2012年05月29日

もののあわれについて563

さるは、かの世と共に恋ひ泣く右近なりけり。年月に添へて、はしたなきまじらひの、つきなくなり行く身を思ひなやみて、この御寺になむ、度々詣でける。例にならひければ、かやすく構へたりけれど。徒歩より歩み堪へ難くて、寄り臥したるに、この豊後の介、隣の軟障のもとに寄り来て、参りものなるべし、折敷手づから取りて、豊後「これは御前に参らせ給へ。御台などうちあはで、いとかたはらいたしや」といふを聞くに、わがなみの人にはあらじ、と思ひて、物のはざまよりのぞけば、この男の顔、見し心地す。




実は、あのいつまでも、涙と共に、姫君を慕っていた右近なのである。
年月のたつにつれて、生半可な奉公が居心地悪くなってゆくわが身を案じて、このお寺に、度々、御参りするようになった。幾度も来て、慣れているので、身軽に、してきたのだが、歩いて来たので、我慢できず、横になっていると、豊後の介が、隣の障子のところにやって来て、召し上がるものなのだろう、お盆を手に持ち、これは、姫君に差し上げてください。お膳などなく、誠に恐縮です。と言うのを聞いて、自分などのような身分の人ではないと、思い、障子から覗くと、この男の顔に見覚えがある、気がする。

ドラマであれば、名場面である。
つまり、ドラマ性が出て来たのである。
紫式部の手ではないことは、確かである。

物語作りが、進化してきたのである。




誰とは覚えず。いと若かりし程を見しに、太り黒みてやつれたれば、多くの年隔てたる目には、ふとしも見分かぬなりけり。豊後「三条、ここに召す」と、呼び寄する女を見れば、また見し人なり。故御方に、下人なれど、久しく仕うまつりなれて、かの隠れ給へりし御住処まで、ありし者なりけり、と見なして、いみじく夢のやうなり。主とおぼしき人は、いとゆかしけれど、見ゆべくも構へず。思ひわびて、「この女に問はむ。兵藤太といひし人も、これにこそあらめ。姫君のおはするにや」と思ひよるに、いと心もとなくて、この中へだてなる三条を呼ばすれど、食物に心入れて、とみにも来ぬ、いとにくし、と覚ゆるもうちつけなりや。




右近は、誰だとは、思い出せない。若い頃を知っていたのに、今は、太り、色が黒くなって、みすぼらしい身なりであり、長年見ないでいた目には、すぐに見分けがつかないのである。豊後は、三条、こちらに、お呼び遊ばすと、呼び寄せる女を見ると、これも、知った顔である。亡き御方さまに、下々ながら、長く仕えていた、あの、お隠れされた御住まいまで、お供した者である。と気付いて、本当に夢のようだ。
主人と思える人は、誰か知りたくてたまらないが、見えそうにないのである。思い余って、この女に尋ねよう。兵藤太といったのも、この男に違いない。もしや、姫君がいらっしゃるのではないか、思うと、じっとしてはいられない。この仕切りのところにいる、三条を呼ばせたが、食べ物に気を取られて、すぐには、来ない。
本当に、憎らしい、と思う。とは、勝手なものです。

最後は、作者の言葉である。
兵藤太とは、豊後のむかしの名前であり、三条とは、下女のことである。

そして、いよいよ、出会いの名場面となる。




からうじて、三条「覚えずこそ侍れ。筑紫の国に、二十年ばかり経にける下衆の身を、知らせ給ふべき京人よ。人違にや侍らむ」とて寄り来たり。田舎びたるかいねりに、衣など着て、いといたう太りにけり。わが齢もいとど覚えて恥づかしけれど、右近「なほさしのぞけ。われをば見知りたりや」とて、顔さし出でたり。この女の、手を打ちて、三条「あが御許にこそおはしましけれ。あなうれしともうれし。何処より参り給ひたるぞ。上はおはしますや」と、いとおどろきおどろきしく泣く。若きものにて見なれし世を思ひ出づるに、へだて来るける年月かぞへられて、いとあはれなり。




ようやく、三条は、思いもかけぬことです。筑紫の国に、二十年ばかりも、暮らしていた、賎しい者を、見知ってくださるような、都の方がおられるなど。人違いでは、ありませんか。と言って、寄って来た。田舎びた、かいねりに、衣など着て、とても酷く太っていた。自分の年も、ひとしお思われて恥ずかしいが、右近が、よく見なさい。私を知っているか。と言い、顔を差しだした。この女は、はたと手を打ち、あなた様でしたか、ああ、嬉しい、嬉しい。どちらから、御参りなさっているのです。奥様は、おいで遊ばすのですか。と、大声を上げて泣く。若い姿を見慣れていた頃の事を思い出すと、過ぎ去った過去の年月の数も思われて、胸が熱くなる。

年月かぞへられて、いとあはれなり
年月を思うと、感無量である。

いと あはれ
とても、大変に、あはれ、なのである。

この、あはれ、で、すべてを語る。

かいねり、とは、練って柔らかくした絹である。





右近「先づおとどはおはすや。若君はいかがなり給ひにし。あてきと聞えしは」とて、君の御事は言ひ出でず。三条「皆おはします。姫君も大人になりておはします。先づおとどにかくなむと聞えむ」とて入りぬ。皆驚きて、「夢の心地もするかな。いとつらく、言はぬ方なく思ひ聞ゆる人に、対面しぬべきことよ」とて、この隔てにより来たり。気遠く隔てつる屏風だつもの、名残なくおしあけて、先づ、言ひやるべき方なく泣きかはす。




右近は、何より、乳母さまは、いらっしゃるのか。姫君は、どうなりました。あてき、と言った方は、と言い、女君のことは、言わない。三条は、皆、おいで遊ばします。姫君も、大人になって、おいでです。何よりも、乳母さまに、これこれだと、申し上げます。と言い、奥へ入った。
皆、驚き、夢のような気持ちがする。酷いと、言いようもないと、お恨みしている人に、対面することになるとは、と言い、仕切りに寄って来た。よそよそしく、仕切っていた屏風のようなものを、すっかり押し開けて、まず、言葉も交わせず、共に泣きあうのである。

おとど
一家の主人のこと。これは、夕霧の乳母、大宰少弐の妻のこと。

名残なくおしあけて
隔てていた気配も、残さず・・・

まさか、こんな所で、右近と、乳母たちが、再会するとは・・・
物語である。



posted by 天山 at 00:07| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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