2012年02月18日

霊学50

自己愛人間は一見相手に惚れ込んだり、親身になって世話をしたり、思いやりを抱いたりしているようにみえることがあります。表面温かく親密で相手本位の態度をとることもあります。本人自身も相手を本気で愛しているように思い込むこともあります。自分を親切で世話好きで、人のためにつくす人間だと思うこともあります。人のために奉仕したり、愛他精神で一杯なこともあります。
小此木

自分を美化したり、理想化し、相手も、そのことで、喜び、感謝していると、思い込む。
自己―対象に、自分と相手を形作る。そして、一体感を味わう。

しかし、自己愛人間のすべてこれらのかかわり方は、実は、相手の立場や気持ちを、本当に認識したところでかかわっているわけではない点に特徴があります。つまり自己愛的な同一視のメカニズムによって「相手と一体であるかのように」「愛しているかのように」「かわいがっているかのように」「面倒みているかのように」かかわっているのです。
小此木

相手になる人は、よほど強い人でなければ、この自己愛人間に、呑み込まれてしまうのである。

自己愛人間を、傷つけたくないと、思えば、我慢を強いられるのだ。
友人、恋愛関係でも、最初は、うまくゆくが、いずれ破綻する。

主観的には、自分が相手を世話しているが、実は、相手に依存しているということに、気づかないのである。

勿論、二人共に、錯覚の中に、安住すれば、問題無い。
割れ鍋に綴じ蓋という、ことわざがある。

ただし、破綻した場合は、うつ病になりやすいのである。
つまり、自己愛的に同一視によってしか、相手と関わることが出来ない人が、うつ病にかかりやすいのである。

一般的に自己愛的な同一視が起こるのは、相手が自分と同じ気持ちを持ったり、同じ感覚を持っていると思い込むときに一体感が起こって成立するわけです。ですからそれが濃厚なときには、熱烈に愛情が通っていい関係をもつことができるのですが、ひとたび食い違うと深刻な破綻が生じてしまいます。しばしば、この破綻―幻滅をきっかけにうつ病状態におちこんだりします。思い込みがはずれて、裏切られた、背かれた、だまされたという怒り、うらみ、くやみにさいなまれます。
小此木

ただ、日本人の場合は、常に、このような自己愛的同一視が、主役を演じる、民族であることを、自覚すべき。

日本には、契約という、考え方が育たなかった。
それは、それで、良いことだったが、その代わり、互いの思い込みによって、関係が始まるのである。

恩を返すという言葉が、日本人の心に、強く持たれるのは、それが前提にある。

いずれにせよ、日本人の場合、つねに心理的に自己愛の延長物としての愛情の対象をもっていないと寂しいという人が多いようです。
小此木

改めて、日本人の人間関係が、自己愛的同一視のメカニズムを、主役にしているという特徴を感じる。

それは、戦国時代から、準備され、江戸時代に完成する。
主君と家臣の関係・・・

自と他が未分化で自分と相手を理想化して、よい関係を想定してかかわり合う傾向がとくに強いようにみえます。
小此木

さて、小此木氏は、日本的自己愛人間と、日本的マゾヒズムの関係について、述べている。

私が日本的マゾヒズムの特徴としてあげているのは、相手本位で、とても思いやりがあって、共感性が高いということなどです。
小此木

以下は、私が要約する。

他者の自己愛を、とても、重んじるという、対人関係である。
それが、伝統的にあり、人権尊重思想が入ってきた場合でも、本人自身が人権を主張するというのではなく、日本に元々ある、配慮、思いやり、相手を尊重しようという、相手本位の気風と、一致したものになった。

それが、母親と子どもの関係のように、子どものために、一生懸命尽すという形で、子どもの人権尊重精神を、日本的マゾヒズムと結びつけたという。
しかし、結果、子どもの自己愛を助長してしまった。

欧米人と、比べると、彼らは、大声で自分を主張するが、日本人は、日本的マゾヒズムの仮面をかぶっているという。

日本的マゾヒズムをかぶると、それは、自分が欲しいものを、自分が満たすより、子どもに満たさせる、自分の自己愛を、犠牲にして、子どもの自己愛を満たすことで、満足する。

自己愛的同一視のメカニズムが働いているのです。つまり日本的マゾヒズムの対人関係様式そのものが実は日本的自己愛のみたし方でもあるわけです。
小此木

みんな思いやりとか親心というマゾヒズムの仮面をかぶるわけです。
小此木

しかし、
それが実は親自身の自己愛をみたすためのものなのだということが子供にもだんだんとわかってくる。こうした子どもの目ざめが家庭内暴力などを引き起こすことにもなるわけです。
小此木

小此木氏は、少し話しが飛躍している。
それと、これとは、別物であると、私は言う。

会社と自分を自己愛的に同一視して、マゾヒステックに会社のために献身する。しかし、それを通してみんなからほめられたり、評価されたりすることを期待しているわけです。ですからマゾヒステックになることによって、自分の自己愛を最終的にみたそうという隠された願望があるわけです。
小此木

そして、その思い込みが、外れると、恨み、辛みが起こり、恩知らず、と言うことに成ると言うが・・・

分析をよくする者、実は、分析に溺れる。

つまり日本的な誇大自己は、最終的には自己愛をみたすためなのに、見かけの上では非常にマゾヒステックな形であらわれます。ところが西洋的なあり方は、むき出しの強欲さと自己主張が出て、人を顧みないし、共感性がない。日本的な自己愛人間は、日本の社会の中で、適応様式として、日本的マゾヒズムを使うわけです。このような自己愛のみたし方が日本人特有のみたし方なのです。
小此木

ここまでは、当たり前といえば、当たり前である。
問題は、現代において、それが、歪んできたことである。

このように、分析されると、なるほどと、思うが、何のことは無い、それが、普通のことなのである。日本では・・・

問題は、これが、どのように、心の病気に、結びついてくるかということである。
また、適応障害になるか、である。




posted by 天山 at 00:09| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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