2012年01月02日

霊学47

小此木氏は、日本的人間関係の自己愛的ということを、説明している。

実は、日本人の親密な人間関係では、常にこうした自己愛的同一視が主役を演じています。
小此木

つまり、相手を自分の一部として思い、親切、世話、教育をするということである。
それは、契約関係ではない。
その代わりに、恩を返す、という言葉がある。

契約関係は、ユダヤの基本的、人間関係といっても、いい。
更に、それが、欧米まで、拡大した。

つまり親身に面倒をみていればいつか「恩を返す」気持ちになって報いてくれるだろうという期待が強いわけです。
小此木

そして、それを、ひっくり返すと、日本的な支配関係になるというもの。

いずれにせよ、日本人の場合、つねに心理的に自己愛の延長物としての愛情の対象をもっていないと寂しいという人が多いようです。
小此木

更に、加えて、日本的マゾヒズムを挙げている。

私が日本的マゾヒズムの特徴としてあげているのは、相手本位で、とても思いやりがあって、共感性が高いということなどです。
小此木

これは、自己愛人間論から理解すると、他者の自己愛をとても重んじるという対人関係上の態度が、日本人には伝統的にあるということです。人権尊重思想が入ってきた場合でも、それは本人自身が自分の人権を主張するという形にはならないでむしろ、日本人の中にもともとある配慮・思いやりの文化というか、自分を殺しても相手の自己愛を尊重しようという相手本位の気風とマッチしたものに吸収されてしまったわけです。
小此木

大声で、自己主張するという、自己愛人間ではないのである。

アメリカ人が、心理構造として、誇大自己が肥大しているのとは、違うのである。
日本人は、誰もが、日本的マゾヒズムの仮面をかぶっているということ。

そして、日本的マゾヒズムは、自己愛が満たされる期待を、内に含んでいる。

自分の自己愛の満足を犠牲にして、子どもの自己愛を満たすことで、満足するという形。そこに、自己愛的同一視のメカニズムが、働いている。

つまり日本的マゾヒズムの対人関係様式そのものが実は日本的自己愛のみたし方でもあるわけです。
小此木

マゾヒスティックになることによって、自分の自己愛を最終的にみたそうという隠された願望があるわけです。
小此木

欧米的な、それは、むき出しの強欲さ、自己主張が出て、人を顧みない、共感性がない。
日本的自己愛人間は、日本の社会の中で、適応様式として、日本的マゾヒズムを使う。

だが、時代性と、時代精神というものがある。
それにより、そのあり方も、複雑になってゆく。

国際化された、時代、日本人の中でも、自己主張する人が多くなった。しかし、それでも、日本的マゾヒズムを隠しているから、より、複雑になる。

欧米人のように、強い自己主張をしないが、実は、とても強い主張があり、それが通らないと、恨む、忘れない、そして、その観念が固着してしまう。

賢いといわれる人たちに、多くいる。

賢い人たちは、それだけで、肥大自己を抱えているので、その苦しみも、倍化する。
一人でも、その肥大した自己意識を、認めないと、その恨みは、強い。

日本的な自己愛は、お互いが自他未分化なまま自己―対象になり合って暮らしていることを意味していますが、この認識は日本社会が母性社会であるという考えにも対応するとらえ方です。
小此木

そのうえ、戦後は父親的な世界が破綻している。それに比べてまだ確実なのは、母親が子どもを産み育てるということです。
小此木

児童心理の中で、父親が、母親の間に介在することによって、母子の一体感の、イリュージョン、錯覚が破壊されて、父の子ということで、初めて、子が、社会の中に父の名、つまり、社会性を持つ存在になるという。

フロイトは母権社会は父権社会に比べると原始的であるが、その理由は、母権社会は感覚的な自己愛的なものしか許容できない社会だからである、といっています。これに対して父権社会は、より進歩した理性的社会である。なぜならばその子どもが、どの父親の子どもであるかは生物学的なきずなとして証明できない。その父親の子どもであるということは、信頼とか契約という理性的・社会的なものが入ることによってはじめて成り立つからというわけです。
小此木

だが、上記は、もはや、古い考え方である。

生物学的に、証明できる時代に入ったのである。

要するに、母親とは違う、第三者の存在により、子どもは、社会性に目覚めるのである。その、第三者は、父親でなくとも、いいのである。

確かに、父親不在・・・云々という、話しは、よく聞いた。
しかし、親は無くても、子は育つという、昔からの、言葉も、生きている。

小此木氏は、父親も、第二の母親化して・・・
母親と子どもという、ウエートがとても、大きくなった、と言う。

ウエートが大きくなってもいい。
近親相姦が、無ければ、健全である。
近親相姦が、多くなるから、問題なのである。

自己愛的な人間関係しか子どもにもてない母親に育てられると、子どももそういう自己愛的な関係しか身につかないわけです。自己愛的な人間関係様式が母親から子どもへと再生産されることになるわけです。するとそこでは母と子の関係の水準で誇大自己がつくりあげられてしまって自我理想が身に付くようなエディプス・コンプレックスを克服する段階に達しないことになります。
小此木

私の言い方にすると、人は、見ていたモノに影響されて、見たモノのようになる。
だから、その人を、理解すると共に、見ていたものを、推察する事が出来るということである。




posted by 天山 at 00:05| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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