2011年12月11日

もののあわれについて。543

大臣はそのままに参り給はず、宮をいとつらしと思ひ聞え給ふ。北の方には、かかることなむと、気色も見せ奉り給はず。ただ大方いとむつかしき御気色にて、内大臣「中宮のよそほひことにて参り給へるに、女御の世の中思ひしめてものし給ふを、心苦しう胸いたきに、まかでさせ奉りて、心やすくうち休ませ奉らむ。さすがに、上につと侍はせ給ひて夜昼おはしますめれば、ある人々も心ゆるびせず、苦しうのみわぶめるに」と宣ひて、にはかにまかでさせ奉り給ふ。




内大臣は、あれ以来、こちらには来られず、宮を酷い方だと、思っている。
北の方には、こういうことがあったと、顔色にも、出さない。何となく、この頃は、ご機嫌の悪い様子なので、内大臣は、中宮は、大変な御仕度で、宮中にお入りでしたが、女御は、これからのことを心配して、お気の毒で、胸が痛むので、里下がりを願い、ゆっくりと、休ませて、上げましょう。何といっても、主上のお傍に、ずっと着かれて、夜昼と、おいでのようだから、お傍の女房たちも、気楽に出来ず、堪らないと、嘆いているようだ、とおっしゃり、急に、里に下がらせる。

中宮は、梅壺のこと。
内大臣は、雲居雁を、引き取ることにしたのである。

女御とは、弘薇殿の女御である。




御いとまもゆるされ難きを、うちむづかり給うて、上はしぶしぶに思しめしたるを、しひて御迎へし給ふ。内大臣「つれづれに思されむを、姫君わたして、もろともに遊びなどし給へ。宮にあづけ奉りたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよずけたる人立ちまじりて、おのづから気近きも、あいなき程になりたればなむ」と聞え給ひて、にはかに渡し聞え給ふ。




お許しは、難しいが、無理をいい、主上はしぶしぶだったが、無理やり、邸に連れてきた。内大臣は、お暇では、嫌だろうから、姫君をこちらに、お連れして、ご一緒に音楽でも、されるがいい。宮に預けていると、安心だが、ござかしくませた人が一緒にいて、どうしても、親しくする。それも、困る年頃になった、と、おっしゃり、急に自分の方へ、引き取ったのである。

さくじりおよずけたる人
作事る・・・
こざかしく振舞う。さしでがましい、との、意味。
これは、夕霧のことである。





宮いとあへなしと思して、大宮「ひとりものせられし女なくなり給ひて後、いとさうざうしく心細かりしに、うれしうこの君をえて、生ける限りのかしづきものと思ひて、明け暮れにつけて、老いのむつかしさもなぐさめむとこそ思ひつれ。思ひのほかに隔てありて思しなすも、つらくなむ」と聞え給へば、うちかしこまりて、内大臣「心にあかず思う給へらるる事は、しかなむ思う給へらるる、とばかり聞えさせしになむ。深く隔て思う給ふる事はいかでか侍らむ。うちに侍ふが、世の中うらめしげにて、この頃まかでて侍るに、いとつれづれに思ひて屈し侍れば、心苦しう見給ふるを、もろともに遊びわざをもしてなぐさめよ、と思う給へてなむ。あからさまにものし侍る」とて、内大臣「はぐくみ、人さなさせ給へるを、おろかにはよも思ひ聞えさせじ」と申し給へば、かう思し立ちにたれば、とどめ聞えさせ給ふとも思しかへすべき御心ならぬに、いと飽かず口惜しう思されて、大宮「人の心こそ憂きものはあれ。とかく幼き心どもにも、われに隔ててうとましかりける事よ。また、さもこそあらめ、おとどの、物の心を深う知り給ひながら、われを怨じて、かくいて渡し給ふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」とうち泣きつつ宣ふ。




大宮は、張り合いのない気持ちになり、一人だけいた姫が亡くなってからは、手持ち無沙汰で頼りなかったが、嬉しいことに、この姫を預かり、自分の生きている間中、お世話をしようと思い、朝な夕なに、年寄りの憂さ辛さを、慰めようと思っていたのに。意外に、冷たい心をお持ちなのが、辛いと、おっしゃると、内大臣は、恐縮して、心中不満であることを、このようにと、申し上げただけです。冷たくすることなど、どうしてありましょうか。宮中に仕える者が、御寵愛が失せたと、辛がりまして、近頃、里下がりをいたしましたが、する事もなく、塞いでおりましたので、気の毒に思い、一緒に遊び事でもして、気を紛らわせるのがよいと思い、ほんの暫く、引き取るものです、と、申して、育ててくださり、一人前にして下さった恩を、いい加減には、決して思うことは、ありません、と、おっしゃると、こう思い立った以上は、止めさせようとしても、思い直す性質ではないから、まことに、不愉快で残念に思い、大宮は、嫌なものは、人の心です、あれこれにつけて、幼い二人も、私に冷たくて、嫌なことでした。それに、子供は、そんなものであろうと、大臣は、物の道理が十分に解っているはずながら、私を怨んで、このように連れて行くとは、あちらでは、こちらより、安心なこともあるまい、と、泣きながら、おっしゃるのである。

ひとりものせられし女
葵の上のことである。




折しも冠者の君参り給へり。もしいささかの隙もやと、この頃は繁うほのめき給ふなりけり。内のおとどの御車のあれば、心の鬼にはしたなくて、やをら隠れて、わが御方に入りい給へり。内の大殿の君達、左の少将、少納言、兵衛の佐、侍従、丈夫などいふも、皆ここには参りつどひたれど、御簾の内は許し給はず。左衛門の督、権中納言なども、異御腹なれど、故殿の御もとなしのままに、今も参り仕うまつり給ふ事ねんごろなれば、その御子どももさまざま参り給へど、この君に似るにほひなく見ゆ。大宮の御心ざしも、なずらひなく思したるを、ただこの姫君をぞ、気近くうらうたきものと思しかしづきて、御かたはらさけず、うつくしきものに思したりつるを、かくて渡り給ひなむが、いとさうざうしきことを思す。




そこへ、丁度、冠者の君、夕霧がやってきた。
もしや、少しの隙でもないかと、この頃は、しきりに顔を出される。内大臣のお車があり、良心が咎めて、具合が悪く、こっそりと、隠れて、自分の部屋に入られた。内大臣の若い君達の、左少将、少納言、兵衛佐、侍従、丈夫なども、皆、こちらにご一緒に入られた。だが、御簾の中に、入ることは、許されなかった。今も、大宮の所に伺い、心から御用を頼まれているので、そのお子様たちも、それぞれに上がられるが、この君ほどの、美しさはない。大宮の愛情も、ひとしおだったのに、夕霧の移転の後は、この姫君一人を、身近な可愛い者と思い、大事にされて、いつもお傍に置き、可愛がっていらした。こんな事で、引き移るとは、と、寂しくて、堪らない、気持ちである。

この辺りは、一つの名場面である。
人の心の、綾が、見事に描かれている。

心の鬼には したなくて
気が咎める、のである。
幼い心の恋であるが、果たして、幼い心の恋が、ニセモノであるわけではない。

恋心は、一生のものである。

あはれ、とは、また、喜怒哀楽だけではなく、思い込みいの辛さ、儚さ、片恋、片思いの辛さなどなど・・・

内大臣の心、大宮の心、そして、夕霧の心、雲居雁の心、それぞれの心の綾を読み取るのである。




posted by 天山 at 00:11| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。