2012年02月19日

霊学51

次に、小此木氏は、
日本的な自己愛は、お互いが自他未分化なまま自己―対象になり合って暮らしていることを意味していますが、この認識は日本社会が母性社会であるという考えにも対応するとらえ方です。
と言う。

そもそも母親は子どもを自分の延長とみなしてしまうし、自分の子どもであるというだけで、理想化してみています。ところが母親が子どもをかわいがるのは自己愛の最たるもので、自分と分化しないものとして子供をかわいがるわけです。子どもにとって母親が自己―対象であると同時に、母親にとっての子どもも自己―対象なのです。しかも女性の自己愛は、現代ではもっとも尊重されるものの一つです。性的な自由だけではなく、母親の子どもに対する母性本能も全面的に美化されている。
小此木

一般の読者を対象にしているせいか、実に、回りくどい説明が続く。

結果は、母と子の世界は、社会以前の感覚的自己愛的な世界である。
そこに、父親が入り、三者関係が成立するとき、初めて自己愛的な世界ではない、第三者が入り、理性的な世界が成立する。

だが、現代は、その第三者としての、父親の存在が希薄である。
よって、子どもは、母と子の、自己―対象の結びつきから、離脱しないまま、思春期まで、成長してしまうことが、起こる。

そして、
自己愛的な人間関係しか子どもにもてない母親に育てられると、子どももそういう自己愛的な関係しか身に付かないわけです。自己愛的な人間関係様式が母親から子どもへと再生産されることになるわけです。するとそこでは母と子の関係の水準で誇大自己がつくりあげられてしまって自我理想が身に付くようなエディプス・コンプレックスを克服する段階に達しないことになります。
小此木

だが、それは、本当かと問えば、人によりけりである。
それだけではなく、思春期前後に、友人、知人などによって、母親との関係を、切る、離脱することが、多々あり、その方が、多いといえる。

分析の通りに、進めば、問題ない訳である。

これでは、多くの人、近親相姦の様子になる。
こういう、一見して、冷静な分析により、逆に、まとまるものも、まとまらなくなるのである。

一理はあるが、三里も、五里もある訳ではない。

ある程度の、水準の家庭では、限定しない方が、間違いない。
これを鵜呑みにし、理解しては、事を誤る。

自我理想は、別の形でも、成長する。
父親不在でも、別の男性、例えば、年上の男子などにより、刺激されて、育つこともある。

母子家庭で、立派な子どもに育ち、15歳にして、自殺するというも悲劇は、確かにある。母の理想に応えて、努力したが、途中で、息が切れて、死ぬ。

それならば、それは、母と子の、自己愛的人間関係様式によって、死を選んでしまったということで、そこに、第三者が介入していればと、思うこともある。

母と子の関係の水準で、誇大自己が作り上げられるという人は、多くは、無い。

人の心を、暴露して、悦に入るという、心理学というものにも、罪があるのである。

そんな意識が、全然無かったが、分析により、知恵を与えられて、解ったつもりになるという、賢い馬鹿が多い。

読み物としては、面白い。
だが、以下は、どうだろうか・・・

そもそも自己愛人間は、相手を愛するからその人と付き合うのではなく、自分の自己愛をみたすために付き合うということができます。
小此木

性生活さえもお互いの性的な欲求や愛情の満足のためというよりは、相手と自分のかかわりを自分たちの自己愛をみたす道具に使うわけです。・・・・
それぞれが、TV、CMや女性雑誌のグラビアの主人公になったような思い込みの中で自分の自己愛をみたすために相手と付き合っているわけです。
小此木

それで、いい。
それくらいが、普通の人の、恋愛なのである。

何も、問題はない。

性の解放以前には、男女関係の基本は性の満足だった。ところがいまのように性の満足が自由に手軽に手に入るようになると、性の満足のために男女関係をもつのは当然であって、それだけでは男女関係がみたされないものになってきました。性の満足の上にさらに男女関係の中で価値をもつものは、お互いの自己愛をみたす関係ということになります。
小此木

矢張り、小此木氏の、分析も、古いものになってしまった。

今では、性の満足を求めることもしない、男たちが増えた。
草食系といわれる。

だが、私は、日本の男子が、性の満足を放棄したとは、思えないのである。それは、つまり、マスターベーションの中に、籠もったと見ている。
世界中で、日本の男が一番、セックスの回数が少ないという、統計が出た。
しかし、マスターベーションの回数は、一位である。

つまり、人間関係全般に渡り、希薄になったと、いえる。
それは、男女関係も然り。

疲れる、面倒だ・・・
更に、同性同士でも、満たせる・・・

ガールフレンドがいるという、男子は、飲み会の後で、彼女に、セックスを求められるのが、嫌だという。
より、病的になったのか、健全になったのか・・・
誰も、解らない。
分析不可能な、時代が、到来したのかもしれない。



posted by 天山 at 00:01| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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