2012年06月08日

神仏は妄想である。371

古代中国の世界観は、物の本体は、捉え難いものであり、それを、気と、呼んだ。

そして、陰陽五行説が起こる。
木、火、土、金、水、である。
この五つの原理が、変転して、働き、すべてが、構成されているとした。

歴史の変転から、人事百般が、それで説明される。

更に、十干、十二支の、干支が、結びついて、年月日に配され、益々と、複雑怪奇なものになった。

この十干、十二支による、年月日時に配して、未来予知をする方法を、考案した。
現在は、四柱推命と呼ばれて、その解釈が、実に複雑である。

そして、識緯説である。
陰陽説から、発展させて、八卦といわれる、易である。

当然のことで、陰陽五行説が結びつくのである。

こうして、複雑にすれば、するほど、凡人には、脅威すべきものと、見える。

陰陽説は、後に、儒教の哲学的根拠となるが、道教の神学をも、構成するのである。

道教の、識緯説は、識は、未来を、緯は、儒教の経書にのせないところの、神秘を書いたものとする、道教の、秘義である。

三世紀頃が、全盛期で、以後、道教の中に取り入れられて、今も続く。

道家とは、紀元前の四世紀から、三世紀に開花した、諸子百家の一つである。

さて、道教は、民間信仰を取り入れ、雑多な思想を包含して、とても一筋では、理解できないものとなった。
そして、更に、その中核として、神仙道を説くことになる。

神仙説が現れるのは、紀元前三世紀である。

黄海に面する、山東半島の海岸地方で、方士と呼ばれる人たちが、長寿の術を説き、それを体得して、不老長寿の域に達したものがあると、宣伝したのである。

それが、各地に広がり、様々な呪術、民間信仰を習合して、方術を為して、多くの人の信仰するところとなる。

極めて、現世利益的である。

誇大妄想の最たるものである。

神仙は、真人と呼ばれて、東方海上の蓬莱、方丈、エィ州という、三神山に住み、そこで、幸福そのままの生活を楽しむという。
仏教の言う、極楽に似る。

その後、紀元前後になると、神仙は、深山幽谷に住むと信じられて、その性格も、あらゆる超能力を備えると、信じられるようになる。

中国人の、富貴長寿という、現実的傾向を、そこにすべて投入したと言ってもいい。

秦の始皇帝が、徐福という、方士に命じて、数千人の童男童女を率いて、三神山に、長寿の仙薬を求めさせたという話しは、有名である。

その、徐福は、日本にやって来たと言われる。

この、神仙説は、秦、漢、そして、三国、南北朝、隋、唐と、時代を経て、益々盛んになったのである。

ここで、解ることは、よく解らない、複雑怪奇なものほど、人の心を掴むということである。

さて、古代中国では、すべての根源は、天にあると考えた。
天の道である。

その天道について、どのように語るかで、思想が分れる。

儒教は、天道は、仁義礼智の人道にあり、これで身を修めるのが、人間の生き方であると、説く。

だが、道教は、それでは駄目だ。
天道とは、無為自然にして、無名の道であると、説くのである。

天道は、人為の発生する前から存在する、太古の道であり、人為の外にある。人為を徹底し排して、はじめて、無為自然になるというのが、老子であった。

そして、老子の説く、老子道徳経が、道家の根本経典となったのである。

だが、老子とは、実在するのか、否か・・・
不明である。

そこに、荘子が、現れて、道家の代表的思想家となる。
老荘思想という。

老荘思想は、儒教の、仁義礼智という、仁義道徳を世俗のものとして、蔑視し、老子の思想を、さらに発展させた。

ここで、重要なことは、儒教に対立した思想を展開したということである。

荘子は、天道は、無為自然なもの。同時に、虚無絶対であるとする。
それゆえ、そこから見れば、儒教の説く、人は、仁義礼智として、道徳を、また、生死について、云々などは、滑稽なことであるとする。

人は、それらを、超越して、絶対虚無の世界に、徹して生きるべきである。

その世界を体得して、人間は、自然の道に帰り、無為自然と、合することが出来るのであると、説いた。

ここには、徹底した、厭世思想がある。

荘子は、この道を体得したものが、真人、神人と、名付けた。

さて、このような、思想を持たなかった日本人。
古代、日本人は、これをどのように、受け入れたのか。
中国語、漢字、漢籍が、古代日本に、怒涛の如く、押し寄せてきたのである。

要するに、理屈の世界である。
思想とは、言うが、単なる、理屈の世界のことである。

その思想を知ることで、人は、何事かを解ったと、思う。
思い込む。
その、思い込みが、観念になり、人を不幸に陥れるとは、知らない。

思想、哲学の世界で、狂う人が多いのは、現実世界より、妄想世界に身を投げ入れるからである。

つまり、狂わない人は、知らないのである。
知れば、狂うしかなくなる。




posted by 天山 at 00:01| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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