2011年12月19日

希望のビルマへ5

チェンライには、三泊の予定だった。
それは、一日休むことにしたからだ。
しかし、前日、休みを取った。

三日目の朝、私は、ホテル前の地元の食堂に、朝食を取りに出た。
そして、戻り、ホテルフロントに本日の宿泊代金を払おうとした。
が、フロントの女性が、本日は、プールだと言う。
えっ、それは、大変である。

今日は、メーサイに行き、ミャンマー側のタチレクに入り、慰霊と支援をするのである。
更に、明日の朝の、飛行機は、八時半であるから、メーサイに泊まることは、難しい。

すぐに部屋に戻り、コータに言う。
近くのゲストハウスを見つけることにした。

コーターが、食事をした後で、近くのゲストハウスを探すというので、コータに任せた。

ホテルの道を一本隔てたところに、新しいゲストハウスが出来ていて、そこを予約したと、コータが、戻り言った。
それでは、早くと、私たちは、10時までバス停に行くことにした。

荷物をすべて持ち、ゲストハウスに行き、必要の無いバッグを預けて、バス停に歩いて行った。
バス停は、街の中にある。
チェンマイから来た時に着いた、バス停ではない。

こういうことを、知らないと、大変な目に遭う。

そこで、メーサイ行きのバスが、二台、客を勧誘していた。
一台は、ミニバスであり、もう一台は、普通のバスである。

私は、小さいバスより、大きな方がいいと、普通バスに乗ることにした。
ところが、発車する時間が解らない。
乗って待ったが、中々、発車しないのだ。

要するに、客が一杯になるのを、待っている状態である。

ああ、こういうこともある、と、ため息をつく。
日本では、決してありえないこと。
タイらしい・・・

漸く、出発である。

それが、また、とんでもないバスで、前も後ろのドアも、開けたまま、走るのである。

要するに、途中下車するバスである。
そして、運転手と車掌が、夫婦のようであり、家内企業のようである。

止まり、走りを、繰り返す。
更に、バスの振動は、体に直に響くのであるから、堪らない。
しかし、もう、後戻りは出来ない。本日のことは、本日しなければ、もう時間がないのである。

一時間半・・・
そのバスに揺られて、漸く、メーサイに到着である。
ほとほと、疲れた。でも、そんなことを言っていられないのである。
今度は、国境の橋まで、ソンテウに乗る。

重いバッグをそれぞれ、二つずつ持って・・・

何度も、自身に掛け声をかけたことか・・・

そして、国境まで着いた。
それから、である。
一度、タイ側の川に下りて、以前の子供たちがいるかと、捜す。
当日は、日曜日で、タイ人、観光客と、ごった返している。

子供たちは、見当たらないが、国境の橋から、子供たちが声を掛ける。
新しい、子供たちである。

私は、身振りで、今、そこに行くから、待ってなさいと、言った。
彼らは、マネーを口にした。
オッケー、オッケー、今、行く・・・

そして、タイ側の出国である。
人の列が酷い状態である。
ところが、外人専用の列は、以外にスムーズに進む。
タイ人と、ミャンマー人も行き来している。それが、凄い人の数である。

タイ側のイミグレーションは、新しい機械を投入したようで、さっさと、済むようになった。

そして、橋の上に出た。
子供たちを捜す。いない。ミャンマー側に歩くと、下から、子供たちの声である。

ミャンマー側にいた。
そして、何と彼らは、金網をよじ登って、上がってくるではないか。
子供たちは、ビザなしである。

マネー、マネー、マネーと、手を出す。
私は、ノーマネーと言い、バッグを開けて、衣類を見せた。
そして、必要かと、一枚を取り上げると、子供たち、六人ほどが、手を出す。
それが、また、激しいのである。

そこで、私は、二人のおとなしい女の子に、サイズの合う衣類を差し出した。
受け取る。
それから、騒がしい男の子たちに、差し出そうとするが、彼らは、バッグから、どんどんと、取り出すのである。

おかしい。
以前は、こうではなかった。

靴も、取り出して、自分に合わない大きさの物まで、取ろうとするので、ノーノーと、言うと、ブラザーがいると、言う。

そこで、すべの靴が無くなった。
もしや、と、私は、頭を遮る思いがした。

彼らは、これらを、売るかもしれないと・・・

だが、それは、それでよしとすると、考えた。それで、金になり、彼らが食べ物を得られるなら、それで、いいと。

支援物資は、まだ、他のバッグにある。
前回行った、スラムの人たちの分は、十分にあると。

漸く、ミャンマーのイミグレーションを通ることになった。
驚いた。
係員の対応が、変わった。
ようこそ、と、日本語で言う。

以前は、厳しい人たち、軍人たちが、いたのであるが、以前と全然、対応が違う。
民主化・・・の、成果・・・

更に、スピードも、早くなった。
一人、500バーツを支払い、パスポートを預けて、ミャンマーに出るのである。
その時も、泊まりますかと、尋ねてきた。日本語である。

そんなことも、以前は、なかったのである。

ミャンマー側に入ると、一斉に、トゥクトゥクのおじさんたちが、声を掛けてくる。
観光案内である。

私たちは、ノーを繰り返して、兎に角、その場から、逃れた。
また、日本語が上手い男が近づいて来て、話し掛けるが、そういう奴が一番危ないのである。

コータが、英語で、一言、あんたは、必要ではないと、言うと、さっと踵を返して、戻っていった。

取り合えず、国境の場所から離れた食堂に入り、コーラーを注文して、一息ついた。

町並みは、変わっていない。
ただ、国境付近は、人で溢れていた。



posted by 天山 at 02:38| 希望のビルマへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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