2012年02月20日

霊学52

アイデンティティをまっとうすることが、人間の社会化された自己愛のみたし方になっていた時代は、男性アイデンティティとか女性アイデンティティとかよばれるような役割行動様式、自己像にふさわしい自分を全うすることが期待されていました。
小此木

そして、
つまり男性として(女性として)の自分はかくあるべきだという自我理想があったのです。日本人、ユダヤ人、黒人それぞれについて、同じように民族同一性(民族アイデンティティ)という言葉が用いられました。
小此木

と、続く。
この、アイデンティティについて、少し見ると、自己認識、自分が自分を知るという意味がある。
そして、自己認識とは、自分ひとりでは出来ないものという、考え方が包含されている。

他社に対して、自分は、何々である、という、形で、存在していることを、知ることにより、可能になる、自己認識である。

宗教で言う、神との対話とか、禅による、自己認識ではない。
それは、一人で、自己内省してのものである。

発達心理学で言うところの、父母の目に映る、自分を通し、自分を知る、認識するもの。

更に、その自己認識は、価値規範が伴うものである。
それが、アイデンティティという、大まかな概念になる。

この、自己認識体験は、一歳六ヶ月くらいで、確立するとされる。

それから、自己アイデンティティの生成発展が行われる。

たとえば男か女かということも、自分で選んだわけではなく、たまたまそう生まれてきてしまったわけです。あるいは日本人に生まれたということも、それを、自分の自己価値にして、自己愛をみたすものにするかどうかは、アイデンティティ論の重要な問題なのです。
小此木

ここでは、それにより、性同一性障害などの、特別な例を省く。それは、後に書くことにする。

その社会環境において、自分にとって、不利益であり、パーソナルな自己愛を脅かすものであっても、それが自分である、それ以外に、なりようがない、という、自我の自己選択の決意が、期待されていたのである。

そのような、自己の態度こそ、自己愛を傷つけるものであっても、アイデンティティ感覚を満たす上で、必要なものだった。

だが、そうすることが、出来ないときに、人は神経症的になる。

そういう意味で、幸せな状態は、生まれつき与えられたことが、自己愛と一致する場合なのだ。

ヒトラーにより、ユダヤ人虐殺の当時、ユダヤ人たちは、そうとうに、煩悶したことだろう。そして、黒人である。
徹底した、人種差別の環境にあっては、苦悩以上のものがある。

ただ、小此木氏は、
歴史的、民族的に自分に与えられたものと、自己愛が一致することが、人間にとって幸せなことであるのはいうまでもありません。
そして、
しかしそこで問題なのは、眼の前の周囲の評価にただ一致することで自分の自己愛をみたすことがすなわちアイデンティティとはいえないということです。
と、言う。

現代の自己愛人間は次第にこうしたアイデンティティ感覚を失い、男も女と同じというイリュージョン、あるいは、ユダヤ人、黒人もみな平等という平等幻想の中で自己愛をみたすようになりました。
小此木

これは、恐るべきことである。

30年以上前に書かれた、この本では、そのように分析したが、それで、現在では、どうか。
更に、それが、甚だしくなっているということだ。

当時の、精神医学の新しい認識に、トランス・セクショナリズム、性転換症、という言葉が生まれた。
症であるから、病気である。
しかし、今は、逆の考え方が、現代の思潮になっている。

小此木氏は、
現代人のアイデンティティの喪失の一つの現れです。
と、言うのである。

それは、古い考え方になっている。
コマーシャル・・・
日本に限らず、東南アジア、その他の国で、白人が登場するものが多い。
CMの半分くらいは、白人、ハーフ、黒人イメージで占められる状態。

つまり現代の自己愛人間は自分に与えられた自然の生まれを運命として受け入れ、それを美化したり理想化したりしてアイデンティティに高めるよりも、もしそれがパーソナルな自己愛を傷つけるものであれば、たちまち幻想の中で、自己イメージをつくりかえることで、手近な自己愛の満足に浸るのです。
小此木

相変わらず心の深層にもっている欧米人に対する人種的劣等感を、彼らと同じであるかのような幻想や、もう自分たちの方が経済的に優位だという幻想によって解決してしまうのもその一つです。
小此木

幻想が、許される、時代。
それは、時代性と言うのか。

日本が、経済的に豊かになり、第一次産業に従事する人が少なく、人間が、自然の中で、生きるという、意識と価値を忘れた・・・

鳥や、ブタを殺して、食べるという、原始的ともいえる、実は、貴重な体験をせずに、生きられるようになった。
これは、幸せなのか。

イリュージョン、錯覚と、幻想によって、生き続けることが、本当の幸せというものを、手に入れられるのか、と、考える。

更に、小此木氏は、現実原則感覚が失われた時代、というのである。

次ぎに、続ける。



posted by 天山 at 00:15| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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