5ドルである。
矢張り、5ドルで良かったのだ。
彼は、私たちと知り合いになり、次も、会うということで、満足したようである。
今度は、更に回りたいと、私は告げた。
ありがとう・・・
と、彼が言う。
さて、翌日の夜である。前回も書いたが、書き足りないので、書き足す。
最後の夜なので、街中に出ることにした。
歓楽街といってもいい。
そこは、別天地である。
ネオン煌く、華やかさ。
屋台が立ち並ぶ通り。
まず、そこで食事をすることにした。
カンボジア名物、いや、シェムリアップ名物である、鍋物。
ジンギスカンの鍋に似たもので、その上に肉を置き、下の空間に水を入れて、野菜を入れる。
その他に、焼き飯も頼む。
多国籍の人たちが、そこに集う。
そこだけが、賑やかな街。
食べ終えて、チェックすると、5ドルである。安い。
しかし、私たちは、いつも、もっと安いものを食べている。
それから、夜の街を見て回った。
三本ほどの道に、レストランから、バーまで、びっしりと並ぶ。
世界の料理が食べられるようである。
一軒、一軒を、見て歩く。
そして、芸人たちが、演奏する道に出た。
そこには、韓国人のグループが大勢いる。
民族楽器を演奏する、五人の前に出た。
その前に置かれた、英語、韓国語、日本語の説明の、日本語を読んだ。
地雷被害の人たちである。
私たちは、もう、物乞いはしません。
演奏という仕事をして、家族を養い、子供を学校に通わせます、という、内容が書かれてある。
私は、2000リエルを出して、箱に入れた。
すると、真ん中にいた、中心人物なのか、その人が、手を合わせて、感謝する。
その時である、後ろにいた、一人の男性が、服を上げて、私に見せた。
えっ・・・
あっ・・・
あの部落にいた人である。
私が差し上げた、服を掲げて見せてくれたのである。
コータが、すぐに写真を撮ろうと言うので、彼の横に行き、写真を撮った。
コータが、習い覚えた、カンボジア語、クメール語で話した。
とても、嬉しかった。
すると、演奏が始まった。
何と、韓国民謡の、アリランである。
そこで、世界一歌の上手い私が、韓国語で、アリランを歌った。
途中から、韓国人たちが、歓声を上げた。
私は、自分の肩掛けバッグの、日の丸を見せた。
すると、拍手はするが、私を見ないのである。
要するに、無視する訳である。
折角の、友好のチャンスと、思ったのに・・・
私の、考えが、甘いのである。
特に、国旗をつけた、韓国人のグループは、そうである。
まあ、いいかっ・・・
演奏の皆さんに、手を振り、そこを去った。
そして、ゲストハウスに向かう。
服の一枚で、知り合いになれるのである。
私は、忘れていたが、相手は、覚えている。
何度も来るうちに、そうして、多くの知り合いが出来る。
私の宝である。
部屋に着くと、八時を過ぎていた。
寝る用意である。
コータは、また、出掛けるらしいが、私は、もう、充分に見た。
思い出したが、帰る道で、女二人に声を掛けられた。
そこで、彼女たちのところに行くと、どうも、変だ。
カトゥーイと、尋ねた。
一人の女が、違うという、仕草である。
しかし、後で、コータが彼女たちに、確認したところ、カトゥーイだった。
カトゥーイというのは、タイで、カンボジアでは、カトーイという言い方をするらしい。
まあ、カンボジアも、レディーボーイが多くなったらしいとのこと。
コータが彼女たちと飲んで、色々と聞いたという。
また、ゲイたちも多くなり、また、観光客のゲイたちに教えられて、ゲイになる、男子もいるという。
いつも、後進国に思うことだが、先進国の進み方を超えて、発展しているようである。
例えば、携帯電話である。
固定電話は持たないが、皆、携帯電話を持つ。
アイホォンという形のものを、持つ人も多い。
情報が、先進国並みに届くということだ。
ゆっくりと、発展するのではなく、急速に発展する。
レディーボーイ、ゲイのことも、そうである。
そして、若者が多いから、いきなり物凄い力で、未来に向かう可能性がある。
アセアン、東南アジアを、馬鹿に出来ないのである。