2012年01月06日

天皇陛下について。99

天皇は、制度ではなく、伝統であり、それは、国民の智慧が望んだものである。
とは、私の意見である。

だが、天皇制・・・ということで、話し合うことを、否定しない。

権力を本質として現れた君主は、権力を失い主権者でなくなれば、ほとんど例外なしに滅亡している。これは一々例をあげるまでもなく、東西古今の君主の興亡のあとをみれば歴然と指呼しうるところである。世界各国に、数十年、数百年、あるいは千余年に亘って全く権力を失い主権者の地位から追放されながら、興亡常なき諸政権の上に超越して、最高の国君としての地位を保持しえた者が、日本天皇以外にただの一例でも実在するか。もし実在するというならば、実例を指摘すべきである。
里見

私も、そんな存在は、知らない。

ネパールにて、国王を追放したのは、国民である。
王宮に民が押し寄せて、国王を、追放した。
その後、政治家たちが、儀式の際に、国王が必要ではないかと、議論したが、国民が、受け入れない存在を、国王と認めることは、出来ない。
現在、ネパールに、国王は、存在しない。

欧州にも、国王は、存在するが、それは、国民に許されてのこと。

イギリス国王は、超然としているが、王室の軍隊が存在する。
様々な、王室保全の警察部隊も存在する。

タイの、国軍は、明確に、タイ国王の軍隊であると、教育される。

日本の天皇のような、存在は、世界に唯一である。
そこで、それを有する、日本国民の、その智慧は、世界に対して、恐るべきものだと、認識させる。

これは、天皇礼賛ではなく、事実である。
この事実の前に、どんな議論も、無意味である。

敗戦後の、天皇支持は、国民の九割に及んだ。

日本の歴史上で、とにかく一往、正確に天皇が権力者であったといい得る時代は、近く明示以後七十年と、古くは推古朝頃からその兆しがみえ、大化の改新によって基礎を樹立し奈良朝を経て平安期に藤原氏が摂政となるまでの二百余年にすぎないのである。その他の時代は、周知のごとく、蘇我、物部等の豪族、藤原氏、平氏、源氏、北条氏、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏が事実上の主権者であり、時代によって若干の差異はあるが概して天皇にはほとんど実権がなかった。
里見

そして、天皇の存在が、無ければ、今も、権力者によって、日本には戦いが、絶えずあっただろう。

敗戦後、昭和天皇が、最も恐れたのは、内戦である。
それを止められるのは、天皇以外になかったのである。

何せ、玉音放送の、その直前まで、それを阻止し、戦争を続行させようとの、若い将兵らがいたほどである。
本土決戦に至れば、最早、日本は、亡ぶと、感得したのが、昭和天皇である。

さて、
古今一貫して、天皇に主権があったと主張をする人は、この歴史現象に対し、天皇の御委任ということをいうのであるが、御委任説は事実上成立しない。
里見
と、言う。

それは、右翼系の発想であろう。

徳川の末期になると、京都側では「政道御委任」ということを言い出したが、家康は御委任によって幕府を開いたのではない。
里見

皆々、彼らの、力である。

平清盛も、官位こそ皇室から賜ったけれども、天下の支配者となったのは御委任によるものではなく、彼自身の力によった。その清盛ですら「朝敵たる上は逆徒のチュウ戮は掌の内に候」といっている。
里見

あの、源頼朝でさえ、その弟範頼に対し、朝敵となった者の運命を、諭している。
更に、東大寺再建のために、彼に助力を乞う僧重源が「君の御助力」と言ったことを、咎めて、「頼朝の事にて候か、然らば君の字其の恐れ候事なり」と、諌めたのである。

この時の、君とは、天皇の君であり、頼朝は、自分を君と呼ぶのは、恐れ多いことであり、私は、君ではないと、否定しているのである。

そこには、鎌倉幕府は、君の了承に元に、行っているという、意識である。
天皇の命に従い、幕府を開いて、政治を置こうのであるという、意識である。

誰に、教えられることなくとも、そのように、天皇は存在したのである。

誠に、世界には見られない、日本独自の、観念である。

更に、驚くべきは、承久の乱である。

後鳥羽上皇のご意志として、北条討伐が計画され、それが、大敗した。
幕府は、後鳥羽、土御門、順徳の、三上皇を島流しとし、その年に、即位された、仲恭天皇を廃止したのである。
通常、外国の君主国ならば、皇統は、断絶される、
だが、義時は、後堀川天皇を擁立し、あえて、自ら君主の地位に就くことはなかったのである。

北条氏の行為を、是認している、「六代勝事記」ですら、「臣の不忠はまことに国の恥」としているのである。

何度も言うが、日本の天皇は、日本の歴史を持って、理解しなければ、ならない。

日本人の、潜在意識において、天皇の存在は、昔も、今も、天皇なのである。大君なのであるということ。

天皇を敵にする者は、国民を敵にする者となるのである。

権力を超越し、無限なる、権威の元に存在される、御方として、陛下の存在がある。
私は、啓蒙するために、書いているのではない、
事実を、書いているのである。

私の、考えを言う。
天皇の存在は、無くてもいい。
ただ、日本と言う、国家幻想を持続せしめるとしたなら、天皇の存在なくしては、無理であると、言うことだ。

天皇廃止・・・
それを、唱えて、生涯を終えて、成し遂げた人は、皆無である。

命懸けで、天皇廃止を、訴えた人がいるか・・・

私は知らない。
また、そんな、奇特な人は、いない。

日本の歴史は、天皇の歴史であると、共に、名も無き、国民の歴史である。

その確たる証拠は、万葉集にある。
歌の上では、上下の差は、無い。
歌の上では、皆、平等である。

この思想は、どこの国にあるのか・・・

歌は、芸術、芸能の、分野である。
今も、天皇から、庶民に至るまで、歌会はじめでは、そうである。

文化の、骨格を担う天皇家は、廃れるはずがない、と、共に、国民と、共にあろうとする、天皇、皇室に敵対する者が、この国に、いるだろうか。

国旗掲揚、国歌斉唱に際して、起立し、国に、敬意を表する。
それは、国際的にも、日本国民としても、当然のことであると、得心する時に、日本人は、日本の国民として、誇りを持つ。

無理に、日本人である必要は無い。
今は、どこの国にも、移住する事が出来る、自由がある。

その、自由も、天皇陛下が、存在するからなのである。

今上天皇曰く、国旗掲揚、国歌斉唱の際に、起立することも、強制ではなく・・・
このような、君主は、世界広しといえども、日本の天皇のみ、である。

天皇廃止という者にさえ、それらも、日本人ではないか・・・
天皇陛下は言う。

私は言う。
大愛御心
おほみうつくしみこころ
天皇は、それを、身につけておられる。

日本人として、生まれて、良かった。
これこそ、僥倖である。




posted by 天山 at 08:22| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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