2012年05月24日

性について201

性同一性障害という言葉は、精神疾患を病理現象として、捉えたものになりやすい。
故に、精神病の範囲として、捉える専門家もいる。

確かに、一時期、少し古い時代は、そのように捉えたのだが、精神障害というより、何か、もっと、違うものであるような、気がする。

精神科の専門ではなく、もっと広い意味での、人格障害のようであり、また、それは、異常と判断するのも、適当ではない。

時代性と、時代精神ということで、考えると、当然なこと、と、思われる。

更に、社会現象としては、トランスジェンダーの方が、受け入れやすいのである。

社会学からは、トランスジェンダーで、充分である。

トランスジェンダーとは、アメリカで、その先行事例が多い。
これは、性別二元性と、異性愛主義に対する、脱構築的な立場を基本とすることが、前提となる。

日本では、まず、見世物としての女装から、話がはじまった、経緯がある。
女装と、ニューハーフである。
更に、そのニューハーフが、性転換をしたという、話題になった。

それは、あくまで、マスコミの中だけで行われる行為のように、イメージが出来たが、違う。

1990年代、埼玉医科大学が、性同一性障害の治療を発表してから、社会的に、少し前向きに考えられるようになった。

そして、それが、急激に、音を立てて、性転換をするという、事例が多くなった。

トランスジェンダー・・・
自分の生まれつきの性に、不全感を感じて、生活も、真っ当に出来なくなるという、ジレンマが、更に、病的になり、生きるに、不自然な感覚を持つようになる。

また、性転換といっても、百人百様の形がある。

男が女になるのは、男の体が嫌だから・・・ではなく、
もっと、根本的に、美しくないと、考える男子も登場した。
そこで、美しい女のような、を求める。

少し、贅沢と思えるものも、トランスジェンダーの中に入ってきたのである。

更に、女ではなく、男として、男と愛し合いたいと考える、女子も、登場した。
こうなると、頭が、こんがらかるのである。

私の知り合いにも、その友人で、男が女になり、女が男になったカップルが、結婚したという、話があり、聞いているこちらは、理解に苦しむのである。

それじゃあ、はじめから・・・
いや、そうじゃなければ、結婚できなかったのだ・・・

ここで、日本の伝統的、稚児の存在と、トランスジェンダーを混同しては、いけない。稚児は、あくまで、女の代用として、扱われたのである。
男色とも違う。

限りなく、女に近い、少年を稚児として、女の代用にする。
それと、男色は、全く違う。

これらを、一緒くたにして、考えるから、おかしくなる。

江戸時代の、男色と、陰間といわれる、少年愛、男性性行為は、女としての、代用だったと、考えることである。
ただし、代用といっても、男の方が好きという、好き嫌いの問題もある。

女が好きといっても、色々あるように、男が男を好きといっても、色々ある。
兎に角、一概に言えないということである。

特に、女装をさせて、遊ぶというのは、明らかに、女の代用となるのであり、男色とは、違うものである。

さて、トランスジェンダーである。
男から、女へとトランジションを行うケースと、女から男へと、トランジションを行うケースがある。

つまり、幼少時より、自分が女であることがそぐわない感覚、求められる女らしさとの軋轢などがある。長じても、そうしたことが周囲との摩擦を引き起こして、自尊感情の低下を招く。しかし正しい情報に触れることで、気持ちの持ち方を変えることができ、男性として生きるようになると、ようやく社会に居場所が見出せ、自分の満足がいくようになる。という流れが、おおむね全員に見られるのである。
性同一性障害の社会学 佐倉智美

勿論、男性の場合は、その逆である。

日本の社会は、無関心と、興味本位が多いので、冷静な見方が、まだ、出来ていない。

これが、タイになると、少しの差別はあるものの、緩やかである。
更には、あって、当たり前・・・

差別というのは、至る所に発生するので、それを一々、書けば、切が無い。

タイでは、普通のスーツ姿の男が、薄化粧をしている。
あれっと、思うが、傍の人たちは、普通に接している。
聞けば、カトゥーイだという。
つまり、性同一性障害であるか、同性愛者である。

だが、タイの場合は、すべてを、カトゥーイと呼ぶので、レディボーイも、カトゥイであるから、難しい。

ゲイと、別にして、聞くと解る。
ゲイも、カトゥーイと呼ばれるが、別にして、尋ねると、理解するのである。

女の同性愛者は、トンボイと呼ばれる。

だが、タイの場合は、矢張り、男たちの方が、華やかである。
それは、多分に、文化的な状況が違うということ。
幼少時から、女の子に育てられる男の子もいるという、文化である。
この子は、女の子向きと、親が思えば、そう育てられるのである。

勿論、例外もある。




posted by 天山 at 05:43| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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