2012年01月29日

カンボジアの悲劇5

最初の部落を出て、更に町から遠退く。
畑が広がる。
しかし、緑は無い。枯れている。

観光客には、良い季節といわれる。
11月から、2月まで、乾季なのである。
しかし、現地の人たちは、大変な時期である。
特に、農家の人たちは、何も育てる物がないのである。

シェムリアップ川から、水を引き、畑に取り込む、灌漑設備を作る。
すると、乾季の時期でも、野菜が栽培できる。

農家の人たちの、収入は、そこで採れた野菜を町に行き、売って、お金を得るのである。

現在、シェムリアップでは、日本人のボランティアの人たちが、障害者の自立のために、農業指導をしている。
今回は、そこまで行くことは出来ない。
何せ、限られた支援物資である。

トゥクトゥクが、速度を落とした。
運転手が、右側に見える、家を指した。
農家の家であるが、家というより、矢張り、小屋である。

オッケーと、私が言うと、その家の細道を入った。

子供が二人いた。
何事かと、注目する。
運転手が何か言うと、中から人が出て来た。

おかあさん、少年二人・・・
更に、もう一人の女の人・・・

早速、バッグを開いて、衣服を出す。
子供二人は、男の子で、上半身、裸である。

早速、二人に、シャツと、上着を上げた。
すると、母親が、二人に即座に着せた。

どんどんと、出して、渡す。
少年二人にも、ズボンを上げた。
二人は、腰巻のようなものを、巻いているだけ。

女物も・・・
静かな感動が、伝わる。

男の子が着た状態で、写真を撮る。
英語は通じないから、運転手が私の言葉を、訳して皆に伝える。

家の中に、男の人がいる。
私は、その方を、引き連れて、ズボンを上げた。
とても、申し訳なさそうである。

だが、もう、上着が無い。
次に来る時に、持ってきますね・・・
運転者が何か言うと、私に、ありがとう、と、言っていると、教える。

あっという間に、支援物資が無くなる。
運転手の言うとおり、次ぎも行きますから、この辺りで・・・
オッケー、そうしましょう・・・

と、その時、バッグの底に、ノートの束があった。
あれっ、ノートがあったんだよ、と、独り言。

私は、運転手に、先ほどの村の子供たちに、上げてくださいと、渡した。

そして、皆さんに、さようならと、言い、また、トゥクトゥクに乗り込む。
私たちを、見送る皆さん。

道路に出ると、自転車、歩いている子供たちである。
学校帰りであろうか・・・

と、運転手が、あの子供たちに、ノートを上げて下さいと言うのである。
先ほど、差し上げたものを、再度受け取り、子供たちに声を掛ける。

一人の女の子が、振り向いて、近づいてきた。
そして、ノートを渡すと、大声で、皆に知らせるのである。

子供たちが、走り出して来る。
自転車に乗った子も、急いで来る。

ノートが、どんどんと、皆の手に渡る。
すると、近くの家から、赤ん坊を連れた母と、近所の人たちが出て来た。

そこで、また、衣類を出して、渡すことにした。
赤ん坊の物は無かった。
裸で、ヨチヨチ歩いてくるのである。

何も上げる物が無い。

ただ、女たちには、充分に上げることが出来た。
先の子供たちも、見ている。

また、来るよ・・・
私は、ジャパニーズ・テン・・・

子供たちが、テン、テンと、呼ぶ。
実に、楽しそうだ。
ノート類も、すべて無くなった。

半数の子が、裸足である。
靴が必要だ。
サンダルでもいい。

それで、支援物資が、すべて無くなり、支援活動は、終わり。
あっという間の出来事。

一時間もかからないのである。
ゴーバック・ホテル・・・
トゥクトゥクの運転手も、実に満足そうである。

だが、私の心は、次第に、絶望に変わってゆく。
この活動は、何だ。
偽善だ。
偽善者である。

周囲の風景にあるものは、絶望である。
ここで、人が生きているのだ。
この乾いた地で、雨季まで農業は、出来ない。
一体、彼らは、何を食べているのか・・・

そして、私の行為は、何だ・・・
この、糠に釘のような、活動。
考えると、腹立たしくなってくるのである。
無力であることが、偽善なのである。

支援物資は、日本に山ほどあるのに・・・

ゲストハウスに着いてから、少し運転手と、話しをした。
意外なことを、聞くことになる。




posted by 天山 at 00:10| カンボジアの悲劇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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