてゆくにつれて、収拾がつかなくなる、恐怖を覚えた。

色々な人の相談を受けて、どんな相談にも、動じないと、思っていた私も、これには、動じてしまうのである。

何にせよ、社会は、男女としての、区別から、話しがはじまる。
例えば、トイレ。
その他、諸々。

タイの、ある町で、カトゥーイのトイレが出来たという聞いた時は、さすが、タイだと、思ったが、それでも、戸籍に関しては、変更できないのである。

ペニスのある女・・・
ペニスの無い男・・・

そして、その間を、行ったりきたりする、性の持ち主。

これは、根本的に、私の意識革命をしなければ、理解が出来ないと、知った。

既存の男女の区別を、棄てる。

そして、出来る限り、理解をしたいと、思う。
顔でさえ、皆同じではないのである。
性だとて、皆同じではないのである。

更に、それらに対する、差別意識・・・
その、差別意識は、理解できないということが、前提にある。

そして、理解するためには、努力が必要である。

一度だけ、相談を受けた、男の子は、男の体に、不全感を持ち、女の体になりたいというものだった。
そして、美しくなりたいと、言う。

確かに、しぐさも、女性的である。
だが、男でも、女性的な人は、多い。
でも、彼は、男の体では、嫌なのである。

その辺りまでは、理解できる。
だが、それでは、男が好きなのか・・・
違うのである。
女が好きなのである。

女になり、女を好きになる・・・

そうなると、私がこんがらかるのである。

また、その逆もある。
ペニスを持って、男と愛し合いたいという、女の子。
それじゃあ別に、そうしなくても、男の子と・・・
それでは、嫌なのである。

ああ、私の、性への、旅が続く。



posted by 天山 at 00:03| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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