2012年06月01日

国を愛して何が悪い11

19歳の時に、私は、韓国に行った。
下関から、フェリーに乗り、釜山である。

釜山から、ソウルに向かい、様々な福祉施設を訪ねて、ソウル到着である。
そして、また、別の道を通り、孤児院、ライ病村などを、訪問して、釜山に戻った。

その際に、耳にしたこと、多々ある。
この、禿山は、皆、日本がしたこと。
日本の文化は、皆、韓国のもの。
日本軍は、韓国の一般市民を虐殺した。

兎に角、聞いていると、身が縮まるような話しばかりだった。

丁度、自虐史観真っ盛りの頃であるから、日本に戻っても、それが正しいのだという、結論。
どこにも、本当の事が、書かれた本に、出会わなかった。

ただ、少しの救いがあった。
釜山の橋の、たもとで、朝鮮人参を売っていた、おばあさんに、声を掛けられた。
私と、おばあさんしかいなかった。

おばあさんが、日本人は、良いことも、沢山したんだよ。
この橋も、日本人が造ったものだ。

唯一、それだけである。

そして、私は、一つ10ウオンの、焼き芋のサツマイモを、道端で売っている、おじさんのところに、買いに行った。
だが、おじさんは、売ってくれない。

言葉が分からないから、私も意味が解らない。
日本人だからだ・・・

多くの人が、集まって来た。
そして、おじさんに、芋を売ってやれというような事を言ったと思う。

おじさんが、渋々、10個、紙に包んでくれた。

それから、月日が経った。
私は、二度と韓国には、行かない。

上記のことが、真っ赤な嘘であると、知ったからだ。

簡単に、捏造するという、その根性は、どこからのものか・・・

だが、敗戦後、日本が高度経済成長の際に、大々的に、売春ツアーが行われたことは、事実であるから、書いておく。
韓国の人たちには、申し訳ないと思う。

中高年から、若者まで、腰が砕けるほど、女遊びを韓国で行っていたという、事実である。

それは、韓国人に、反省しろと、言われて、当然である。

韓国の、禿山・・・
それは、日本統治時代以前からのものである。

黄文雄氏が、書いている。
ジェロットケヴィチの、朝鮮旅行記を読めば、明らかであるという。

更に、モンゴル軍が、日本征伐のために、森林を濫伐して、造船を行ったものでもある。

韓国では、悪いことは、すべて、日本が行ったという、通説として認識する、させるのである。

呆れる。

朝鮮総督府設置当時の、半島の林野状況はかなりひどいものだった。鴨緑江と豆満江流城、狼林山、太白山、済州島のカンナ山などに原生林が見えるのみ。ことに、京畿道以南の地域では、国有林と墳墓周辺の森林を除いた大部分の山が、禿山と化していた。


朝鮮半島の面積は、韓国と北朝鮮を合わせると、22万平方キロメートルである。それは、日本の本州、イギリスと、同じ面積である。

地勢は、75パーセントが、山地で、新世代第三紀以降の地質で、火山島の日本とは違い、地殻変動の無い、安定した地質である。

気候は、大陸性高気圧の強い影響を受けて、秋冬は、乾期となり、その降水量は、年間の10パーセントにも、満たないという。

雨期の豪雨地帯は、往々にして、集中豪雨にみまわれ、不慮の洪水、旱魃が、珍しくないのである。

朝鮮の歴代王朝は、これに対して、何の手を打つ事無く、日本の朝鮮総督府が、いかにして、この水問題を解決するかと、始終努力していたのである。

これが、日定時代の、特記すべきことである。
でなければ、今の、韓国は、無かったのである。

李朝時代、常民の多くは、農民である。
しかし、米作が極めて不安定で、不確実ゆえに、農民たちは、資本投下に関心が無く、安易な掠奪農業に堕ちて行く。

近代国家など、造られる状態ではなかった。
先の、朝鮮旅行記によると、
労働者の受け取る賃金はごくわずかで、日本人へ金を売りさばく役人たちの懐にすべて消えてしまう。
勤労の民は非常に貧しくて餓えている。
鉱山の近くに村があり、労働者たちはそこで食事をし、酒を買い、給料には手をつけないで、ほとんど裸同然でうろついている。

これは社会的・経済的混乱を招く要因となり、民族意識の高揚、進取の精神を阻害した一大原因となった。それだけではなく、民族の自主独立精神をも消失させてしまったのだ。


李朝時代の、両班からの、搾取が延々と続いていたのである。
その、両班に対する、批判の一つも、聞えない。
ただ、悪いことは、日本のせいだ・・・

ここに至ると、韓国の行く末が、見えてくる。
真っ当に、歴史の事実を捏造するのは、いずれ、その身に、返るのである。

私が、日本政府に、韓国と関わるなというのは、恩を仇で返されるからである。
支援する必要は、一切無い。

反日を、国家のアイデンティティとするならば、それで、進んでゆくがいい。

アジアは、広い。
東南アジア、南アジアの国々に、日本は、篤い支援をするべきである。

支援して、恨まれる必要は、どこにもない。
日本にいて、在日として、差別されるというなら、韓国に帰るべきである。

差別は、在日だけのことではない。
日本人も、日本人に差別されるのである。


posted by 天山 at 00:33| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月02日

国を愛して何が悪い12

売国奴という、本がある。
その中で、元韓国人で、今は日本に帰化した、呉善花さんという方が、話している。
韓国では、どのような教育が、なされているか、である。

呉さんは、母親が亡くなった際に、韓国に行ったが、空港で入局拒否されている。
いかに、韓国人が狭量で、国際感覚を持てないのかが、解る。

長くなるが、引用する。

私は1956年生まれで、ハングル世代といういい方がされていました。1967年、小学校までは漢字教育がありましたが、六年生のときに「これからは漢字を勉強しなくてよろしい」といわれ、中学校に入って1970年の春からは、すべての教科書から漢字が消えていきました。漢字教育が完全に廃止されたんです。
そういうわけでハングル世代といわれるんですが、ハングル世代というのは同時に、最も強固な民族主義教育を受けてきた世代という意味であり、その中核にあるのが反日教育であるということなんです。反共教育もあったわけですが、二つを含めて私たちの世代が最も強烈な民族主義教育を受けた世代だと、そいう意味がハングル世代といういい方にはあるんです。

歴史教育では、まず古代の三国時代についての教育のなかに日本が登場します。先に述べましたように、東のすみっこにいる野蛮な小国に、あらゆる文化を教えてあげたというものです。

中世になると、日本はそうした恩を忘れ、豊臣秀吉の朝鮮侵略によって殺戮の限りをつくし、我が国の文化を破壊し荒廃させた、陶工など多くの韓国人を強制連行していったと教わります。韓国ではこれを壬辰倭乱といっています。1592年が壬辰の年にあたりますから、その年に倭が起こした乱、ということです。朝鮮ではずっと、日本のことを中国にならって「倭」と称し、蔑視してきました。で、「乱」というのは本来は内乱についての言葉なんです。一個の独立国との戦争ではなく、倭族集団が乱を起こしたと、そういう表現になります。

それで近世になりますと、日本が朝鮮に開国を要求して起きた砲撃事件、江華島事件(1875年)があって、ここから日本が敗戦するまでの70年間にわたる日本の侵略がはじまったと教えられます。これを70年戦争といったりします。

近世にいたって、日本は元来の野蛮な性格をむきだしにし、最初から朝鮮侵略の意図をもち、ついに植民地化にまでいたったと。そしていかに暴力的な支配の限りをつくして統治をしてきたか、韓国人はいかにそれに対して果敢な闘争を続けてきたかと。そういう流れになりますね。暴力的な支配というのはまったく史実に反しています。果敢なというほどの闘争は、3.1独立運動以降はまったくありませんでした。実際には、日本の統治時代の大部分が、武断を廃した文化的な統治であり、大多数の人々が整然とそれに従ったというのが史実です。

韓国の歴史教育の根本にあるのは、我々は絶対的に善なる民族であるということです。一度も他国を侵略したことがない平和を好む善なる民族である。それが周辺の悪なる民族に何度も蹂躙され続けてきた、なかでも最悪が日本民族であるということですね。ですから日本人というと、どうしても絶対的な悪のイメージになってしまうんです。

このように、教育された人たちと、どうして、友情が持てるか。

更に、事実を曲げて、教えるという、不穏な態度は、如何ともし難い。
度し難い国と、いうしかないのである。

その逆に、日本の歴史教育は、自虐史観であるから、韓国人にいわれると、そうですか、済みませんと、なる。

どちらも、真っ当な歴史教育をしてないということである。
日本人は、韓国人に近づかないし、韓国人は、悪の日本人に近づかない。
そうして、隣国でありながら、永遠に、遠い国である。

民族主義教育を否定しない。
だが、それが、過度になれば、国際社会で、孤立する。

韓国になかった、存在で、日本に存在する、天皇陛下・・・
この違いは、永遠の溝である。

日本が、いくら謝罪外交をしても、せん無いこと。

呉さんの、世代は、50代であるから、その後は、益々反日教育がなされた。
今は、韓国社会の中核を担う人たちである。

日本と、日本人を嫌えば、国際社会から、益々、嫌われる。
日本は、世界的に、好まれる民族である。

だが、しかし、教育は、恐ろしい。
ここで、言われるように、植民地化したのではない。
併合国家として、日本が、韓国の近代化に尽したのである。
もし、それが無ければ、今も韓国は、第三国である。

両班からの、搾取を受けて、韓国人は、飢餓状態にあり、それこそ、暗黒の時代を生きることになったのである。

更に、あのままでは、中国化、あるいは、ソ連化していた。
民族の誇りなど、叫ぶことも出来なかったのである。

少しばかり、経済が良くなり、先進国として歩んだとして、これからも、その偏狭教育が、続けば、後が無い。

日本人も、韓国人も、真っ当な、正しい、史実としての、歴史教育をしなければ、国力が衰え、それを復活させるには、100年要する。

現在は、史実としての、歴史が日本では多く見られるが、韓国が、そうなるまでに、韓国という国が、存在するか否かは、解らない。

最初から、日本が悪だと言う、観念を持ち、その先入観で、いれば、話し合いも出来ないのである。

韓国経済は、少しのことでも、吹き飛ぶ規模である。
更に、現在の韓国の人心の乱れは、凄まじいものがある。
常に大統領に、まつわる、汚職、搾取は、後を絶たない。

韓国社会は、すでに崩壊の体である。
犯罪・・・子ども達の心の荒廃・・・
道徳など、無い。
儒教の精神などは、どこにも無い。

人間として、生きるべき方向を見出せない韓国人が、どのように国を造るのか。
それこそ、お金ではないのである。

posted by 天山 at 00:23| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月03日

国を愛して何が悪い13

戦前は、中国、インド、東南アジアなどのアジアの農民は、極度に貧しく、飢餓状態にあった。
旱魃のたびに、死者が大量に出るのである。

中でも、朝鮮半島は、李朝時代の両班からの搾取、地理、天候などの条件から、最も貧しかった。

可耕地の広さと比べて、農業人口があまりに多く、地質、土壌、堆肥不足、治山治水の荒廃、気候寒冷などの、自然条件も悪い。
更に、山林荒廃による、燃料不足、堆肥不足、旧来農法の面からも、農業などは、難しいものだった。

その、朝鮮に近代化をもたらしたのが、文明開化、殖産興業に燃える、日本であった。
朝鮮だけではない。台湾、満州も、そうである。

今日に至っても、西欧列強と交流のなかった東アジア内陸は、相変わらず、旧態依然としている。

黄文雄氏の、上げる、朝鮮旅行記からの、抜粋である。
どこまでいっても禿山と赤土ばかりで、草も燃料のため刈り取られる。
山地が痩せていて、昨年もたくさんの餓死者がでた。
ここは退屈極まりない土地で、山は禿げ山、植生はほとんど見られない。
朝鮮人たちは土地が痩せていると不満を訴えている。樹木は皆無で、燃料には藁と草が使われている。

つまり、日本がしたことは、彼らのいう、全く逆のことである。
日本が、駄目にした以前に、駄目になっていた。更に、それに、手をつけようもなかったのである。

だから、朝鮮総督府当時の、半島の林野状況は、酷いものだったのだ。

韓国人が言う、日帝36年の、森林資源濫、掠奪だということが、真っ赤な嘘であること、明々白日である。

自分たちの、無能力さを、晒しているのである。
これが、将来、韓国の若者に知れたら、それを教えた者たちは、殺されるだろう。
無意味に、日本と、日本人に対して、憎悪を植えつけたのであり、それを取り戻すには、100年かかるのである。
勿論、韓国が、真っ当な国になったら、である。

朝鮮半島は、地質的には脊梁山脈が縦走している状態であり、日本海側では、豆満江以外は河川の流路が短い。そのため黄海側にそそぐ河川には大河が多くなるのだ。その上、有史以来大規模な治山・治水工事がほとんど行われておらず、自然の姿そのままで放置されている。
そんなことだから、自然災害も自ずと多くなり、七、八月ごろの雨期に台風が集中すれば、洪水と旱魃が交互に半島を襲う。半島の自然生態史は、こうして作られてきたのである。
黄 文雄

自然的要因だけではない。
盗伐と乱伐などの、人為的要因の、双方である。

それに対して、日本が、登場するまで、何も出来なかったのである。

両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もいない。
ダレ神父 朝鮮事情

戦後、日本が、朝鮮半島で行ったといわれる行為は、大半が、両班をモデルにした、捏造の、作り話である。

だが、不思議である。
何故、それほど、韓国人は、日本と、日本人を捏造してまで、嫌うのか。
民族主義の、なせる業であろうか。
それにしても、実に、お粗末である。

被害妄想という、病気があるが、それに近い。
被害妄想症状から、合併症を発して、今は、自傷行為にまで至るのである。

韓国社会の、混乱と、荒廃は、それである。

民族主義が、徹底して、強迫観念になると、昂じて、狂う。
韓国人が、韓国人を差別すると、相手が、死ぬまで、続ける。
強迫性としか、言いようが無い。

だが、それに気付いた、韓国人は、日本に、不法入国しているのである。
勿論、中国人も、である。

一度でも、日本に入国した、韓国人、中国人は、再入国して来る。
それが、不法入国でも、本国にいるより、いいのである。

実は、日本に憧れ、希望を持ち、期待してくるのである。

私が時々行く、中国人夫婦の、中華料理店がある。
もう、旧商店街で、シャッターを降ろした店が多々あるのだが、二人は、そこで商売を続けている。

そして、子供をもうけて、その子も、別な場所で、中華料理店を始めた。
更に、孫まで、出来た。

夫婦の実家は、上海から、車で、三時間の場所だという。
もう、中国には、帰らないのである。

韓国人の、教組を知っている。
日本で、韓国人相手に、商売宗教をしている。
兎に角、ガバガハと、金を得ている。
韓国人の、孤独感に付け込んだ、汚いやり方である。

その、弟子から、日本の税務署が一番怖いと、言っていると、聞いた。
これ以上は、遠慮して書かない。

在日韓国人が、世界で、一番成功しているのが、日本である。
どうして、こんな矛盾することがあるのだろうか・・・

決して、彼らに選挙権を上げてはならない。
捏造と、妄想まみれの歴史観を持って、対処するに決まっている。

この姿勢が、世界に通用することは、無い。

posted by 天山 at 00:07| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月04日

国を愛して何が悪い14

日帝は植民地政策のひとつとして、朝鮮の土地所有権を明確にするための土地調査事業を行った。しかし、字の読めない人も多く、近代土地所有の観念もなかった朝鮮農民は、土地の申告をしなかったために、多くの土地は日本人地主の手に渡ってしまった。

とは、1908年に、東洋拓殖株式会社が朝鮮で設立され、農業拓殖を当初の主要事業としたものである。

上記の、韓国側の言い分は、全くのウソである。

字の読めない・・・
字を読めるようにしたのは、誰か・・・

更に、
これによって、朝鮮最大の日本人地主となったのが東拓である。東拓は、日本国内の食糧を確保するために朝鮮米を植えさせ、内地に輸出する産米増殖計画を行った。逆に朝鮮農民は餓え、土地・食糧を奪われた朝鮮人は日本本土や中国東北地方へ流出せざるをえなかったのである。
と、ある。

これも、真っ赤な嘘である。

餓えに苦しむ、朝鮮農民を救ったのは、日本である。

朝鮮総督府が、日本と朝鮮の土地兼併を嫌う当時の風潮を重んじ、東拓の土地買収を規制したのである。

更に、駐屯土と称される、国有地の処分において、東拓へは譲渡せず、自作農創設として、朝鮮小作人に分譲したため、東拓の移民事業は、挫折している。

結果、本来は、6千戸の入植を予定していたが、朝鮮に定着したのは、3883戸だけである。

そして、朝鮮半島における、東拓のような、日本人地主は、非常に少なく、土地が二束三文で手に入ったとしても、入植日本人の土地所有者は、半島全農地の一割にも、満たなかったのである。

騙し取った・・・
冗談ではない。

朝鮮の土地は、李朝末期には、土地の所有権は、ほとんど両班や、地主の手にあり、字の読めない小作人は、元々、土地など持っていないのが本当だ。

何故、ここまで、ウソを書き並べて、反日を育てるのか・・・
それは、正に、劣等感である。

逆立ちしても、日本のように、寛容になれない、その民族性の、劣等意識である。

逆に、朝鮮の農業が、遅々として進まなかったのは、朝鮮には、数千年の歴史があり、土地には、固定した地主が、すでに存在していたため、新田開発が、困難であったというのが、本当である。

日本農民が、朝鮮で開拓した農地は、良田ではなかった。
大河の遊水地で、交通不便、更に、塩害がある土地を、開墾地として、開拓したケースが多いのである。

日本人はわざわざ朝鮮に行って、こんな不毛の地を耕していたのだ。それなのに、東拓を含めた日本の農業移民が、朝鮮半島の美田、良田を強奪したなどとはよく言ったものだ。美田を占有していたのは、ほかでもない朝鮮人自身である。
黄 文雄

そして、この日本人の、地味で真面目な努力によって、何と・・・
朝鮮半島は、数千年の農耕国家では考えられないほどの、農業革命を起こすことが出来たのである、と、黄氏は、言う。

それもこれも、すべて日本人の手によって実現したことなのだ。


韓国人の無能振りと、どの時代になっても、腐敗する様を、以下、醜い韓国人の中で、朴テシュク氏が語るのを、書く。

やがて、夕暮れがせまり、登山客が下山しはじめました。そのとき、服装がみすぼらしい年寄りが、日本時代に架設した「漢江大橋や、京釜線、京仁線は完成してから七十年以上たっており、韓国動乱(朝鮮戦争)中には、連日、米軍機の攻撃を受けて壊され、修理さけたというのに、今までなんともないのに架設して十五年で落下するような橋をつくったのは、誰がなんと言っても、不実工事で人災だよ」と大声で話していました。
誰も、異論を差し挟む者がいませんでした。ところが、その年寄りが続けて「日本人はなんと言っても境遇に合わせて、正しいことをする」というと、若者たちが礼儀も心得ずに「老人様よ。日本は東亜を侵略し、数百万人を殺害した殺人魔だ」と、怒鳴りました。
老人は、無礼な若者たちに「君らは下山して、家に帰るまで、歩道のブロックを見なさい。大半が、無茶苦茶な不正工事だよ。その実例を見て、今の社会がいかにいい加減であるか、実感できるだろう」と、応酬しました。青年たちは聖水大橋も不正工事だと判明したら、自分たちもそう確信するが、「老人様は、なんで日本人を讃えるのか」と言った。

老人は「お前たちは知らないだろうが、日本人の役人が賄賂を取って、民願事項を決定した例はなかったよ。今のわが国の公務員は、賄賂がポケットに入らないから、伏地不動をしているではないか。毎日の新聞に伏地不動という新語がのって、国家公務員の執務姿勢を批判しているのを知らないのかね?」と激昂して、言い返しました。

つまり、韓国人は、朝鮮人なのであり、その癖から、抜けきれないのである。
癖とは、両班時代からの、癖である。

その、無慈悲な民族性、その民族の性格・・・

大統領になると、その周辺から、必ず、収賄の匂いが漂うのである。
そして、それ以下の権力を持つ者たち。

21世紀に入り、韓国社会は、暗闇である。
甚だしい、犯罪大国と化している。

あの、小さな国が、である。

儒教文化など、無いに等しい。
更に、文化、道徳など、どこ吹く風。

その、鬱憤を反日で、晴らすという、根性である。
未来など、描ける訳が無い。

韓国が成功しているものは、すべて、日本からの、借り物である。
サムスン電器は、世界に乗り出して・・・
ソニーの技術を盗んで、堂々の世界入りである。

勿論、私は、商売の世界であるから、それに関して、批判する何ものも、無い。
寛容なのである。


posted by 天山 at 00:00| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月05日

国を愛して何が悪い15

韓国、台湾の近代化において日本がもっとも貢献した事業のひとつに、科学的土地調査がある。朝鮮総督府が土地制度と租税制確立のために行った「土地調査事業」は、近代朝鮮半島史上でもっとも特記すべき画期的な事業だとも言われている。
黄 文雄

朝鮮総督府は、1910年から、1918年に渡り、200万円の予算を組んで、全土の土地調査を実施したのである。

結論から言うと、どの時代でも、田畑の統計はなされていなかった。実質は、実に、いい加減なものだったのである。

李朝時代初期、145万5492結あった農地は、次第に減り続けている。
朝鮮の土地面積の、単位は、結負、キョルプと呼ばれる。

結果、約半数が、脱税地となり果てていた。
公簿に記載されない土地、つまり、穏結、穏田、である。

この、穏結には、もともと税金を免れていたもの以外に、地主は実際に納税していたが、地方官僚の横領などにより、税が露と消えていたのである。
また、地方官僚と、地主が結託して、国税を食い物にしていたのである。

公簿上での、結数は、時代と共に減少し、同時に国税も減る。
これが、朝鮮半島の庶民に対する、苛斂誅求の歴史的背景となったのである。

勿論、今、現在も、韓国人は、大統領付近から、不正蓄財、横領など・・・
必ず、前大統領になると、それらが、明るみになるという・・・

要するに、民族意識は、強いが、国家意識が、薄いのである。

一体、これは、どういうことであろうか。
韓国人は、そのことに、気づいているのか・・・
気づいていないのである。

韓国が、未だに、国に成っていないのは、そういうことである。
宗教に似た、民族意識のみ。
これでは、真っ当な国造りなど、出来るものではない。

さて、朝鮮総督府の全国土地調査によって、穏結が、一掃された。

その結果、総面積が、487万余町と、倍近く増大したのである。

だが、これまで、甘い汁を吸っていた者は、困るわけで、朝鮮総督府の調査に対して、不服申し立てが出てくる。
その数は、2万148件にも、達したといわれる。

だが、総督府は、隠し田を一掃し、伝統的な搾取である、土地紛争に終止符を打った。
現在の、韓国の農地、それは、日本が確保したものである。

五万分の一の地形縮図を完成させ、近代社会の社会的基盤を建設するのに、大きく貢献した。

土地調査と、地権の確立は、近代国家に欠かせない一大条件である。
黄 文雄

それを、日本がしたということ。
現在の韓国人は、それを、どのように考えるのか・・・

そんな、評価は、一度たりとも、聞いた事が無い。
口を開けば、日帝の批難、中傷である。

真っ当に、日本の実績を認めて、更に、日本と共に、時代を歩めば、国家というものの、姿を知ることになるのだが・・・
韓国人は、国家観というものが、欠落している。

唯一、妄想チックな、民族意識である。
そして、真っ当な歴史を学ぶことなく、夢のような、ストーリーを妄想するのである。

さて、両班というものについて・・・
ここで、韓国人、朴テヒョク氏の、醜い韓国人から、見る。

1874年、パリで刊行された「朝鮮事情・朝鮮教会史序論」からの、引用を用いて、説明する。

両班について、
「朝鮮の貴族階級は、世界中でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」と描いている。そして「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとくふるまっている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕まえさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物を与えられず、両班が要求する額を支払うので鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない」と報告している。

守令は、官職名で、今日の知事に当る。

「法と慣習によれば、両班に対しては、彼らが金持ちであれ貧乏であれ、また有識者であれ、無識者であれ、できるかぎりの敬意をすべて表すことになっている。誰も決して両班の身体に触れることはできず、守令でさえ、たとえ過って手に触れたとしても、厳罰を受けるであろう」

読み進んでゆくと、まるで今日の韓国について書かれているようである。ただ両班を今日の長官とか、会長とか、社長に置き換えてみさえすればよい。
朴テヒョク

パリ外邦伝教会の神父たちが、報告書を綴ったころから百四十年もたっているというのに、韓国の権力者や企業幹部は、自由主義国のなかで、今日でも部下に対してもっとも傲慢な態度をとっている。
朴テヒョク

ところが、朝鮮総督府は、その差別を失わせたのである。
時間をかけて、忍耐強く・・・

朴氏は、日本人地主は、昔の両班よりも、はるかに寛容だった。両班のように、小作人である、常人を理不尽に苛めることがなかったし、不作のときは、小作料を安くしたと言う。

皆、韓国人の地主の小作人になるより、日本人の小作人になりたがったのは、当然のことである、とも。

日本人のもとで働いていた常人たちは、羨望の目で見られていた。


日本人が所有していた農地は、独立後に「敵産」としてすべて没収された。しかし、日本人が今日の韓国農業の発展の基礎をつくったことは、否定できない。


では、何故、それを、今の韓国人は、評価しないのか・・・
出来ないのであろうか・・・

それほど、劣等感に溢れていると、考えるのが、一番、解りやすい。
韓国人を、精神分析すると、あまりの、朝鮮人の哀れな劣等感を、日本に対する、攻撃に向ける方法しか、見出せないでいるということだ。

幼児的・・・
日本が悪いから、皆、悪くなった・・・
今の社会の腐敗も、日本が存在するからだ・・・

日本によって、滅茶苦茶にされた・・・
と、思い、現在の韓国社会は、手のつけようの無い、退廃振りなのである。

更に、象徴とするものが無い。
だから、民族という、意味不明の妄想に、身を委ねる。

その、民族の源流を辿ると、中国の属国に至るのである。
どうしたって、こうしたって、劣等意識の何ものでもなくなる。

私は、提案する。
日本と仲良くすること。
そして、文化を交流させて、共に、隣国として友情を、培う。

篤い友情が深まれば、竹島問題も、合い互いに、共に利用して、日韓の友情の島として、友好的に利用しようということになるだろ。
このまま対立するより、両国の絆の島。そこでは、一切の暴力行為は、禁止。そして、他国が侵略する時は、両国で、守る。

新しい、平和の象徴の島。
日本人の寛容の心を、引き出す努力をすべきだ。


posted by 天山 at 07:24| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月06日

最後の沈黙を破る63

日本人の、ボランティアの考え方には、多分に、キリスト教もどき、の、考え方がある。

例えば、与えることによって、与えられる。
これが、ウソであることは、実践している人なら、見抜ける。

一度や、二度の、ボランティア活動で、貧しいながらも、笑顔を絶やさない子ども達に、元気を貰いました。
更に、勇気を貰った・・・
励まされた・・・

色々ある。

それらは、皆、ウソである。

与えることによって、与えられることは、まず無い。
ところが、私がそれを書くと、あなたの心の問題なのです、という、正義感溢れた、メールなどを、受ける。

つまり、与えることによって、与えられると、信じているのである。

実践していれば、与えることによって、更に、奪われるということが、解る。そして、更に、心も奪われる。
つまり、ボランティアは、終わらないということである。

与えられると言う人は、ボランティアではなく、気分で、行うのである。
それを、ボランティアと、勘違いする。

日本語では、奉仕、という。

奉仕という言葉は、キリスト教の、概念を超える活動である。

マザーテレサは、神様のために、良いことを、と言う。
彼女は、神様が主であり、支援する人の存在は、従である。

奉仕は、そのもの自体が、神と同じである。

言葉遊びは止める。

兎に角、本当に、人のために、何かをすることは、奪われることなのである。
与えて、与えて、与える行為が、ボランティアの本質である。

ちなみに、主イエスは、上着を一枚求められたら、二枚あげよ・・・と、言う。
左の頬を打たれたら、右の頬も差しだせ・・・

旅行会社が、ボランティアツアーなるものを、企画する。
そして、それに、参加した人たち・・・

優雅に、言う。
子ども達の、笑顔に、元気を貰った・・・

実際は、皆々、商売なのである。
その国と場所は、言わないが、明らかに、商売をしている。

受け入れる施設も、商売なのである。
しかし、子供は、それを知っている。
知っていて、演じているのである。

私は、支援を必要とする、多くの子ども達に、出会っている。
彼らは、こちらの心を、見抜く。
そして、その対応を演じるのである。

子供を、馬鹿にするなと、私は言う。

半日程度の、触れ合いで、子供が、心を開くわけが無い。

子供は、演じるのが、上手である。
だから、大人の心も、見抜く。

この人たちは、自分の満足のために、来ていると、見抜くのである。

だから、笑顔で、その人たちが、喜ぶように、演じている。

利益は、旅行会社と、その施設を運営している者が、取る。
子供たちの、ためには、何も無い。
子ども達は、ただの、道具である。

だから、私は、子ども達に、見抜かれていいように、すべてを、晒す。

私の友達。
でも、今度は、いつ来られるのか、解らない。
私は、あなたのことを忘れないから、私のことも、忘れないで・・・

今度、来た時、私の姿を見たら、必ず声を掛けてね・・・

私は、君の仲間だ・・・

日本ではねーーー私も、貧しいんだよ・・・
でも、多くの人が、私を応援して、こうして、君達に会えることが出来る。

これは、皆、日本からの、プレゼント・・・

フィリピン、ネグロス島、バコロドで、ストリートチルドレンに、食べ物と、飲み物を配っていた。
子ども達は、皆、私のことを、ファザーと呼ぶ。カトリックの神父だと、勘違いしていた。
そんなことは、どうでもいい。

一人の女の子が、不思議そうに見ていた。
そして、私が、渡し終えて、ホテル戻ろうとした。

すると、女の子が、私の前に立った。
何も言わない。
私は、言った、また、来るね、今度は、服を持ってくるよ・・・
女の子は、何も言わず、黙って私を見ていた。

忘れられない光景だった。
彼女は、何を言いたかったのか・・・

ネクスト・タイム
スイュア・ゲン・・・
その女の子に、後ろ髪を引かれる思い。
どうして、あなたは、私たちために・・・
という、思いを感じた。

格好よく言えば、私は、あなたを愛している・・・
と、そういうことになるのか。
違う。

ただ、私は、親もなく、生きていく、あなたに、出来ることをしたい・・・
ただ、それだけである。
あなたから、何を求める訳ではないけれど、あたなに、何かしたい・・・
ただ、それだけである。

突き詰めると、それは、私の性格である。


posted by 天山 at 00:01| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月07日

神仏は妄想である。370

日本の禅は、インドからのものではない。
あくまでも、中国禅からのものである。

そして、その中国禅とは、老荘思想の言葉によって、語られたのである。
つまり、老荘思想の言葉の概念から・・・

日本の禅を学ぶならば、まず、老荘思想を理解することである。

更には、仏典というものも、サンスクリット語によって、書かれたということは、バラモンの概念を用いて、説かれたということであり、バラモンの言葉の、理解が必要なのである。

さて、日本の神道には、教義も教祖も無い。
ところが、神道について、説明されるのである。
その大元は、どこからのものか・・・

言挙げしない、神道の清真さを、言挙げするのは、道教の言葉による。
それは、道教の言葉の概念によるといえる。

その、道教が如何なるものか・・・
全く、意味不明なのである。
実態の無いもの。

ところが、道教の教えというものが、日本の平安期に定着するのである。
陰陽師なども、その一つである。

そして、更に、日本人の生活の中に浸透して行く。

すべて、迷信である。

その実態はと、尋ねられたら、私は、即座に、人の想念によるものと、答える。
人の想念が、実態を作り上げたのである。

道教は、中国にて、生まれたものであるが、生まれだけであり、その中には、ありとあらゆる、迷信が取り入れられている。

儒教と共に、存在したというから、驚くのである。

その、儒教は、中国思想の主流となり、知識人、官僚の教養資格として、絶対欠くことの出来ないものとなった。

道教の場合は、唐の時代、少しばかり、政治的に支配権力を得たが、そうした場合は、実に、少ないのである。

だが、儒教より、民衆の心を掴んでいたのは、道教の方であった。
中国の民族宗教といっても、いいのである。

そして、神道に似るのは、開祖も無い、教義も無いのである。

中国人が、自然発生的に、色々な、原始信仰を混合して、いつの間にか、集大成してしまったものである。

誰かが、何か、拝むようになり、それが、人々に伝播してゆくようなもの。

そして、驚くべきことは、今でも、その道教が、廃れず、生き残り、中国系の人たちが、お祭りしているのである。

古代において、ほとんどの原始信仰は、アニミズムといわれる、精霊信仰を元にしている。

中国古代では、この精霊のことを、鬼神と呼び、それには、三種類の、天神、地祇、人鬼があると、考えたのである。

天神とは、天と、日月星辰のみならず、暑さ、寒さ、雨風などの、精霊を含む。
更に、天には、上帝、皇天、皇天上帝、と呼ばれ、天神の中心であった。

ちなみに、日本の天皇の称号も、そこから、取られた。
すめらみこと、を、天皇に当てたのだ。

地祇は、大地の精霊を言う。山川など・・・

人鬼とは、死者の霊魂である。
更に、空中にさ迷う、魑魅魍魎、あらゆる、妖怪変化なども、意味する。
その中では、先祖の霊を、最も、重要なものとした。

多くの精霊に対する、多くの信仰形態が、つまり、民間信仰が、道教の母体になっているのである。

その中で、特に、重要なものとなったのが、巫祝、陰陽五行、道家、方士などである。

方士とは、神仙思想である。

巫祝とは、精霊の中で、最も身近なものとして、人鬼、霊魂との関わりを持つものとして、その仲立ちをする、シャーマン的活動をする者を言う。

人鬼は、物理的働きをすると、考えた。
ある方法を用いれば、それを自由に取り扱うことが出来ると、考えたのである。
呪術により、霊と対応できるものとして、巫祝がある。

神降ろしである。
霊媒とも言う。

更に、夢判断を行うもの。
病気も、精霊の技と信じられて、巫祝以外に、治すことは、出来ないと信じられた。
預言、予知、占星術も、その中に含まれる。

霊能者である。

それが、権威を持ったのは、紀元前8世紀がピークだったが、その権威は、その後も続き、道教の有力な構成要素となっている。

今、現在も、そのようなことをする者がいる。
科学万能の時代でも、人々は、道教の、怪しい力にすがるのである。

どこの国にも、占い師、霊能者が、存在する。
人知を超えたところのもの・・・
それが、人の心を掴む。
勿論、何の根拠のないのである。
仏教でいうところの、無明である。
だが、その仏教も、無明に陥って、久しい。


posted by 天山 at 00:02| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

神仏は妄想である。371

古代中国の世界観は、物の本体は、捉え難いものであり、それを、気と、呼んだ。

そして、陰陽五行説が起こる。
木、火、土、金、水、である。
この五つの原理が、変転して、働き、すべてが、構成されているとした。

歴史の変転から、人事百般が、それで説明される。

更に、十干、十二支の、干支が、結びついて、年月日に配され、益々と、複雑怪奇なものになった。

この十干、十二支による、年月日時に配して、未来予知をする方法を、考案した。
現在は、四柱推命と呼ばれて、その解釈が、実に複雑である。

そして、識緯説である。
陰陽説から、発展させて、八卦といわれる、易である。

当然のことで、陰陽五行説が結びつくのである。

こうして、複雑にすれば、するほど、凡人には、脅威すべきものと、見える。

陰陽説は、後に、儒教の哲学的根拠となるが、道教の神学をも、構成するのである。

道教の、識緯説は、識は、未来を、緯は、儒教の経書にのせないところの、神秘を書いたものとする、道教の、秘義である。

三世紀頃が、全盛期で、以後、道教の中に取り入れられて、今も続く。

道家とは、紀元前の四世紀から、三世紀に開花した、諸子百家の一つである。

さて、道教は、民間信仰を取り入れ、雑多な思想を包含して、とても一筋では、理解できないものとなった。
そして、更に、その中核として、神仙道を説くことになる。

神仙説が現れるのは、紀元前三世紀である。

黄海に面する、山東半島の海岸地方で、方士と呼ばれる人たちが、長寿の術を説き、それを体得して、不老長寿の域に達したものがあると、宣伝したのである。

それが、各地に広がり、様々な呪術、民間信仰を習合して、方術を為して、多くの人の信仰するところとなる。

極めて、現世利益的である。

誇大妄想の最たるものである。

神仙は、真人と呼ばれて、東方海上の蓬莱、方丈、エィ州という、三神山に住み、そこで、幸福そのままの生活を楽しむという。
仏教の言う、極楽に似る。

その後、紀元前後になると、神仙は、深山幽谷に住むと信じられて、その性格も、あらゆる超能力を備えると、信じられるようになる。

中国人の、富貴長寿という、現実的傾向を、そこにすべて投入したと言ってもいい。

秦の始皇帝が、徐福という、方士に命じて、数千人の童男童女を率いて、三神山に、長寿の仙薬を求めさせたという話しは、有名である。

その、徐福は、日本にやって来たと言われる。

この、神仙説は、秦、漢、そして、三国、南北朝、隋、唐と、時代を経て、益々盛んになったのである。

ここで、解ることは、よく解らない、複雑怪奇なものほど、人の心を掴むということである。

さて、古代中国では、すべての根源は、天にあると考えた。
天の道である。

その天道について、どのように語るかで、思想が分れる。

儒教は、天道は、仁義礼智の人道にあり、これで身を修めるのが、人間の生き方であると、説く。

だが、道教は、それでは駄目だ。
天道とは、無為自然にして、無名の道であると、説くのである。

天道は、人為の発生する前から存在する、太古の道であり、人為の外にある。人為を徹底し排して、はじめて、無為自然になるというのが、老子であった。

そして、老子の説く、老子道徳経が、道家の根本経典となったのである。

だが、老子とは、実在するのか、否か・・・
不明である。

そこに、荘子が、現れて、道家の代表的思想家となる。
老荘思想という。

老荘思想は、儒教の、仁義礼智という、仁義道徳を世俗のものとして、蔑視し、老子の思想を、さらに発展させた。

ここで、重要なことは、儒教に対立した思想を展開したということである。

荘子は、天道は、無為自然なもの。同時に、虚無絶対であるとする。
それゆえ、そこから見れば、儒教の説く、人は、仁義礼智として、道徳を、また、生死について、云々などは、滑稽なことであるとする。

人は、それらを、超越して、絶対虚無の世界に、徹して生きるべきである。

その世界を体得して、人間は、自然の道に帰り、無為自然と、合することが出来るのであると、説いた。

ここには、徹底した、厭世思想がある。

荘子は、この道を体得したものが、真人、神人と、名付けた。

さて、このような、思想を持たなかった日本人。
古代、日本人は、これをどのように、受け入れたのか。
中国語、漢字、漢籍が、古代日本に、怒涛の如く、押し寄せてきたのである。

要するに、理屈の世界である。
思想とは、言うが、単なる、理屈の世界のことである。

その思想を知ることで、人は、何事かを解ったと、思う。
思い込む。
その、思い込みが、観念になり、人を不幸に陥れるとは、知らない。

思想、哲学の世界で、狂う人が多いのは、現実世界より、妄想世界に身を投げ入れるからである。

つまり、狂わない人は、知らないのである。
知れば、狂うしかなくなる。


posted by 天山 at 00:01| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月09日

神仏は妄想である。372

道教の教団らしきものが現れるのは、二世紀前半の、後漢の頃である。

干吉という、道士が、病人にお札と、神に供えた水を与えて、病を治すという方法で、人々の信仰を集めた。
この場合の、神とは、老子である。
老子を神にしてしまったのである。

太平道と呼ぶ。

更に、それを広めたのが、張角という道士。
ここで、面白いのは、病気は、人間の犯した罪の結果であり、天は、人の善悪の行為によって、その命を増減させるというもの。

ゆえに、病気を治し、神に罪の許しを願い、符水、ふすい、という、干吉の呪術の水を飲み、呪術を唱える。
この、現世利益の教えは、後漢末の社会不安に乗じて、下層民の間に受け入れられて、かなりの勢力となった。

更に、支配者層の圧迫に対して、張角は、信者に黄巾をつけ、標識として、ついに後漢王朝の打倒の反乱を起こすのである。

だが、数年で、壊滅する。

宗教というものは、このように、時代時代で、似たようなことを、繰り返すようである。

それから、いよいよ、妄想の一途がはじまる。

五斗米道である。

信者から、米約9リットルを出させた。
今なら、金である。

祈祷による、治癒が中心である。
方法は、前と同じである。

更に、慈善事業なども、手掛けて、後漢末には、数十万人の信者が集うというほどになる。

原始道教は、実に未熟であるが、下層民相手であるから、簡単なものである。

その頃は、神仙説は、まだ、出てこないのである。

そうして、次第に、衰退してゆく。
時代は、進化するのである。

教団として、社会に定着するには、教義の生理が必要であり、儒教と比べると、遥かに、劣っていたのである。

そして、もう一つの要因は、三世紀から、五世紀、三国時代から、南北朝時代にかけての、仏教伝来である。

仏教は、三世紀末から、急速に発展した。
だから、道教も、盛んに、老荘思想を取り入れ、理論を作り上げ、仏教の教義、組織に真似て、教団として、成立させなければならなかったのである。

仏教が与えた影響は、実に大きかったといえる。

道教の最終目標は、不老長寿である。
それが、神仙説であり、道である。

それゆえ、妄想満開になるのである。

神仙になる方法を秩序立てて述べ、その可能性を証明する。神仙思想は、人々の願いを捉えたにしろ、それを信仰し、情熱をかけるまでになるのは、難しい。
民間信仰を超えて、神仙説の根底を、信者に与えるという方法。

道教の教義、理論的基礎の形成が、必要不可欠になったのである。

四世紀に入り、神仙道が、道教の中心となる。

それに携わった、人の名前は、省略することにする。

神仙道には、三つの、重要な方法がある。
第一は、胎息で、神仙道における、特別な呼吸法である。
第二は、房中である。陰陽、つまり、男女の交わりである。房中術を学び、真のセックスをしなければならない。
第三は、服薬である。神を祀り、祈祷をするだけではなく、仙薬を必要とする。
その、仙薬とは、神仙にも、上中下三等級の区別があり、上士は昇天して、天仙となり、中士は、導引長生きができる。下士は、地仙として、千歳の寿命を保つに過ぎないというのである。

神仙道とは、薬を作ることに、成功しなければならないのである。

それから、五世紀に入り、宗教教団として、組織と、体裁を整えた道教を、成立道教、教団道教という。

それは、経誡、けいかい、つまり、哲学的なものに基づく秩序と、組織の成立に重点を置いたものになった。

儀式を、科儀と名付け、祭壇を設けて行う祈祷を整備したのである。

そして、仏教に対抗しうる、宗教となった。
五世紀前半には、すでに社会に勢力を持つことに成功した。

北魏の太武帝は、廃仏事件が起きるほど、熱心な道教信者になったのである。

下層民中心の信仰ではなく、広く上層階級にまでも、確固たる地位を築いたのである。

六世紀の隋、七世紀初頭の唐の時代は、まさに、成立道教の花と開く時代になった。

唐の王室は、老子と同じ姓である、李であったゆえに、老子を先祖とし、道教を同族の宗教とみなし、歴代の天子は、特別の保護を与えたのである。

七世紀において、道教は、国家的宗教として、確立した。

天尊信仰といい、仏像に習い、道像を礼拝する形が完成し、広く一般に普及するのである。

そして、今もって、それは、脈々と中華系に伝わっている。

ただし、問題は、日本に伝えられた道教は、民衆道教時代の、四世紀後半である。
七世紀の道教は、仏教とは違い、間接的道教であったこと。
これが、最大の問題である。

簡単に言えば、日本の道教は、専門家ではない、素人により、大陸から渡来したものであるということを、忘れてはならない。

ところが、当時は、日本に、特別な宗教的教義など無い時代である。

特に怪しく、妖しい道教の毒が伝わっている。
今でも、神仙道による、男女交合の術などという、真面目なアホがいる。


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2012年06月10日

神仏は妄想である。373

日本に、儒教が入ってきた際に、道教も、入ったのである。
ところが、その道教は、民衆道教である。

道教には、成立道教と、民衆道教がある。
成立道教に関しては、後で、少し説明する。

兎に角、日本に入った、民衆道教は、あらゆる日本文化に、影響を与えた。
そして、この民衆道教は、日本人の生活の内部まで、入るのである。

日本、古代の末ごろまで、道教的な形で、歴史の表面に露呈していたが、いつしか、神道、仏教、陰陽道、修験道、そして、民間信仰の中に、習合されるに至っている。

魔物は、このように、自然に目立たずに、入り込むものなのである。

余計な言葉の世界のなかった神道にも、大きな影響を与えるほどに、浸透してゆく力は、何だったのか。

例えば、四方拝のような、儀礼、八十嶋祭に泰山府君を祀るという、祭祀、鎮宅霊符神、星宮神社のような信仰がある。

星宮の祭神は、本来、北斗星である。
それも、道教から、もたらされた。

更に、北斗星信仰が、仏教と習合して、妙見菩薩が生まれた。
そして、日本の神と習合して、各地に妙見宮が多くなり、今も、庶民の信仰を集めている。

驚くべきは、密教系寺院の、星曼荼羅である。
これも、道教が仏教、密教に習合された結果の産物である。
この、曼荼羅の前で、庶民は、息災安穏、増長福寿を祈る。

桃の節句、菊の節句、そして、子供の日の、菖蒲の節句。
七五三の宮参り。

民間信仰に習合されて生まれた、民俗であるが、道教の影響は、凄まじいのである。

故に、今では、果たして、道教と呼べるのかといえば、日本の伝統文化となっているのであり、道教とは、言えない。しかし、大元は、道教による、影響である。

道教的なものは、すべて、今では、裏側に隠れたのであり、表は神道であり、仏教であり、伝統行事である。

研究家は、いかに、道教からの信仰や習俗と言えども、日本で生まれ出て来たものは、道教と呼ぶことは出来ないと、言う。

日本における、中世以降の道教は、もはや、道教から離れたものであるとも、言える。

ただし、私は、それらを迷信の所作に陥れ、庶民を蒙昧にしたことは、確実だと、考えている。

お札、お守り、護符なども、遠からず、道教的である。

ところが、不思議なことに、老荘思想の文献、経義を説く経典が、日本に渡来しても、それらは、特に目立たず、儒教主義を持って対処したゆえに、奈良時代は、老子、荘子が、使われることはなかった。

その、講義が行われたのは、平安時代に入ってからである。

また、近世では、儒学の中でも、朱子学が主流となったが、民間の漢学者の中では、老荘を論じる者が相当数いたのである。

老荘思想は、かなり読まれ、研究されていたとも、言える。
だが、道教は、日本では、宗教には、成り得なかった。

そして、日本では、老荘思想は、道教の神学として、行われていないのである。
それは、別物という意識である。

それは、教義関係、経典類や、神仙伝などに対して、それほどの関心が向けられなかったということでも、解る。

故に、道教の教えに関しては、それが老荘思想についてであっても、読書人の段階に留まっていたのである。

ただし、中国と、日本の違いは、倫理的なものは、儒教倫理を取り入れ、中国は、実践道徳として、儒教倫理より、道教の倫理によって支えられていたということである。

道教の実践道徳は、宋代以降で「善書」として道徳律をまとめ、「太上感応篇」その他がある。

日本では、江戸時代に入り、それら「善書」による、道教倫理の影響がある。

江戸時代の、在野の教育者の一人である、広瀬淡窓などは、道教の「功過格」に基づき、「万善簿」十巻を著して、日々の実践規範としたほどである。

更に、道教の医方は、民間療法に取り入れられた。
中でも、導引と調息は、按摩として再生され、近世以後、現代に至るまで、残る。

江戸時代の、貝原益軒は、道教の養成法に傾倒し、「養生訓」に、大幅に採用している。
その健康法は、現在でも行われているのである。

さて、医方の中にある、房中は、性行為による、教えであるが、中国では、淫靡、淫猥に流れ、それが宗教としての道教を、貶める主因となった。

この傾向は、日本でも、同じである。

この、房中に関しては、公的に禁止されたが、江戸末期に至るまで、公然と横行していたのである。

また、現代でも、この房中法を、講じる者がいる。

セックスに関する、歴史的文献は、数多い。
アラビア、インド、中国・・・
廃れることがない。

だが、結局は、淫猥な状態に陥るのは、目に見えている。
道教の場合は、不老長寿を求めてのものだと、言われるが、結果は、単なるセックスの楽しみである。

セックスにより、千年も生き続けることなどは、いまだかつて、一人もいないのである。
中国人の妄想以外の、何ものでもない。


posted by 天山 at 07:21| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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