2012年04月15日

まだ悲しいプノンペン2

カンボジアに、ポル・ポトの支配が終焉したのが、1979年とすると、今年は、それから、33年の月日が流れたことになる。

当時、生き残った者が、現在の年齢から、33年を引き算するとよく解る。

33歳の人は、その年に生まれた。
43歳の人は、その年に、10歳だった。
53歳の人は、その年に、20歳だった。
それ以上の人たち・・・

私が地元の人たちの行く食堂で、大声で話す人たちの、大半は中華系の人たちで、その騒動の後に、カンボジアに入り、商売をした人たちである。

それ以外の、つまり、カンボジア人の、多くの人たち、特に高齢者は、寡黙であり、多くは口を開かない。
静かに、食事をし、静かに、お茶を飲んで、ただ、じっと一点を見つめる様子である。
ニコリともしない。

そして、街中での、活動の中心年齢は、40代である。

高齢者の物乞いも多い。

貧しい国、最貧国の一つであるから、高齢者保護など無い。

そして、最も、私が心を痛めて見るのは、感じるのは、生きていることが、辛い、切ないという、彼らの心情である。

生きているということは、何らかの、人道的、罪なるものを犯したと、感じるほどに、ポル・ポトの支配は、徹底していた。
それは、前回の旅日記を読んで欲しい。

裏切り、密告・・・
親兄弟、親類、友人、知人と誰も信じられない状態になったのである。

更に、少年兵、少女兵として、多くの人を、殺した人たち。
今、生き延びて、何を思うか・・・
悪夢である。

お前は、何人、人を殺したのか・・・
もし、そう問い掛けたら、人々は、そっと逃げ出すだろう。

子供と、若者以外は、無口になる。
当然である。
もう、話す言葉が無いのである。

ある昼間、大きな食堂に出掛けてみた。
勿論、観光客など来ない、食堂である。
結構、満席だったが、高齢の店主であろうか、私に、一つのテーブルを示した。

そこに座ると、斜め前に、一人の高齢のおじいさんが座る。
すでに注文したものを、食べていた。

私の英語は、通じない。
ライススープといっても、駄目。

しかたなく、斜め前のおじいさんの食べている、麺類と同じものと、示した。
そして、そのおじいさんが食べていた、揚げパンを求めた。

だが、丸い揚げパンを持って来た。
私は、おじいさんの揚げパンが欲しいと言うと、おじいさんが、店員に何か言う。
私に、上げなさいとでも言うのか。

店員は、その一つを私の皿に乗せた。
すると、別の店員も、同じものを持ってきて、二つになった。
二つで、一組のようである。

おじいさんは、何も話さない。
黙って食べて、コーヒーを注文し、それも、さっさと飲んで、支払いし、立ち上がった。そして、私の横を通る時、おいしいかい、と、英語で尋ねたような気がした。
その声は、あまりに小さくて、聞き取りにくかった。

それ程、用心深いのである。
高齢の人に、話しかけられたのは、それが最初で最後だった。

後は、夜に屋台連合のように所に行き、おばさんたちから、話しかけられたのみである。

控え目に、外国人の私に、気を使うのが、感じられた程度。
紙や、楊枝などを、そっと、私の横に置いてくれる。

何も言わない。

プノンペンには、カンボジア最大の、ツールスレン刑務所があり、現在は、ジェノサイド博物館として、残っている。

そこには、あらゆる拷問の器具が残され、更に、外には、そこに吊るして拷問したという、鉄棒まである。

殺す前に、拷問を続けるという、狂気である。
そして、殺さぬ程度の烈しい拷問をして、最後の最後に、息の根を止めるという。

人間が、ここまで、残酷になれるのかという、見本である。
勿論、中国の、文化大革命の際も、そのようだった。

その博物館は、私の泊まる、ゲストハウスから、徒歩で、15分位のところにある。

さて、私がホテルの顔馴染みのボーイに、トゥクトゥクを御願いしていた。
その夜、偶然に、トゥクトゥクのおじさん、ラ・モンさんに会う。
あああーーー
前回、ウンドという虐殺の場所に慰霊し、その帰りに、農民に支援した時に、貧しい人たちの部落を教えてくれた人である。

その、ラ・モンさんも、色々な名所を見ないかと、私を誘ったが、ツールスレン刑務所、博物館へ行こうとは、言わなかった。

ラ・モンさんは、毎日、トゥクトゥクを運転するせいか、顔が真っ黒に日焼けして、更に、日差しから体を守るために、厚手のセーターを着ていた。

奥さんが亡くなり、男手一つで、男三人と、女三人の子供を育てている。

その、ラ・モンさんと、親しくなったが、過去の話しは、決して、聞く事が出来なかった。

彼が、自分で話すまで、こちらからは、聞けないのである。

しかし、過去のことは、話さないだろう。
誰もが、心に負い目を持つことだから・・・

年齢から察すると、少年兵だったという、可能性もある。

ポル・ポト政権、クメール・ルージュは、少年少女たちを、洗脳して、手先として使った。
とても、残酷なことを、平気で出来る人間に育て上げたのである。




posted by 天山 at 00:00| まだ悲しいプノンペン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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