2012年02月17日

伝統について。51

今だにも 目な乏しめそ 相見ずて 恋ひむ年月 久しけまくに

いまだにも めなともしめそ あいみずて こひむとしつき ひさしけまくに

今、逢っている時だけでも、よく顔を見せてください。逢うことなく、恋に苦しむ年月は、長いでしょうから。

めなともしめそ
目には、乏しいほど・・・だから、良く見てください。
何かの事で、恋人が、遠くへ出掛ける前の歌か・・・

同時の旅は、命懸けであるから。

朝寝髪 われは梳らじ 愛しき 君が手枕 触れてしものを

あさいかみ われはけずらじ うつくしき きみがたまくら ふれてしものを

朝の、寝乱れた髪を、梳かしません。愛しい、あの方が、枕として手が触れたものですから。

意味は、このままである。
だが、名歌といわれる。
そのままを、写した歌。
愛しい君が、触れた髪を、そのままにしている。それが、愛の証拠なのだ。愛の名残なのだ。
幾人のも人の心を、捉えた歌だろう。語りつがれて、万葉集に収められたと思う。

早行きて 何時しか君を 相見むと 思ひし情 今そ和ぎぬる

はやゆきて いつしかきみを あいみむと おもひしこころ いまそわぎぬる

早く行き、早く君を見たいと思っていた心は、今、穏やかになった。
恋人に会う前の心境は、今も昔も、変わらない。

和ぎぬる
やわらかくなる。穏やかになる。平穏になる。
その繰り返しを続けて、いずれ夫婦になる。

面形の 忘れへあらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ

おもかたの わすれへあらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ

顔、形が、忘れられる器であれば、いたずらに男たるものが、恋いつづけていようか。

それは、器ではない。人間の女なのである。
だから、こそ、忘れられないのである。
男であるから、女を忘れられないのである。

言にいへば 耳にたやすし 少くも 心のうちに わが思はなくに

ことにいへば みみにたやすし すくなくも こころのうちに わがおもはなくに

言葉で言っては、大したことではないと、思われるだろう。だが、心の中では、少しのことだとは、思っていない。

言葉とは、手段である。
だが、人の言葉を本当に理解するのは、至難の業である。
言葉を軽く扱うようになるのは、明治期以降である。

西洋の訳語が、氾濫した。
そして、そのまま、敗戦後は、更に、アメリカの訳語が氾濫し、日本語の意味さえ、益々と、曖昧模糊となった。

そして、訳語で語り続ける行為を、良しとして、賢い馬鹿たちが、言論を繰り返した。
日本語を、訳語で説明するという、無謀である。

日本語は、日本語によって、説明されなければ、ならない。

万葉集も、最初は、漢字の音によって、表現された。
漢字を分析しても、解らないのである。
大和言葉によって、解釈することである。
主客転倒が、日本語を滅ぼすのである。



posted by 天山 at 16:16| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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