2012年06月20日

天皇陛下について116

中臣鎌子連、なかとみのかまこむらじ、またの名を、藤原鎌足、ふじはらのかまたり、の登場である。

仏教伝来の際に、物部尾輿と、共に、蘇我稲目に反対した、中臣鎌子から、六代目である。

鎌足は、幼少の頃より、聡明で、学問も良くし、武芸にも、優れていた。

中臣氏は、高天原の朝廷時代から、祭祀を司る家系である。
当然、皇室とは、関係が深い。

ここで、高天原の朝廷と、書かれるが、大和朝廷である。
高天原の朝廷とは、富士王朝時代、つまり、大和朝廷以前の、朝廷である。

この富士王朝から、九州に渡り、その血族を持って、天都を造ったのである。
富士王朝は、神都である。

血族であるから、同じ血筋の出である。

これは、古代史をより、過去に遡るものであり、私の説になる。

高天原府とは、富士王朝の元に存在したことを、加えておく。

兎に角、中臣氏は、祭祀を司る家系であり、皇室崇敬の念が、強い。

何故、ここで、中臣鎌子連が、登場するのか・・・
大化の改新である。

その、きっかけとなる、人物である。

蘇我の悪、無道は、極まり尽くした。
だが、当時の、豪族たちは、それに反対できないのである。
反対は、家系滅亡をもたらすことを知っていた。

逆らう事が出来ない、蘇我氏の存在となっていたのである。

だが、鎌子は、このままでは、大和が危ういと、時を待っていた。

しかし、大事は、一人では出来ないのである。
誰か・・・
皇室の中に、いないのか・・・

そして、舒明天皇の御子中大兄皇子、なかのおおえのおうじ、に、目をつけ、この方以外に、いないと確信する。

接触する機会を狙い、法興寺の、蹴鞠の会に、出た。
鎌子は、控えていた。

そして、蹴鞠の途中で、皇子が、鹿皮の鞠と一緒に、靴を飛ばしたのである。
すかさず、鎌子は、皇子の靴をひろい、跪いて、皇子に差しだした。

その出会い・・・

歴史的出会いである。

鎌子は、皇子と、密に接するために、二人で、南淵請安、みなぶちのしょうあん、の元で、儒学を学ぶことにする。

請安は、在唐32年の留学生だった。

鎌子は、皇子と、その帰り道に、細かな相談を持ちかける。
このままでは、朝廷を蔑ろにして、勝手な王朝を造るでしょう。
それでは、豪族たちが、混乱し、戦いの世になりましょう。

そして、その実行者として、蘇我倉山田麻呂、佐伯連子麻呂、稚犬養連網田を、引き入れた。

当時、蝦夷は、上宮門、入鹿は、谷宮門に暮らしている。

両家では、兵士が警護をしている。
屋敷を襲うのは、危険である。

そこで、皇子と、鎌子は、三韓の使者が、貢物を持って献上する日に、宮中にて、入鹿を誅殺することを、決めたのである。

儀式であるから、天皇も、在席される。

段取りは、密にしなければいけない。

皇極天皇4年、645年、6月12日。
その日は、雨がしとしと降る日だった。

場所は、大極殿である。

入鹿はじめ、多くの役人が座に就いた。
天皇が、お出ましになられる。

三韓の使者が、貢物を奉るべく、席に坐している。
三韓の表文を読み上げるのは、倉山田麻呂である。

玉座の前に出て、それを読み始めた。

この時、皇子は、御所の十二門を、残らず閉めさせた。
そして、皇子は、矛を隠し持たれて、段取りを待った。

鎌子も、弓矢を持って、そのお傍に、控えている。

段取りは、佐伯子麻呂と、稚犬養網田が、鎌子から剣を受け取り、斬りかかるのである。

表文を読んでいるうちに、決行しなければならない。
斬れ、と、鎌子が言う。
が、二人は、恐れをなして、佇む。

二人が出てこないのに、表文を読む、倉山田麻呂は、次第に、焦り始めた。
たらたらと、汗を流し、声が乱れる。

その時、入鹿が、
どうしたのだ・・・何故、震えているのだ・・・

はっ、帝の御前であり、恐れ多く・・・

入鹿が辺りを、見回した。
その時、皇子が、飛び出して、入鹿の肩先を突いた。
更に、佐伯子麻呂の剣が、入鹿の足を払う。

入鹿は、玉座に進んだ。
私に何の罪ありや・・・

驚いた天皇だが、静かに立ち上がられた。
その時、皇子が、
入鹿は、皇族を蔑ろにし、滅し、天子のみ位を奪う者です。入鹿を天孫に代えることは、できせん。
と、申し上げると、天皇は、静かに、奥にお入りになった。

入鹿、進退窮まる。
子麻呂と、網田が、入鹿を刺して、息の根を止めた。

大化の改新の幕開けである。




posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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