2012年01月21日

もののあわれについて。550

年の暮れには、む月の御装束など、宮にはただ、この君一ところの御ことを、まじることなう急い給ふ。あまたくだりいと清らにしたて給へるを、見るももの憂くのみおぼゆれば、夕霧「ついたちなどには、必ずしも内へ参るまじう思ひ給ふるに、何にかく急がせ給ふらむ」と聞え給へば、大宮「などてかさもあらむ。老いくづほれたらむ人のやうにも宣ふかな」と宣へば、夕霧「老いねどくづほれたる心地ぞするや」と、ひとりごちて、うち涙ぐみて居給へり。かの事を思ふならむ、と、いと心苦しうて、宮もうちひそみ給ひぬ。




年の暮れには、正月のお召し物などを、大宮は、今はただ、この君、夕霧、一人の事だけを、準備される。幾組も、見事に仕立てされたが、それを見ていても、夕霧は、嫌な感じがするので、元旦などには、特に参内しなくてもいいと、思っていますのに、どうしてこんなに準備するのでしょう、と、申し上げると、大宮は、どうして、そんなことが、ありましょう。年を取って、すっかり気落ちしたようなことを、おっしゃいますね、と、おっしゃる。夕霧は、年は、取りませんが、すっかり、気が抜けたような気持ちがします、と、おっしゃり、涙ぐんで、座っている。あの事、雲居雁のことを、思っているのだろうと、大宮も、可哀想だと、泣き顔になる。





大宮「男は、口惜しききはの人だに、心を高うこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものし給ひそ。何とかかうながめがちに思ひ入れ給ふべき。ゆゆしう」と宣ふ。




大宮は、男は、身分が低い者でも、気位だけは、高く持てと、いいます。あまり、沈んでいないことです。どうして、こんな物思いで、くよくよしていらっしゃるのか。縁起の悪い事です。と、おっしゃる。





夕霧「何かは。六位など人のあなづり侍るめれば、しばしの事とは思ふ給ふれど、内へ参るももの憂くてなむ。故大臣おはしまさましかば、たはぶれにても、人にはあなづられ侍らざらまし。物へだてぬ親におはすれど、いとけけしうさし放ちて思いたれば、おはしますあたりにたやすくも参りなれ侍らず。東の院にてのみなむ、御前近く侍る。対の御方こそあはれにものし給へ。親いま一ところおはしまさましかば、何事を思ひ侍らまし」とて、涙の落つるをまぎらはい給へる気色、いみじうあはれなるに、宮はいとどほろほろと泣き給ひて、




夕霧は、そんなことは、ありません。六位だなどと、皆が馬鹿にしているようですから、しばらくのことと、思いますが、参内するのも、気が進まないのです。亡くなった大臣が、生きていらしたら、冗談にも、人に馬鹿にされることは無かったでしょう。遠慮のいらない、実の親ですが、はっきりと私を、遠ざけているので、お傍に、いつも簡単に、参ることもできません。ただ、東の院に、お出でになるときだけ、お傍に参ります。対のお方は、親切な方ですが、お母様が、もし、おいでてあったら、何の心配がありましょう。と、涙が落ちるのを、誤魔化している。その様子が、誠に可哀想で、大宮は、一層、ほろほろと、涙をこぼし、

いみじうあはれなるに
夕霧の様子を見て、とても、あはれ、を感じて・・・




大宮「母におくるる人は、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世宿世に、人となりたちぬれば、おろかに思ふ人もなきわざなるを、思ひ入れぬさまにてを、ものし給へ。故大臣の今しばしだにものし給へかし。限りなきかげには、同じことと頼み聞ゆれど、思ふにかなはぬことの多かるかな。内の大臣の心ばへも、なべての人にはあらず、と、世人もめでいふなれど、昔に変わることにみまさりゆくに、命長さも恨めしきに、おひさき遠き人さへ、かくいささかにても、世を思ひしめり給へれば、いとなむよろづうらめしき世なる」とて、泣きおはします。




母親に、先立たれた人は、それぞれの身分に応じて、可哀想なものですが、放っておいても、前世の約束通り、一人前になれば、誰も、馬鹿にしなくなります。くよくよしないで、下さい。亡くなった、太政大臣が、もう暫くの間でも、生きていたら・・・
この上ない、保護者として、同じように、お父様を信頼申し上げているけれど、思う通りには、いかないことが、多いものです。内大臣の、性格も、そこらの人とは、違うと、世間では、誉めるという話しですが、私への態度は、昔と違うことばかり増えてゆくので、長生きするのも、恨めしいと、思うのに、老い先の長いあなたまでが、こんなに、少しにせよ、悲観しているものだから、いよいよ、何から何まで、この世が、恨めしく思われます、と、泣いている。

さのみこそあはれなれど
その時は、あはれ、であるが・・・
あはれ、が、心象風景だけではなく、置かれた状況、現状に対しても、使われる。

不可抗力に対する、思いを、あはれ、と、表現する。
あはれ、の、風景が更に広がるのである。

心の、極まる思いを、あはれ、と、表現する。

あはれ、を、定義することが、出来ないほど、広がり、それぞれの、文の中で、感極まる、感動する、悲嘆する、また、喜び、感情の極まるところに、あはれ、が、ある。

何かしら、言うに言われぬ思い・・・
あはれ、と、表現する。
無理に、それを、語らない。
そして、語る必要がないのである。

日本の芸術文化に、息づくもの、それは、あはれ、というものを、表現するものなのである。

花鳥風月から、人のあらゆる、行為行動、そして、物に対しても、あはれ、という、言葉が生きる。





posted by 天山 at 00:01| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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