2012年02月01日

カンボジアの悲劇8

トゥクトゥクのお兄さんには、バンコクへ戻る日の、空港行きも、御願いした。
5ドルである。
矢張り、5ドルで良かったのだ。

彼は、私たちと知り合いになり、次も、会うということで、満足したようである。
今度は、更に回りたいと、私は告げた。
ありがとう・・・
と、彼が言う。

さて、翌日の夜である。前回も書いたが、書き足りないので、書き足す。
最後の夜なので、街中に出ることにした。
歓楽街といってもいい。

そこは、別天地である。
ネオン煌く、華やかさ。

屋台が立ち並ぶ通り。
まず、そこで食事をすることにした。
カンボジア名物、いや、シェムリアップ名物である、鍋物。

ジンギスカンの鍋に似たもので、その上に肉を置き、下の空間に水を入れて、野菜を入れる。
その他に、焼き飯も頼む。

多国籍の人たちが、そこに集う。
そこだけが、賑やかな街。

食べ終えて、チェックすると、5ドルである。安い。
しかし、私たちは、いつも、もっと安いものを食べている。

それから、夜の街を見て回った。
三本ほどの道に、レストランから、バーまで、びっしりと並ぶ。

世界の料理が食べられるようである。
一軒、一軒を、見て歩く。

そして、芸人たちが、演奏する道に出た。
そこには、韓国人のグループが大勢いる。

民族楽器を演奏する、五人の前に出た。
その前に置かれた、英語、韓国語、日本語の説明の、日本語を読んだ。

地雷被害の人たちである。
私たちは、もう、物乞いはしません。
演奏という仕事をして、家族を養い、子供を学校に通わせます、という、内容が書かれてある。

私は、2000リエルを出して、箱に入れた。
すると、真ん中にいた、中心人物なのか、その人が、手を合わせて、感謝する。

その時である、後ろにいた、一人の男性が、服を上げて、私に見せた。
えっ・・・
あっ・・・
あの部落にいた人である。
私が差し上げた、服を掲げて見せてくれたのである。

コータが、すぐに写真を撮ろうと言うので、彼の横に行き、写真を撮った。
コータが、習い覚えた、カンボジア語、クメール語で話した。

とても、嬉しかった。

すると、演奏が始まった。
何と、韓国民謡の、アリランである。

そこで、世界一歌の上手い私が、韓国語で、アリランを歌った。
途中から、韓国人たちが、歓声を上げた。
私は、自分の肩掛けバッグの、日の丸を見せた。
すると、拍手はするが、私を見ないのである。

要するに、無視する訳である。

折角の、友好のチャンスと、思ったのに・・・
私の、考えが、甘いのである。

特に、国旗をつけた、韓国人のグループは、そうである。

まあ、いいかっ・・・
演奏の皆さんに、手を振り、そこを去った。
そして、ゲストハウスに向かう。

服の一枚で、知り合いになれるのである。
私は、忘れていたが、相手は、覚えている。
何度も来るうちに、そうして、多くの知り合いが出来る。
私の宝である。

部屋に着くと、八時を過ぎていた。
寝る用意である。

コータは、また、出掛けるらしいが、私は、もう、充分に見た。

思い出したが、帰る道で、女二人に声を掛けられた。
そこで、彼女たちのところに行くと、どうも、変だ。
カトゥーイと、尋ねた。

一人の女が、違うという、仕草である。
しかし、後で、コータが彼女たちに、確認したところ、カトゥーイだった。
カトゥーイというのは、タイで、カンボジアでは、カトーイという言い方をするらしい。

まあ、カンボジアも、レディーボーイが多くなったらしいとのこと。
コータが彼女たちと飲んで、色々と聞いたという。

また、ゲイたちも多くなり、また、観光客のゲイたちに教えられて、ゲイになる、男子もいるという。

いつも、後進国に思うことだが、先進国の進み方を超えて、発展しているようである。
例えば、携帯電話である。
固定電話は持たないが、皆、携帯電話を持つ。
アイホォンという形のものを、持つ人も多い。

情報が、先進国並みに届くということだ。

ゆっくりと、発展するのではなく、急速に発展する。
レディーボーイ、ゲイのことも、そうである。

そして、若者が多いから、いきなり物凄い力で、未来に向かう可能性がある。
アセアン、東南アジアを、馬鹿に出来ないのである。


posted by 天山 at 00:09| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月02日

カンボジアの悲劇9

シェムリアップで、初めて感じた絶望に似た感情から、偽善という、言葉が出た。それは、無力という言葉とも、つながり、私を悲しくさせた。

私は、偽善者である。
人に言われる筋合いはないが、偽善者であろう。
それは、絶望の叫びだった。

一体、私は、何が出来るのか・・・
ほんの少し、気分を晴らすために、衣類を配る程度・・・

自己満足で、良かったのであるが、今回は、その悠長さが、無くなった。

それとも、野心なのか。
国連がやるような、大きな、支援活動をしたいのか。
それは、無理である。
不可能である。

莫大な資金がいる。
そんなことは、出来ない。

そんなことを、考えつつ、空港に向かった。

ちなみに、トゥクトゥクのお兄さんは、忙しく、その仲間の若者が来た。
観光の仕事を得たのだろう。
その若者も、初めから、私たちに好意的で、空港で別れる時、何度も、ありがとう、ありがとう・・・と言う。

それは、私の支援に対する言葉であると、すぐに、解った。

彼は、何も、貰っていない。しかし、同じシェムリアップの人が、衣類を貰ったことに、感謝するのである。

その、感謝の言葉が、私の心に、次第に、息吹を与えた。
他人が支援を受けても、ありがとう・・・
自分でなくても、ありがとう・・・

ああ、出来ることしか、出来ないのだから、しないより増しであり、矢張り、行為して、絶望を感じ、偽善を感じるべきなのだ。

バンコクまでは、一時間である。
隣の国に、一時間で行けるという、陸続き。

もう一度言う。
日本の支援により、ミャンマーの町から、タイのカンチャナブリを通り、バンコクに至り、シェムリアップに向かい、そこから、二つに分かれて、ベトナムの、一つは、ハイフォンへ、一つは、ホーチミンへ向かう幹線道路が、出来る。
アセアンが、つながる。

三年後、アセアンでは、ビザか必要無くなる。
その、中に、日本が入る。

この一帯は、親日である。
更に、日本のパスポートが、世界的に一番信頼される。

日本人であることが、自然に僥倖になっているのだ。

中々入国を許可されない国でも、日本人は、スムーズに行く。
パプアニューギニアの空港で、長く足止めされていた、中国人・・・

今は、アフリカでも、日本と日本人に来て欲しいと、言う。
ブラジルの経済復興は、日本人の支援の賜物である。

日本の民間企業も、昔と一変した。
単なる、利益追求ではない。
その地の人たちに、何が出来るのかを考えて、行動する。

工場を建てる前に、インフラ整備する。
現地の人たちに喜ばれ、感謝されて、更に、職を与えるということで、日本の名声が高まる。

日本は、素晴らしい国に、成長しているのである。

バンコクに着き、最初のホテルに一泊して、預けていた荷物を持って、スクンウイットに向かった。
そこで、一泊して、その辺りのカンボジア流民、更に、ミャンマーの難民の人に支援するために、留まる。

私たちが、泊まる、ゲストハウスの従業員は、皆、ミャンマーからの出稼ぎであるから、彼らから、情報を得ようとするが、曰く、少数民族の人たちは、言葉も違い、解らないという。

何処に、住むのかも、解らないのである。
ではと、私たちは、路上に向かい、物乞いたちに、聞きまわる。

タイ人の、物乞いの、おばあさんに、尋ねた。
ミャンマーの物乞いは、何処に・・・
ああ、あっちに、沢山いるよ・・・
でもね、ミャンマー人とは、言わない、皆、カンボジア人という・・・

本当にそうであり、ミャンマー語でも、クメール語でも、通じないのだ。
つまり、少数民族の人たちである。

ところが、一日に、何度も居場所を変えるのであるから、かくれんぼ、である。

私と、コータは、別々に歩き、確認するが、支援物資を持っていない。
うまい具合に、見つけると、小額のタイバーツを渡すのみ。

そのうちに、夜になる。
すると、もう大変な混雑であり、その中に、埋没してしまう。

必要な人を捜して行く・・・
とんでもない、支援方法を考えたものである。

夜、食事をして、少し見回り、ホテルに戻り、八時半である。
もう、諦める。

私は、シャワーを浴びて、寝る用意をする。
そして、ベッドに横になると、出掛けていた、コータが戻り、タイアイ族の母子が、衣類が欲しいと言うと、伝えに来た。

浴衣を取り出して、急ぎ、その場に向かう。


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2012年02月03日

カンボジアの悲劇10

そのタイアイ族の、母子は、陸橋の下にいた。
子供は、知り合いなのか、タイ人の二人のおばさんに、あやされていた。

急いで、走り、バッグを開けて、必要なものを尋ねる。
タオルも、子供衣服も、彼女のものも、欲しい・・・

私は、取出して、渡したが、手に荷物があり、持てないようである。
更に、子供を抱えて、帰るのであるから・・・

そこで、ビニール袋を出して、その中に入れて、車が来るまで、待った。
タイ人のおばさんたちも、協力してくれ、母子を、送る。

私が心配なのは、母親が、気が弱いことだった。
よくぞ、ミャンマーから出て、バンコクで、暮らしているものだと、思った。
それでも、バンコクにいた方がいいのだ。

食べて行ける。
それを、あからさまに見たのは、次の祖母と孫の二人である。

私は、部屋に戻り、時刻が、12時を回ったことを知り、もう、今夜は、終わりだと、ベッドに入った。
しかし、コータは、また出て行く。

そして、うとうとし始めた頃・・・
先生・・・
コータである。

ゲストハウスの前に、カンボジアの婆さんと子供が、いる・・・
えっ・・・

その二人のことは、ゲストハウスの人たちも、気に掛けていたらしい。
従業員が、コータに、あの二人は、父親と母親が、不法滞在で強制送還されてから、二人で、物乞いをしたり、ダンボールを集めて、生きている。
そして、寝る場所が、ゲストハウスの下、丁度、店の玄関前の、少しの間なのであると、教えたと言う。

また、急ぎ、私は浴衣を着て、出た。
本当に、隣の店の前に、子供が寝ていた。

お婆さんは、その子供を見つめて、座ったままで、眠るのだろう。

すぐに、子供用の衣服を取り出し、更に、靴があったことを、思い出した。
丁度合うものだった。
更に、お婆さんも、靴が欲しいと言うので、大きめのシューズを上げた。
更に、余りに、二人の姿が凄まじくて、私は、300バーツを差し上げた。

この生活でも、国に帰らないのは、何故か・・・
国に帰っても、食べられない。だから、バンコクにいると言うのである。

当局に、申してで、帰国させるべきだと、私は思ったが、違った。

難民である。
ミャンマー、カンボジアが、いかに、貧しいか・・・

両国ともに、最貧国である。

ゲストハウスのフロントでは、従業員が待っていた。
そして、皆が、私に感謝する。
フロントの女性は、ガッツポーズまでした。

皆々、心に掛けていたのである。
しかし、出来ることは、少ない。
自分たちの、お金さえ、ミャンマーにいる家族に送金しなければならないのだ。
だから、二人に、共感するのだろう。

部屋に戻ると、一時半を過ぎていた。

本当に、疲れた。
そして、疑問を考える間もなく、眠った。

帰国して、ミャンマーが、急速に、民主化に進んでいるという、情報である。
兎に角、このままでは、国民が死ぬ。
国民が死ねば、国が終わるという、意識に目覚めたようである。
経済制裁を解くためにも、民主化が必要だと、大統領が決定したのである。

アウンサンスーチーさんも、補欠選挙に出馬するという。
ヤンゴンでは、民主化により、取材も、スムーズに行くようになり、警官に後をつけられることもなくなったと、言う。

更に、私服警官も、いない。

それを聞いて、心から、喜んだ。
だが、まだ時間は、かかる。
その間に、少数民族の人たちは、祖国を後にする。

私たちの、帰国の飛行機にも、前回と同じく、ミャンマーの少数民族の人たちが、アメリカへ移民として行くために、30名ほど乗っていた。

この、糠に釘の行動・・・が、いつか・・・

ミャンマー独立の父は、アウンサンスーチーさんの、父親である。
独立記念日の歌に、日本と共に・・・という、歌詞がある。
凄いことである。

アウンサン将軍は、日本と共に・・・なのである。

ミャンマーが民主化し、自由に発言できるようになると、国民は、日本に対して、どんな態度になるのか・・・

ビルマは、日本によって、独立を勝ち取った・・・
と言う人たちが、多々いるであろう。

更に、日本人が、ビルマの人の、苦しさを理解してくれた・・・

一番、信頼される、国、日本である。

日本企業の誘致は、スムーズである。
そして、市民も、日本企業大歓迎なのである。

日本人の大多数は、それを知らない。

下賎な話をする。
最も、最下層にいる、売春地帯の人たちが、優しくて、金払いの良い、日本人を最も歓迎すると言う。


posted by 天山 at 00:01| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

カンボジアの悲劇11

翌日、ホテルに移動した。
それは、別の地区にある、ホテルである。
一泊、918バーツという、値段である。
千バーツは、2500円である。私たちには、料金の高いホテルである。

もう一つ気になっていた、水害に遭った、スラムへの支援である。

そのホテルの付近にスラムは、ある。

タクシーを使い、50バーツ程度の距離。
支援物資は、最後の一つのバッグである。

帰国まで、二日である。
つまり、一泊は寝るが、二泊目は、深夜、空港に行くのである。

それでも、ゆっくりと過ごす事が出来た。
それは、なんと言っても、そのホテルの従業員のお陰である。

チェックインした後で、私は、部屋のある、四階のベッドメークのおばさんに、話しかけた。
この辺に、スラムがありますよね・・・知っていますか・・・
その、おばさんは、即座に、私は、そこから働きに来ています・・・と言う。

私は、目的を話した。すると、
案内しますと言う。
それじゃあ、と、私は、支援物資のバッグを部屋から持ってきて、中味を見せた。

これを、渡したい・・・
タオルが多く、女物の衣類が多かった。

おばさんが、その地区から働きに来ている人たちを、電話で呼び始めた。
必要ですか・・・と、私は言った。
皆さん、必要ですと、言う。

そこで、五名ばかりの人たちに、渡し始めた。
そして、今回は、残りの物を、皆さんに渡して貰えますかと、聞いた。
すると、勿論、皆、喜んでくれますから、持って行きます・・・
それじゃあ、次回は、私を案内して下さい・・・
と、皆さんに、残り物を託した。

私は、どんな物が必要ですか、と、聞くと、女物が欲しいと、言う。
女物は、溢れるほどあるので、次回は、女物を多く持参することを、約束した。

と、いうことで、一気に終わったのである。
そして、ホテルの従業員に知れ渡ることになる。

翌朝、フロントに、今夜の料金を、支払いに行くと、その中にいた、おばさんが、私は不幸ですと、言う。
えっ・・・
私は、何もあなたから衣類を貰わなかった・・・と言う。私も必要です・・・
何と、昨日のことが、知れていた。

オッケー、次ぎに来る時に、沢山持ってきます、と、私は言った。
すると、ホテルのカードに、自分の名前を書いて、渡してくれる。
本気である。
これは約束を守らないと、いけない。

ちなみに、こちらのベッドメークの人たちの、月給は、6500バーツである。日本円にすると、一万六千円程度である。
ゲストハウスのビルマ人の、五千バーツより高いが、矢張り、その程度である。

さて、そのホテルでは、レストランがあるが、朝にコーヒーを飲むだけで、食事は、ホテルの道沿いに出ている、屋台の麺を食べた。
それが、30バーツで、安くて、旨い。

麺が黄色麺で、日本のラーメンに似る。
分量も、丁度良い。
屋台であるから、道路にテーブルと椅子が用意されて、そこで食べる。
車がびゅんびゅんと走る中を、食べる。
埃を気にしては、食べられない。

夜は、地元の食堂である。
そして、果物は、カット売りしている、屋台から買う。

カット売りの果物・・・
不衛生・・・と、言う人は、現在のタイのそれを知らない人である。
知ったかぶりの、人たちに言われた。カット果物は、危険だと。

そんなことは、全く無い。
実に、安全である。
つまり、不衛生ではない。昔と違う。

10バーツ、25円で、好きな果物を食べられる。
私は、パイン、すいか、熟したパパイヤが好きだ。
すぐに食べる方が、より安全なのだが、私は、逆に、すぐに食べないで、時間を置いて食べる。
甘さが増すのだ。

そうして、帰国の日、時間が迫る。
その間に、マッサージをする。
ホテル付近は、高いが、少し歩いて、地元の人たちが行く、マッサージは、180バーツで、フットマッサージ、タイマッサージが、受けられる。

帰国して、マッサージに行くことは無い。
その料金と比べて、余りにも、高いからだ。
200バーツとしても、500円である。

空港に向かうために、ホテルを出たのは、深夜一時頃である。
三時の搭乗手続きまで、待つ。

スワナプーム国際空港は、お馴染みになってしまった。
様々な、人種が見られる。
そして、世界が広いことを知る。

真冬の日本に戻るのである。
そして、本当に、真冬、真っ只中の日本に戻った。
今までにない、寒さであった。


posted by 天山 at 00:00| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月05日

神仏は妄想である。360

鎌田東二著 神道のスピリチュアル、には、面白いことが、書かれてある。

日本人が自然をどうとらえたかという問いに対して、そもそもそのような問いは成立しないという答え方ができる。というのは、古代日本にも、中世日本にも、現代のわたしたちが考えているような、現象世界や外界の対象としての「自然」という概念は存在しなかったから、というのがその理由だ。わたしたちの先祖は、「自然」という概念やフレームワークで「それ」をとらえることはなかったのだ。
鎌田

私を論破することは、できない。私には、そもそも、論というものがないからである。
とは、インドの竜樹の言葉である。
まあ、ここまで行かなくても、日本の自然というもの、その概念がなかったと言われれば、もう話しは、おしまいである。
自然という、言葉で、話し合う時、その概念がないから、その問いは、無駄であるということ。

日本人の、自然という言葉は、天地自然の、自然というものではなかった。
それは、心のあり方、心の姿として、捉えられている。

自然法爾・・・歎異抄
老荘思想の、無為自然など・・・

現在の、自然の概念は、19世紀以降からのものである。
それは、natureの、翻訳語として、確立されてきたものである。

近代的概念、自然科学的、外界的対象世界としての、自然である。

日本人は、前回書いたように、自然の働きを、ムスビとして、認識していた。

その、語源は、古事記にある。
天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神。次に神産素日神、この三柱の神は、独神と成り坐して、身を隠したまひき。

あめつちはじめてひらけしとき、たかあまはらになれるかみのなは、あめのみなかぬしのかみ、つぎにたかみムスビのかみ。づきにかみムスビのかみ。このさんはしらのかみは、ひとりがみとなりまして、みをかくしたまひき。
たかみムスビ、かみムスビ、この二神の、ムスビに、注目である。

共に、産素日、である。
産む、素の、日

自然の働きを見たものである。
つまり、天地自然を産み続ける行為である。

鎌田氏は、
次に二番目に出現する「高産素日神」は「大いなるむすびの神」の意味であり、続いて三番目に出現する「神産素日神」は端的に「むすびの神」を意味するから、神々の中でもより具体的で実質的な初源神は、結局のところ「むすびの神」であるということになる。とすれば、「古事記」冒頭部は「むすびの神」の神学を説いているといえる。
と、指摘する。

そして、神話は、高天原の天津神と、葦原中国の国津神の、ムスビによって、「国生み」と「国譲り」をしたという、お話しである。
その二つの、神の系統が、二柱の「むすび」の神々なのである。

つまり、天津神の祖霊神が、たかみむすびのかみ、で、国津神の祖霊神が、かみむすびのかみ、なのである。

鎌田氏は、天津神は、朝鮮半島から渡って来た、一族であり、弥生系の神々であるとする。
そして、国津神は、縄文時代からの、土着の神々とするが、私は、そうは、思わない。

弥生時代以降に、稲と、鏡を携えてきた一族が、天津神・・・
違う。
稲作は、縄文期の後半、500年から、始まっていた。

一つの解釈として、ここに書いておくのみ。

神話に従えば、稲は、天照大神から、豊葦原に送られたものである。

稲作は、南からやって来たという、説もある。
これが、考古学、歴史学という、学問の世界の話である。

ちなみに、日本書紀では、その表記が違う。

高皇産霊尊、神皇産霊尊
たかみムスビのみこと、かみムスビのみこと、である。

簡単に言うと、古代日本人は、ムスビという、意識において、自然を捉えていたということである。
そのもの、すばり、結び、である。

岩波古語辞典では、

むすひ「産霊」(ムスは、ムスコ(息)・ムスメ(娘)のムスと同じ。草や苔などのように、ふえ、繁殖する意。ヒはヒ(日)と同じ。太陽の霊力と同一視された原始的な観念における霊力の一)生物がふえてゆくように、万物を生みなす不可思議な霊力。
後世「結び」と関係づけられて解釈されたが、意味上も、清濁・アクセントの点からも、起源的には関係ない。

起源的には、関係ないと、書かれるが、現代に説明をする場合は、最も、解りやすい言葉である。

つまり、結ぶことによって、生まれる、行われる、行為が、自然の姿なのである。

であるから、自然の本質をすでに、観たと、考える。

息子や、娘の、ムスは、苔生す、というように、生まれることを言う。
その、ムスことの、力を、日、ヒが、介入して、行われる。

太陽の日が、まさに、万物を生む不思議な力を持つ霊力と考える。

自然の生成力を、そのまま、産素日神、産霊日神、と、表記したのである。

最初に、「むすび」の神学を提唱したのは、本居宣長である。
だが、それは、極めて、偏りの多いものである。
本居宣長にとって、古事記が最高のものであり、何一つ、疑うことのないものだった。それを、漢字の意味に、侵されてはならないとの、思いから、古学、いにしえまなび、の正しき道を、説いたのである。

確かに、漢字の意味で、解釈すると、誤るのは、何度も書いてきた。
日本語は、大和言葉によって、解釈しなければならないとは、私が言うことである。

それでは、参考に、むすび、を、大和言葉で、分析する。
むウすウびイ
ウと、イの母音である。

ウは、呼び出す、イは、受け入れる、である。

呼び出して、受け入れる。
もし、アであれば、開くであるから、
アイは、開いて、受け入れる、ということになる。

あいうえお、の、一音で、すべての言葉の、本質が理解できるようになっている。
言霊は、音霊、おとたま、により、そして、数霊、かずたま、による。


posted by 天山 at 06:16| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

神仏は妄想である。361

神道の自然観を見るために、ミルの論文を紹介し、更に、神道の自然観の一部を書いた。

ここで、更に、ミルを続けず、1670年に出版された、スピノザのエチカと並ぶ、神学・政治論、から、自然観を推察してみる。
スピノザは、聖書の批判、哲学と神学の分離、国家に対する、教会の従属性、思考と自由を主題にする。
今では、当たり前のことだが、当時は、到底、受け入れ難いものだった。

これにより、如何に、当時以前は、蒙昧だったかということである。

自然を捉えるのに、ユダヤ教、キリスト教が、如何に、お粗末だったということが、解るのである。
つまり、最初から、観念により、すべてを理解するという、観念まみれの、考え方をしていたのである。

余計なことを、言えば、西洋の思想に侵された日本人の多くも、西洋の観念により、多くを考えるようになり、日本の考え方を、卑下したのである。
実は、西洋よりも、自由で、融通無碍の考え方をしいた、日本人を、知らないのである。

訳語を使い、語り合うことが、第一級と、信じてしまった、哀れな人たちが、多く生まれた。

人間の把握力を越える知識を神的な知識と呼ぶように、その原因が一般に知られない出来事を人々は通常的な業、或いは神の業と呼ぶ。何故なら民衆は自然の中に何か常ならぬこと・彼らが平素自然に関して持っている意見と矛盾するようなことが起こる時に、神の能力と摂理とが最も明らかに現れると考える、殊にその出来事が彼らの利益又は利益をもたらす場合に於いて然りである。
だから彼らは自然がその秩序を守らないーーそう彼らは信じるーー時に神の存在が最も明瞭に証明され得ると思うのである。
スピノザ

そのように、考えていたのである。
そこで、スピノザは、言う、

この故に彼らは、諸物又は諸奇跡を自然的原因に依って説明し・或いは理解しようと努力するすべての人々を目して、神を或いは少なくとも神の摂理を否定する者と見做す。
換言すれば彼らは、自然がいつもの秩序に従って活動している限り神は何ら活動していないと考え、之に対して神が活動している限り自然の能力と自然的諸原因とは働きを停止していると考えるのである。
かくて彼らは種類において相互に区別される二つの能力即ち神の能力と自然物の能力とを表象する、もっとも後者は神から一定の様式に従って決定されたもの、或いは(人々が今日概ね考えているところによれば)神から創造されたものではあるが。
しかし彼らはこの両能力を如何に解すべきかについて、また神並びに自然を如何に解すべきかについて何も知らないのであり、ただ神の能力を尊厳な王侯の支配の如く表象し、自然の能力をば暴力又は衝動の如く表象するのみである。
スピノザ

私は、これを観念まみれ、と呼んでいる。
更に、ユダヤ教においては、それが、実に甚だしいのである。

そこに、創造主という、神の存在が、壁になり、自然を真っ当に見ることが、出来ないのである。

人間の、理性と、知性を、狂わせる、創造主、神という、観念である。
彼らの、問題解決は、すべて神に行く。

かくの如くにして民衆は常ならぬ自然の業を奇跡あるいは神の業と呼び、更に一つには敬神の念から一つには自然的知識を尊ぶ人々への反感から、諸物に関する自然的原因を知ろうとはせず、ただ自分たちに最もわからない事柄、従って自分たちの最も驚嘆し得る事柄をのみ耳にしたがる。
実際彼らは自然的諸原因を無視し・一切を神の支配と意志とに関連せしめるすべを知らないのである。
そして彼らは自然の能力を恰も神に征服されたかの如く表象することによって最も多く神の能力を驚嘆しているのである。
スピノザ
読みやすく、改行している。

ここで、スピノザの問題が、浮き彫りになる。
一切を神の支配と意志とに関連せしめるすべを知らないと、言うのである。
彼の、聖書批判、等々、彼もまた、新しい解釈者となるのである。

そして、哲学と、神学の分離も、実に遅いのである。
それは、当時の西洋史を振り返るまでもなく、ユダヤ、キリスト教の支配が、如何に強かったかということである。

ここで、明確にしておかなければならないことは、キリスト教が、ローマ帝国の国教になる、以前は、あくまでも、ユダヤ教の一派であるという、認識である。
旧約聖書を、奉じるのであるから、当然、ユダヤ教の中に含まれるという、意識である。

突然、ユダヤ教と、キリスト教と、分かれたわけではない。
それ故に、ローマ帝国の国教と、なっても、人の意識としては、ユダヤ教の一派なのである。

旧約聖書に、新約聖書を加えたのであり、今でいえば、著作権の大変な侵害である。

西洋文明は、ユダヤ教文明なのである。
キリスト教は、そこに、ギリシャ哲学を持って、ユダヤ教からの、脱出を試みたのである。

だから、スピノザも、
こうした事の起こりは原初のユダヤ人から来ているように思われる。
と、書くのである。

原初のユダヤ人たちは目に見える神々―――太陽、月、大地、水、空気等―――を尊崇していた当時の異教徒たちを説得するために、そしてこれらの神々が微力な、不安定な、或いは可変的なものであり、目に見えぬ神の支配下にあるのであることを異教徒たちに教示するために、自分たちの見た諸奇跡を語り、その上これを根拠に、全自然はユダヤ人たちが尊崇している神の支配によってユダヤ人たちのみの利益になるように導かれていることを示そうと努めたのである。
スピノザ

ユダヤ人の、観念が、西欧を覆ったのである。
そして、ユダヤの神が、西欧を覆った。

更に、キリスト教を通して、世界に伝播するという。
今は、自然観について、書いているので、いずれ、そのユダヤ人の、旧約聖書の嘘八百を書くことにする。

恐るべき観念であり、それが、キリスト教、ないし、新キリスト教、更に、新興キリスト教に於いても、変わらないのである。

つまり、キリスト教系は、ユダヤ教から、抜けきれないのである。


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2012年02月07日

神仏は妄想ある。362

古代のユダヤ人が、異教徒に対して、自分たちの、神を教示するために、その奇跡を語り、それを根拠に、全自然は、ユダヤ人たちの神が支配していると。そして、ユダヤ人の利益のみになるように、導かれているということを、示した。
との、ピスノザの指摘だった。

だから、一時期、ユダヤ人たちが、支配したと、考えてよい。
というより、ユダヤ人の神を主として、利益を得るように導いたのである。

自分たちが他の人々より神に愛されており・自分たちのためにこそ神は一切を創り且つ絶えず一切を導いているのであると他から思われようとしたのである。何という僭越を民衆の無知は敢えてすることであろう。
スピノザ

民衆というより、ユダヤ人である。
ちなみに、スピノザも、ユダヤ教徒であった。
だが、破門されるのである。

だいたい、本当のことを言う人は、破門されるか、殺される。
主イエスも、そうであった。

これというのも彼らは神についても自然についても何ら正しき概念を持たぬがゆえであり、又神の意欲を人間の意欲と混同するがゆえであり、最後に又自然を限定的に考えて人間を自然の中心であると信ずるがゆえである。
スピノザ

と、古代のユダヤ人、及び、それに影響を受けた人々のことを言う。
これで、西欧の自然に対する、根本的な見方が、解るというもの。

それで、スピノザは、四点の指摘をする。
その一つは、
何物も自然に反しては生起せず、反って自然は永遠・確固且つ不可変的な秩序を守ること。なお、又同時に奇跡なるものを如何に理解すべきかについて。
スピノザ

これに関して、
すなわち神が意欲し或いは決定する一切は永遠の必然性と真理とを自らの中に含むということから容易に証明される。
と、言う。

これが、キリスト教、カトリックに取り込まれることになる。

神の知性が神の意志と区別されないということからして、神があることを意欲するというのと神があることを認識するというのと同一事である・・・
スピノザ

神がある物をその通りに認識するということが神の本性と完全性とか出てくるその必然性、その同じ必然性を以って、神がそのものをそのある通りに意欲するということから出てくるのである。ところで、すべてのものは神の決定に依ってのみ必然的に真なのであるから、これからして、自然の普遍的法則は神の本性の必然性と完全性とから出てくる神の決定にほかならないということが極めて明瞭に帰結される。
スピノザ

この翻訳ものの、言葉によって、日本人は、やられてしまった。
上記のように、説明することが、頭の良い人の言うことだと・・・

神という、観念から、抜けられないのが、西欧の思想哲学である。
この戦いを、日本人は、経験しないから、云々という、識者たちがいる。

神との、戦いなくして、思想は、生まれない云々、である。

その、神という、観念を、これでもか、これでもかと、問う西欧の哲学者たち・・・
ご苦労である。

しまいに、日本は、神不在の云々となると、もう、手の施しようがないのである。

だからもし自然の中に自然の普遍的法則と矛盾する何事かが起こるとすれば、それは必然的に神の決定、知性、本性とも矛盾することになる。
あるいはもし人が神はあることを自然の法則に反してなすと主張するなら、その人は同時に、神が神自身の本性に反して事をなすことを主張せざるを得なくなるのである。
しかしこれほど不条理なことはない。なおこのことは自然の能力が神の能力ないし至力そのものであり・神の能力は神の本性そのものであるということからも証明され得るが・・・
スピノザ

それで、自然の中には、自然の普遍的法則に、矛盾する何事も起こらない、というのが、スピノザの見解である。
つまり、それは、ユダヤ人たちが言うところの、奇跡の話しを否定しているのだ。

それは、神というものを、新たに、創り出そうという、思考である。

つまり、ユダヤ人たちに対して、ユダヤ教に対して、そんなものではない。
神とは・・・
と、批判しているのである。

そして、世俗的なカトリックは、これは幸いと、取り込んでしまうのである。

ユダヤ教に対抗し得る、キリスト教の神観念となるわけである。

生起する一切は神の意志と神の永遠の決定とによって生起するからである。
スピノザ

健全な理性は自然に対して限定された能力ないし至力を帰するように我々を教えはしないし、また自然の法則がある一定のものにのみ妥当してすべてのものに妥当しないと主張するようにも教えもしない。
スピノザ

注があり、
ここに自然というのは単に物質とその諸変状とのみを意味せず、むしろ物質の外になお無数のものを意味する。と、ある。

続きである。
何故なら、もし自然の力ないし能力が神の力ないし能力そのものであり、自然の諸法則・諸規則が神の決定そのものであるとすれば、我々は自然の能力が無限的であることを、並びに自然の法則は極めて包括的であって神の知性が概念する一切物の上に及ぶということを全然容認しなければならぬからである。
さもなくては神は自然を無力なものに創り、自然に対して効力なき法則や規則を与え、その結果神は自然を維持しかつ諸物を自分の希望通り展開させるためにはますます新たに自然を助けなければならぬといったようなことを人は認める外なくなるであろう。しかしこうした認定は理性から最もかけ離れたものであると余は考える。
スピノザ

つまり、奇跡という言葉は、人間の見解に関連してのみ、理解される。
奇跡とは、我々が、その自然的原因を、他の普通の事柄の例によって、説明し得ない。
また、少なくとも、奇跡について、書き、また、語る人自身は、それを説明し得ない。

だから、
古人は確かに民衆が通常自然的諸物を説明するように説明することが出来ないことを皆奇跡と思ったのである。
スビノザ

旧約聖書の奇跡に対しての、批判である。

だから聖書の中には疑いもなくその原因が奇跡として語られているのである。
スピノザ

聖書のほんの一部を除いて、奇跡は、単なる民衆の無知ゆえであると、言うのである。
だが、それを、説得するために、神という、新しい概念を創り出すという、努力である。

そうして、神学という、妄想の一つに掲げられるのである。


posted by 天山 at 00:03| 神仏は妄想である。第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月17日

伝統について。51

今だにも 目な乏しめそ 相見ずて 恋ひむ年月 久しけまくに

いまだにも めなともしめそ あいみずて こひむとしつき ひさしけまくに

今、逢っている時だけでも、よく顔を見せてください。逢うことなく、恋に苦しむ年月は、長いでしょうから。

めなともしめそ
目には、乏しいほど・・・だから、良く見てください。
何かの事で、恋人が、遠くへ出掛ける前の歌か・・・

同時の旅は、命懸けであるから。

朝寝髪 われは梳らじ 愛しき 君が手枕 触れてしものを

あさいかみ われはけずらじ うつくしき きみがたまくら ふれてしものを

朝の、寝乱れた髪を、梳かしません。愛しい、あの方が、枕として手が触れたものですから。

意味は、このままである。
だが、名歌といわれる。
そのままを、写した歌。
愛しい君が、触れた髪を、そのままにしている。それが、愛の証拠なのだ。愛の名残なのだ。
幾人のも人の心を、捉えた歌だろう。語りつがれて、万葉集に収められたと思う。

早行きて 何時しか君を 相見むと 思ひし情 今そ和ぎぬる

はやゆきて いつしかきみを あいみむと おもひしこころ いまそわぎぬる

早く行き、早く君を見たいと思っていた心は、今、穏やかになった。
恋人に会う前の心境は、今も昔も、変わらない。

和ぎぬる
やわらかくなる。穏やかになる。平穏になる。
その繰り返しを続けて、いずれ夫婦になる。

面形の 忘れへあらば あづきなく 男じものや 恋ひつつ居らむ

おもかたの わすれへあらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ

顔、形が、忘れられる器であれば、いたずらに男たるものが、恋いつづけていようか。

それは、器ではない。人間の女なのである。
だから、こそ、忘れられないのである。
男であるから、女を忘れられないのである。

言にいへば 耳にたやすし 少くも 心のうちに わが思はなくに

ことにいへば みみにたやすし すくなくも こころのうちに わがおもはなくに

言葉で言っては、大したことではないと、思われるだろう。だが、心の中では、少しのことだとは、思っていない。

言葉とは、手段である。
だが、人の言葉を本当に理解するのは、至難の業である。
言葉を軽く扱うようになるのは、明治期以降である。

西洋の訳語が、氾濫した。
そして、そのまま、敗戦後は、更に、アメリカの訳語が氾濫し、日本語の意味さえ、益々と、曖昧模糊となった。

そして、訳語で語り続ける行為を、良しとして、賢い馬鹿たちが、言論を繰り返した。
日本語を、訳語で説明するという、無謀である。

日本語は、日本語によって、説明されなければ、ならない。

万葉集も、最初は、漢字の音によって、表現された。
漢字を分析しても、解らないのである。
大和言葉によって、解釈することである。
主客転倒が、日本語を滅ぼすのである。

posted by 天山 at 16:16| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

霊学50

自己愛人間は一見相手に惚れ込んだり、親身になって世話をしたり、思いやりを抱いたりしているようにみえることがあります。表面温かく親密で相手本位の態度をとることもあります。本人自身も相手を本気で愛しているように思い込むこともあります。自分を親切で世話好きで、人のためにつくす人間だと思うこともあります。人のために奉仕したり、愛他精神で一杯なこともあります。
小此木

自分を美化したり、理想化し、相手も、そのことで、喜び、感謝していると、思い込む。
自己―対象に、自分と相手を形作る。そして、一体感を味わう。

しかし、自己愛人間のすべてこれらのかかわり方は、実は、相手の立場や気持ちを、本当に認識したところでかかわっているわけではない点に特徴があります。つまり自己愛的な同一視のメカニズムによって「相手と一体であるかのように」「愛しているかのように」「かわいがっているかのように」「面倒みているかのように」かかわっているのです。
小此木

相手になる人は、よほど強い人でなければ、この自己愛人間に、呑み込まれてしまうのである。

自己愛人間を、傷つけたくないと、思えば、我慢を強いられるのだ。
友人、恋愛関係でも、最初は、うまくゆくが、いずれ破綻する。

主観的には、自分が相手を世話しているが、実は、相手に依存しているということに、気づかないのである。

勿論、二人共に、錯覚の中に、安住すれば、問題無い。
割れ鍋に綴じ蓋という、ことわざがある。

ただし、破綻した場合は、うつ病になりやすいのである。
つまり、自己愛的に同一視によってしか、相手と関わることが出来ない人が、うつ病にかかりやすいのである。

一般的に自己愛的な同一視が起こるのは、相手が自分と同じ気持ちを持ったり、同じ感覚を持っていると思い込むときに一体感が起こって成立するわけです。ですからそれが濃厚なときには、熱烈に愛情が通っていい関係をもつことができるのですが、ひとたび食い違うと深刻な破綻が生じてしまいます。しばしば、この破綻―幻滅をきっかけにうつ病状態におちこんだりします。思い込みがはずれて、裏切られた、背かれた、だまされたという怒り、うらみ、くやみにさいなまれます。
小此木

ただ、日本人の場合は、常に、このような自己愛的同一視が、主役を演じる、民族であることを、自覚すべき。

日本には、契約という、考え方が育たなかった。
それは、それで、良いことだったが、その代わり、互いの思い込みによって、関係が始まるのである。

恩を返すという言葉が、日本人の心に、強く持たれるのは、それが前提にある。

いずれにせよ、日本人の場合、つねに心理的に自己愛の延長物としての愛情の対象をもっていないと寂しいという人が多いようです。
小此木

改めて、日本人の人間関係が、自己愛的同一視のメカニズムを、主役にしているという特徴を感じる。

それは、戦国時代から、準備され、江戸時代に完成する。
主君と家臣の関係・・・

自と他が未分化で自分と相手を理想化して、よい関係を想定してかかわり合う傾向がとくに強いようにみえます。
小此木

さて、小此木氏は、日本的自己愛人間と、日本的マゾヒズムの関係について、述べている。

私が日本的マゾヒズムの特徴としてあげているのは、相手本位で、とても思いやりがあって、共感性が高いということなどです。
小此木

以下は、私が要約する。

他者の自己愛を、とても、重んじるという、対人関係である。
それが、伝統的にあり、人権尊重思想が入ってきた場合でも、本人自身が人権を主張するというのではなく、日本に元々ある、配慮、思いやり、相手を尊重しようという、相手本位の気風と、一致したものになった。

それが、母親と子どもの関係のように、子どものために、一生懸命尽すという形で、子どもの人権尊重精神を、日本的マゾヒズムと結びつけたという。
しかし、結果、子どもの自己愛を助長してしまった。

欧米人と、比べると、彼らは、大声で自分を主張するが、日本人は、日本的マゾヒズムの仮面をかぶっているという。

日本的マゾヒズムをかぶると、それは、自分が欲しいものを、自分が満たすより、子どもに満たさせる、自分の自己愛を、犠牲にして、子どもの自己愛を満たすことで、満足する。

自己愛的同一視のメカニズムが働いているのです。つまり日本的マゾヒズムの対人関係様式そのものが実は日本的自己愛のみたし方でもあるわけです。
小此木

みんな思いやりとか親心というマゾヒズムの仮面をかぶるわけです。
小此木

しかし、
それが実は親自身の自己愛をみたすためのものなのだということが子供にもだんだんとわかってくる。こうした子どもの目ざめが家庭内暴力などを引き起こすことにもなるわけです。
小此木

小此木氏は、少し話しが飛躍している。
それと、これとは、別物であると、私は言う。

会社と自分を自己愛的に同一視して、マゾヒステックに会社のために献身する。しかし、それを通してみんなからほめられたり、評価されたりすることを期待しているわけです。ですからマゾヒステックになることによって、自分の自己愛を最終的にみたそうという隠された願望があるわけです。
小此木

そして、その思い込みが、外れると、恨み、辛みが起こり、恩知らず、と言うことに成ると言うが・・・

分析をよくする者、実は、分析に溺れる。

つまり日本的な誇大自己は、最終的には自己愛をみたすためなのに、見かけの上では非常にマゾヒステックな形であらわれます。ところが西洋的なあり方は、むき出しの強欲さと自己主張が出て、人を顧みないし、共感性がない。日本的な自己愛人間は、日本の社会の中で、適応様式として、日本的マゾヒズムを使うわけです。このような自己愛のみたし方が日本人特有のみたし方なのです。
小此木

ここまでは、当たり前といえば、当たり前である。
問題は、現代において、それが、歪んできたことである。

このように、分析されると、なるほどと、思うが、何のことは無い、それが、普通のことなのである。日本では・・・

問題は、これが、どのように、心の病気に、結びついてくるかということである。
また、適応障害になるか、である。


posted by 天山 at 00:09| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月19日

霊学51

次に、小此木氏は、
日本的な自己愛は、お互いが自他未分化なまま自己―対象になり合って暮らしていることを意味していますが、この認識は日本社会が母性社会であるという考えにも対応するとらえ方です。
と言う。

そもそも母親は子どもを自分の延長とみなしてしまうし、自分の子どもであるというだけで、理想化してみています。ところが母親が子どもをかわいがるのは自己愛の最たるもので、自分と分化しないものとして子供をかわいがるわけです。子どもにとって母親が自己―対象であると同時に、母親にとっての子どもも自己―対象なのです。しかも女性の自己愛は、現代ではもっとも尊重されるものの一つです。性的な自由だけではなく、母親の子どもに対する母性本能も全面的に美化されている。
小此木

一般の読者を対象にしているせいか、実に、回りくどい説明が続く。

結果は、母と子の世界は、社会以前の感覚的自己愛的な世界である。
そこに、父親が入り、三者関係が成立するとき、初めて自己愛的な世界ではない、第三者が入り、理性的な世界が成立する。

だが、現代は、その第三者としての、父親の存在が希薄である。
よって、子どもは、母と子の、自己―対象の結びつきから、離脱しないまま、思春期まで、成長してしまうことが、起こる。

そして、
自己愛的な人間関係しか子どもにもてない母親に育てられると、子どももそういう自己愛的な関係しか身に付かないわけです。自己愛的な人間関係様式が母親から子どもへと再生産されることになるわけです。するとそこでは母と子の関係の水準で誇大自己がつくりあげられてしまって自我理想が身に付くようなエディプス・コンプレックスを克服する段階に達しないことになります。
小此木

だが、それは、本当かと問えば、人によりけりである。
それだけではなく、思春期前後に、友人、知人などによって、母親との関係を、切る、離脱することが、多々あり、その方が、多いといえる。

分析の通りに、進めば、問題ない訳である。

これでは、多くの人、近親相姦の様子になる。
こういう、一見して、冷静な分析により、逆に、まとまるものも、まとまらなくなるのである。

一理はあるが、三里も、五里もある訳ではない。

ある程度の、水準の家庭では、限定しない方が、間違いない。
これを鵜呑みにし、理解しては、事を誤る。

自我理想は、別の形でも、成長する。
父親不在でも、別の男性、例えば、年上の男子などにより、刺激されて、育つこともある。

母子家庭で、立派な子どもに育ち、15歳にして、自殺するというも悲劇は、確かにある。母の理想に応えて、努力したが、途中で、息が切れて、死ぬ。

それならば、それは、母と子の、自己愛的人間関係様式によって、死を選んでしまったということで、そこに、第三者が介入していればと、思うこともある。

母と子の関係の水準で、誇大自己が作り上げられるという人は、多くは、無い。

人の心を、暴露して、悦に入るという、心理学というものにも、罪があるのである。

そんな意識が、全然無かったが、分析により、知恵を与えられて、解ったつもりになるという、賢い馬鹿が多い。

読み物としては、面白い。
だが、以下は、どうだろうか・・・

そもそも自己愛人間は、相手を愛するからその人と付き合うのではなく、自分の自己愛をみたすために付き合うということができます。
小此木

性生活さえもお互いの性的な欲求や愛情の満足のためというよりは、相手と自分のかかわりを自分たちの自己愛をみたす道具に使うわけです。・・・・
それぞれが、TV、CMや女性雑誌のグラビアの主人公になったような思い込みの中で自分の自己愛をみたすために相手と付き合っているわけです。
小此木

それで、いい。
それくらいが、普通の人の、恋愛なのである。

何も、問題はない。

性の解放以前には、男女関係の基本は性の満足だった。ところがいまのように性の満足が自由に手軽に手に入るようになると、性の満足のために男女関係をもつのは当然であって、それだけでは男女関係がみたされないものになってきました。性の満足の上にさらに男女関係の中で価値をもつものは、お互いの自己愛をみたす関係ということになります。
小此木

矢張り、小此木氏の、分析も、古いものになってしまった。

今では、性の満足を求めることもしない、男たちが増えた。
草食系といわれる。

だが、私は、日本の男子が、性の満足を放棄したとは、思えないのである。それは、つまり、マスターベーションの中に、籠もったと見ている。
世界中で、日本の男が一番、セックスの回数が少ないという、統計が出た。
しかし、マスターベーションの回数は、一位である。

つまり、人間関係全般に渡り、希薄になったと、いえる。
それは、男女関係も然り。

疲れる、面倒だ・・・
更に、同性同士でも、満たせる・・・

ガールフレンドがいるという、男子は、飲み会の後で、彼女に、セックスを求められるのが、嫌だという。
より、病的になったのか、健全になったのか・・・
誰も、解らない。
分析不可能な、時代が、到来したのかもしれない。

posted by 天山 at 00:01| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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