2012年06月13日

霊学63

コーエンの結論である。
心理学の主題は、はっきりと人間である。それは単なる「生理学の裏切り」ではない。それゆえ、われわれの第一歩は、何が人間の特質であるかを、根ではなく花を研究することでなければならない。われわれの出発点は、「内側」からの経験の現象でなければならない。次の段階で「外側」との結びつきを確かめることができ、これによって心理学を他の諸科学と連帯させることができる。

そのために、延々と、書き続けているのである。

そこで、神経生理学的な言語を要求する人たちがいる。
彼らは、主観主義言語は敗北主義である、と言うのである。

つまり、自己の痛みを、主観的言語で言い表すと、痛みは、自分だけのものになる。
反対に、客観的言語で述べられると、痛みは、和らげられるという、見込みに直面する。

すると、コーエンは、
もしわれわれが、痛みというものを、「機械とかその他のものと比較して、神経とそのインパルス、とりわけ大脳との関係でもって論ずるならば・・・」その際、少なくともわれわれは痛みを感じないようにすることを学ぶことができよう・・・ここで疑問にせざるを得ないのは、どうしてこのような楽観主義そのものを「客観的」言語で述べることができるだろうかということである。ところが実際には、大脳に対する心の非還元性が、痛みの経験にみごとに例証される。それに気づくことなしには痛みはあり得ないからである。
と、言う。

面倒くさいことを言うが、大脳に対する、非還元性が、痛みの経験をみごとに、例証されるということである。

還元主義の人は、心理学的説明は、すべて生理学の方向に向かわなければならないと、言う。
何故か。
科学的観察は、もっぱら触知できる世界に関するものだから。
思考と、行動の直接の決定因は、人間の観察と検証に供されうるような、一定の領域内に、求められるべきである。

還元主義の人たちは、大脳は、一つの機械として働くという、作業仮説を受け入れる。しかし、彼らは、確信が無い。

大脳が機械か、否か・・・
還元主義者も、解らないのである。

われわれに解き明かすべく残されている問題は、機械に似た大脳を反映する心に、それの反映するものが完全に機械ではないかもしれないという考えを抱いたりすることがどうしてできるのか、ということである。
コーエン

ダーウインは、人間が、顔を赤らめるということを、最も特異な、最も人間らしいものとして、取り上げた。
体に、どのような物理的な力を与えても、赤面させることは、できない。

心が、動かされなければ、赤面しない。

ダーウインは、
他人が自分のことを、どう考えているのかという思いが、赤面を引き起こすという。

意識や注意が解剖学的「現実」のなかにいわれなく持ち込まれた超自然的な性格でしかないという態度を取る限り、経験を理解することは不可能であることを示す無数の例の一つにすぎない。
コーエン

結論で、コーエンが言う、われわれの出発点は、「内側」からの経験の現象でなければならない、という、ことだ。

内側・・・心のことである。

神経生理学的還元主義・・・
今は、大脳生理学的・・・
何でも、脳だ、脳だというのは、能無し、脳無しなのである。

心理学は、それらの、科学を従わせるほどの、思索と、思考と、観察と、哲学が必要であるということ。

ミシェル・フーコーの、精神疾患と心理学でも、よく解る。

それでは、今度は、その方法についして、である。

この辺りで、大体、おかしくなってくるのである。
精神分析と、心理学・・・
精神医学と、心理学・・・

脳を扱うなら、訳語は、脳理学でも、よかったのである。

ところが、心理学である。
その、心理とは、何か。

その最初は、認知である。
認知とは、私は、外部の世界を、どのように、認知しているのか、である。

車の事故を、目撃した。
犯人逮捕には、車の色、ナンバーを・・・
ところが、それが、誤るのである。

灰色の車が、黒になる。
黒は、悪のイメージが強いから・・・

皆、同じものを見ても、その解釈が、また、認知の仕方が違う。

この馬鹿は、本当に頭が悪い・・・ではなく、認知の仕方が違うのである。

そうすると、それぞれの、職場、職場に、常識というものがあり、職場が変われば、常識が変わると、思いなさい・・・などという、教訓的、説教も、心理学の一種になるという・・・
ああーーーあ、である。

児童心理学からの、子育て・・・
そして、時代、時代によって、変転し行く・・・
本当に、心理学からなの・・・

本当の心理学など、誰にも、解らないという。
更に、現代は、心理学の花盛りで、あれもこれも、心理学。
しまいに、心理学で、開運しょう・・・
という、お馬鹿もいる。

自称、心理学者である。
占い師も、心理学者を名乗るという。

迷わず、心理学であるという人は、ある観念のみを、心理学と称しているだけ。

更には、心理学で、解決する、問題は僅かである。
症例集などを、読むと、患者より、カウンセラーの方が、癒されているという・・・

一人酔いしれる、心理カウンセラー。
相談者から、あなたの生きがいは、なんでしょうかと、問われた、馬鹿なカウンセラーが、何と、あなたのような、悩みを持つ人を、支えるのが、生きがいです、だと・・・



posted by 天山 at 05:51| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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