2012年05月16日

霊学59

心的事象を、物理的事象を支配しているのと同じような法則に従うものとして考え始めた人びとのなかに、トマス・ホップスがいた。ニュートン誕生の年、1642年に出された「市民論」のなかで、ホップスは次のように書いている。「だれしも自分にとって善なるものを追求し、悪しきものを避けるよう強いられているが、これは、石が落下しなければならないのと変わりないくらいの必然性によるものである。」このニュートン流の比喩的表現は、物理科学によって刺激された、心理学における以後の多くの類推に先駆であった。これらの類推の一つが、連合の原理を生み出したのである。こうしてこの原理は、初めから物理学における重力に対する心的な対応者として考えられてきたように思われる。
コーエン

その他、諸々の心理学の発生がある。
心理学が初めから、心理学としてあったのではないということ。

心理学は、生まれたてのものである。
しかし、それは、それ以前の学問の多くから、ヒントを得てきたものである。

心というものを捉えるには、古代バビロニアまで、遡ることが出来る。

最たる、古いものは、天文学的心理学である。
つまり、星占い・・・
今でも、星占いは、人間分析をしている。
分析に明け暮れて、星占いは、ついに、心理学と競合するようになり、しまいに、合体して、心理占星術とまで、至った。

それほど、心理学というものは、どうにでもなるものなのである。

コーエンを続ける。

心の力学、つまりその静力学や動力学という考えは、ヘルバルトによって心理学に導入された。彼は、観念とは、完全に自由な状態と完全に制止の状態との両極の間を移動できるものであり、そして常に自由の方向に向かおうとしているものであると考えた。重力が物理的力学の基本的原理であるのとちょうど同じように、心的力学の根本原理は観念の「運動」である。同じようなもくろみを抱いて、オストヴァルトは、エネルギー論の考えを人間の幸福についての科学的研究にまで拡張しようと試みた。
コーエン

このようにして、心理学を解体してみると、より一層、心理学の位置が明確になる。

単なる、思いつきの心理学が、いかに多いかがわかるというもの。
更に、ハウツー物による、適当な心理学の著書の数々である。

占いと同じように、当るか、当らないか・・・
これでは、終わっている。
しかし、真面目にそのようなことを、大学などで、教えている学者という、教授たちは、何を教えているのだろうか。
大半は、習ったことを教えている。
哲学者と同じように、海外の学者の著作の紹介をしているのである。

何の発見も無い、無能な人たちが、心理学という、学問として、学者と思い込んで、教えている。また、習う学生も、知った風な気分になって、おしまい。

何せ、・・・心理学の多いこと。
誰がどのように名付けているのか、兎に角、心理学の前に題名をつける。
題目のように、それを繰り返しているのである。

一々上げる必要もないほど。

心理学という学問には、ベースがあるということだ。
ベースの無い心理学というものは、皆無である。

面白いのは、宗教心理学・・・
笑ってしまう。
そのうちに、瞑想心理学、セックス心理学、ゲイ心理学、果ては、レディーボーイ心理学・・・
いくらでも、出る出る。

という心理学の、商売化である。
更には、それをマスターして、心理カウンセラー・・・
ちなみに、私も、家庭生活総合カウンセラーという、肩書きを持つ。
一体、何・・・

カウンセラーと、クライアントとは、心理カウンセラーとしての、言葉だったが、今では、何でも、カウンセラー、つまり、相談員である。
クライアントとは、相談者である。

これほど、世俗に侵された学問も珍しい。
科学的という、言葉で人を惑わせるモノ多数。そして、心理学では、云々・・・

学者たちは、笑うだろうが、身から出た錆びという。
そして、皆々、それに影響されて、分析の嵐である。
分析をよくする者、分析に溺れるのである。

「心的化学」の考えは、J・S・ミルを魅了し、彼はこれをもってその父J・ミルの好んだ心的力学に代えた。観念は化学に似た仕方で結合する、と彼は考えた。このようにして、観念は、水素が酸素と結合して水になるように、なにか新しいものを生み出す。プリズムの分光色が、すばやく連続して見せられると、一つ一つの光線が白ではなくても白色を「生じさせる」のと全く同じように、単一の諸概念が混ざり合うことによって、より複雑な観念を生み出すのである。
心的化学は、中世紀以後の錬金術者の治金術的心理学を思い起こさせる。錬金術者にとって、金属とその諸性質は、象徴的な霊的意味をもっていたのであった。こうして、ジョン・ボーディジは、その「ソフィア」のなかで次ぎのように述べる。

「したがって、また、わたしがあらゆる毒害と俗悪さを根本から完全に浄化するべく・・・
わたしの空虚なつまらぬ欲望と、この世の享楽の毒害が、その火によって燃え尽きてしまい、わたしの鉄や錫や不純物のすべてがこの炉の中で完全に溶かされてしまうまで、自分の意志を、潔めの火であるその「賢者の」溶鉱炉に全くまかせきった。こうしてわたしに純金としての精神が現れ、わたしのうちに新しい天と新しい地とが創造され、形づくられるのを知ることができたのである」

それが、先に書いた、古代バビロニアの天文学的心理学に通じるのである。

心的生活についての「地質学的」類推は、児童発達に関する成層化理論に例示される。この説は、心は、養分摂取過程、感覚過程、運動過程に対応する低い層と、記憶や推理のような機能に応ずるより高い層とから構成されており、子供が成長するにつれて形づくられてゆく連続的な層をなしていると考える。
コーエン

それは、また、フロイトにも、用いられた。

更に、パーソナリティーが、地質学的層に比較しうるような層の構成されたものとして述べられている。

あらゆる手法を取り込んで、心理学というものが、成り立ってきた。
そして、臨床として、用いられて、その面目が立ったのである。

勿論、最初は実に、単純なものだった。
例えば、心理カウンセラーの原理は、共感と受容である。

そんなことは、言われるまでもないことであるが、学問である心理学が言うのだからと・・・
その言葉を崇めた。

相談員が、相談者と、共感せず、話しを受容しないで、どうする・・・
理解せず、受け付けなければ、何も始まらない。




posted by 天山 at 00:15| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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