2012年06月17日

天皇陛下について113

四天王寺とは、
もとは、敬田院を中心に、悲田院、療病院、施薬院の、四つからなっていた。

敬田院は、礼拝、儀式、学問の場であり、次は、養育院、孤児院、そして、病院、薬作りと、投薬所である。

今日の、社会事業、福祉事業に当る。

また、厩戸皇子は、法隆寺を建てた。
それは、御父、用明天皇が、ご病気の折に、その平癒を願い、薬師の像と、そのお堂建立を、誓ったことから、はじまる。

厩戸皇子の、政治は、29年続いた。
内政と、外交に、大きな業績を残された。

ここで、皇子を、聖徳太子と書くことに、抵抗があるのは、聖徳太子とは、後に、名付けられたことであり、更に、それは、皇子の側近の働きなども含めた、総称として、理解するからだ。

それは、遣隋使の際に、書く。

内政で、有名なものは、憲法十七条である。
第一条は、和を以って貴しとなす。

憲法といっても、法律とは、違う。
一種の道徳律である。

以下、平易にして、書く。

一、 和睦を貴んで、争そわないように。
二、 篤く仏法を敬うこと。
三、 詔、みことのり、は、謹んで受けること。
四、 役人は、礼儀が大切であり、民を治めるもとは、礼である。
五、 私欲を捨てて、正しい訴えを裁くように。また、利のために、正否をまげないように。
六、 人の善はあらわせ、悪を見たら正せ。
七、 それぞれの務めをよく守れ。
八、 役人は、早朝出勤し、遅く退け。
九、 誠は、義のもとである。何事も、信なれ。
十、 人には、それぞれ心がある。他人が、自分と同じくしないからと、怒るな。
十一、 賞罰は、明らかにせよ。
十二、 国に、二君なく、民に両主はない。民は天皇の民である。地方の役人に任じられて、朝廷から禄を賜っている者が、朝廷に奉る税の外に、民から税を取ってはいけない。
十三、 役人は、仕事に責任をもつこと。
十四、 役人は、妬み嫉むことのないように。
十五、 私事を忘れて、公事に就くのが、臣の道である。
十六、 民を使うには、時期を選べ。農事や養蚕の忙しい時期、使うな。
十七、 大事は、一人で決めるな。必ず、多くの者と、相談せよ。

最後の、十七条は、専制君主を戒めている。

更に、皇子は、冠位十二階を制定した。
冠は、位をあらわす。

徳、仁、礼、信、義、智の、六つを、それぞれ、大小の二つに分けて、例えば、大徳、小徳・・・そして、十二の位を定めた。

これを、説明するために、それ以前のことを知る必要がある。

昔から、血統を重んじてきたゆえ、同じ先祖から出たものは、同族として、それぞれ、一団体をなしていた。
これを、氏、という。
氏の中には、沢山の氏人がいる。また、部曲という、人の団体が、それに属していた。

氏の上には、氏上、うじかみ、がいて、その氏の属する土地、民を支配し、調停の命令を、その氏の者たちに、取り次ぐ役目、掌、つかさどる、のである。

氏には、決まった職業があり、氏人、部曲の者が、代々それを、受け継ぐのである。

軍事は、大伴、物部氏。
祭祀は、中臣、斎部氏。
弓矢製作は、弓削、矢作氏。

氏の数は、多く、代々になっても、変わる事が無い。

朝廷は、その氏に、姓を賜り、それぞれの、尊卑を区別した。
氏族制度といわれる。

姓には、臣、連、直、首、造の区別がある。
おみ、むらじ、あたい、おびと、みやつこ、である。

臣、連の、中から、大臣、大連が出て、それらの、姓を賜ると、永く子孫に伝えることになっていた。

身分の上下は、生まれながらに、決まっていたのである。
どんなに、才能のある者でも、低い身分の者は、高い位に上ることが出来なかったのである。

だが、ここで、時代は進む。
大連の物部氏が、滅亡し、大臣の蘇我氏が、独り権力を握るようになり、いよいよ、その弊害が目立ち始めた。

優れた人材には、姓の如何に関わらず、高い位を与え、その技、才能が伸びるようにと、考えたのが、皇子である。

世襲を重んじた氏族制度に対し、大きな革新的な英断である。

そこには、蘇我氏の専横を牽制する狙いもあった。
高い身分と、職務が、独占されてしまうという、危機感である。

一族のみが、特出すると、いずれは、民のためにも、ならないと、皇子は、考えた。
天皇による、和平の支配が必要である。

氏姓の特権を保持しつつ、世襲ではなく、天皇の任命により、官人で政界を構成しようという、試みである。

勿論、蘇我馬子は、気に入らなかった。
ゆえに、あからさまに反対することが出来ないが、それに従うことはなかった。



posted by 天山 at 00:09| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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