2012年01月01日

霊学46

自己愛的同一視について、小此木氏の、お話しを見る。

自分に対して、親切にしたり、世話をしたり、愛情を向けていても、それは自分のことを、本当に解っていて、そうしているのではなく、結局は、ただ、感情本位に動いている。そうすると、その相手が、実に、自己中心的な人に見える。

最近の若い男女はもちろん夫婦でも友人同士でも、長いことつき合っていたのだが、実際には相手は何も自分のことなんか本当に思っていなかったのだという空しさを相手の心に残すような自己愛人間がふえています。
小此木

人間にとって、自分と自分でないものの、境界線が、どこにあるのか・・・

まず物理的にいえば、自分の肉体によって限られているわけですから、そこに境界線があるように思われます。しかし、自己愛の対象は必ずしも自分の肉体だけにとどまるものではありません。精神的な自己というものは、自分にかかわるすべてよいものだとみなしたいというように、無限に拡大していくことができるものです。このことをナルシスティック・エクステンション、自己愛の延長物、というわけです。
小此木

そして、その対象が、抽象的な存在の場合もあれば、具体的な人物の場合もある。

精神分析では、自己愛的同一視と、呼ぶ。

現代のようなモラトリアム人間の時代の一つの特徴としてスポーツ選手やタレントのようなスターには、ファンやごひいき心理の中で起こすが、国家・民族はじめ自分を超えたより大きな組織・集団あるいは歴史的存在に対しては、昔のようなアイデンティティを意味する自己愛的同一視が起こらなくなったことがあります。愛国心や愛社精神が若い世代になじめなくなったものも、そのため、ということができます。
小此木

この、自己愛的同一視は、フロイトが、同性愛を分岐するところから、始まった。

今では、そんな単純なものではないが、とりあえず、紹介する。

つまり、自分が母親に愛されたいという気持ちを、同性愛的に対象の少年を愛することで、満たそうとする、とのこと。

フロイトは、同性愛は、その心理の裏に、自分が母親から、愛されたいという気持ちが強くあるという。

それで、かつて、自分が母親から、愛されたように、母親に同一化して、相手を愛する。自分が母親になって、相手が自分になる。

自己愛型の対象選択というのは、相手を自分と同じように思って、相手を愛するというかかわり方をいいますが、その意味で、同性愛がその代表的なものだというのです。
小此木

この考え方で、どれほど多くの、同性愛者たちが、困惑したか・・・

学問の権威に晒されたのである。
同性愛は、そういうものだという、観念を持たせられた。

面白いのは、
同性愛の男性は、女性が自分と同じペニスをもっていないということで、女性を軽蔑してしまう。そこで女性が価値のないものになってしまう。価値を見出せないものには惚れこめないわけです。
小此木

同じ体を、持っているから、つまり、ペニスがあるから、自分と同一視である、ということである。

そこで、同性愛は、自己愛が強すぎるために、本当は自分しか愛することができないという心理の持ち主なのだと、フロイトは、主張した。

小此木氏も、
もちろん現代の精神分析では、本ものの同性愛がこれだけのメカニズムで起こるとは考えていません。むしろここでは、フロイトがどんなふうにして、自己愛的な人間関係の分析をはじめたかを知ってほしいとと思います。
と、言っている。

それにしても、そこに至るまで、フロイトの説に、振り回されていたのであるから、恐ろしい。

だが、先に進む。

フロイトが、次に問題にしたのが、惚れ込みである。
自分の中に作り上げた理想自己、かくありたいという自分を、相手に投影して、相手を美化するという、自己愛のメカニズム。

これを、簡単に言うと、小さな親切、大きなお世話、である。

自己愛人間は一見相手に惚れ込んだり、親身になって世話をしたり、思いやりを抱いたりしているようにみえることがあります。表面温かく親密で相手本位の態度をとることもあります。本人自身も相手を本気で愛しているように思い込むこともあります。・・・

しかし、自己愛人間のすべてこれらのかかわり方は、実は、相手の立場や気持ちを、本当に認識したところでかかわっているわけではない点に特徴があります。つまり自己愛的な同一視のメカニズムによって「相手と一体であるかのように」「愛しているかのように」「かわいがっているかのように」「面倒みているかのように」かかわっているのです。
小此木

要するに、・・・つもり、である。
ところが、いつの間にか、そう思う本人が、相手に、調子を合わせてもらったり、相手に配慮されたり、我慢してもらうという、逆の関係になっていく。

実際に依存しているのは、主観的には自分が面倒をみていると思う側なのだが、逆転してしまうというのが、自己愛人間の特徴である、とのこと。

これが、そのまま、続けば、問題がない。
だが、現実は、続かない。
つまり、破綻が起きる。

それでは、どのようにして、破綻が起きるのか・・・

精神分析医の常識として、うつ病になりやすい人は、このような自己愛的な同一視によってしか相手とかかわることができないといわれています。フロイト自身もそうであったといえるようです。
小此木

患者より、医者の方が、問題が多いという、現実である。
だから、患者の苦しみを共感できるとも、いえる。

特に、心理学、精神分析などに、凝る人は、その人自身が、悩んでいるのである。
だから、それで、人を判断するな・・・と、私は言う。

戦時に、ノイローゼ、神経症が、極端に減ったという。
そんな隙がなかったのである。

後進国より、先進国の方が、圧倒的に、精神疾患が多いのである。


posted by 天山 at 00:06| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

霊学47

小此木氏は、日本的人間関係の自己愛的ということを、説明している。

実は、日本人の親密な人間関係では、常にこうした自己愛的同一視が主役を演じています。
小此木

つまり、相手を自分の一部として思い、親切、世話、教育をするということである。
それは、契約関係ではない。
その代わりに、恩を返す、という言葉がある。

契約関係は、ユダヤの基本的、人間関係といっても、いい。
更に、それが、欧米まで、拡大した。

つまり親身に面倒をみていればいつか「恩を返す」気持ちになって報いてくれるだろうという期待が強いわけです。
小此木

そして、それを、ひっくり返すと、日本的な支配関係になるというもの。

いずれにせよ、日本人の場合、つねに心理的に自己愛の延長物としての愛情の対象をもっていないと寂しいという人が多いようです。
小此木

更に、加えて、日本的マゾヒズムを挙げている。

私が日本的マゾヒズムの特徴としてあげているのは、相手本位で、とても思いやりがあって、共感性が高いということなどです。
小此木

これは、自己愛人間論から理解すると、他者の自己愛をとても重んじるという対人関係上の態度が、日本人には伝統的にあるということです。人権尊重思想が入ってきた場合でも、それは本人自身が自分の人権を主張するという形にはならないでむしろ、日本人の中にもともとある配慮・思いやりの文化というか、自分を殺しても相手の自己愛を尊重しようという相手本位の気風とマッチしたものに吸収されてしまったわけです。
小此木

大声で、自己主張するという、自己愛人間ではないのである。

アメリカ人が、心理構造として、誇大自己が肥大しているのとは、違うのである。
日本人は、誰もが、日本的マゾヒズムの仮面をかぶっているということ。

そして、日本的マゾヒズムは、自己愛が満たされる期待を、内に含んでいる。

自分の自己愛の満足を犠牲にして、子どもの自己愛を満たすことで、満足するという形。そこに、自己愛的同一視のメカニズムが、働いている。

つまり日本的マゾヒズムの対人関係様式そのものが実は日本的自己愛のみたし方でもあるわけです。
小此木

マゾヒスティックになることによって、自分の自己愛を最終的にみたそうという隠された願望があるわけです。
小此木

欧米的な、それは、むき出しの強欲さ、自己主張が出て、人を顧みない、共感性がない。
日本的自己愛人間は、日本の社会の中で、適応様式として、日本的マゾヒズムを使う。

だが、時代性と、時代精神というものがある。
それにより、そのあり方も、複雑になってゆく。

国際化された、時代、日本人の中でも、自己主張する人が多くなった。しかし、それでも、日本的マゾヒズムを隠しているから、より、複雑になる。

欧米人のように、強い自己主張をしないが、実は、とても強い主張があり、それが通らないと、恨む、忘れない、そして、その観念が固着してしまう。

賢いといわれる人たちに、多くいる。

賢い人たちは、それだけで、肥大自己を抱えているので、その苦しみも、倍化する。
一人でも、その肥大した自己意識を、認めないと、その恨みは、強い。

日本的な自己愛は、お互いが自他未分化なまま自己―対象になり合って暮らしていることを意味していますが、この認識は日本社会が母性社会であるという考えにも対応するとらえ方です。
小此木

そのうえ、戦後は父親的な世界が破綻している。それに比べてまだ確実なのは、母親が子どもを産み育てるということです。
小此木

児童心理の中で、父親が、母親の間に介在することによって、母子の一体感の、イリュージョン、錯覚が破壊されて、父の子ということで、初めて、子が、社会の中に父の名、つまり、社会性を持つ存在になるという。

フロイトは母権社会は父権社会に比べると原始的であるが、その理由は、母権社会は感覚的な自己愛的なものしか許容できない社会だからである、といっています。これに対して父権社会は、より進歩した理性的社会である。なぜならばその子どもが、どの父親の子どもであるかは生物学的なきずなとして証明できない。その父親の子どもであるということは、信頼とか契約という理性的・社会的なものが入ることによってはじめて成り立つからというわけです。
小此木

だが、上記は、もはや、古い考え方である。

生物学的に、証明できる時代に入ったのである。

要するに、母親とは違う、第三者の存在により、子どもは、社会性に目覚めるのである。その、第三者は、父親でなくとも、いいのである。

確かに、父親不在・・・云々という、話しは、よく聞いた。
しかし、親は無くても、子は育つという、昔からの、言葉も、生きている。

小此木氏は、父親も、第二の母親化して・・・
母親と子どもという、ウエートがとても、大きくなった、と言う。

ウエートが大きくなってもいい。
近親相姦が、無ければ、健全である。
近親相姦が、多くなるから、問題なのである。

自己愛的な人間関係しか子どもにもてない母親に育てられると、子どももそういう自己愛的な関係しか身につかないわけです。自己愛的な人間関係様式が母親から子どもへと再生産されることになるわけです。するとそこでは母と子の関係の水準で誇大自己がつくりあげられてしまって自我理想が身に付くようなエディプス・コンプレックスを克服する段階に達しないことになります。
小此木

私の言い方にすると、人は、見ていたモノに影響されて、見たモノのようになる。
だから、その人を、理解すると共に、見ていたものを、推察する事が出来るということである。


posted by 天山 at 00:05| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

霊学48

性愛や性の営みを、自己愛を満たすための手段とする性格を、性の革命で、有名なウイリアム・ライヒは、男根期自己愛性格、ファリック・ナルシスティックキャラクター、と、名づけた。

男根期自己愛性格とは、非常に自己主張が強くて、理想化した自分があたかも実際に実現しているような確信を抱いてなくてはいられないようなパーソナリティです。
小此木

男の子が、自分のペニスを大切にする男根期の時期で、フロイトは、この段階で、ペニスは、自己愛の中心だと、説明する。

この段階では、自己顕示欲、権勢欲、競争心、優越意識などが特別に大きな価値をもっています。そしてこの段階の男根期の自己愛に固着する人が男根期自己愛性格です。
小此木

それは、また、単なる欲望の満足というより、理想的な自己に関する、幻想を現実化したいという、願望があるということ。

男根期自己愛性格の人は、常に戦闘的で、自分を主張して、人に対して優位に立っていないと、いられないということになる。

他人との、協調性や、永続的な、関係を持つ事が出来ない。
更に、多婚的で、自分の男根期自己愛を満たすためだけに、女性と関わる。

何か、アラブのイスラムの男たちを、連想させる。

女を一度、自分のものにしてしまうと、関心が無くなり、相互に満足を経験するという形で愛を深めることよりも、女を性的に征服して、自己愛を満たすことが、目標である。

イスラム法を見れば、その通りなのである。

ここで、固着という、心理に注目である。
人は、どこかの成長過程で、その段階に、固着することがある。
それは、体が、成長しても、精神が、その段階のままであるということ。

この、固着が、実は多くの、問題、悩みの元であることが、多い。
だが、それに気づくことは、また、苦痛である。

彼らには、決して本当の意味での父性像はありません。男根期に固着しているのですから、永遠の少年なのです。本当の父性像は、男根期自己愛を克服し、法とかルールに従うということを通してはじめて威厳や権威が出てくるのです。
小此木

ライヒは、それには、二つの要因があるという。
一つは、母親から、ちやほやされること。男根期自己愛性格の男は、幼い時期から、母親の寵愛を、一身に受けている。
もう一つの、要素は、去勢不安が強いということ。

1920年代、ライヒは、すでに、自己愛パーソナリティの原型ともいうべき、男根期自己愛性格について、明らかにしていたのである。

ここで、心理学者の、深読みがある。
ペニスを持つ母親である。
去勢不安の時期に、ペニスを持つ母親という、幻想を抱き、ついに、ペニスを持つ母親として、同一化するという。それが、男根期自己愛性格であるという。

つまり本当の男になっているのではなく、実はペニスを持った強い母親に同一視しているのです。
小此木

このペニスを持っている母親像とは、とても恐ろしくて、冷たくて、強いというイメージをもっています。体験的には自分をそれまでとても大事にして誘惑しておいて、最後に去勢してしまうという母親像です。ですから男根期自己愛性格の男性は、母親が自分に対してさんざんかわいがって最後に見捨てたように、女性と付き合っても、相手の気持ちを引きつけておいて、捨ててしまう。母に自分がされたように、女性に対して自分がするわけです。
小此木

そして、自分にペニスがあることを、確認し、去勢不安の否認を繰り返して、母に対する恨みを、女に対して、復讐するという。

ここで、テーマになるのは、相手に対する、愛情ではなく、自己愛が、どれだけ満たされるかであり、自己愛が傷つけられた幻想体験を、相手に味合わせる心理、との、説である。

これを、鵜呑みにして、学ぶ心理学という、妄想の世界に、入り込み、遂には、自分が心理学によって、救われないということで、幻滅する、学者諸氏がいるのだろうと、想像する。

解ったような、説明なのである。

心理学が、人類学と、結びつかないと、説得力がないのである。
更に、遺伝学である。

これは、心理学の遊びである。
意味付けする、遊び程度なのである。

多くの、賢い馬鹿が、こうして、心理学用語を使い、人を分析するのである。
それを聞いて、納得する方も、馬鹿ならいいが、そうではない時、単なる妄想合戦になる。

何故、超心理学なるものが、生まれたか。
それは、単なる心理学では、解決出来ない問題があるということで、出来たのである。

更に、神秘学による、精神分析も、である。

ユングも、狂う手前で、漸く、集合意識、民族意識、家系の意識に気づいた。

潜在意識の追求である。

ただし、この心理学の統計にも、一理も二理もあることは、理解する。
もう少し、続けて、小此木氏の、自己愛人間を見ることにする。

そして、更に、深層心理なるものに、向かう。
現代の人間の心理から、より深く、人間の心理を、探るしか、方法が無い。

過去の人間の例を出して、説明するのは、事後預言と同じである。
新しい人間に、過去の人間の例を、当て嵌めて、判断するのは、怠慢である。

新しい人間は、全く、新しい手法で、分析するのがよい。
その点で、日本の心理学は、実に、怠慢、怠惰である。
欧米の心理学の学説を、説明するのに、始終する。


posted by 天山 at 00:34| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月04日

霊学49

男根期自己愛型の自己愛パーソナリティを唱えた、ライヒ自身、実はそのまま、男根期自己愛パーソナリティ障害の持ち主だったという。

ライヒは、男女間の、オルガスムスを、心身の健康の指標とした、有名なオルガスム理論を展開した。しかし、彼自身は、性の理論である、オーゴン・セラピーに迷い込み、晩年は、誇大妄想に捕り付かれた。

それに対して、小此木氏は、
実は彼が求めていたのは、生理的なオルガスム体験ではなく、セックスを通して得られる誇大自己の満足だったのです。
と、言う。

さて、現代の自己愛人間にも、男根期自己愛型の、自己愛人間が、多数いる。
しかし、真の父親像に同一化した、男らしい男ではない。
だが、適応しているのである。

男根の威力は地に堕ち、そのため心理構造としては男根期自己愛的な性格をもちながら、しかもフロイト、ライヒ時代のような男根的な衝動を失い、自己愛的な面がより肥大したパーソナリティの持ち主が、自己愛人間です。
小此木

それは、現代では、自己顕示欲が強く、幾人もの女に愛されたり、賞賛を受けることで、自己愛を満たすため、男らしく、演じているのである。

その男の中には、母なるものが、重く存在しているということである。
つまり、ペニスのある母親と、同一視した、男・・・

しかし、時代に、適応しているということは、治療の対象にはならない。
だが、一旦、問題が生ずると、手がつけられないのである。
治療の方法が、見出せないとでも、言う。

さて、では、女性は、どうか。

フロイト、ライヒの時代では、
男根期にペニスがないことに気がついて、男の子に比べて自分が劣等であると体験する。このときに、自分にペニスがないことを否認して、自分も男の子同様にペニスを持っているという幻想を維持していくように自己愛を発達させる。
小此木

だが、このような、女性は、反動的に男性に対する、競争心が強く、男と同じなのだと、自己愛を保つのである。

これを、ペニス羨望の強い女性、男性抗議の強い、マスキュリン・プロテスト、と呼んだ。

ここでも、固着が問題になる。
女性が、男根期自己愛性格が、固着すると、ペニス羨望が、異常に強い、マスキュリン・プロテストになってしまう。

健康な成長を続けた、女性は、ペニスだけが、大事なのではないと、自然移行で、女性になってゆく。

だが、ペニス羨望の強い女性は、男関係では、常に競争的になるか、自分が同一化できるような、巨大なペニスを持つ人が、現れるとき、自己愛型の愛情を、向けることで、かろうじて、男に愛情を持つ。

フロイトは、男根的な自己愛を失い、そこから、女性心理がはじまると、考えていた。

更に、この自己愛の発達の違いによって、男性性と、女性性が、分れると、考えた。

女性は男性のペニスをもらいたいという願望をもっているので、そこで男性のペニスを取り込む。その結果妊娠して赤ん坊が胎内に宿ると、これまでは男性からペニスをもらうという依存的だったものが、自己愛型に変わる。
小此木

妊娠すると自己愛が肥大する。そして、自己愛の延長として子どもが生まれる。ですからフロイトの女性論では、女は妊娠して子どもをもたない限りは、去勢コンプレックスによる自己愛の傷つきを本当にいやすことはできないということになります。つまり母性になることではじめて、女性は一人前になるというわけです。
小此木

そして、子どもに対して、自己愛を満たした状態で、子どもとの、共生関係が生まれ、この母親の自己愛が満たされた状態で、育てられて、子どもの、健康な自己愛が、育つ。

だが、先ほど、ペニス羨望の強い女性は、子どもとの間に、健康な一体感を持つ事無く、別のコースを辿る。
それが、現代の自己愛人間女性であると、小此木氏が言う。

確かに、ウーマンリブ運動などでは、そのような、女性たちを、多く見た。
それが、男女平等という名の元に、とんでもない、発想と、発案をして、世の中を、驚かせる。

簡単に言うと、男社会に対する、挑戦と、競争心である。
それには、色々な理由が挙げられるだろう。

家、家系の喪失、父親の喪失・・・
更に、男の側の変化。

心理学が、解き明かせないのは、時代性と、時代精神である。

フロイトは、自分を理解するために、考えたことを、それなりの理論にした。
それだけである。

その後も、心理学者たちは、わが身のことを理解するために、発展させた。

このように自己愛人間化するにつれて、男性、女性いずれも男根期以上の対象愛の成熟をやめ、自己愛的なイリュージョンの中で、男女のかかわりをもつ時代になったということができる。
小此木

この、発言は、重大である。
つまり、自己愛的な、錯覚の中で、男女の関わりを、持つというのである。

固着と、錯覚の時代。

性行為も、夢の一瞬で、終わる。
それが、自己愛を満たす行為である。
ホント
相互関係など無し。錯覚の中で、セックスし、オーガズムを得て、満足、満足している、人間ということか・・・

本当に、人間とは、孤独なものである。

だが、しかし、これは、序の口。
人間の孤独、それを、身も凍るような、無意識の世界を見つめてみると、更に、深まるのである。

潜在意識を強化してとか、潜在意識を有効に使い・・・
などと、成功哲学が言うが、それが、無意識を開放することになったら・・・
気が狂うのである。


posted by 天山 at 00:03| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月05日

天皇陛下について。98

日本の古代をみると、・・・たくさんの小さな独立政権があり、それぞれ君長を立てて国をなしていたがそれらのものは、逐次、連合体を形成していった。かく大きな体系化へと発展する傾向を持ち、氏族連合のような形態に進んでゆくうち、現皇室の源頭たる氏族、これを仮に天皇氏族と呼ぶならば、この天皇氏族を中心とする連合体では、元の各氏族なり部族なりを直ちに全面的に否定することなく、各々の因縁によって一往は各々かりに拠るところあらしめ、その君長はキミとよばれたが、連合体の統一者となった天皇氏族の族長は、これをオホキミと称し、また、のちにはスメラミコトとも称するようになった。
里見

この、大君の、前進は、大政頭、おほまつりごとかしら、である。
いずれ、太古の歴史を書く時に、更に、説明する。

何故、連合体を作れたか・・・
事は、簡単である。

神武天皇即位の際に、各部族、氏族の神を、すべて皇居にお祭りし、何一つも、粗末にしなかったのである。

他国の、君主の歴史には、無い、行為である。
どの国の歴史を見ても、敗者の神は、破壊され、屈辱されて、権力により、成り立つのである。王という名の、権力者であり、権威者ではない。

兎に角、敗者側のものは、すべて、破壊される。
敗者の心を、徹底的に、傷つける。だから、その怨念により、いつか、倒されることもあった。

ところが、日本の場合は、全く違う。
それぞれの、大切なものを、すべて、お祭りするという、行為である。
これが、権威の大元となる。

天皇、皇室は、何と、最初から、民主的なのである。

それは、
この場合、オホキミすなわちスメラミコトの任務は、連合体内部の各小氏族や部族を一々直接に権力的に支配すること(ウシハク)ではなく、それは各自にまかせつつ、別に、全体を精神的に結合せしめる最高の任務についたのである。それがマツリであり祭祀である。
里見

全体を精神的に、結合させる、祭祀・・・
いかに、祭りが、大切な行為であったか、である。

宗教という以前の、人間の、精神的行為である、祭りである。

ここで、宗教とは、その儀式を言う。
儀式無き宗教は、皆無である。

それは、宗教意識の無かった太古から、人間の精神的営みだった。
そこに、言葉が発生することにより、より、強固な精神的結合が、生まれた。

だから、天皇を言葉を発する者として、ミコトと、尊称したのである。
そして、スメラ、ミコトと、成長発展する。

統べる、御言、である。

各々の、行為には、干渉しない。
だが、氏族、部族の、結合の要の際に、御言葉、ミコトを、発する、役割をスメラミコトが、負うのである。

更に、氏族、部族間の、トラブルに際して、話し合いがつかない場合、その調停役として、スメラミコトに委ねる。
その決定には、粛々と従う。
つまり、それが、権力ではなく、権威のあり方なのである。

ミカドに、従うことは、国のすべての人を、納得させ得ることなのである。
と、そのような、国造りを行った、日本民族の、智慧は、計り知れない。

日本の皇室の起源が、権力に存せず、祭祀、精神みの統一に存した(シラス)ことは、この点から否定できない事実であって、たとえ、同時にまたは後れてなにがしかの権力が発生したとしてもそれは副生的であって、本源的ではない。天皇が日本の君主たることは、かくて本質的に権力以外のものであり、しかも、ひとつその起源においてのみならず、歴史を通じて、天皇のこの本質が日本国家の根本的構造の中核を成しているのである。それだから、権力の角度からのみ天皇を観ることは、好意的にせよ悪意的にせよ、護持型にせよ廃止型にせよ、尊敬的にせよ軽視的にせよ、実は、大きな的はずれなのである。
里見

外国の価値判断をもって、天皇を考えることは、出来ない。
何度も言う。
日本のことは、日本語と、日本の歴史によって、解釈しなければならない。

勿論、私は、外国との、優劣を言うものではない。
それぞれの、民族の歴史がある。それを、否定しない。

天皇が、精神の統一、シラスことにおいて、最大の精神的権威を持たれた。
シラス、とは、知らしめる、知らせる、そして、それは、統べることに、繋がる。

現在の、天皇陛下は、連綿として、宮中の行事を、遂行される。
それは、天皇家の個人的な、祭祀と、認識されている。
だが、天皇ご本人は、国民のために、国民の代理として、それを、行う。

国民の目には、見えないが、宮中祭祀は、国の為である。
それが、国民、民族の、精神を統一させる行為なのであるとの、ご意志であろう。

国民が、知らなくても、国民のために、祈られる。

ただ御一人でも、全国民の心を心とし、祭祀を行い、祈られる存在が、日本の天皇の存在なのである。

そのような、御一人を、抱えている国が、日本と言う、素晴らしい国なのである。

国民は、自分のためだけに、生きることが出来る。
更には、言論の自由であるから、天皇に対する、意見も、批判も、非難も、中傷も、勝手気ままに発言できる。

しかし、天皇においては、それ、その国民も、日本国民であるとの、お考えであり、差別はしない。

要するに、それらの、何もかもを、呑み込み、ただ、国民のために、祈る。国の発展のために、祈る。

私が、誇りとするのは、そのような、御方を、掲げているという、この国、日本である。

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜かな
本居宣長

天皇の存在は、その、匂いなのである。

花咲き乱れる姿を、匂う、と表現する国の、天皇なのである。

花が咲くことを、笑う、と表現する国の天皇なのである。

この国の、文化は、皆々、皇室、天皇から、はじまったものである。

世界初の小説、源氏物語も、宮廷が舞台である。
宮廷、朝廷、皇室、天皇の存在が、無ければ、文化は、生まれなかった。
更に、その文化は、皆々、平和なものである。

大和心とは、ダイワシとは、読まない。
やまとこころ、と、読む。

漢字の意味を、探るのではなく、やまと言葉の意味を探れ。

posted by 天山 at 00:18| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月06日

天皇陛下について。99

天皇は、制度ではなく、伝統であり、それは、国民の智慧が望んだものである。
とは、私の意見である。

だが、天皇制・・・ということで、話し合うことを、否定しない。

権力を本質として現れた君主は、権力を失い主権者でなくなれば、ほとんど例外なしに滅亡している。これは一々例をあげるまでもなく、東西古今の君主の興亡のあとをみれば歴然と指呼しうるところである。世界各国に、数十年、数百年、あるいは千余年に亘って全く権力を失い主権者の地位から追放されながら、興亡常なき諸政権の上に超越して、最高の国君としての地位を保持しえた者が、日本天皇以外にただの一例でも実在するか。もし実在するというならば、実例を指摘すべきである。
里見

私も、そんな存在は、知らない。

ネパールにて、国王を追放したのは、国民である。
王宮に民が押し寄せて、国王を、追放した。
その後、政治家たちが、儀式の際に、国王が必要ではないかと、議論したが、国民が、受け入れない存在を、国王と認めることは、出来ない。
現在、ネパールに、国王は、存在しない。

欧州にも、国王は、存在するが、それは、国民に許されてのこと。

イギリス国王は、超然としているが、王室の軍隊が存在する。
様々な、王室保全の警察部隊も存在する。

タイの、国軍は、明確に、タイ国王の軍隊であると、教育される。

日本の天皇のような、存在は、世界に唯一である。
そこで、それを有する、日本国民の、その智慧は、世界に対して、恐るべきものだと、認識させる。

これは、天皇礼賛ではなく、事実である。
この事実の前に、どんな議論も、無意味である。

敗戦後の、天皇支持は、国民の九割に及んだ。

日本の歴史上で、とにかく一往、正確に天皇が権力者であったといい得る時代は、近く明示以後七十年と、古くは推古朝頃からその兆しがみえ、大化の改新によって基礎を樹立し奈良朝を経て平安期に藤原氏が摂政となるまでの二百余年にすぎないのである。その他の時代は、周知のごとく、蘇我、物部等の豪族、藤原氏、平氏、源氏、北条氏、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏が事実上の主権者であり、時代によって若干の差異はあるが概して天皇にはほとんど実権がなかった。
里見

そして、天皇の存在が、無ければ、今も、権力者によって、日本には戦いが、絶えずあっただろう。

敗戦後、昭和天皇が、最も恐れたのは、内戦である。
それを止められるのは、天皇以外になかったのである。

何せ、玉音放送の、その直前まで、それを阻止し、戦争を続行させようとの、若い将兵らがいたほどである。
本土決戦に至れば、最早、日本は、亡ぶと、感得したのが、昭和天皇である。

さて、
古今一貫して、天皇に主権があったと主張をする人は、この歴史現象に対し、天皇の御委任ということをいうのであるが、御委任説は事実上成立しない。
里見
と、言う。

それは、右翼系の発想であろう。

徳川の末期になると、京都側では「政道御委任」ということを言い出したが、家康は御委任によって幕府を開いたのではない。
里見

皆々、彼らの、力である。

平清盛も、官位こそ皇室から賜ったけれども、天下の支配者となったのは御委任によるものではなく、彼自身の力によった。その清盛ですら「朝敵たる上は逆徒のチュウ戮は掌の内に候」といっている。
里見

あの、源頼朝でさえ、その弟範頼に対し、朝敵となった者の運命を、諭している。
更に、東大寺再建のために、彼に助力を乞う僧重源が「君の御助力」と言ったことを、咎めて、「頼朝の事にて候か、然らば君の字其の恐れ候事なり」と、諌めたのである。

この時の、君とは、天皇の君であり、頼朝は、自分を君と呼ぶのは、恐れ多いことであり、私は、君ではないと、否定しているのである。

そこには、鎌倉幕府は、君の了承に元に、行っているという、意識である。
天皇の命に従い、幕府を開いて、政治を置こうのであるという、意識である。

誰に、教えられることなくとも、そのように、天皇は存在したのである。

誠に、世界には見られない、日本独自の、観念である。

更に、驚くべきは、承久の乱である。

後鳥羽上皇のご意志として、北条討伐が計画され、それが、大敗した。
幕府は、後鳥羽、土御門、順徳の、三上皇を島流しとし、その年に、即位された、仲恭天皇を廃止したのである。
通常、外国の君主国ならば、皇統は、断絶される、
だが、義時は、後堀川天皇を擁立し、あえて、自ら君主の地位に就くことはなかったのである。

北条氏の行為を、是認している、「六代勝事記」ですら、「臣の不忠はまことに国の恥」としているのである。

何度も言うが、日本の天皇は、日本の歴史を持って、理解しなければ、ならない。

日本人の、潜在意識において、天皇の存在は、昔も、今も、天皇なのである。大君なのであるということ。

天皇を敵にする者は、国民を敵にする者となるのである。

権力を超越し、無限なる、権威の元に存在される、御方として、陛下の存在がある。
私は、啓蒙するために、書いているのではない、
事実を、書いているのである。

私の、考えを言う。
天皇の存在は、無くてもいい。
ただ、日本と言う、国家幻想を持続せしめるとしたなら、天皇の存在なくしては、無理であると、言うことだ。

天皇廃止・・・
それを、唱えて、生涯を終えて、成し遂げた人は、皆無である。

命懸けで、天皇廃止を、訴えた人がいるか・・・

私は知らない。
また、そんな、奇特な人は、いない。

日本の歴史は、天皇の歴史であると、共に、名も無き、国民の歴史である。

その確たる証拠は、万葉集にある。
歌の上では、上下の差は、無い。
歌の上では、皆、平等である。

この思想は、どこの国にあるのか・・・

歌は、芸術、芸能の、分野である。
今も、天皇から、庶民に至るまで、歌会はじめでは、そうである。

文化の、骨格を担う天皇家は、廃れるはずがない、と、共に、国民と、共にあろうとする、天皇、皇室に敵対する者が、この国に、いるだろうか。

国旗掲揚、国歌斉唱に際して、起立し、国に、敬意を表する。
それは、国際的にも、日本国民としても、当然のことであると、得心する時に、日本人は、日本の国民として、誇りを持つ。

無理に、日本人である必要は無い。
今は、どこの国にも、移住する事が出来る、自由がある。

その、自由も、天皇陛下が、存在するからなのである。

今上天皇曰く、国旗掲揚、国歌斉唱の際に、起立することも、強制ではなく・・・
このような、君主は、世界広しといえども、日本の天皇のみ、である。

天皇廃止という者にさえ、それらも、日本人ではないか・・・
天皇陛下は言う。

私は言う。
大愛御心
おほみうつくしみこころ
天皇は、それを、身につけておられる。

日本人として、生まれて、良かった。
これこそ、僥倖である。


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2012年01月07日

天皇陛下について。100

今の、共産史家やその亜流は、こともなげに、「天皇は将軍の下風に立った」とか「天皇は幕府のあてがいぶちで一小大名に過ぎなかった」とか「将軍は天皇を対等に扱った」とかいうようなことを言うのであるが、いずれも天皇に権力も財力もなかったということに、こじつけた誇張、または歪曲にほかならぬ。
里見

誇張でも、歪曲でもない。
そのようにしか、見ることが、出来ないのである。
色眼鏡でしか、日本を日本の歴史を、そして、天皇の存在を見ることしか、出来ないのである。

一点の視点からのみ、見て、判断、判決を下すのは、共産主義の、観念である。
彼らを、真っ当にするには、千年もの、月日を要するだろう。

共産主義のロジックに、陥ることは、無間地獄に陥ることと、同じである。

さて、ここで、権力も、財力もなかった・・・
ということに、注目する。

天皇家が、困窮した時期は、長い。
皇居の塀が、崩れ落ちる。あばら家のように、なった時期もある。

秀吉などは、あわてて、皇居に駆けつけて、皇居の修復を行ったほどである。

しかし、関白という、官位は、陛下より頂いているのである。
皇居が、いかに、貧しくとも、天皇が、国民の主であることを、権力者は、皆、得心していた。

天子様に、もしものことがあれば、権力者の力が、疑われる。

そして、私は、このことを思う時、天皇という存在は、権力も、財力も無くても、君主として、存在したという、事実である。
驚くべきことである。

軍隊も、財力も持たずに、君主の座にあるというのは、世界史には、在り得ないのである。

徳川将軍は磐石の権力の上に立ち、皇室の政治上のご行動には厳しい干渉を行ったけれども、それだから、天皇は将軍の下位にあるのもだという今時の愚かな歴史学者のような考えや態度をもったわけではない。絶対の権力者であり、政治の上では皇室をさえ支配した将軍が、他の一面では、常に天皇を国家の志尊として十分に認識し臣礼をとっているではないか。
里見

家康、秀忠、家光の、皇居参内は、事実である。
四代家綱が、家光の後を継いだのは、十歳の時で、幼稚にして、上洛して、拝謁の式に臨むことが適さないと、初めて、将軍宣下の式を、江戸で、行った。
それが、以後の例となる。

その、家綱の命名は、幕府から、霊元上皇にご命名を請願し、上皇は鍋松に、その名を、賜ったのである。

水戸光圀は、主君は天皇であるぞ、と、家臣を誡めたのは、有名である。
更に、徳川御三家の、尾張の四代吉通は、光圀の言葉を引きつつ、家中に、今日の官位は、朝廷より任じ下され、従三位中納言と称するからにはこれ朝廷の臣なり、と言う。

兎に角、どれほどの、権力、財力があっても、天皇を君主とみた、日本の権力者は、一体、何を持って、そのように、行為し、言葉にしたのか・・・

中には、足利尊氏のように、後醍醐天皇の、逆賊となって、苦しめたが、彼は、一生良心を苛まれている。
天竜寺は、彼のお詫びの心から、建てたものである。

ここで、天皇は、国体、国体は、国民であると、考えれば、よく解る。
天皇を排除することは、国民を排除することになり、結果は、国民からの、支持が得られないということである。

現在も、圧倒的多数の日本人が、天皇と、皇室の存在を、希求しているのである。

勿論、誰も、強制しない。
天皇陛下ご自身も、強制しないのである。

敗戦後の、日本の復興を、奇跡と言われるが、それより、奇跡なのは、天皇の存在である。何故、日本では、他国にない、無権力の、君主が存在出来るのか、である。

そして、現在の天皇も、政治力は、一切ない。
憲法には、象徴と、記されてある。
と、ところが、いつの時代も、天皇は、象徴であったという、事実である。

そこに、注目する。

この疑問は、昔もあった。
熊沢蕃山の「三輪物語」に、禰宜の質問として、
他の国には誰にても天下をとる人の王と成り給ふに、日本にてはかく天子の御筋一統にして天下を知給ふ人も臣と称し、将軍といひて、天下の権をとり給ふは、いかなる故にておはしますや・・・
と、言う。

荻生徂徠は、諸大名の多くは、
下心には禁裏を誠の君と存ずる輩
であるから、
安心成り難き筋も有成
と、心配するのである。

帝国憲法時代でも、国民の大部分は天皇が大権を掌握しておられるので、国民としては抗争できないから、尊敬しようとか、服従しようとか考えていたわけではない。少しく教養のある者なれば、「統治権ヲ総攬シ」とか「大権ヲ行フ」とかいっても、それは輔弼制度の下において行われるのであるから、結局、天皇の事実上の意思に基づくものではなく、今日と同じ象徴的作用であることは誰でも知っていたのである。
里見

輔弼とは、国民の意見を広く聞し召し、国民の意思に、添って、政治を行うということである。

権力観念を基本として、天皇を尊敬したり軽しめたりする思想は、余程幼稚なものであるということを、この際、日本国民は深く反省すべきだと思う。
里見

誠に、権力作用の内には、ないところの存在が、天皇なのである。

そして、その意味は、日本の歴史を通して、自ずと知るものであること。

ここで、一つ、赤穂浪士の討ち入りに、大石蔵ノ介の心を、決定的にしたのは、時の帝の御言葉である。
浅野匠守あはれである
御簾の向こうより、その声が漏れたと、聞いた。

つまり、帝、陛下が、あはれ、との、お言葉を掛けてくれた。
これぞ、討ち入りの明文であると、決意したのである。

天皇の、勅使を迎えるに辺り、その松の廊下では、刀を用いることは、許されないこと。だが、浅野は、吉良を斬り付けた。

陛下の勅使をお迎えする場では、刃傷に及んではならぬ。
江戸で、起こった事件であり、京の陛下には、関わり無いことである。
しかし、その事件を耳にし、更に、あはれ、とのお言葉には、意味がある。

即日、切腹を命じられた、浅野が、あはれ、なのである。
それを、帝が仰せられたということに、意義がある。

この場合の、あはれ、は、気の毒であり、それは名誉なことではない。
御政道という、幕府に対する、牽制でもある。
まして、朝廷からの、勅使を迎える場面での、行為に、このような不幸があることは、あはれ、なのである。

もし、朝廷に幕府が、事の次第を伝えて、その意向を伺ったなら、浅野匠守は、切腹を免れたかもしれない。
陛下の、大恩として、赦免された可能性もある。


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2012年01月17日

もののあわれについて。546

大殿には今年五節奉り給ふ。何ばかりの御いそぎならねど、童女の装束など、近うなりぬとて、急ぎせさせ給ふ。東の院には、参りの夜の人々の装束せさせ給ふ。殿には、大方のことども中宮よりも、童、下仕への料など、えならで奉れ給へり。過ぎにし年、五節などとまれしが、さうざうしかりしつもりもとり添へ、うへ人の心地も、常よりもはなやかに思ふべかめる年なれば、所々いどみて、いといみじくよろづを尽くし給ふ聞えあり。按察使の大納言、左衛門の督、うへの五節には、良清、今は近江の守にて左中弁なるなむ、奉りける。皆とどめさせ給ひて、宮仕へすべく、おほせごとことなる年なれば、女をおのおの奉り給ふ。




お殿様、源氏の所からは、今年、五節の舞姫をさし上げる。これといった、用意でもないが、童女の衣装など、日も近くなり、急いでさせる。東の院におかれては、参内の夜の、お付のもの達の衣装を作られる。
殿におかれては、中宮からも、童女や下仕えの着物など、他では、見られないほどに、仕立ててさし上げる。昨年一年、五節なども、中止となり、物足りなかったこともあり、殿上人の気持ちも、例年より、華やかなものにと、思っているらしい年なので、家々で競争して、実に見事に、あらん限りの事をすると、評判である。
按察使の大納言、左衛門の督と、殿上人からの、五節には、良清、今は近江の守で、左中弁を兼ねているのが奉った。
皆、留めおきて、宮仕えするようにとの、特別の勅命があった年なので、自分の娘を、それぞれ、さし上げるのである。




殿の舞姫は、惟光の朝臣の、攝津守にて左京の大夫かけたる、むすめ、かたちなどいとをかしげなる聞えあるを、召す。からいことに思ひたれど、同輩「大納言の、ほか腹の女を奉らるなるに、朝臣のいつき女出だしてたらむ、何の恥ぢかあるべき」と、さいなめば、わびて、おなじく宮仕へやがてせさすべく思ひおきてたり。舞ならはしなどは、里にていとようしたてて、かしづきなど、したしう身にそふべきは、いみじうえり整へて、その日の夕つけて参らせたり。



殿からの、舞姫は、惟光の朝臣が攝津守で、左京の大夫を兼任している、その娘で、器量なども大変良いと、評判なのを、お召し出しになる。
困ったことと、思ったが、同輩たちが、大納言が、妾腹の娘をさし上げると言うことなのに、朝臣が、愛娘を出しても、何の恥ずかしいことがあるか、と、皆が叱りつけるので、弱って、同じ出すなら、宮仕えさせるつもりでと、決心した。舞の稽古などは、実家で、十分にしこんで、介添えの女房など、身近に付き従うはずの者は、丹念に、選び揃えて、その日の夕方に、参上させた。




殿にも、御方の童、下仕へのすぐれたるを、御覧じくらべ、えり出でらるる心地どもは、ほどほどにつけて、いとおもだたしげなり。御前に召して御覧ぜむうちならしに、御前を渡らせて、と定め給ふ。棄つべうもあらず、とりどりなる童女の様体かたちを、思しわづらひて、源氏「今ひとところの料を、これより奉らばや」など笑ひ給ふ。ただもてなし用意によりてぞえらびに入りける。




殿、源氏におかせられても、それぞれの婦人たちの、童女や、下仕えの優れているものを、見比べて、その結果、選りだされた者の気持ちは、それぞれに、誠に誇らしげである。主上の、御前に召されて御覧遊ばす、その稽古の様子を、源氏の前に通らせて見る。
落第には、出来ないほど、それぞれ立派な童女の姿、顔立ちに、迷ってしまい、源氏は、もう一人分、舞姫の付き添いを、こちらから、差し上げたいと、笑うのである。
僅かな、態度と、心構えによって、合格者を決めた。

御方の童女とは、紫の上、花散里、明石の御方である。

ほどほど、とは、身分や生まれのこと、である。
それぞれの、身分に応じて。




大学の君胸のみふたがりて、ものなども見入れられず、くんじいたくて、ふみも読までながめふし給へるを、心もやなぐさむ、と立ち出でて紛れありき給ふ。さまかたちはめでたくをかしげにて、静やかになまめい給へれば、若き女房などは、いとをかしと見奉る。上の御方には、御簾の前にだに、もの近うももてなし給はず、わが御心ならひ、いかに思すにかありけむ、疎うとしければ、御達なども気遠きを、今日は物のまぎれに入り立ち給へるなめり。




大学の君、夕霧は、ただただ、胸が一杯で、食事も見る気がしない。すっかり塞ぎこんで、本も読まないで、ぼんやりと、横になっていたが、気持ちが、紛れないかと、部屋を出て、人目に触れぬように、あちこちと、歩き回っている。体つきや、顔立ちは、立派で、美しく、物静かで、魅力があるので、若い女房などは、美しいと拝する。
紫の上のいらっしゃる方には、御簾の前近くに出ることも、させないのである。
自分の心の癖で、どのように思うかと。若君は、日頃離れているので、奥付きの女房たちも、親しくないが、今日は、この騒ぎで、入り込み、物陰に立っている。

わが御心ならひ、とは、誰の御心か・・・
源氏のものか、夕霧のものか。

御簾の前にだに、もの近うももてなし給はず、とは、どうしてか・・・

ここは、夕霧のことを書いているので、夕霧の気持ちが、御簾の前に出ることもしないと、訳すべきかと、迷う。

御簾の前に出ると、どのように思うかと、考えているのが、夕霧である。と、すれば、何故か。

紫の上は、夕霧の義理の母親である。

深読みしたくなる、書き方である。
源氏も、故院の父の姫、藤壺と、関係したのである。

そのようなことが、ある、との前提で読むと、また、楽しい。

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2012年01月18日

もののあわれについて。547

舞姫かしづきおろして、妻戸の間に屏風など立てて、かりそめのしつらひなるに、やをら寄りてのぞき給へば、なやましげにて添ひ臥したり。ただかの人の御程と見えて、今すこしそびやかに、様体などのことさらび、をかしき所はまさりてさへ見ゆ。暗ければ、こまやかには見えねど、程のいとよく思ひ出でらるるさまに、心移るとはなけれど、ただにもあらで、きぬの裾を引きならい給ふに、何心もなく、あやし、と、思ふに、

夕霧
あめにます とよをかひめの 宮人も わが心ざす しめを忘るな

みづがきの」と、宣ふぞ、うちつけなりける。若うをかしき声なれど、誰ともえ思ひたどられず、なまむつかしきに、けさうじ添ふとて、騒ぎつる後見ども、近うよりて人騒がしうなれば、いち口惜しうて、立ち去り給ひぬ。




舞姫を、大事に車から降ろして、庇の端の間に屏風などを立てて、臨時の部屋を作ってある。そっと近づいて、御覧になると、疲れたようで、物に寄りかかり、横になっている。丁度、あの方くらいの年で、もう少し背が高く、姿などの見事で美しいのは、勝っている気がする。暗いので、良く見えないが、全体の感じが、すぐに雲居雁を思い出させるほど、似ているので、恋心が、五節に移るわけではないが、心が動き、衣の裾を引いて、衣擦れの音を出す。だが、五節は、何も気づかず、変だと、思っていると、

天においでの、豊岡姫に仕える宮人も、そなたも、私のものと思っている、この気持ちを忘れないで欲しい。

大昔から、思っていた、と、おっしゃると、驚き過ぎたようである。
若くて、美しい声だが、誰やら思い当たらず、薄気味の悪いと思うところに、化粧を直そうということで、騒いでいる介添えたちが、傍に来て、騒々しくなったので、夕霧は、残念ながら、立ち去った。

五節と。夕霧の気持ちが、同時に書かれているため、混乱する。




浅葱の心やましければ、うちへ参ることもせず、もの憂がり給ふを、五節にことづけて、直衣など、さま変れる色ゆるされて参り給ふ。きびはに清らなるものから、まだきにおよずけて、ざれありき給ふ。帝よりはじめて奉りて、思したるさまなべてならず、世にめづらしき御おぼえなり。




夕霧は、あさぎ色の服が嫌なので、内に参ることもせず、何もかも嫌がり、五節だからということで、直衣で、束帯とは違う色を着ることを許されて、参内される。
子供っぽくて、綺麗な方だが、年の割りに、大人ぶり、浮かれて歩き回っている。陛下をはじめ、参らせて、皆が、とても、大事にする様子で、大変な寵愛である。




五節の参る儀式は、いづれともなく、心々にになくし給へるを、舞姫のかたち、大殿と大納言殿とは、すぐれたり、と、めでののしる。げにいとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿のにはえ及ぶまじかりけり。もの清げに今めきて、そのものとも見ゆまじう、したてたる様体などの、あり難うをかしげなるを、かうほめらるるなめり。例の舞姫どもよりは、みな少しおとなびつつ、げに心ことなる年なり。




五節の参内する儀式は、いずれ劣らず、それぞれが、最善を尽くしているが、舞姫の器量は、大殿、源氏と、大納言殿とが、ぬきんでていると、誉める騒ぎである。
いかにも、二人とも、綺麗だが、おっとりして、可愛らしいのは、矢張り、大殿のものには、及ばないのである。綺麗で、現代的、誰か分からないほど、見事に着飾った姿は、またとないほど、立派で、このように、誉められるのだろう。例年の舞姫たちよりも、いずれも、少し年長で、誠に、特別の年という感じがする。




殿参り給ひて御覧ずるに、むかし御目とまり給ひしをとめの姿を思しいづ。辰の日の暮つ方遣はす。御文のうち思ひやるべし。

源氏
をとめ子も 神さびぬらし 天津袖 ふるき世の友 よはひ経ぬれば

年月のつもりをかぞへて、うち思しけるままのあはれを、え忍び給はぬばかりのをかしう思ゆるも、はかなしや。

五節
かけていへば 今日の事ぞ 思ほゆる 日陰の霜の 袖にとけしも
青摺りの紙よくとりあへて、まぎらはし書いたる濃墨、薄墨、草がちにうちまぜ乱れたるも、人の程につけてはをかし、と、御覧ず。




殿が参内されて、御覧になると、若い頃、心を惹かれた、五節の少女の姿を思い出す。
節会の当日の夕暮れ、お手紙を遣わす。その内容は、ご想像ください。

源氏
少女だった、お前も、神さびたことだろう。天の羽衣の袖を振り舞った頃の、古い友も年を取ったゆえに。

過ぎ去った年月を数えて、ふと、心に浮かんだ思いだが、我慢されず、お手紙を下さるが、五節には、心弾む思いとは、せん無い事。

五節
五節のことを、口にしますと、日陰のかずらを懸けて舞った昔、日陰の霜の解けるように、心を許したことが、今のように、思われます。

青ずりの紙をうまく合わせて、誰か分からぬように、あるところは濃く、あるところは薄く、草書を多くまぜて、乱れ書きしてあるのも、その身分から見れば、立派にものと、御覧になる。

五節は、花散里、須磨、明石の巻きに出る、筑紫の五節のことである。

うち思しけるままの あはれを
ふっと、思い出す時の、心の機微を、言う。
それも、あはれ、の、風景である。


posted by 天山 at 09:19| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月19日

もののあわれについて。548

冠者の君も、人の目とまるにつけても、人知れず思ひありき給へど、あたり近くだに寄せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心には、なげかしうて止みぬ。かたちはしもいと心につきて、つらき人のなぐさめにも、見るわざしてむや、と思ふ。




冠者の君も、惟光の娘が目にとまるにつけて、心密かに、思いをかけて、辺りをうろうろする。しかし、傍にも、近づけず、酷く無愛想な態度をとっているので、慎ましい年頃では、嘆くばかりである。その器量は、心に強く残り、あの雲居雁の無情な人に、会えない慰めにも、手に入れたいと、思うのである。




やがて皆とめさせ給ひて、宮仕へすべき御気色ありけれど、この度はまかでさせて、近江のは辛崎の祓、摂津守は難波といどみてまかでぬ。大納言もことさらに参らすべき由奏せさせ給ふ。左衛門の督、その人ならぬを奉りて、とがめありけれど、それもとどめさせ給ふ。




やがて、皆を宮中に残して、お仕えするようにとの、御内意があった、が、今度は、一旦、退出させて、近江の守は、辛崎で祓いをし、攝津のかみは、難波でと競い、退出した。大納言も、改めて、差し上げる旨を奏上される。左衛門のかみは、資格の無い者を差し上げて、お咎めがあったが、それも、残し遊ばれた。


近江の守は、良清である。
摂津の守は、惟光である。

資格の無い者とは、実子ではない者である。





摂津の守は、「典侍あきたるに」と申させたれば、さもやいたはらまし、と大殿も思ひたるを、かの人は聞き給ひて、いと口惜しと思ふ。わが年のほど、くらいなど、かくものげなからずは、請ひ見てましものを、思ふ心ありとだに知らでやみなむこと、わざと事にはあらねど、うちそへて涙ぐまるる折々あり。




摂津のかみは、ないしのすけが、空いていますが、それに、と、申し上げたので、そのようにしてやろう、と、大殿も思っていらっしゃるのを、夕霧が聞いて、大変残念に思う。自分の年や位が、こんなに問題にならないのなら、願い出て、自分のものにしたものを、と、思っていることも、知られずに終わる、と、特に強い恋心ではないが、雲居雁との事に加えて、涙ぐむのである。

いたはらまし
いたはる、から出ている。労をねぎらう。哀れむという意味もある。




兄の童殿上する。つねにこの君に参り仕うまつるを、例よりもなつかしう語らひ給ひて、夕霧「五節はいつかうちへは参る」と問ひ給ふ。童「今年とこそ聞き侍れ」と聞ゆ。夕霧「顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。ましが常に見るらむもうらやましきを、また見せてむや」と宣へば、童「いかでかさは侍らむ。心に任せてもえ見侍らず。男兄弟とて近くもよせ侍らねば、まして、いかでか君達には御覧ぜさせむ」と聞ゆ。夕霧「さらば文をだに」とて、賜へり。さきざきかやうの事はいふものを、と苦しけれど、せめて賜へば、いとほしうて、もていぬ。年の程よりは、ざれてやありけむ、をかしと見むり。緑の、このましきかさねなるに、手はまだいと若けれど、生ひさき見えて、いとをかしげに、

夕霧
日かげにも しるかりけめや をとめ子が あまの羽袖に かけし心は

二人見る程に、父ぬしふと寄り来たり。恐ろしうあきれて、え引き隠さず。




惟光の娘の兄で、童殿上して、いつも、この君の所に参って御用を務めている者を、いつもより、優しくお話しになり、夕霧は、五節は、いつ参内するのだ、と、お聞きになる。童は、今年のうちにと、聞いています、と、申し上げる。
夕霧は、器量がよかったので、何となく、慕わしい気がする。お前が、いつも見ているのは、羨ましいが、もう一度、会わせてくれないかと、おっしゃると、童は、そんなことが、どうしてできましょう。私でさえ、思うままに、会えないのですから。男兄弟だということで、身近にも、入れてくれません。まして、若様には、どうして、会わせることができましょう、と、申し上げる。夕霧は、それなら、せめて、手紙だけでも、と、お渡しになる。以前から、こういう事は、やかましく言われていたのに、と、童は、困ったが、無理矢理に、渡すので、それが気の毒で、持って帰った。
娘も、年のわりに、ざれてやありなむ、大人びて、その気になっているので、お手紙を見て、立派なものだと、思った。
緑色の薄い様子に書き、気の効いた色を重ねて、筆跡は、まだ子どもだが、将来が思われるほど、立派である。

夕霧
日の光にも、はっきりと、解ったろう。乙女が、天の羽衣の袖を、ひるがえして舞うという、姿に、思いをかけた、私のことを。

それを、二人で、見ているところに、父親の、惟光が入って来た。怖くて、どうしていいのか解らず、隠すこともできないのである。

日かげ、とは、日の光と、ひかげのかづら、を、懸ける。
かけし、は、日かげ、の、縁語。

日の光の中で、知ったことだろう。私が、お前を、見ていたことを。
それは、乙女が、天の衣をひるがえして、舞った姿を。
忘れられない。

懸想文の一種である。

当時の、恋は、至るところに、あった。
心が動くと、それは、恋になる。

posted by 天山 at 00:54| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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