2012年01月05日

天皇陛下について。98

日本の古代をみると、・・・たくさんの小さな独立政権があり、それぞれ君長を立てて国をなしていたがそれらのものは、逐次、連合体を形成していった。かく大きな体系化へと発展する傾向を持ち、氏族連合のような形態に進んでゆくうち、現皇室の源頭たる氏族、これを仮に天皇氏族と呼ぶならば、この天皇氏族を中心とする連合体では、元の各氏族なり部族なりを直ちに全面的に否定することなく、各々の因縁によって一往は各々かりに拠るところあらしめ、その君長はキミとよばれたが、連合体の統一者となった天皇氏族の族長は、これをオホキミと称し、また、のちにはスメラミコトとも称するようになった。
里見

この、大君の、前進は、大政頭、おほまつりごとかしら、である。
いずれ、太古の歴史を書く時に、更に、説明する。

何故、連合体を作れたか・・・
事は、簡単である。

神武天皇即位の際に、各部族、氏族の神を、すべて皇居にお祭りし、何一つも、粗末にしなかったのである。

他国の、君主の歴史には、無い、行為である。
どの国の歴史を見ても、敗者の神は、破壊され、屈辱されて、権力により、成り立つのである。王という名の、権力者であり、権威者ではない。

兎に角、敗者側のものは、すべて、破壊される。
敗者の心を、徹底的に、傷つける。だから、その怨念により、いつか、倒されることもあった。

ところが、日本の場合は、全く違う。
それぞれの、大切なものを、すべて、お祭りするという、行為である。
これが、権威の大元となる。

天皇、皇室は、何と、最初から、民主的なのである。

それは、
この場合、オホキミすなわちスメラミコトの任務は、連合体内部の各小氏族や部族を一々直接に権力的に支配すること(ウシハク)ではなく、それは各自にまかせつつ、別に、全体を精神的に結合せしめる最高の任務についたのである。それがマツリであり祭祀である。
里見

全体を精神的に、結合させる、祭祀・・・
いかに、祭りが、大切な行為であったか、である。

宗教という以前の、人間の、精神的行為である、祭りである。

ここで、宗教とは、その儀式を言う。
儀式無き宗教は、皆無である。

それは、宗教意識の無かった太古から、人間の精神的営みだった。
そこに、言葉が発生することにより、より、強固な精神的結合が、生まれた。

だから、天皇を言葉を発する者として、ミコトと、尊称したのである。
そして、スメラ、ミコトと、成長発展する。

統べる、御言、である。

各々の、行為には、干渉しない。
だが、氏族、部族の、結合の要の際に、御言葉、ミコトを、発する、役割をスメラミコトが、負うのである。

更に、氏族、部族間の、トラブルに際して、話し合いがつかない場合、その調停役として、スメラミコトに委ねる。
その決定には、粛々と従う。
つまり、それが、権力ではなく、権威のあり方なのである。

ミカドに、従うことは、国のすべての人を、納得させ得ることなのである。
と、そのような、国造りを行った、日本民族の、智慧は、計り知れない。

日本の皇室の起源が、権力に存せず、祭祀、精神みの統一に存した(シラス)ことは、この点から否定できない事実であって、たとえ、同時にまたは後れてなにがしかの権力が発生したとしてもそれは副生的であって、本源的ではない。天皇が日本の君主たることは、かくて本質的に権力以外のものであり、しかも、ひとつその起源においてのみならず、歴史を通じて、天皇のこの本質が日本国家の根本的構造の中核を成しているのである。それだから、権力の角度からのみ天皇を観ることは、好意的にせよ悪意的にせよ、護持型にせよ廃止型にせよ、尊敬的にせよ軽視的にせよ、実は、大きな的はずれなのである。
里見

外国の価値判断をもって、天皇を考えることは、出来ない。
何度も言う。
日本のことは、日本語と、日本の歴史によって、解釈しなければならない。

勿論、私は、外国との、優劣を言うものではない。
それぞれの、民族の歴史がある。それを、否定しない。

天皇が、精神の統一、シラスことにおいて、最大の精神的権威を持たれた。
シラス、とは、知らしめる、知らせる、そして、それは、統べることに、繋がる。

現在の、天皇陛下は、連綿として、宮中の行事を、遂行される。
それは、天皇家の個人的な、祭祀と、認識されている。
だが、天皇ご本人は、国民のために、国民の代理として、それを、行う。

国民の目には、見えないが、宮中祭祀は、国の為である。
それが、国民、民族の、精神を統一させる行為なのであるとの、ご意志であろう。

国民が、知らなくても、国民のために、祈られる。

ただ御一人でも、全国民の心を心とし、祭祀を行い、祈られる存在が、日本の天皇の存在なのである。

そのような、御一人を、抱えている国が、日本と言う、素晴らしい国なのである。

国民は、自分のためだけに、生きることが出来る。
更には、言論の自由であるから、天皇に対する、意見も、批判も、非難も、中傷も、勝手気ままに発言できる。

しかし、天皇においては、それ、その国民も、日本国民であるとの、お考えであり、差別はしない。

要するに、それらの、何もかもを、呑み込み、ただ、国民のために、祈る。国の発展のために、祈る。

私が、誇りとするのは、そのような、御方を、掲げているという、この国、日本である。

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜かな
本居宣長

天皇の存在は、その、匂いなのである。

花咲き乱れる姿を、匂う、と表現する国の、天皇なのである。

花が咲くことを、笑う、と表現する国の天皇なのである。

この国の、文化は、皆々、皇室、天皇から、はじまったものである。

世界初の小説、源氏物語も、宮廷が舞台である。
宮廷、朝廷、皇室、天皇の存在が、無ければ、文化は、生まれなかった。
更に、その文化は、皆々、平和なものである。

大和心とは、ダイワシとは、読まない。
やまとこころ、と、読む。

漢字の意味を、探るのではなく、やまと言葉の意味を探れ。



posted by 天山 at 00:18| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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