2012年02月24日

天皇陛下について。103

2月11日は、建国記念日である。
それは、恐れ多くも賢くもある。

神武天皇が即位した日である。

その、神武天皇・・・
戦後の、迎合学者たちが、神武天皇は、実在しないと、平然として、言ってのけた。
そして、それが、一定期間、事実だと、信じ込ませた。

全くのウソである。

アカデミズムの、古代史学界・・・
本当に、学者かと、思わせるような、振る舞いであった。

アメリカ占領軍に、おべんちゃらを使い、出世を目論んだのである。

まず、厳密な史料批判に基づき、実証史学の碩学、坂本太郎博士は、
神武天皇以前の九代の天皇は、実在の人物ではないと、かなり多くの学者によって、説かれているが、それは一つの憶測に過ぎず、なんら実証されていない。
と、言う。

実証されいないものを、何故、説くのか・・・
その、歴史学者の面々は、誰に遠慮して、また、何の策略があって、そんなことを、説くのか。
それが、歓迎される、世の中だったからである。
学者は、特に、歴史分野は、そのようである。
世の中の、波に飲まれる。

日本法制史の大家、龍川二郎博士も、
神武天皇記の大筋の事実は、終にこれを否定することができない。
と、言う。

そして、更に、近年の古代史学界の流れも、記紀の記述を裏付ける考古学的発見により、大きく変化している。

記紀の記載を検証した、角林文雄氏は、
日本資料は不思議なほど中国資料とうまく合っている、と言う。
更に、
記紀は、神武天皇を東南アジアに出自を持つ熊襲族の人として描いた。そんなことは後の皇室、貴族にとってなにか素晴らしいこと、誇るべきこととはとうてい考えられない。しかるにそのことを明確に、紛れもなく記述しているのだからそれが真実と考えるのが常識ではなかろうか。
と、言う。

そして、神武天皇が、即位した、橿原の地から、出土した、柱の年代測定を、アメリカ、ミシガン大学にて、行った。
その結果は、2000年前のものであることが、解明された。

今年は、建国から、2672年の今年、西暦2012年、平成24年。

学問が、何かの作為によって、その説が作られるという、学問の堕落と、それを為す、学者たちの、堕落は、度し難いものである。

日本民族は、騎馬民族云々という、説が、私の子供の頃に、言われていた。
今でも、私の年代は、それを正す事が出来ないで、日本人は、騎馬民族から出たと、信じている者が多い。

それは、全くの、根拠のないことと、なったが、一度信じた者は、それを正すのに、時間がかかり、更に、信じると、騙されたままで、死ぬ。

だから、今でも、時を懸けるような、学者の言い分は、信じないようになった。
十年を経ても、さらに、二十年を経ても、間違いないものとならなければ、信じられないのだ。

神武天皇は、アマテラス大神が、使わした、ニニギのミコトの子孫であるという、美しい神話から、出た、実在の人物である。

実在したのであり、それ以外の、何者でもない。

敗戦後、兎に角、日本を否定するという、歪な精神が流行りものになり、多くの人たちが、堕落した。
要するに、時代の流れに乗っただけである。
自分の信念など無い。

橿原の宮にて、即位の儀式を行った時に、神武天皇は、地場の部族たちの、神々を、すべて皇居、宮にお祭りして、それらを前に、富士山にある、阿蘇大神宮の、使者たちの三種の神器の前で、正式に即位したのである。

ここで、他の世界史には、無い、光景が見える。
あの、野蛮な土地では、部族を皆殺しにし、その神々を無きものにする。
すべて、破壊するのである。

しかし、神武天皇の、行為は、それではない。
元の神々をお祭りしたのである。
それは、奉りである。

見事な平和感覚である。
そこからも、和という精神が見られる。

わア、とは、大和言葉では、開く、拓く、披く、啓く、となる。

当時は、天皇も、大君も、それに相応しい、現代的な名称は、無い。
しかし、おほまつりことかしら、という言葉は、あった。

大政頭、である。

地場の、部族の長を、まつりことかしら、と、呼んだ。
祭りは、奉りであり、祭祀である。

古代は、祭祀から、はじまった。
祭祀を司る者、すなわち、カシラなのである。

大和言葉で、カシラは、トップである。
そこに、大、おほ、という、名称が現れた。
それが、大君となり、そして、天皇という、漢字が使われることになる。
隋の煬帝に対して、つまり、皇帝に対して、同じく、独立を宣言する、天皇である。
決して、皇帝により、任命された、王ではない。

卑弥呼は、大王の称号を得たが、推古天皇の際に、大王から、天皇への移行が、見られる。

勿論、記紀の記述は、後のことである。
その際に、天皇という言葉が使われた・・・
それは、好きな人が、詮索するといい。

大和言葉では、スメラミコトなのである。
漢語ではなかった。

統べる御言
言葉を述べる者。
勅令を発する者。

部族、豪族の、対立を治める者である。
おほいなるやわらぎのこころ
大和心を、発する者なのである。

だから、渡来した、二代目の蘇我馬子の孫、蝦夷が、蘇我王国を作る前に、単なる、豪族の支配を破壊しなければならなかった。
そして、天皇が政治のトップに立ち、日本は、それから、和を持って成すという、天皇家によって、ここまで来た。
2672年まで、来たのである。

この歴史は、世界に冠たるものである。

日本民族の智慧は、天皇の存在を作り上げたのである。
陛下は、お上であり、国民は、下、しも、である。
上下の関係のみ、日本にはある。

よこしま、邪な関係は無い。

どれほど、権力のある武家政権でも、その長が、天皇に認められない場合は、国民にも、認められない。更に、国民が認めなれば、天皇も、認めないのである。

権力と、天皇の権威の図は、そのまま、天皇と国民、権力者との、図になる。

そして、面白いのは、国民と、国土とが、国体であり、その国体の象徴が天皇になるという。
全く、珍しい考え方を有したものである。

国体は、天皇である。
と、そこまでは、いいが、それを理解出来なくなった、敗戦後は、その理解が破壊され、天皇は、国体であるという、考え方が、出来なくなった。

天皇を守るということが、国民と、国土を守るということの理解が出来なくなって、平和ボケして、この混乱に相成ったのである。




posted by 天山 at 00:32| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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