2012年06月21日

天皇陛下について117

蘇我入鹿を惨殺した後、中兄大皇子は、ただちに法興寺に入り、戦いの準備をする。

主だった役人たちの大半が、その味方になった。

その上で、入鹿の死骸を、蘇我の屋敷に届けた。

蝦夷の部下たちは、一斉に立ち上がり、皇子軍との戦いをと気勢を上げる。
そこに、皇子よりの使者がきた。

我が国には、古来から君臣の分が定まっている。
と、使者が説いた。

無用の戦いである。剣を捨てよ。
結果、多くの者が、剣を捨てる。

蝦夷も、最早これまでと、屋敷に火を放って、自害したのである。

宣化天皇2年、536年。
蘇我稲目が、大臣となり、馬子、蝦夷、入鹿と、政治に関与して、百余年、ここに蘇我氏が滅びたのである。

蘇我氏滅亡の翌日、皇極天皇は、御位を、中大兄皇子に譲られようとされた。しかし、皇子は、鎌足と相談し、ご辞退した。
そこで、天皇は、弟の軽皇子に、譲れた。

第三十六代、孝徳天皇である。645年から、654年。
この天皇の御子に、あの悲劇の有間皇子がいる。

蘇我氏滅亡は、長い間の、氏族制度の終わりでもあった。
当然、政治、社会の仕組みを変えなければならない。

中大兄皇子は、御位に就かず、摂政という立場で、つまり、責任の軽い立場での、改革を進めたかったのである。

孝徳天皇ご即位の日、天皇は、中大兄皇子を、皇太子とされた。
阿部内麻呂を左大臣、蘇我倉山田石川麻呂を右大臣、中臣鎌足には、特別に、大錦冠、おおきにしきかんむり、を、授けて、内大臣とさせた。

これまでの、大臣、大連は、廃止され、新官職が設けられた。

それは、人物本来の、器量、才能、により、どんな家柄でも、自由に用いられる道を開いたのであり、それは、厩戸皇子の考え方でもあった。

孝徳天皇は、群臣を集めて、神前にて、祝詞を上げた。
天は覆い地は載せ、帝道唯だ一なり。しかるを末代うすらぎて、君臣序を失へり。皇天手、あめちから、を我に仮し、暴逆、あらひと、を誅したてり。今共に心の血、まこと、をしたしみつ、しこうして今より以後、のち、君は二つの政無く、臣は朝、みかど、にふたごころあることなし。もしこの盟にそむかば、天災いし地災いし、鬼誅し人伐ち、いちじるしきこと日月の如し。
日本書紀

推古天皇時代の、神妓祭祀の詔の際と、同じである。
また、明治維新の際も、同じである。

全文、中大兄皇子が、起草されたものという。

氏族政治の打倒、そして、これが、大化の改新と言われる。

上記の内容は、
皇統は、一つであり、たまたま、暴逆の臣が出たが、忽ち誅された。今後は、上に二政なく下に二つの心もない。この誓いに背けば、たちどころに、天罰を蒙る。
である。

天皇即位の、年号は、大化元年とした。645年。

そして、新しい政治のあり方の多くを、唐に留学していた人々の意見を取り入れる形を取っている。

大化の改新の内容である。

一、 土地人民の私有を禁じ、すべて天皇に直属する。朝廷の支配を受けるべきことを明確にして、その実現をはかった。蘇我氏の土地人民の私有が多く、その過ちを二度と繰り返さぬためである。

二、 都には、坊令・坊長・里長という、役人を置き、地方には、国司、郡司を置いて、これを統括させた。都近くを畿内として、特に重くみた。

三、 戸籍を作り、人口数を明らかにした。そして、すべての人に、一定の田地を与えた。それに対して、一定の税を課した。
これは、男一人に、二段ずつ。女には一人に、その三分の二ずつ田を与えた。例えば、男三人、女三人なら、男の分、六段、女の分は、四段で、計、一町歩の田を課す。

戸籍は、六年ごとに調べ、死んだ者は、朝廷に返還させる。生まれて、六歳になると、新たに、与える。
すべての人に、耕す田が、ほぼ平等に行き渡り、貧富の差が、少なくなる。

諸国に駅を置き、要害の地には、関所を置いた。

大化二年、646年。
天皇の政治に関する、詔が出た。
それ天地の間に君、天皇として、万民を治むることは、独り制むべからず。かならず臣の助けをまつ。これによりて代々のわが皇祖たち、卿、いましら、が祖考とともに倶に治めたまひき。朕また神護の力を蒙りて、卿たちと共に治めむと思欲す。

天皇の政治というものは、歴代皇祖の統治のありかた、それにより、私もまた、天佑神助をえて、みんなとともに、力をあわせて治めていきたい。

孝徳天皇は、十三の詔を発している。

その中には、投書箱のことがある。
直言を求めるというものである。

ここには、専制政治など見られない。
独裁政治も、見られないのである。

江戸時代の、八代将軍、吉宗も、投書箱からヒントを得て、目安箱を設置した。
政治に、民の直接の声を聞くと言うものである。

日本の古代は、今で言うところの、民主的、合議制であったと、察することができる。
決済は、天皇陛下が行うが、その前には、議論を尽すというものである。




posted by 天山 at 00:01| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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