2012年01月22日

最後の沈黙を破る。59

日本が豊かだと、聞かなくなった。
1965年あたりから、豊かという、言葉が良く用いられ、その後、20年ほど、日本の豊かさが謳われた。

更に、豊かになったが、心が貧しい・・・
高度経済成長を遂げて、世界から、アジアの奇跡と、呼ばれる。

だが、そのうちに、清貧の思想などという、本も出た。

そして、今は、豊かなのか、どうなのか・・・よく解らなくなった。

実は、日本は、豊かなのである。

昔は、その豊かさを計るように、ホテルで、捨てられる料理の残りが、どのくらいとか、残版で、世界の人を何人救えるだとか・・・いろいろあった。

私は、太平洋の島々を回り、東南アジアを回り、13カ国を回って、気づいた。
矢張り、日本は、豊かなのであると。

衣類の支援物資を頂く。
随分な量である。
これらを、着ないというから、驚く。
それだけ、物が豊かなのである。

どんどん捨てる術・・・
捨てて、開運する・・・

捨てる、という言葉が、多くなるほど、豊かさは、続いている。

貧しい国は、アメリカ、日本からの、古着を売る。
それでも、売れる。

更に、金があれば、何でも買える・・・
金で買えないものは無い・・・

そんなことは、無い。
金があっても、物がないから、買えない場所もある。

勿論、どんなに貧しい国でも、衣類は、売っている。
しかし、それを買うか、買わないかは、一度、三度の食事代になると、考えると、迷う。

食べなければ死ぬから、衣服を買わず、食べ物を買う。

ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマーの山間部は、寒くなる一方である。
しかし、日本のように、冬物が無い。
死ぬ人もいる。

フィリピンのような、暑い国でも、インドネシアのスラムでも、冬物がいる。
しかし、それを用意出来る人は、限られる。

暑い国は、日焼けを防ぐ意味で、日本の冬物のような服を着るのである。

ストリートチルドレンは、更に、悲惨である。
何も無い。

日本には、養護施設があり、ストリートに子どもが、寝泊りすることはない。

さて、食べ物である。
日本では、世界の至るところの料理が食べられる。
そして、選べる。
それは、豊かさである。

この、豊かさを忘れた・・・
若者たちは、生まれた時から、そうだから、もう、それが当たり前であり、貧しさを知らないほど。

更に、貧しさから、生まれるものも、知らない。

欲しい物は、与えられる。
それが、当たり前。

そして、大人になる。
その結果誇大自己が、そのままに成長する。
肥大自己といっても、いい。

更に、子どものままの、全能感である。

そして、大人たちは、礼儀作法のように、このままでは駄目になる・・・
何が・・・
子どもが・・・
ウソである。
自分たちが、駄目になっているのだ。

その、大人たちも、豊かさの中で育った。
団塊の世代が、代表である。

子どもに伝えられるものを、持たない世代である。

親に頼めば、物も金も、得られた、世代である。
そして、今、同じように、子どもに、されている。
更に、この先、どうなるのか・・・

富を得て、安楽に過ごした国は、歴史を見て通り、皆々、滅びた。
だから、日本も滅びるとは、言わない。

貧しさを、学べばいいのだ。
何処で・・・
貧しい国に行くことである。

ただし、ツアー旅行では、駄目。
一人でも、数名でも、その国の、ありのままの姿を見る場所に行くことだ。

庶民と一緒に、過ごす。食べる。

恐ろしくて、出来ない人は、ただ、道に立って、見ていてもいい。

どう考えても、日本が、豊かであると、気づくはずだ。
食べ物を選べない人たちが、多数いることを知る。
衣服が一つだけしかない人がいるのを、知る。

そして、どうして、日本が豊かなのかと、考えるべきなのだ。
最も、最高の、生きている学問が出来る。

更に、持っている人たちが、無い人たちに、与える行為を知る。

更に、金ですべてが、解決するなどという、軽薄な考えは、持たないようになる。
そして、日本に帰り、本当に、日本に生まれて良かったと思う。

日本の豊かさは、すべて借金によるものではない。
日本の、千兆円にのぼる借金は、他の国に支援した金額である。

国民は、皆で、豊かになった。
そういう時代があった。

今は、貧困問題が、話題に上がる。
それを商売にする人たちもいる。
ヤクザや、学者、識者、活動家である。

貧困問題でも、金を儲ける事が出来るのである。

貧困は、自己責任だとは、誰も言わない。
すべて、政治と行政の問題であると、堂々と言う。

政治家の質が落ちているのは、国民の質が落ちているのと、同じである。
わが身のことしか、考えられないからだ。
それが、誇大自己、肥大自己、そして、全能感を持った、大人になれない、子供のままの人たちである。

つまり、豊かになって、成長することを、止めたのである。

少しの、配慮と、少しの、配分を考える人たちは、救われる。

世界は、それに向かっているからだ。
つまり、共生と、分かち合いの精神である。
だから、グローバル化という。

経済のグローバル化は、世界平和に貢献し、人的交流、共生と、分かち合いは、人間と民族のグローバル化となる。

民族や国の違いを、楽しみ、持てる者が、持てない者に、分かつ。
時代は、そのように、流れている。

流れについて行けない人たちは、当然、滅びる。
滅びるということは、孤立するということである。

孤立は、死を意味する。




posted by 天山 at 00:00| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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