2012年01月03日

霊学48

性愛や性の営みを、自己愛を満たすための手段とする性格を、性の革命で、有名なウイリアム・ライヒは、男根期自己愛性格、ファリック・ナルシスティックキャラクター、と、名づけた。

男根期自己愛性格とは、非常に自己主張が強くて、理想化した自分があたかも実際に実現しているような確信を抱いてなくてはいられないようなパーソナリティです。
小此木

男の子が、自分のペニスを大切にする男根期の時期で、フロイトは、この段階で、ペニスは、自己愛の中心だと、説明する。

この段階では、自己顕示欲、権勢欲、競争心、優越意識などが特別に大きな価値をもっています。そしてこの段階の男根期の自己愛に固着する人が男根期自己愛性格です。
小此木

それは、また、単なる欲望の満足というより、理想的な自己に関する、幻想を現実化したいという、願望があるということ。

男根期自己愛性格の人は、常に戦闘的で、自分を主張して、人に対して優位に立っていないと、いられないということになる。

他人との、協調性や、永続的な、関係を持つ事が出来ない。
更に、多婚的で、自分の男根期自己愛を満たすためだけに、女性と関わる。

何か、アラブのイスラムの男たちを、連想させる。

女を一度、自分のものにしてしまうと、関心が無くなり、相互に満足を経験するという形で愛を深めることよりも、女を性的に征服して、自己愛を満たすことが、目標である。

イスラム法を見れば、その通りなのである。

ここで、固着という、心理に注目である。
人は、どこかの成長過程で、その段階に、固着することがある。
それは、体が、成長しても、精神が、その段階のままであるということ。

この、固着が、実は多くの、問題、悩みの元であることが、多い。
だが、それに気づくことは、また、苦痛である。

彼らには、決して本当の意味での父性像はありません。男根期に固着しているのですから、永遠の少年なのです。本当の父性像は、男根期自己愛を克服し、法とかルールに従うということを通してはじめて威厳や権威が出てくるのです。
小此木

ライヒは、それには、二つの要因があるという。
一つは、母親から、ちやほやされること。男根期自己愛性格の男は、幼い時期から、母親の寵愛を、一身に受けている。
もう一つの、要素は、去勢不安が強いということ。

1920年代、ライヒは、すでに、自己愛パーソナリティの原型ともいうべき、男根期自己愛性格について、明らかにしていたのである。

ここで、心理学者の、深読みがある。
ペニスを持つ母親である。
去勢不安の時期に、ペニスを持つ母親という、幻想を抱き、ついに、ペニスを持つ母親として、同一化するという。それが、男根期自己愛性格であるという。

つまり本当の男になっているのではなく、実はペニスを持った強い母親に同一視しているのです。
小此木

このペニスを持っている母親像とは、とても恐ろしくて、冷たくて、強いというイメージをもっています。体験的には自分をそれまでとても大事にして誘惑しておいて、最後に去勢してしまうという母親像です。ですから男根期自己愛性格の男性は、母親が自分に対してさんざんかわいがって最後に見捨てたように、女性と付き合っても、相手の気持ちを引きつけておいて、捨ててしまう。母に自分がされたように、女性に対して自分がするわけです。
小此木

そして、自分にペニスがあることを、確認し、去勢不安の否認を繰り返して、母に対する恨みを、女に対して、復讐するという。

ここで、テーマになるのは、相手に対する、愛情ではなく、自己愛が、どれだけ満たされるかであり、自己愛が傷つけられた幻想体験を、相手に味合わせる心理、との、説である。

これを、鵜呑みにして、学ぶ心理学という、妄想の世界に、入り込み、遂には、自分が心理学によって、救われないということで、幻滅する、学者諸氏がいるのだろうと、想像する。

解ったような、説明なのである。

心理学が、人類学と、結びつかないと、説得力がないのである。
更に、遺伝学である。

これは、心理学の遊びである。
意味付けする、遊び程度なのである。

多くの、賢い馬鹿が、こうして、心理学用語を使い、人を分析するのである。
それを聞いて、納得する方も、馬鹿ならいいが、そうではない時、単なる妄想合戦になる。

何故、超心理学なるものが、生まれたか。
それは、単なる心理学では、解決出来ない問題があるということで、出来たのである。

更に、神秘学による、精神分析も、である。

ユングも、狂う手前で、漸く、集合意識、民族意識、家系の意識に気づいた。

潜在意識の追求である。

ただし、この心理学の統計にも、一理も二理もあることは、理解する。
もう少し、続けて、小此木氏の、自己愛人間を見ることにする。

そして、更に、深層心理なるものに、向かう。
現代の人間の心理から、より深く、人間の心理を、探るしか、方法が無い。

過去の人間の例を出して、説明するのは、事後預言と同じである。
新しい人間に、過去の人間の例を、当て嵌めて、判断するのは、怠慢である。

新しい人間は、全く、新しい手法で、分析するのがよい。
その点で、日本の心理学は、実に、怠慢、怠惰である。
欧米の心理学の学説を、説明するのに、始終する。




posted by 天山 at 00:34| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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