2012年02月04日

カンボジアの悲劇11

翌日、ホテルに移動した。
それは、別の地区にある、ホテルである。
一泊、918バーツという、値段である。
千バーツは、2500円である。私たちには、料金の高いホテルである。

もう一つ気になっていた、水害に遭った、スラムへの支援である。

そのホテルの付近にスラムは、ある。

タクシーを使い、50バーツ程度の距離。
支援物資は、最後の一つのバッグである。

帰国まで、二日である。
つまり、一泊は寝るが、二泊目は、深夜、空港に行くのである。

それでも、ゆっくりと過ごす事が出来た。
それは、なんと言っても、そのホテルの従業員のお陰である。

チェックインした後で、私は、部屋のある、四階のベッドメークのおばさんに、話しかけた。
この辺に、スラムがありますよね・・・知っていますか・・・
その、おばさんは、即座に、私は、そこから働きに来ています・・・と言う。

私は、目的を話した。すると、
案内しますと言う。
それじゃあ、と、私は、支援物資のバッグを部屋から持ってきて、中味を見せた。

これを、渡したい・・・
タオルが多く、女物の衣類が多かった。

おばさんが、その地区から働きに来ている人たちを、電話で呼び始めた。
必要ですか・・・と、私は言った。
皆さん、必要ですと、言う。

そこで、五名ばかりの人たちに、渡し始めた。
そして、今回は、残りの物を、皆さんに渡して貰えますかと、聞いた。
すると、勿論、皆、喜んでくれますから、持って行きます・・・
それじゃあ、次回は、私を案内して下さい・・・
と、皆さんに、残り物を託した。

私は、どんな物が必要ですか、と、聞くと、女物が欲しいと、言う。
女物は、溢れるほどあるので、次回は、女物を多く持参することを、約束した。

と、いうことで、一気に終わったのである。
そして、ホテルの従業員に知れ渡ることになる。

翌朝、フロントに、今夜の料金を、支払いに行くと、その中にいた、おばさんが、私は不幸ですと、言う。
えっ・・・
私は、何もあなたから衣類を貰わなかった・・・と言う。私も必要です・・・
何と、昨日のことが、知れていた。

オッケー、次ぎに来る時に、沢山持ってきます、と、私は言った。
すると、ホテルのカードに、自分の名前を書いて、渡してくれる。
本気である。
これは約束を守らないと、いけない。

ちなみに、こちらのベッドメークの人たちの、月給は、6500バーツである。日本円にすると、一万六千円程度である。
ゲストハウスのビルマ人の、五千バーツより高いが、矢張り、その程度である。

さて、そのホテルでは、レストランがあるが、朝にコーヒーを飲むだけで、食事は、ホテルの道沿いに出ている、屋台の麺を食べた。
それが、30バーツで、安くて、旨い。

麺が黄色麺で、日本のラーメンに似る。
分量も、丁度良い。
屋台であるから、道路にテーブルと椅子が用意されて、そこで食べる。
車がびゅんびゅんと走る中を、食べる。
埃を気にしては、食べられない。

夜は、地元の食堂である。
そして、果物は、カット売りしている、屋台から買う。

カット売りの果物・・・
不衛生・・・と、言う人は、現在のタイのそれを知らない人である。
知ったかぶりの、人たちに言われた。カット果物は、危険だと。

そんなことは、全く無い。
実に、安全である。
つまり、不衛生ではない。昔と違う。

10バーツ、25円で、好きな果物を食べられる。
私は、パイン、すいか、熟したパパイヤが好きだ。
すぐに食べる方が、より安全なのだが、私は、逆に、すぐに食べないで、時間を置いて食べる。
甘さが増すのだ。

そうして、帰国の日、時間が迫る。
その間に、マッサージをする。
ホテル付近は、高いが、少し歩いて、地元の人たちが行く、マッサージは、180バーツで、フットマッサージ、タイマッサージが、受けられる。

帰国して、マッサージに行くことは無い。
その料金と比べて、余りにも、高いからだ。
200バーツとしても、500円である。

空港に向かうために、ホテルを出たのは、深夜一時頃である。
三時の搭乗手続きまで、待つ。

スワナプーム国際空港は、お馴染みになってしまった。
様々な、人種が見られる。
そして、世界が広いことを知る。

真冬の日本に戻るのである。
そして、本当に、真冬、真っ只中の日本に戻った。
今までにない、寒さであった。




posted by 天山 at 00:00| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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