2012年05月12日

神仏は妄想である。367

スピノザは、聖書の解釈をして、自然を観察しない、彼ら、神学者にまつわる者たちに、徹底的に、反論している。

これは、西洋の哲学の常識である。
批判と、反論から成る、言葉の世界である。
だから、日本は、明治期に、それを徹底して、学んだ。

それは、良いことだった。
しかし、それに捉われるようになり、堕落した。
日本の精神が、堕落したのである。

つまり、日本には、思想が無い・・・
言挙げしない、文化だとは、知らないのである。

そして、言葉にしない、文化というものの、偉大さを忘れた。

かくて彼らは聖書の中に深遠な秘義が隠されていると夢想し、他の有益なことどもはさて措いてこうした不条理なものを探求することに精魂をつくす。そして彼らはその妄りに虚構するところをしげく聖霊に帰し、これをあらゆる暴力・あらゆる情熱をもって擁護しようと努力する。
何故なら人間というものは、純粋知性によって考えることはもっぱら知性と理性によってのみ擁護し、これに反して情熱によって信ずることは情熱によって擁護するように出来たものだからである。
スピノザ

これは、宗教全般に言えることである。
情熱だけで、信じる人たちは、情熱だけで、妄想に浸り、他者を、その情熱で引きずり込むのである。

全く、宗教には、知性と理性の欠けらもないという、妄想に駆られるのである。

こうした混迷から逃れ、神学的諸偏見から我々の精神を解放し、人間の妄想に過ぎないものを神の教えと軽信することのないようにするために、我々は聖書を解釈する真の方法について論じ、これを充分説明しなければならぬ。
スピノザ

要約して言えば、聖書を解釈する方法は自然を解釈する方法と異ならないのであり、むしろ完全にそれと合致するのである。
スピノザ

これは、当時としては、画期的な提言である。

聖書がまずあり、それから、自然ではないのである。
自然の解釈が、聖書の解釈と同じであるという。

聖書と自然とを、同じ位相に置くのである。

つまり、聖書の神とは、自然と同じく解釈するということである。
これは、どういうことか。
それ以前の、神学的考察を完全否定することである。

自然が神に造られたのであるなら、当然、自然を観察して、そこに、神の存在を見るということ。
ここに至ると、神道に似る。

神道は、自然が神と、明確にしているのである。

スピノザは、それに進んで、聖書の神というものに対する、理解という。
一神教の考え方は、捨てていないのである。

何故なら自然を解釈する方法がもっぱら自然の歴史を総括し、確実なる所以としてのその歴史から諸処の自然物に関する定義を結論するにあるように、丁度そのように、聖書を解釈するには先づ聖書の真正な歴史をまとめあげ、確実な所以ないし原理としてのその歴史から聖書の著者たちの精神を正しき帰結によって結論するということが必要であるからである。
スピノザ

聖書の会社は、歴史的教養を持って当るべき。
それは、自然を解釈するのと、同じである。

当たり前のことなのだが、当時としては、画期的な提案だった。

まず、聖書ありきではない。
その勝手な解釈ではない。
自然を観察するように、聖書の歴史的背景を鑑みて、解釈すべきであるというのである。

現代で、行われる聖書解釈である。

それが、唯一の道であると、スピノザが言う。

極めて、合理的な聖書解釈の道を示したのである。

スピノザは、それから唯一の神としてある、聖書の神について、云々となる。
この、唯一の神という、観念から、抜けられなかったのが、西洋思想の源流である。

西洋思想は、この唯一との、対決であった。
日本には、それが無い・・・
だから、日本の思想は、云々という人たちがいるが、全く違う。
その源流が違うのである。
その違いを見ずして、西洋思想と、日本の伝統を比較検討すること自体が、誤りである。

それも、スピノザが言うように、である。

その歴史的背景が違うのである。
ようやく、それに気付きはじめた人々がいる。

源流と立場が違えば、相違という、哲学的考察が出来る。
それが、本当の哲学のはじめである。

更に、言葉の、観念自体も違うのである。
あちらの言葉の観念で、こちらの言葉を解釈することは、出来ないのである。

だから、翻訳という、作業は、その相違との戦いである。
翻訳すること自体に、哲学的行為がある。

だが、世界の書物の大半が、日本語に翻訳されている事実は、何を語るのか。
それは、日本語にて、語ることが出来るということである。

それほど、日本語には言葉の観念と、定義が西洋思想を取り入れることによって、豊になったといえる。



posted by 天山 at 01:09| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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