2012年05月27日

もののあわれについて561

かく逃げぬる由、自ら言ひ出で伝へば、負けじ魂にて追ひ来なむ、と思ふに、心も惑ひて、早船といひて、様異になむ構へたりければ、思ふ方の風さへ進みて、あやふきまで走りのぼりぬ。ひびきの灘もなだらかに過ぎぬ。「海賊の船にやあらむ、ちひさき船の、飛ぶやうにて来る」などいふ者あり。海賊のひたぶるならむよりも、かの恐ろしき人の追ひ来るにや、と思ふに、せむ方なし。

憂きことに 胸のみ騒ぐ 響きには ひびきの灘も さはらざりけり




こうして、逃げたことが、誰言うとなく、伝わるならば、負けん気を起こして、追って来るだろうと思うと、心うろたえ、早舟といい、特別に造ったものなので、その上、思い通りの風が吹き、不思議なほどに、走るのである。ひびきの灘も、何事もなく、過ぎた。海賊の船かもしれぬ。小さな船が、飛ぶように追って来るなどと言う者がいる。海賊の欲深さのある者よりも、あの恐ろしい、監が追ってくるのではないかと思うと、どうしてよいのか、解らない。

この憂き事で、胸が騒ぐ動悸には、ひびきの灘の響きほど、応えることもしない。

ひびきの灘、とは、播磨、兵庫県である。




川尻といふ所近づきぬ、といふにぞ少し生き出づる心地する。例の船子ども「唐泊より川尻おすほどは」と、謡ふ声のなさけなさも、あはれに聞ゆ。豊後の介、あはれになつかしう謡ひすさみて、豊後「いとかなしき妻子も忘れぬ」とて、思へば、「げにぞみなうち棄ててける。いかがなりぬらむ。はかばかしく身の助けと思ふ郎等どもは、皆率て来にけり。われを悪しと思ひて追ひまどはして、いかがしならむ」と思ふに、「心幼くも、顧みせで出でにけるかな」と、すこし心のどまりてぞ、あさましき事を思ひ続くるに、心弱くうち泣かれぬ。「胡の地の妻児をば空しくすててつ」と誦するを、兵部の君聞きて、「げにあやしのわざや、年頃従ひ来つる人の心にも、にはかにたがひて、逃げ出でにしを、いかに思ふらむ」と様々思ひ続けらる。




川尻というところに、近づいたという、声を聞いて、少し生き返った気持ちがする。あの、船子どもの、唐泊また川尻と漕ぐうちは、という謡う声の、荒々しいのも、しんみりと、聞える。豊後の介も、感動して心に沁みる歌いようで、本当に、愛しい妻子も忘れた。歌い、考えてみると、よくも、皆を捨てて来たものだ。どうしているだろう。しっかりして、頼りになる、郎等どもは、皆、自分が連れて来た。監は、私を憎らしく思い、妻子を追い回して、どんな目に遭わせることだろう、と、思うと、年甲斐もなく、妻子を捨てて、飛び足したものだと、少し落ち着いた頃になり、分別の無いことだったと、次々と思われ、いくじなくも、つい泣いてしまう。
胡の地の妻児をば空しく捨てすてつ、と、詠ずるのを、兵部の君が耳にして、本当に変なことをしたものだ。長年従ってきた夫の気持ちにも、急に背いて、逃げ出したのを、どう思っているのか、と、あれこれ、次々に、心に浮かんでくる。

川尻、とは、淀川が生みに流れ出る場所。

胡の妻児をば空しく捨てすてつ
白氏文集より。




かへる方とても、その所と行き着くべき古里もなし、知れる人と言ひ寄るべき頼もしき人も覚えず。ただ一所の御為により、ここらの年月住みなれつる世界を離れて、浮かべる波風に漂ひて、思ひめぐらす方なし。この人をも、いかにし奉らむとするぞ、とあきれて覚ゆれど、いかがはせむとて、いそぎ入りぬ。




帰る先といっても、どこそこに、落ち着くことの出来る家もない。知り合いとして、頼りになる人も、浮かばない。ただ、この方お一人のために、長年住み慣れた土地を離れて、長い波路を風に任せて、越えてきた。思案のしようもない。このお方をも、どのようにして差し上げようとするのか、と、途方に暮れる。今更、どうしようかと思って、急ぎ、都に入った。

古里もなし
住む家も無い。




九条に、昔知れりける人の残りたりけるを、とぶらひ出でて、その宿りをしめおきて、都のうちといへど、はかばかしき人の住みたるわたりにもあらず、あやしき市女商人の中にて、いぶせく世の中を思ひつつ、秋にもなりゆくままに、来し方行く先悲しき事多かり。豊後の介といふ頼もし人も、ただ水鳥の陸に惑へる心地して、つれづれに、ならはぬ有様のたづなきを思ふに、帰らむにもはしたなく、心幼く出で立ちにけるを思ふに、従ひ来たりし者どもも、類にふれて逃げ去り、本の国に帰り散りぬ。




九条通りに、昔知り合いだった人が残っていたのを、捜し出して、一同の宿と決めたが、都の中とは、いいながら、相当の身分の人の住んでいる所ではなく、卑しい物売りの女や、商人の中にいて、うっとうしく、世間を思いつつ、秋になるにつれて、これまでのこと、これからのことと、何かと、悲しくなるのである。
豊後の介という、頼りにする男も、全く、水鳥が陸に上がって、戸惑うような気がして、何もすることのないままに、慣れない生活の難しさを思うと、帰ろうにも、具合が悪くて、年甲斐もなく、飛び出してきたことが、悔やまれるばかりである。付いて来た、従者たちも、縁故を求めて、逃げ去り、元の国、筑紫にぽつりぽつりと、帰ってしまった。

これは、乳母の長男の思いであろう。
乳母は、大弐の妻である。

何とも、心もとない心境である。
だが、物語は、これから急展開を見せる。

八幡参詣、長谷参詣と、続き、そして、右近と出会うのである。
そして、右近によって、源氏へと報告される。

この展開は、物語らしくなってくる。




posted by 天山 at 00:05| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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