2012年02月20日

霊学52

アイデンティティをまっとうすることが、人間の社会化された自己愛のみたし方になっていた時代は、男性アイデンティティとか女性アイデンティティとかよばれるような役割行動様式、自己像にふさわしい自分を全うすることが期待されていました。
小此木

そして、
つまり男性として(女性として)の自分はかくあるべきだという自我理想があったのです。日本人、ユダヤ人、黒人それぞれについて、同じように民族同一性(民族アイデンティティ)という言葉が用いられました。
小此木

と、続く。
この、アイデンティティについて、少し見ると、自己認識、自分が自分を知るという意味がある。
そして、自己認識とは、自分ひとりでは出来ないものという、考え方が包含されている。

他社に対して、自分は、何々である、という、形で、存在していることを、知ることにより、可能になる、自己認識である。

宗教で言う、神との対話とか、禅による、自己認識ではない。
それは、一人で、自己内省してのものである。

発達心理学で言うところの、父母の目に映る、自分を通し、自分を知る、認識するもの。

更に、その自己認識は、価値規範が伴うものである。
それが、アイデンティティという、大まかな概念になる。

この、自己認識体験は、一歳六ヶ月くらいで、確立するとされる。

それから、自己アイデンティティの生成発展が行われる。

たとえば男か女かということも、自分で選んだわけではなく、たまたまそう生まれてきてしまったわけです。あるいは日本人に生まれたということも、それを、自分の自己価値にして、自己愛をみたすものにするかどうかは、アイデンティティ論の重要な問題なのです。
小此木

ここでは、それにより、性同一性障害などの、特別な例を省く。それは、後に書くことにする。

その社会環境において、自分にとって、不利益であり、パーソナルな自己愛を脅かすものであっても、それが自分である、それ以外に、なりようがない、という、自我の自己選択の決意が、期待されていたのである。

そのような、自己の態度こそ、自己愛を傷つけるものであっても、アイデンティティ感覚を満たす上で、必要なものだった。

だが、そうすることが、出来ないときに、人は神経症的になる。

そういう意味で、幸せな状態は、生まれつき与えられたことが、自己愛と一致する場合なのだ。

ヒトラーにより、ユダヤ人虐殺の当時、ユダヤ人たちは、そうとうに、煩悶したことだろう。そして、黒人である。
徹底した、人種差別の環境にあっては、苦悩以上のものがある。

ただ、小此木氏は、
歴史的、民族的に自分に与えられたものと、自己愛が一致することが、人間にとって幸せなことであるのはいうまでもありません。
そして、
しかしそこで問題なのは、眼の前の周囲の評価にただ一致することで自分の自己愛をみたすことがすなわちアイデンティティとはいえないということです。
と、言う。

現代の自己愛人間は次第にこうしたアイデンティティ感覚を失い、男も女と同じというイリュージョン、あるいは、ユダヤ人、黒人もみな平等という平等幻想の中で自己愛をみたすようになりました。
小此木

これは、恐るべきことである。

30年以上前に書かれた、この本では、そのように分析したが、それで、現在では、どうか。
更に、それが、甚だしくなっているということだ。

当時の、精神医学の新しい認識に、トランス・セクショナリズム、性転換症、という言葉が生まれた。
症であるから、病気である。
しかし、今は、逆の考え方が、現代の思潮になっている。

小此木氏は、
現代人のアイデンティティの喪失の一つの現れです。
と、言うのである。

それは、古い考え方になっている。
コマーシャル・・・
日本に限らず、東南アジア、その他の国で、白人が登場するものが多い。
CMの半分くらいは、白人、ハーフ、黒人イメージで占められる状態。

つまり現代の自己愛人間は自分に与えられた自然の生まれを運命として受け入れ、それを美化したり理想化したりしてアイデンティティに高めるよりも、もしそれがパーソナルな自己愛を傷つけるものであれば、たちまち幻想の中で、自己イメージをつくりかえることで、手近な自己愛の満足に浸るのです。
小此木

相変わらず心の深層にもっている欧米人に対する人種的劣等感を、彼らと同じであるかのような幻想や、もう自分たちの方が経済的に優位だという幻想によって解決してしまうのもその一つです。
小此木

幻想が、許される、時代。
それは、時代性と言うのか。

日本が、経済的に豊かになり、第一次産業に従事する人が少なく、人間が、自然の中で、生きるという、意識と価値を忘れた・・・

鳥や、ブタを殺して、食べるという、原始的ともいえる、実は、貴重な体験をせずに、生きられるようになった。
これは、幸せなのか。

イリュージョン、錯覚と、幻想によって、生き続けることが、本当の幸せというものを、手に入れられるのか、と、考える。

更に、小此木氏は、現実原則感覚が失われた時代、というのである。

次ぎに、続ける。



posted by 天山 at 00:15| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

霊学53

現実原則感覚が、失われた時代ということで、小此木氏が、書いている。

自然から与えられたものは、何でも自分たちの思う通りに変えることができるし、自分に都合のよいように動かしつくり変えることができるという全能感を誰もがもつ時代になってしまいました。
小此木

確かに、そのようである。
そして、それは、西欧の思想に依る。
神の被造物である、自然は、人間の手によって、好きなように、使用するという、考え方である。

それによって、小此木氏は、現代人の全能感は、我々が現実原則に従うより、むしろ操作原則によって、暮らす時代を迎えたという。

この、操作原則について、書く前に、昨年の大震災により、現実感覚が、少しは、取り戻せたのではないかと、思える。
勿論、すぐに忘れて、また、元に戻るだろうが、あの震災は、強烈な印象を与えた。

自然を思うがままに、扱うことは、出来ない。
更に、これから、大地震が起こる確率は、10年以内で70%という。
全くの無力なのである。

それでも、長年に渡り培ってきた、全能感は、消滅しない。

赤ん坊は、快を求め、不快を回避する快感原則に支配される。
しかし、精神身体機能の発達と共に、快感原則を克服し、現実原則に従う事が出来るようになってゆく。

現実感覚身に従うとは、欲求不満に対する、耐久力、迂回行動・・・
それらを、含んだ、自我の適応能力の発達を意味する。

フロイトは、人間が自然環境に対し、適応して生きるために従わなければならないことを、現実法則と、呼んだ。

ところが人類は、これらの現実原則の支配力を大幅に緩和してしまいました。たとえばこの観点からみると、現代の日常生活はすべて、自然環境の直接のストレスから人間を守る間接的な人口環境の中で営まれています。
小此木

それにより、
フロイトの説いた「断念の苦痛に耐える心」つまり、現実感覚であるという、根源的な認識を失わせてしまった。
のである。

それが、
人類全体としての自然の法則に対する自己愛幻想が、想像以上に肥大した日常の中で暮らしているのです。
小此木
ということになる。

アメリカの哲学者、ヘルベルト・マルクーゼは、人間が生活する上で、守らなければならない人為的・社会的なルールを、「執行原則」と呼び、フロイトの、現実原則と、区別した。

マルクーゼは、現実原則の支配が緩和されると、それに代わり、執行原則の支配が、より大きな役割を占める時代が来ると、預言したのである。

それに対し、小此木氏は、
現実感覚が支配する代わりに執行原則が支配する時代がくるというマルクーゼのこの預言は、確かに社会が管理社会化し、その機構が大衆を支配する時代になったという点では当っているのですが、個々の大衆の心理についていえば、このリアリティを直接経験するよりはむしろ、そのリアリティに気付かないまま執行原則を過小評価して暮らすようになったからです。
と、言う。

つまり、現実原則に従う感覚が失われ、執行感覚に従うという感覚も、希薄なままになったといえる。

実際には現実感覚に従うべき局面でさえも、人々はそれを人為的・相対的な執行原則にすぎないとみなすようになりました。
小此木

更に、恐ろしいことは、根源的な、病、死の問題まで、すべて相対感覚で、受け取るようになったことであろう。

この本の発行から、30年を経て、状況は、益々と、それ、になってきた。
これを進化と呼ぶべきか・・・

また、私は、時代感覚が、このように移行し、変動するのは、当然だと、思う。

それで、操作原則感覚の、肥大が起こるのも、当然である。

ボタン、スイッチを押すだけで、生活の必要なことの、大半が、意のままになる。
そして、
われわれは旧来の現実原則感覚を急速に失ってしまいました。
小此木

ここで、学者の、分析がはじまる。
つまり、操作は、主体の個性を必要としない。没個性的な操作により、成り立つというのである。

この事実が、逆にこれらの違い(性別、年齢、教育程度)を意味づけてきた伝統的な価値観を排除する大きな動因になっています。・・・
現代社会の平等幻想というのは、実はこのことと関係が深いのです。
小此木

これは、平等幻想であり、没個性であり、最終的に、私は、誰、私は、何という、意識を生むと私は言う。

そして、それを問う行為が、繰り返されるのである。
つまり、新しい哲学、言葉の世界である。

だから、安易な言葉の数々、稚拙な宗教などの言葉に、乗せられてしまう危険性もある。
生まれた時から、その状況の中で、育ち、個性を知らない、知る必要もない人たちが、愕然とする事態に出遭った時、人生力を発揮する。と、信ずる。

さもなくば、ぼんやりとした、人生の時間を過ごして生きるしかない。
更に、妄想に浸りきるのである。
知らないということを、知らない人間が、妄想の価値観に没頭して生きるのは、悲劇である。

大震災は、それを、教えた。


posted by 天山 at 00:00| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

天皇陛下について。101

天皇の神格を攻撃する一方、皇室の歴史に神さまのような生活を求めて、非難をしてみても仕方がないのではないか。
里見岸雄

サヨク系の非難する人に言うのである。
だが、ここで、神格と言う言葉である。

日本には、神格という、言葉は無い。
あるとすれば、かむたちの働きである。

天皇に神格があるというのは、全く検討違いになる。
天皇は、人間であるが、国民の、統治者である。
大君である。

人間である以上は、過ちも犯す。

だから、
我が国の天皇は、民主国の大統領と異なり、血統をもって根本的要件とするから、個人的要素は第二義的なものにすぎぬ。
里見
と、これで、いい。

その、血統を守り続けたのが、国民の知恵である。

キリスト教から派生した、宗教学により、神格という言葉が、作られたが、神に人格を求めたために、それを、神格と表したのである。

日本語は、日本語により、解釈されるべきであり、大和言葉により、解釈して、真っ当なものになる。

すめらみこと
統命
あるいは、統尊である。

更に、現人神とは、国民のことを言う。
天皇は、現人御神、あらひとみかみ、なのである。

日本人は、亡くなると、命、みこと、と呼ばれる。
勿論、日本人でも、それは、いいです。私は、仏教徒なので、戒名ですと、言ってもいい。

すでに、日本人は、現人神として、認識されていたのである。
亡き人を、柱と、表記した。
一柱である。
はしら、である。

であるから、神格というより、柱格なのである。
その、柱格は、国民と、天皇は、違う。

国民が亡くなれば、崩、かむあがり、であり、天皇は、崩御とされる。
み、かむあがり、である。
おん、かむあがり、である。

お上が、亡くなられる、つまり、御崩である。
下、しもである、国民は、かむになる。

何故、歌の上では、天皇も、国民も平等という、考え方が生まれたのか・・・
それは、歌は、命だからである。
命、みこと、御言である。

世界的に、極めて稀な平等意識を、言葉によって、成したのである。
言霊という考え方が、いかに、貴いことか。

更に言えば、キリスト教による、神格というものは、実に矛盾している。
唯一の神ならば、神格などという言葉は必要ない。
これは、イスラムを意識してのものである。

キリスト教は、イスラムを意識して、特にその、神学を作り上げた時期がある。

ユダヤ教には、神格という、言葉は無いはずである。
何故か。
ユダヤ教は、キリスト教を認めていないからである。

イエスは、メシアではない。
メシアは、まだ来ていないのである。

この、ユダヤ、キリスト、イスラムと、三つ巴の戦いが、世界をいつも、混乱に貶めている。

西洋主義は、白人主義であり、キリスト教主義である。
アジア人である、イエスが、いつの間にか、白人にされてしまった。

であるから、キリスト教は、根本から、誤っているのである。
つまり、創作された、宗教である。
それを、ナザレのイエスを掲げて、権威付けを行う。

聖典とされる、聖書の大矛盾が、それを示す。
それについては、別エッセイ、神仏は妄想である、に、詳しく書くことにする。

聖書外伝というものもあり、滅茶苦茶である。

キリスト教は、イエスの教えではなく、教会の教えであり、イエスとは、関係無いものである。

イエスの、教えを本当に理解したのは、日本人である。
無教会主義に、それがある。

天皇を非難するのは、言わずと知れた、共産主義である。
それが、また、嘘つき人間が多数であるから、手がつけられない。
悪魔の集団と、言っておく。

その、共産主義は、訳語を使い、語る、語る・・・
そして、訳語好きな、賢い馬鹿を、操る。

大和言葉の、繊細微妙さを意識出来ない、馬鹿なのである。
なつかしう あはれに 語り給う
などは、他国の言葉に、訳すことは、出来ない。
それでも、源氏物語、万葉集を、訳すという、大業をする人たちがいる。

道元は、読めないが、デカルトは、読めるという、恥ずかしい日本人である。

近代を開いたデカルトの・・・
違う。近代を拓いたのは、織田信長の行動である。

明治期から、訳語による、思想を書き始めた日本人の、哲学者と言われる者の、思索とは、中国思想の丸写し程度である。
禅の思想に傾倒した、西田幾太郎などは、老荘思想を、そのままに、語る。
ヨーガもせず、考える。
それが、日本の思想家、哲学者の程度である。

万葉集の歌、一首で十分に足りる。
禅の言葉遊びとは、全く違う。

いわばしる たるみのうえの さわらびの もえいずるはる になりにけるかも

思想など、飛び散る。


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2012年02月23日

天皇陛下について。102

二千六百余年といわれる長い国史の伝説及び記録の中に、天皇と国民大衆とが直接利害のために闘争した事例が絶無であるのは、皇室が自ら政権を行われる期間が短かったためばかりではなく、皇室自ら豪奢をいましめ、常に質素なご生活をもって歴代一貫されたためでもある。なにより、京都の皇居は、四囲に堀なく防備なく、婦女老幼でさえたやすく乗り越え得る程度の築地土塀を廻らしてあるだけである。
里見岸雄

しばしば政治的兵乱に脅かされながらも、かくのごとき平和な宮殿に一千年歴代がご安住むになられたことは、それこそ聖徳限りなきものがあり、国民を恐れる必要がなかったからである。
里見

このような、君主は、世界に唯一である。
国民を恐れる必要が無い。
国民を敵にする必要がいなのである。

何故なら、陛下は、国民の側にいるからである。

私の知る限りでは、
仁徳天皇は、家々から、炊事の煙が上がらないことを見て、民の窮乏を知り、課役を免除し、自らは、幣衣にも、甘んじた。

その後も、
元正天皇は、地震などに際して、わが身の不徳が天災をもたらすと、「朕が徳非薄にして民を導くこと明らかならず」と、わが身を反省し、恥じた。

聖武天皇も、「万方罪有らば予一人に在り」と、全ては、私の責任であると、自らを責めたのである。

里見氏も、
日本歴史上、庶民が支配者階級に対して暴力的抗争を敢えてした室町時代の土一揆、徳川時代の百姓一揆はその数幾数回の多きに達し、第百二代後花園天皇足利六代義教の永亨元年、播磨の土民の蜂起して一揆などは「国中に侍をあらしむべからず」と号し、守護赤松満祐の軍を敗走せしめている。
と、書く。

更に
これと類を同じうした土一揆が文明十七年から十八年にかけ山城一帯に勃発した。いわゆる山城一揆といわれるものであるが、時は第百三代後土御門天皇の御宇足利将軍は九代義尚の時であるから、さまに世は戦国応仁の大乱時代である。
この時、京都の一揆が室町幕府の鎮圧を避けるため内裏に立て籠もるかもしれないという風説があったので、廷臣は会議を開いたが、万一に備え、御所の周囲に壕を掘って防衛すべきだという意見を吐いた者があった。すると、「親長記」で有名な甘露寺親長は「以って外の事也、外聞おいて然るべからず」と反対し、右の提案は一議にも及ばず沙汰止みとなってしまったが、乱に遭遇して土民を怖れざるものこそ日本皇室であったといわなければならぬ。
と、書くのである。

民が、皇室を盾に取り、乱を起こしても、そのままに・・・
しかし、天皇の皇居を、誰一人、利用する者が無かった。

天皇、天子様は、別な存在なのである。

統治する、天皇ではなく、統治権を有する者に対する、反乱である。

歴代天皇を、眺めると、皆、国民の側に立っているのである。
統治権を有するものを、諭すのは、天皇のお言葉であった。
そして、それは、国民の声なのであり、為政者は、それを拝して、耳を傾けた。

この、天皇の権威を保持してきたのは、正に、民族の、知恵といえる。
内裏は、超然とし存在する。
そして、統治権者も、国民も、それに関しては、別格であり、統治する天皇の権威を、認めるという、ものである。

明治維新が、進んだのは、天皇の存在あればこそ、である。
更に、敗戦後、天皇が、留まったゆえに、内戦に至らずに済んだのである。

また、国内に、共産主義が、気勢を上げた時も、昭和天皇は、あの者たちも、日本国民ではないか・・・と、側近を誡めた。

宗教、思想、主義に対しても、天皇は、すべてが、国民であると、許容したのである。

宗教の迫害を行ったのは、その時の、為政者であり、統治権を有するものである。

良し悪しを問わず、それらであった。

いずれの国においても帝王の居住はことごとく城塞である。帝王が城に住むことは外敵に対抗する場合のほかは、即ち国民の襲撃に備えるためである。
里見

外敵、国民の、襲撃・・・
天皇には、敵は、存在しなかった。
世界の君主の中で、その心境を有したのは、日本の天皇のみである。

それを、今、何故かと、考える。
何故、天皇が、それほど、国民を信頼したのであろうか。

ここで、天皇の、存在の核なるものを、見なければならない。
天皇は、国の祭祀を行う者なのである。
国民を代表して、それを延々として、行う。
その向かう相手は、皇祖皇宗であり、それは、日本の祖霊である。

そこに、何の迷いも無いということだ。

そして、驚くべき事は、毎日、国民の幸せのために、祈る存在であるということ。
その祈る国民の、存在を敵と見なすことができるか。出来ない。
敵など、いないのである。

前ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世は、遅まきながら、対立する宗教との、対話を実践した。
しかし、ローマ法王庁は、世俗化して、そこから、抜け出せないのである。
最も、狡猾にして、平然として、不正を行うほどに、成り果てたのである。

結局、ローマ法王の、権威は、カトリックにしか、及ばない。
対話し、和解を呼びかけたが、それが、見破られて、何も変化なし。
足元を見られたのである。
要するに、ローマを本山とするようにとの、対話だった。

それは、過去に行った、民族、他宗教への、謝罪がなかったからでもある。
その、虐殺の歴史を封印して、対話など、成り立つことが、おかしい。

昭和天皇が、敗戦後、退位しなかったのは、その責任と、贖罪の意味からである。
生き地獄を生きたのである。

国民の悲しみと、他国民に対する、謝罪を一生背負って生きたのである。

はからずも、国民と、他国民を不幸な状況に置いた責任である。

その、恨みも、憎しみも、怒りも、呪いも、すべて、御一身に受けようとの、御心である。

わが身の、不徳の致すところ・・・
これが、天皇の御姿である。


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2012年02月24日

天皇陛下について。103

2月11日は、建国記念日である。
それは、恐れ多くも賢くもある。

神武天皇が即位した日である。

その、神武天皇・・・
戦後の、迎合学者たちが、神武天皇は、実在しないと、平然として、言ってのけた。
そして、それが、一定期間、事実だと、信じ込ませた。

全くのウソである。

アカデミズムの、古代史学界・・・
本当に、学者かと、思わせるような、振る舞いであった。

アメリカ占領軍に、おべんちゃらを使い、出世を目論んだのである。

まず、厳密な史料批判に基づき、実証史学の碩学、坂本太郎博士は、
神武天皇以前の九代の天皇は、実在の人物ではないと、かなり多くの学者によって、説かれているが、それは一つの憶測に過ぎず、なんら実証されていない。
と、言う。

実証されいないものを、何故、説くのか・・・
その、歴史学者の面々は、誰に遠慮して、また、何の策略があって、そんなことを、説くのか。
それが、歓迎される、世の中だったからである。
学者は、特に、歴史分野は、そのようである。
世の中の、波に飲まれる。

日本法制史の大家、龍川二郎博士も、
神武天皇記の大筋の事実は、終にこれを否定することができない。
と、言う。

そして、更に、近年の古代史学界の流れも、記紀の記述を裏付ける考古学的発見により、大きく変化している。

記紀の記載を検証した、角林文雄氏は、
日本資料は不思議なほど中国資料とうまく合っている、と言う。
更に、
記紀は、神武天皇を東南アジアに出自を持つ熊襲族の人として描いた。そんなことは後の皇室、貴族にとってなにか素晴らしいこと、誇るべきこととはとうてい考えられない。しかるにそのことを明確に、紛れもなく記述しているのだからそれが真実と考えるのが常識ではなかろうか。
と、言う。

そして、神武天皇が、即位した、橿原の地から、出土した、柱の年代測定を、アメリカ、ミシガン大学にて、行った。
その結果は、2000年前のものであることが、解明された。

今年は、建国から、2672年の今年、西暦2012年、平成24年。

学問が、何かの作為によって、その説が作られるという、学問の堕落と、それを為す、学者たちの、堕落は、度し難いものである。

日本民族は、騎馬民族云々という、説が、私の子供の頃に、言われていた。
今でも、私の年代は、それを正す事が出来ないで、日本人は、騎馬民族から出たと、信じている者が多い。

それは、全くの、根拠のないことと、なったが、一度信じた者は、それを正すのに、時間がかかり、更に、信じると、騙されたままで、死ぬ。

だから、今でも、時を懸けるような、学者の言い分は、信じないようになった。
十年を経ても、さらに、二十年を経ても、間違いないものとならなければ、信じられないのだ。

神武天皇は、アマテラス大神が、使わした、ニニギのミコトの子孫であるという、美しい神話から、出た、実在の人物である。

実在したのであり、それ以外の、何者でもない。

敗戦後、兎に角、日本を否定するという、歪な精神が流行りものになり、多くの人たちが、堕落した。
要するに、時代の流れに乗っただけである。
自分の信念など無い。

橿原の宮にて、即位の儀式を行った時に、神武天皇は、地場の部族たちの、神々を、すべて皇居、宮にお祭りして、それらを前に、富士山にある、阿蘇大神宮の、使者たちの三種の神器の前で、正式に即位したのである。

ここで、他の世界史には、無い、光景が見える。
あの、野蛮な土地では、部族を皆殺しにし、その神々を無きものにする。
すべて、破壊するのである。

しかし、神武天皇の、行為は、それではない。
元の神々をお祭りしたのである。
それは、奉りである。

見事な平和感覚である。
そこからも、和という精神が見られる。

わア、とは、大和言葉では、開く、拓く、披く、啓く、となる。

当時は、天皇も、大君も、それに相応しい、現代的な名称は、無い。
しかし、おほまつりことかしら、という言葉は、あった。

大政頭、である。

地場の、部族の長を、まつりことかしら、と、呼んだ。
祭りは、奉りであり、祭祀である。

古代は、祭祀から、はじまった。
祭祀を司る者、すなわち、カシラなのである。

大和言葉で、カシラは、トップである。
そこに、大、おほ、という、名称が現れた。
それが、大君となり、そして、天皇という、漢字が使われることになる。
隋の煬帝に対して、つまり、皇帝に対して、同じく、独立を宣言する、天皇である。
決して、皇帝により、任命された、王ではない。

卑弥呼は、大王の称号を得たが、推古天皇の際に、大王から、天皇への移行が、見られる。

勿論、記紀の記述は、後のことである。
その際に、天皇という言葉が使われた・・・
それは、好きな人が、詮索するといい。

大和言葉では、スメラミコトなのである。
漢語ではなかった。

統べる御言
言葉を述べる者。
勅令を発する者。

部族、豪族の、対立を治める者である。
おほいなるやわらぎのこころ
大和心を、発する者なのである。

だから、渡来した、二代目の蘇我馬子の孫、蝦夷が、蘇我王国を作る前に、単なる、豪族の支配を破壊しなければならなかった。
そして、天皇が政治のトップに立ち、日本は、それから、和を持って成すという、天皇家によって、ここまで来た。
2672年まで、来たのである。

この歴史は、世界に冠たるものである。

日本民族の智慧は、天皇の存在を作り上げたのである。
陛下は、お上であり、国民は、下、しも、である。
上下の関係のみ、日本にはある。

よこしま、邪な関係は無い。

どれほど、権力のある武家政権でも、その長が、天皇に認められない場合は、国民にも、認められない。更に、国民が認めなれば、天皇も、認めないのである。

権力と、天皇の権威の図は、そのまま、天皇と国民、権力者との、図になる。

そして、面白いのは、国民と、国土とが、国体であり、その国体の象徴が天皇になるという。
全く、珍しい考え方を有したものである。

国体は、天皇である。
と、そこまでは、いいが、それを理解出来なくなった、敗戦後は、その理解が破壊され、天皇は、国体であるという、考え方が、出来なくなった。

天皇を守るということが、国民と、国土を守るということの理解が出来なくなって、平和ボケして、この混乱に相成ったのである。


posted by 天山 at 00:32| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月25日

天皇陛下について。104

建国の祖、神武天皇は、どのようなことをしたのか・・・
敗戦から、その話しは、無くなった。

学校で教わることもなくなった。
私も、知らなかった。

遠い記憶であるから、それは、物語になる。
そして、神話である。
と、しても、その話しは、面白い。

九州、日向、宮崎から、神武天皇は、統治下の、やまと民族を引き連れて、九州の東海岸を北上する。
豊前、大分、そして、宇佐、筑前、福岡に進む。

この、福岡にしばし、留まり、稲作を伝えている。
時は、縄文時代の、後期である。

稲作が伝えられたのは、弥生より、少し早い。
弥生が始まる、500年ほど前からである。

それを終えると、瀬戸内海を東に進み、安芸、広島、備前、岡山を経て、目的地に近づく。出発以来、10年を経ている。

更に、上陸し、龍田を目指す。が、道が狭く、険しい。
そこで、引き返し、東へ回り、生駒山を越えて、大和に入ろうとした。

その頃の、大和には、長髄彦、ながすひこ、という、土人が住んでいた。
彼は、天皇一行を迎え撃つ準備をする。

そして、激しい戦いが始まる。

地の利は、土着の、長髄彦にある。
天皇は、圧された。

そこで、天皇の兄である、五瀬命、いつせのみこと、が、流れ矢に当たり、重傷を負う。
天皇は、兄の元に掛け付け、言う。
この傷を受けたのは、私の考えが間違っていたからだ。
日に弓を引いても、狙いが定まるわけがない。
日の神の子孫である、我々が、日輪に敵対するような方法は、あるまじき事。
道を変える。そして、日を背に戦うのだ。

日を背にして、大和に入るには、大迂回が必要である。
そこで、再び、海辺に集結して、遠く紀州の海岸を回り、熊野から入ることにする。

その途中で、五瀬命は、お亡くなりになった。

波風の強い、紀州灘を行く。
難航した。
そのために、航海中、暴風雨に遭い、稲飯命、いなひのみこと、三毛入野命、みけいりぬのみこと、が、それを鎮めるために、海中に投ぜられて、亡くなる。

お二人共に、天皇の兄である。

やがて、熊野に上陸する。
そして、険阻な山を越えて、大和の吉野川の川尻に出た。

この時、道案内をしたのが、高天原から派遣された、大きな一羽の鳥、八た烏、やたがらす、である。

やがて、宇陀地方へ行く。
そこでは、兄ウガシ、弟ウガシという、兄弟がいた。

使者として、使わされたのが、八た烏である。
天津神の御子が、お出ましになった。お前たちも、是非この方にお使えするように、と伝える。

だが、兄は、使者を追い返し、謀を立てて反抗した。
だが、結局、自分が作った、罠に落ちて、滅びる。

さて、続いて、八十タケル、やそたける、を討ち、磐余邑、いわれむら、では、兄シキ、弟シキの兄弟がいて、こちらも、弟は服したが、兄が反抗した。
だが、これも、敗れる。

やがて、長髄彦との、戦いである。

彼らの本拠地は、登美、鳥見である。
激戦となった。

この時、天皇の弓の上にとまったのが、金色の鳶、とび、である。
鳶は、稲妻のような、鋭い光を発し、長髄彦の軍勢を照らした。
そのため、彼らは、退却する。

それから間もなく、長髄彦から、天皇へ使いが訪れた。

かつて、天津神の御子が、天の岩船に乗って、天から降りられ、今、私の前におられます。御名は、にぎはやひの命です。私の妹をお后にされ、すでに御子まで、お生まれです。その、にぎはやひの命に私は仕えていますが、あなたは、天津神の御子だといいますが、これは、どういうことでしょう。

神武天皇は、そのことは、知っていた。そこで、それを確かめるために、何か証拠となるものを、と使者に伝えた。

そこで、長髄彦は、にぎはやひの命の、秘蔵の、天の羽羽矢と、歩ユギ、からゆぎ、を、使いに持たせる。

神武天皇の方にも、同じものがある。

それを、知った、にぎはやひの命は、長髄彦を諭す。だが、中々、頭を縦に振らない。
やむなく、にきはやひの命は、長髄彦を討ち、軍勢を率いて、帰順するのである。

のちの、物部氏が、この、にぎはやひの命の子孫である。

こうして、大和地方は、平定された。

そして、畝傍山の麓、橿原の地を選び、そこを皇都と定められ、新たに、御殿を作らせた。

みことのりを下してのたまはく
天皇は、仰せられた。
われ、東に往きしよりここに六年になりぬ・・・
おほみたから心すなほなり、巣に住み穴に住む習俗、これ常となれり・・・
日本書紀

お言葉の最後は、
八紘をおおひて宇とせむことまたよからずや
である。

当時は、巣に住み、穴に住む生活である。
縄文期である。

これは、おほみたから、つまり国民を小屋に住まわせてやりたい・・・

八紘とは、あめのした、宇とは、家である。

この思想は、昭和天皇が、具体的に示した。
戦争中の天皇の御住まいは、防空壕だった。それを、お文庫という。

敗戦後、皇居の焼かれた宮殿再建に際して、
国民が一つ家に住みえていないのに、わたしだけが、立派な宮殿に住むことは、できない。再建は、待つように・・・

神武天皇から、一貫して流れる、天皇思想である。


posted by 天山 at 00:10| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

最後の沈黙を破る。60

児童買春のことを、調べている。

だが、これから書く場所は、明確にしない。
情報になるからである。

東南アジアでは、国境付近の町に多い。
そこで、私は、夜、六時過ぎから、売春宿斡旋の、バイクタクシーや、トゥクトゥクなどの、運転手に声を掛ける。

今、どの国も、法制化が、整った。
しかし、幾らでも、抜け道がある。

おおよそ、17歳から、売春宿で、働く事が出来る。
それでも、高校生である。

日本では、高校二年生ということになる。

ある所で、訪ねた。
少女は、買えるのか・・・
オッケー・・・
幾つ・・・
ウーンと唸り、答えない。

12歳くらいは・・・
と、こちらから、尋ねる。

オッケー・・・
12歳と、どの位の年・・・
15歳だ・・・

幾ら・・・
若ければ、若いほど高いよ・・・
幾ら・・・
60ドル・・・
普通は、幾ら・・・
30ドルからだ・・・
30ドルでも、格安である。

これが、マニラだと、大学生、または、処女は、五万円と言われる。
勿論、それは、大きくピンハネされる。

本人の手、または、親には、半額以下だろう。

仲介業者が、一番、儲ける仕組みだ。
全く、悪意のない、悪である。

ただ、突っ込んで、聞き始めると、もう、駄目だと、言う。
警察に捕まると言うのである。
それは、良いことだ。

児童買春は、需要があり、供給されるということが、解る。

児童、幼児に、性的興奮を覚えるということは、罪ではない。
人それぞれ、性的志向が違う。
しかし、それを、行為することは、罪である。

そして、世界的に、犯罪として、認識しつつある。

突っ込んでゆくと、警察に捕まると、それ以上詮索出来ないのが、いい。だが、金を払うから、と、頼まれると、彼らは、やるだろう。

私は、まだ、その現場に出掛けた事は無い。
出掛けたいと思うが、止められる。

そして、更に、確認しても、その後の対処法が無い。
警察に通報して、逆に捕まる場合もある。
つまり、警察も、グルになっている、場合である。

その場所に行った。つまり、売春行為を求めたと、解釈される。

組織的に、行う必要がある。
インドで、それを実際に体験した人の、手記を読んだが、命懸けである。

売春、麻薬は、大物政治家、更に、警察の大物と、つながりがある場合が多い。

ルポライターも、とても危険を冒して、出掛ける。
だが、真までには、至らない。
至れば、殺される。
簡単に、殺される。

児童買春も、少女だけではない。
男子も、ある。
だが、私は、まだその、実態を知らない。

ある、歓楽街では、12歳13歳でも、売春をする、少年がいる。
それは、同行のコータが、確認している。

あるホテルで、見たのは、少年三人を買った、白人である。
中学生程度の年である。

貧しさが、そうさせる。
それは、歴然としている。

だが、買われた本人たちは、嬉々としている。
もし、それが苦難、苦痛ならば、問題がある。
しかし、法律では、禁止されている。

そして、本人が、訴えなければ、無いものと同じである。

一番の、問題は、本人の与り知らぬところで、売買されることである。
幼女などの場合は、悲劇である。

児童買春行為は、死刑であり、現場で、射殺して、いいことにするべきと、私は、思う。だが、そうすると、調べるために、出かけて行く私も、射殺されてもいいということになる。

この世は、地獄であると、観念して、それらを、見つめている。


posted by 天山 at 00:10| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

ビルマの希望に会う

気付いた時、時計を見ると、到着時間を一時間以上も過ぎている。
時計は、バンコクの時間に合わせていた。

後ろの席に移動していたコータに、時計と、時間が違うと、言うと、台北に緊急着陸したからだよ・・・
えっ、緊急着陸・・・

そういえば、台北に何とか、こんとかという言葉が聞えていたような・・・
私は、眠っていたのである。

緊急着陸の時間帯は、私は、眠って、その事態を知らない。
急病人がいたということは、アナウンスで聞いていた。
医者、医療関係の方は、おりませんか・・・

そして、意識が切れた。

結局、予定時間の、二時間遅れで、バンコクに到着する。
午前二時である。
であるから、タクシーに乗り、マンション・アパートに着いたのが、四時近く。
深夜であるから、入国の係員が少なく、とても長い間、待ったのである。

そして、予約していた、マンション・アパートは、誰もしない。
つまり、泊まれない状態。
タクシーの運転手が、部屋に入るまで、様子を見てくれたので、助かる。

その辺りは、タクシーなど走らない場所。
もう一度、タクシーに乗り込み、近くのマンション・アパートを探すが、見つかっても、門が閉まっている。

もう、駄目だ。
タクシー運転手に、近くにホテルは、無いかと、尋ねる。
無い・・・ナナなら、知っている・・・

ナナなら、私たちも、知っている。
ナナハウス・・・
しかし、今回は、違った。

朝の四時である。
疲れが限界に達して、ナナのゲストハウスに泊まる勇気が無い。
連れ込みのホテルとしても、利用されているので、部屋が無い場合もある。

そこで、初めて、ホテルに泊まることに。
日本人には、有名な中流以下のホテル。
それでも、一泊、1490バーツである。

そんな高いホテルに泊まることは無い。

兎に角、疲れた。
ホテルには、部屋があった。
チェックインする。

ある程度の、備品が揃い、矢張りホテルである。
部屋も広め。

シャワーを浴びて、すぐに寝る。

朝、四時なのであるから、八日になっているが、料金は、七日分で、12時チェックアウトである。
二泊する予定だったので、移るのは、面倒だと、二泊することにした。

目覚めたのは、七時で、日本時間の、九時である。
年を取ると、長く寝ていられない・・・

楽しみは、ホテルの朝食バイキング。
無料でついている。

朝昼と、二食分食べるつもりである。

その辺りは、歓楽街の真ん中であり、夜中でも、屋台、物売りが多い。
朝まで、食べ物に不自由しない場所。

八時になり、一階のレストランに行く。
驚いた。
とても、豪華なバイキングである。

これなら、たっぷり、二食分は、食べられると、貧乏根性である。

しかし、焦らない。焦ると、食べられないのである。
ゆっくり・・・ゆっくり・・・

意外に、欧米人が多い。
日本人が多く泊まるホテルと、聞いていた。
このホテルに泊まり、近くの、ゴーゴーバーに出で、女を買うという。

どんな、不細工な男でも、金を出せば、美しい女を買えるという、僥倖は、ここにしかない。いや、貧しいアジアの国々は、である。

こんな下品なことを、何故書くか・・・
日本も、昔は、そうだった。
女の股が、外貨を稼いだ。

それは、日本に限らない。
どこの国も、女の股から、経済が始まった。

どこぞの、アホの分析より、正しい。

日本は、アジアの奇跡と言われた。
違う。
たまたま、女の股が稼ぎ、朝鮮戦争が始まったからである。

戦争と、セックスが、金をもたらす。
それが、常識である。

マルチ商法でも、アフリエイトでも、投資でもない。
一番、金になるのは、戦争なのである。

アメリカが、戦争を止めないはずである。

さて、私は、満腹である。
それで、最後に、パインジュースを飲む。

子どもの頃、パインが食べられるのが、憧れだった。
バナナも・・・
でも、いつしか、バナナは、格安で、パインも、格安で、買えるようになる。

バナナは、フィリピンで、日本の指導で作っている。
安い労働力を使い、安いバナナを作る。

西欧が罪深い行為をして、次にアメリカ、そして、日本が、罪深い行為をして、豊になった。

経済愛好家は、それを、罪深いとは、言わない。

方法論という。
人間とは、実に理屈を作り出すものである。

分析を得意とする、学者は、今に、皆殺しに遭う。

日本は、少し真っ当になったことが、幸いである。
一時期、日本のペットフードの会社が、ベトナムの海岸地帯の、小魚を買い占めた。それは、現地の人たちの、食べ物だった。
買占めで、ベトナムの漁村の人たちが、食べ物に困窮した。
日本が、豊かに走り出した時代・・・

豊・・・つまり、金である。
金があることが、豊だと、言い出した時代・・・
そして、遂に、金で買えないものは無いという、馬鹿まで、生んだ。

金で、買えないものの、多くを知る私は、ただ、呆然とするだけ。

命を、一秒たりとも、延ばせない。
しかし、金で、命も、買えると、思わせて、撹乱させた。

主イエスが、髪の毛でさえ、あなたたちは、一センチも伸ばすことが出来ないと、言う。
殺されるはずである。
当時も、金の世界だった。

私のように、金が全く無くなり、もう、駄目だという者が、最後に、大切なものが、いのち、だと知る。
そして、人は、人のために生きることで、救われると、知る。

屑のような、人間が、最低救われるとしたら、人のために、何か出来ることを、することである。

人間の欲望を、極め尽くしてみると、残るは、食欲である。
食べなければ、死ぬ。

その、食べ物が無い人たちが、世界に、十億、二十億、三十億・・・いる。
日本の少子化は、正解である。
そして、高齢者が、早く死ぬことである。

長く生きても、詮無いこと。
生きる事が、無駄なのである。

どうしても、生きてくださいという人は、数名程度。
私も、早々に死ぬ。


posted by 天山 at 00:14| ビルマの希望に会う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月28日

ビルマの希望に会う。2

戦争犠牲者の追悼慰霊と、衣服支援の活動が、六年目に入った。

多くの人の知るところとなった。
少しは、名が知れた。
しかし、活動費は、年々減少する。

私は、好きで、ゲストハウスに泊まり、好きで、屋台や、市場で食事をしている。

ボランティアだから、ビジネスクラスに乗り、一流ホテルに泊まり・・・
という、とても考えられない、団体もある。
善意を行うから・・・という、らしい。

そして、支援物資を、ドンと置いて、支援である。
その後のことは、お任せ。

そして、寄付として、大金を得る。
これでは、ボランティア商売、利益追求の会社と、変わらない。

勿論、活動に一番必要なものは、お金である。
第一番である。

命の次に大切なお金を、何に使うかで、その人の価値観が解る。
勿論、わが身のために、使うことも、また、よし。

さて、色々な問題に直面してきた。
曰く、国内での支援が必要な時に・・・
何故、海外なのかと。
だが、それは、いつの時代も、言う。
そういう、人たちがいる。

グローバル化した世界と言いつつ、本当は、グローバルという意味を知らない。
国内も、海外も、変わらないのである。
国内で出来る人は、国内で、海外で出来る人は、海外で・・・

この活動にさえ、嫉妬と、やっかむ人たちがいる。

私の活動を止めるのは、唯一つ、お金である。
お金が尽きれば、止める。止めざるを得ない。

そのものの、価値は、後になって、解ってくる。

私は、国内も、国外も、出来ることをしているだけである。

ということは、すべて自己責任において、行為しているということである。
自己責任・・・
海外で、野垂れ死にしようが・・・自己責任。

さて、今回の目的は、唯一つ、ミャンマー、タチレクの少数民族の孤児院支援である。
そして、初めての、食糧支援をする。
衣類は、おおよそ、70キロを持参した。それも、その施設の子どもたちにだけ。

着いた翌日を、一日休み、タイ北部のチェンライに行く。
一番安い飛行機のチケットを取った。
日本で調べて、日本で取る。
日によっても、時間帯によっても、料金が違うのである。

チェンライに到着して、そこでも、休む。
何故、休むか。
乗り物が一番疲れるからである。
そして、疲れると、駄目。
疲れは、気の緩みを生む。

タイに慣れているといっても、注意が必要である。
何が起こるか解らない。

チェンライには、昨年の12月に三年振りに出かけている。
そして、そこから、バスに乗り、ミャンマー国境の町タイ側の、メーサイに行く。

今回は、車をチャーターした。
何故か。
前回は、普通バスに乗り、散々な目に遭ったから。

現地の人曰く、こんなバスに乗っているから、皆、早死にすると・・・

だいたい、50代で死ぬという。
恐ろしい。

私も、腰から両足にきた。
両足の外側の筋が、引きつるのである。
そして、痛む。

前回泊まった、ゲストハウスに泊まるが、レズの経営者である。
二日泊まったが、メーサイに行く日に、変更した。

レズの経営者の姿勢に、違和感を覚えたからである。
その、金儲けのカラクリである。
彼女は、カラオケ店をしていた。
日本のカラオケ店ではない。売春斡旋である。
そこで、莫大な金を得た。

そして、警察が、営業時間を深夜一時までと、改正した。
商売が出来なくなった。その後に、ゲストハウスをしたのである。
ところが、コータが、そのゲストハウスの裏で、彼女が売春斡旋を続けていることを、突き止めた。

表の顔は、ゲストハウスの経営者で、裏の顔は、売春斡旋である。
勿論、私は、売春を否定しない。
だが、その姑息さに、嫌気が差した。

更に、ゲストハウスなどに泊まる、金の無い客を馬鹿にしているのである。
無意識に、である。
それが、随所に出る。

彼女も、私を避け始めた。
それで、変更である。

次ぎの、ゲストハウスは、更に安い、350バーツ。800円程度である。

エアコンの無い部屋なら、150バーツからある。

食事は、屋台と、市場から買う。
本当に、お金がかからない。
それを、私は、楽しむ。

そして、地元の人たちと、交流する。
それが、楽しい。

日本人を、タイ語で、ニープンと言う。
ニープン、ニープンと呼ばれて、その家の中に招かれることもある。

家といっても、小屋のようであり、その前のオープンリビング、居間である。
言葉が通じないのに、何となく、解る・・・・
不思議なものである、人間とは・・・


posted by 天山 at 03:26| ビルマの希望に会う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月29日

ビルマの希望に会う3

車は、私がチャーターした。
チェンライから、国境のメーサイまで。一日である。
車代が1000バーツ、運転手が、500バーツである。

タチレクでは、二時間を費やす計画。
おおよそ、五時間程度になる。

この運転手さんは、学校の先生で、後、四年で定年退職だという。
本当に、とぼけている人だった。

両親と、子供三人、奥さんの生活を見ている。
給料では足りないと、土日、運転のアルバイトをしている。
一ヶ月の給料は、六万円程度。

その学校は、チェンライから、三時間以上かかる場所にあるというから、驚いた。

私たちの、活動のあらましを、説明する。
彼は、良く解ったと言う。
大丈夫、車の中で待っていると・・・ところが・・・

兎に角、国境の入り口まで、車が進んだ。
そこで、荷物を下ろして、それでは、二時間後に連絡すると約束をする。

オッケー、オッケー
とは、言うものの、ホント大変な目に遭った。

さて、土曜日であるから、国境は、混雑している。
しかし、外国人専用の出国ブースは、まずまず。
途中で、タイ国籍の夫婦が、戸惑っていたが、その後は、スムーズに流れた。

荷物を持って、国境の橋を渡る。
と、子供たちが、ニコニコしながら、近づく。
前回の、子供たちである。

特に、女の子は、とても嬉しそうだった。
でも、
今回は、上げるものがないから、ね・・・
後で、逢おうと英語で言うと、一人の少年が理解した。
待ってる、待ってる・・・

前回、衣服を上げたので、着ているものは、綺麗だ。
ただ、前回逢わなかった、男の子は、相変わらず、汚れたシャツを着ていた。

次ぎは、ミャンマー入国である。
パスポートを預けて、入国の証明書を貰う。
そして、一人10ドルを払う。

アウンサン将軍と、現在の大統領の写真は、撤去していた。
更に、係官も、軍人ではなくなった。
銃を持つ兵士の姿も無い。

ミャンマー側に出る。
すると、突然の、勧誘である。
トゥクトゥクのおじさん、若者が、一斉に勧誘を始める。

タチレクの見何処の写真を掲げて・・・
それが、また、煩い。
トゥクトゥクでは、小さいので、ミニバスに乗ることにしていた。

だから、私は、あまり煩いので
やかましい・・・
と、怒鳴った。

ヤカマシイ、ヤカマシイ・・・
彼らが、口々に言う。
意味は、解らないだろう。

誰一人、近づかなくなった。

そして、下に降りて、ミニバスを探す。
ミニバスといっても、日本のバン程度の大きさで、両側に座席を作ってある。

ミニバスの止まる場所で、私は、孤児院のパンフレットを出して、ここに行きたいと言う。
ところが、そのパンフレットには、住所が書いていないのである。

運転手たちが、電話をして、場所を尋ねている。
おおよそ、場所が解った。
乗り込む前に、料金を聞いた。

500バーツ・・・
何・・・
なんで、500バーツもするんだ・・・
また、怒鳴った。

観光で回っても、300バーツである。

怒鳴って、馬鹿者・・・
と言った時、一人の青年が、優しく声を掛ける。
あのー日本人ですか・・・
ええ・・・
もし、良かったら、お手伝いします・・・
とても、流暢な日本語である。

彼は、ガイドだった。

私が、車を用意します。300バーツでいいです。ミャンマーの子供たちに、ありがとうございます。

手伝います、という、彼の言葉を信じて、車を任せた。
私は、米や、お菓子、ジュースなどを買いたいと言うと、市場に案内しますと、言う。

それでは、と、走り出した。

コータが心配して、彼に、あなたのお礼は、幾らですか、と、尋ねた。
いいえ、気持ちでいいです。
それで、安心して、任せたのである。

市場に行き、米屋を探した。
彼が先頭に立ち、私たちが、後ろに着いた。

米屋では、古い米が安くて美味しいと聞く。
新しい米は、水を含んで、べちゃべちゃするというのである。

そこで、一俵を買うことにした。
彼は、孤児院に寄付するので、料金を下げて貰ったと言う。

そして、隣の店で、お菓子類を買う。
更に、ジュースや、インスタントラーメンなどである。

市場の中で、すべて用意が出来た。
ただ、米以外は、タイ側で買うと安いと言われた。
ここでは、皆、タイ側から買って売っているという。

買い物は、すべてタイバーツで済んだ。

私が物を選ぶと、彼は、まず値段を聞いてから・・・と、アドバイスする。
安い物だと、思い込んでいるので、それは、正解だった。

安くしない店には、寄付するものだと、言っているのに・・・
と、彼は、憤慨した。

日本の人が、ミャンマーの子供たちのために、こうして来てくれているのに・・・
ありがたい、言葉だった。

兎に角、揃えて、施設に向かう。
私は、国旗を掲げた。

以前と同じように。
手を振る人たちもいる。

施設に行く道々の家は、皆々、貧しい小屋である。
それも、心に刻む。
国境から離れると、皆、貧しい暮らしの中にある。


posted by 天山 at 08:03| ビルマの希望に会う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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