2012年06月07日

神仏は妄想である。370

日本の禅は、インドからのものではない。
あくまでも、中国禅からのものである。

そして、その中国禅とは、老荘思想の言葉によって、語られたのである。
つまり、老荘思想の言葉の概念から・・・

日本の禅を学ぶならば、まず、老荘思想を理解することである。

更には、仏典というものも、サンスクリット語によって、書かれたということは、バラモンの概念を用いて、説かれたということであり、バラモンの言葉の、理解が必要なのである。

さて、日本の神道には、教義も教祖も無い。
ところが、神道について、説明されるのである。
その大元は、どこからのものか・・・

言挙げしない、神道の清真さを、言挙げするのは、道教の言葉による。
それは、道教の言葉の概念によるといえる。

その、道教が如何なるものか・・・
全く、意味不明なのである。
実態の無いもの。

ところが、道教の教えというものが、日本の平安期に定着するのである。
陰陽師なども、その一つである。

そして、更に、日本人の生活の中に浸透して行く。

すべて、迷信である。

その実態はと、尋ねられたら、私は、即座に、人の想念によるものと、答える。
人の想念が、実態を作り上げたのである。

道教は、中国にて、生まれたものであるが、生まれだけであり、その中には、ありとあらゆる、迷信が取り入れられている。

儒教と共に、存在したというから、驚くのである。

その、儒教は、中国思想の主流となり、知識人、官僚の教養資格として、絶対欠くことの出来ないものとなった。

道教の場合は、唐の時代、少しばかり、政治的に支配権力を得たが、そうした場合は、実に、少ないのである。

だが、儒教より、民衆の心を掴んでいたのは、道教の方であった。
中国の民族宗教といっても、いいのである。

そして、神道に似るのは、開祖も無い、教義も無いのである。

中国人が、自然発生的に、色々な、原始信仰を混合して、いつの間にか、集大成してしまったものである。

誰かが、何か、拝むようになり、それが、人々に伝播してゆくようなもの。

そして、驚くべきことは、今でも、その道教が、廃れず、生き残り、中国系の人たちが、お祭りしているのである。

古代において、ほとんどの原始信仰は、アニミズムといわれる、精霊信仰を元にしている。

中国古代では、この精霊のことを、鬼神と呼び、それには、三種類の、天神、地祇、人鬼があると、考えたのである。

天神とは、天と、日月星辰のみならず、暑さ、寒さ、雨風などの、精霊を含む。
更に、天には、上帝、皇天、皇天上帝、と呼ばれ、天神の中心であった。

ちなみに、日本の天皇の称号も、そこから、取られた。
すめらみこと、を、天皇に当てたのだ。

地祇は、大地の精霊を言う。山川など・・・

人鬼とは、死者の霊魂である。
更に、空中にさ迷う、魑魅魍魎、あらゆる、妖怪変化なども、意味する。
その中では、先祖の霊を、最も、重要なものとした。

多くの精霊に対する、多くの信仰形態が、つまり、民間信仰が、道教の母体になっているのである。

その中で、特に、重要なものとなったのが、巫祝、陰陽五行、道家、方士などである。

方士とは、神仙思想である。

巫祝とは、精霊の中で、最も身近なものとして、人鬼、霊魂との関わりを持つものとして、その仲立ちをする、シャーマン的活動をする者を言う。

人鬼は、物理的働きをすると、考えた。
ある方法を用いれば、それを自由に取り扱うことが出来ると、考えたのである。
呪術により、霊と対応できるものとして、巫祝がある。

神降ろしである。
霊媒とも言う。

更に、夢判断を行うもの。
病気も、精霊の技と信じられて、巫祝以外に、治すことは、出来ないと信じられた。
預言、予知、占星術も、その中に含まれる。

霊能者である。

それが、権威を持ったのは、紀元前8世紀がピークだったが、その権威は、その後も続き、道教の有力な構成要素となっている。

今、現在も、そのようなことをする者がいる。
科学万能の時代でも、人々は、道教の、怪しい力にすがるのである。

どこの国にも、占い師、霊能者が、存在する。
人知を超えたところのもの・・・
それが、人の心を掴む。
勿論、何の根拠のないのである。
仏教でいうところの、無明である。
だが、その仏教も、無明に陥って、久しい。




posted by 天山 at 00:02| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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