2011年12月26日

希望のビルマへ12

パタヤでは、厳密に言えば、二泊し、三泊目は、深夜0時に、空港に向かったのである。

最初の日の夜、コータが、二年振りに出会った、カトゥイ、レディボーイがいた。
その彼、いや彼女は、カンボジア生まれ、ベトナム育ち、そして、タイに来た。
子どもの頃は、物乞いをしたという。

二年前は、体は、まだ男だった。
しかし、大金を貯めて、手術をした。

彼女は、二年前は、睡眠薬中毒だった。
コータが出会った時は、酷い状態だったのだ。
私たちと、かかわりになったのは、カンボジア流身の親子との、会話の通訳を御願いしてからだ。

美しくなり、更に、精神状態が、安定していた。

女になったことで、それが、もたらされたのである。
日本円にして、55万円ほどの、手術費を貯めたと言う。

女になる手術は、早ければ、早い方がいい。
遅くなれば、その分、男性ホルモンの影響により、手術後に、精神不安定になるという。

その、手術は、随分と進化したようで、本当の女になった。
その体を、私も見せて欲しいと思ったが、止めにした。
失礼だと、考えた。

コータは、頼めば、見せてくれると言うが、矢張り、躊躇する。

最後の日、深夜に見送りに来てくれた。
私を、日本語で、お父さんと、呼ぶ。
何となく、お父さん・・・である。

まあ、彼女の年から見ると、お父さんになるのだが・・・
彼女の身内は、おじさん一人である。
カンボジアの、シュムリアップに住む。

ビザ更新のために、車で三時間の、シュムリアップによく出掛けるという。
次ぎは、私たちも、そこへ支援に行くと言うと、一緒に行き、通訳してくれると言う。

どうなるかは、解らないが、もし、そうだとすると、大変助かる。

彼女から得る、情報は、実に貴重なものである。
コータは、二度会って、色々な情報を仕入れていた。

もう一人は、あの有名なショー劇場の、ダンサーである。
その彼女も、すでに、女の体になっていた。

コータを、彼女の故郷の、エイズの子供たちの家に案内してくれた。
誰が見ても、女と疑わないほど、女性である。

今回、私は、会わなかった。

性同一性障害の研究団体が、タイ、バンコクに集い、様々な事例を対象に、研究を始めたということは、前回の旅日記で、書いた。

コータは、それだけではなく、彼が、彼女に成る過程を、具体的に取材している。
物語である。

そこから、得た情報の一つに、意識する、年齢が解った。
七歳が、分岐点である。
七歳、つまり、日本では、小学二年生である。

その時期に、明確に意識するようになると言う。
七歳の時に、自分の性に、不全感を覚えて、不自然になるらしい。
更に、女の子のように、飾りたくなる。

トンボイ、レズのカップルが、働いていた、チェンライのゲストハウスのことを、書いたが、トンボイの取材は、していない。
ただ、トンボイが目立つようになったことも、事実である。

タイ人の緩い気質と、仏教という、寛大な思想のせいか、タイでは、実に多くの、カトゥイに出会う。
更に、ゲイの存在である。

海外からも、多くのゲイが集まる。
そして、タイで生活を始めるという。

それらのことは、別枠で、いずれ書きたいと思う。

さて、そろそろ、帰国である。
部屋で、深夜0時まで休み、予約していた、タクシーの乗り場まで行く。
もう、荷物はないので、実に楽である。

パタヤは、深夜からバー、ゴーゴーバーが、活気付く。
その音を聞きつつ、私たちは、タクシーに乗った。

タクシーは、高速道路を飛ばし、一時間半で、到着した。
それから、私たちは、搭乗手続きが始まるまで、待つ。
朝の四時に、搭乗手続きをした。

出発は、6時である。
5時20分から、機内に入る。
その際に、私は、喫煙室に出ていた。
何と、係員が迎えに来るではないか。
どうして・・・
なんで解るの・・・
実に、不思議な気分である。

日本には、五時間ほどで着く。
バンコク行きは、六時間半かかるのである。
気流のせいである。

その飛行機に、何と、ミャンマー人の、一団が乗っていた。
アメリカに移住する、移民である。

途中から、三歳くらいの男の子が泣き始めて、収まらない。見かねて、私が、その子のお腹に手当てした。
漸く、落ち着いたが、着陸態勢に入って、気流の乱れが激しくなると、また、泣き始めた。今度は、立ち上がれず、ただ、泣き声を聞いているだけ。

20名ほどの、団体だった。
言葉が通ずれば、聞きたいこともあったが、残念である。
難民キャンプからの、人たちであろうと、思う。

機内から出ると、彼らが、一所で、固まっていた。
泣いた男の子の母親と、目で挨拶して、別れた。

人生とは、不思議なものである。
誰も、予想しないことが、起こる。
それが、幸運でも、不幸でも・・・

だから、ただ、生まれて、生きているだけで、奇跡だと、私は、考えるのである。

どんなに、先の事が、解っても、矢張り、一寸先は闇である。

ビルマに希望を見る。
きっと、民主化が行き渡り、人々が、その人なりに、生きられる日が来る。
それを、信じて、また、私は、ビルマ、ミャンマーに出掛ける。

ちなみに、ビルマとは、昔の国名であり、軍事政権が、ミャンマーと、命名した。

日本と、ビルマは、とても、良い相性である。
最初の大統領である、アウンサン将軍は、日本軍によって、教育されたのである。

そして、独立を勝ち取った。

アジアの植民地が、開放されたのは、日本がアメリカと、不合理ながらも、戦ったお陰である。
その、本当の事実が、今、公開され始めている。
簡単に言うと、その戦争は、アメリカが企画したものである。
日本を戦争に引き出したのは、アメリカである。

私の、天皇陛下について、を、参照してください。



posted by 天山 at 01:03| 希望のビルマへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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