2012年03月15日

もののあわれについて。554

八月にぞ、六条の院造りはてて渡り給ふ。未申の町は、中宮の御ふる宮なれば、やがておはしますべし。辰巳は、殿のおはすべき町なり。丑寅は、東の院に住み給ふ対の御方、戌亥の町は、明石の御方と思しおきてさせ給へり。もとありける池山をも、便なき所なるをば崩しかへて、水のおもむき、山のおきてをあらためて、さまざまに、御方々の御願ひの心ばへを造らせ給へり。




八月に、六条の院を造り、お引き移られる。
西南の町は、中宮の元の邸で、そのまま、そちらにお住まい遊ばす。東南は、殿のお住まいになるはずの町である。東北は、東の院にお住まいの、対の御方、西北の町は、明石の御方と、決められた。前からあった、池や山でも、相応しくないものは、崩して造りかえ、池のおもしろさ、山の姿を新しくして、一つ一つ、お住まいになる、婦人たちの、希望通りの、趣向で、造られたのである。




南の東は山高く、春の花の木、数をつくして植え、池の様面白くすぐれて、お前近き前裁、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩つつじなどやうの、春のもてあそびをわざとは植えて、秋の前裁をばむらむらほのかにまぜたり。中宮の御町をば、もとの山に、紅葉の色こかるべき植え木どもを植えて、泉遠くすまし、やり水の音まさるべき巌たて加へ、滝おとして、秋の野を遥かに作りたる。その頃にあひて、盛り咲き乱れたり。嵯峨の大井のわたりの野山、むとくに気おされたる秋なり。




東南は山が高く築いてあり、春に花咲く木を無数に植えた。池の様も、面白く優れて、お庭のさきの植え込みには、五葉の松、紅梅、桜、山吹、岩つつじなど、春の木草を、特に選んで植えて、秋の植え込みを、ひとつずつ少しほど、混ぜて植える。
中宮の御町には、もとからある山に、紅葉の色が濃い木々を植えて、澄んだ泉の水を遠くに流し、遣り水の音が、一層響くように、岩を増やし、滝を造り、水を落とし、見渡す限り、秋の野にしてある。




北の東は、涼しげなる泉ありて、夏の陰によれり。前近き前裁、呉竹、下風涼しかるべく、木高き森のやうなる木ども木深く面白く、山里めきて、卯の花の垣根ことさらにしわたして、昔おぼゆる花たちばな、なでしこ、薔薇、木丹などの、花くさぐさを植えて、春秋の木草、その中にうちまぜたり。




北の東側は、見るからに涼しそうな泉があり、夏の日を考えてある。庭先の植え込みは、呉竹の下を吹く風が、涼しく感じられるようにしてあり、高くそびえる植木が、森のように茂り、木深くして、面白く、山里のようで、卯の花の垣根を、更に周囲にめぐらして、昔が偲ばれる花橘、なでしこ、りんどう、など、色々な花を植えて、春の木、秋の草を、少し混ぜてある。




東面は、分けて馬場の殿つくり、埒結ひて、五月の御遊び所にて、水のほとりに菖蒲植え茂らせて、向かひに御やまして、世になき上馬どもを整え立てさせ給へり。西の町は、北面築き分けて、み蔵町なり。へだての垣に松の木しげく、雪をもてあそばむたよりによせたり。冬のはじめ、朝霜むすぶべき菊のまがき、われは顔なるははそ、をさをさ名も知らぬ深山木どもの、木深きなどを移し植えたり。




その東側は、一部を、馬場殿を造り、垣根を設けて、五月の端午の遊び場にし、池の岸に、菖蒲を植えて、向かい側に、馬屋を造り、またとない、最高の馬を、何頭も用意したのである。
北の西側の町は、北側を築地で仕切り、蔵が立ち並ぶ。その隔ての垣として、松の木が茂り、雪を見るために都合よくしてある。冬のはじめに、朝霜が結ぶようにと、菊の垣根があり、得意げに、紅葉にしている、ははそ、その原は、それから名の知らぬ奥山の、木々の、木深く茂っているものを、持ってきて、植えてある。




彼岸の頃ほひ渡り給ふ。一度にと定めさせ給ひしかど、さわがしきやうなりとて、中宮は少し延べさせ給ふ。例のおいらかに気色ばまぬ花散里ぞ、その夜添ひて移ろひ給ふ。
春の御しつらひは、この頃にはあらねど、いと心ことなり。御車十五、御前四位五位がちにて、六位殿上人などは、さるべき限りを選らせ給へり。こちたきほどにあらず。「世の謗りもや」と省き給へれば、何事もおどろおどろしう厳しき事はなし。




彼岸の頃に、引き移りになる。
一度にという、達しであるが、仰々しくはないかとあり、中宮は、少し延ばされる。いつもの通り、おとなしく、気取らない花散里が、その晩に、一緒に引き移るのである。
春向きの庭は、今の季節に合わないが、まことに見事である。女車が十五出て、前駆は、ほとんどが、四位、五位であり、六位の殿上人などは、特別に親しい者だけを、選ばれて、大袈裟というほどの、人数ではない。世間から、悪く言われることのないようにと、何につけても、大げさに威勢をはるというものではない。





いま一方の御気色も、をさをさ落し給はで、侍従の君添ひて、そなたはもてかしづき給へば、「げにかうあるべき事なりけり」と見えたり。
女房の曹司町ども、あてあてのこまげぞ、大方の事よりもめでたかりける。
五六日過ぎて、中宮まかでさせ給ふ。この御儀式はた、さは言へど、いと所狭し。御幸のすぐれ給へりけるをばさるものにて、御有様の心にくく重りかにおはしませば、世に重く思はれ給へる事すぐれてなむおはしましける。




もう一方の仕度も、大して劣らないようにして、侍従、夕霧の君が付き添い、そちらを、お世話されるので、このようにもあると、結構に思われた。女房たちの建物が、あちこちにあり、一々細かく割り当てているのが、他の何かのことより、素晴らしいことだった。
五、六日たち、中宮が、里下がりあそばす。この御儀式も、簡略にとの、殿の仰せであったが、誠に大変なことだった。御運のよろしいこと、申すまでもないこと。お人柄が奥ゆかしく、重々しくて、世間から重く扱われていることは、大変なことで遊ばす。

おはしませば
最高敬語である。

源氏が主語であり、作者の思いが、入り混じるという、とても、へんてこな文である。
それが、源氏物語なのである。

全文が、敬語で書かれているので、実に参考になる。
女房の視点だけは、変わらない。ゆえに、すべて、身分の高い人を扱うので、敬語になっている。




posted by 天山 at 02:56| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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