2011年12月08日

天皇陛下について。96

皇室があったために独裁主義や資本主義や侵略主義や帝国主義が起こってきたように言うのは、みな心の底に邪見がひそんでいることを証明するようなものであって、そのような馬鹿げた史観や史論が横行しているところに、日本の非科学性があり敗戦自虐の思想があるのである。
天皇とは何か 里見岸雄

敗戦から、66年を経て、ようやく、真っ当に、天皇を考えるに至った。
サヨク系、反日系の、学者、識者たちは、言論の自由を盾に、好き勝手放題に、言って、書いた。
それに、迎合したのが、マスコミである。

それらの、血の中には、中国人の、韓国人の・・・

靖国参拝にしても、騒いだのは、日本のマスコミであり、それに、中国、韓国が、呼応したのである。

実に、いやらしい、連中の面々である。

天皇なんて存在自体が・・・云々・・・かんぬん・・・
自虐というか、自分自身を否定することで、成り立つ、自己のアイデンティティのようである。

今回の、大震災にての、天皇陛下の、行幸、被災地、被災者への、お見舞いの、御訪問が、どれほど、被災地の力になったか。

各地の、首長は、口を揃えて言う。
日本を象徴する、陛下の御訪問により、言葉に出来ないほどの、勇気を与えられた。
お飾りの言葉ではない。

更に、天皇皇后両陛下は、被災者の皆さんに、楽な姿勢で、との、お言葉である。

陛下の前に、胡坐をかいても、マスクをしても、いいのである。

高齢者の皆さんには、膝を付く事なくと・・・

あまりにも、勿体無いお言葉に、絶句したという。

これは、肉親の情であられる。
陛下は、国民と、肉親の情で、対応される。

本来ならば、側近の者たちが、許さないこと。

昭和天皇が、この身、如何になろうとも・・・とのお言葉通り、今上天皇も、その御心のままに、国民に、向かわれる。

敗戦後は、すべて、天皇の責任に帰すれば、良かった。
だから、猫も杓子も、皆、天皇のせいで・・・云々となった・・・

民主主義になったら戦争が起こらないように考え、天皇制こそ戦争の原因だなどという者は全く頭が混乱しているか、さもなければ、邪悪な意図の下に、故意にウソを語って恥じないのか、いずれかである。古代中世の無限君権国家以上に近代の民主主義国家は戦争を好み侵略を事としているのであって、ソ連も英国も米国もフランスも一つとしてその例外ではありえない。歴史の、今日からみて邪悪なものを皆、天皇制に結びつけようとする戦後の傾向は、全くマルクス主義の中毒以外のなにものでもない。
里見岸雄

だが、時代は、真っ当になりつつある。
隠されていたものが、公開され始めたからである。

事実が、明らかになる。
邪悪な妄想も、事実の前には、手も足も出ない。

里見氏が、言う、天皇制とは、私の言葉で言えば、伝統天皇である。
天皇は、制度ではない。
制度として、成り立つものではない。

便宜上、歴史的用語として、用いられるものであるが、違う。
日本には、日本の言い方がある。

他国語に、翻訳するには、天皇制・・・かもしれない。
が、天皇は、制度ではない。

天皇の前進は、大君である。
つまり、君が、多数存在した。
何も、天皇が一人、独裁者として、存在したのではない。

君の多数から、大君という、存在が、生まれでたのである。

大和言葉で言えば、おおきみ、は、きみ、と呼ばれる、者たちから、自然統合の姿として、おほきみ、と、呼ばれるようになったのである。

君の多数の中から、君主とは、君の主である。
君は、多数。その多数の中から、主が、求められた。

おほきみ、の、正式名称は、すめらみこと、である。

みこと、は、多数存在した。しかし、みこと、を、統べる者は、唯一として、推挙されたのである。

ミコトを、尊、と書く。尊称である。
更に、命、とも、書く。現在は、亡き人を、そのように尊称する。

制度は、制度として、整えるものであるが、天皇、おおきみ、すめらみこと、は、制度ではなく、君たちの、求めに応じて、成るものである。

これは、これから天皇の歴史について、書いてゆくと、解る。

平然として、天皇制・・・
誰が、制度などと、認識したのか。
誰が、認めたのか。

つまり、私は、認めないし、それを容認しない。
私は、勝手な私の思いで、書き綴る。

父親制などは、言わない。
父権、母権制とは、何か。

父系、母系とは、理解する。
日本のことは、日本語、その大元、大和言葉により、理解されなければ、ならないのである。
その、理解があり、初めて、訳語として、共通認識の言葉を、使用する。
この、共通認識とは、理解度のことである。

君主の存在しない、国や、民族の人に、君主を理解させるとき、どのような言葉を、用いるか。その国や、民族の言葉で、似たもの、近い意味合いにして、訳する。

旅先で、日本の天皇は、タイの国王と同じ意味か、ローマ法王の意味かと、イスラム系の人に問われる。

私は、国王と法王と、一緒になったものだと、答える。
そして、付け加えて、日本は、天皇を戴く伝統の国であると、言う。

更に、宗教の国ではないと、言明する。
だから、日本では、宗教の争いは、無いと、言う。


posted by 天山 at 16:32| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月09日

天皇陛下について。97

敗戦前には、日本の主権が太古から天皇にあったように言って天皇尊崇の資にした学者が多かったが、近頃では、日本歴史上、天皇はほとんど主権者の地位になかった、国民の大部分は天皇の存在すら知らなかったというようなことを言って、天皇軽視の風潮を煽る者が多い。これはどちらもまちがっている。
里見岸雄

この本は、平成元年に、出版されているから、23年前のことである。

当時は、敗戦後、最高潮に、天皇軽視が流行り、それを口にすることが、格好のいいことだった、時代である。
要するに、親を非難、批判する、子どもと、同じである。

マスコミも、それらを出演させて・・・
大衆に迎合するのか、煽るのか・・・
里見氏は、煽ると言うが、当時の、格好つけなのである。

天皇なんて・・・
サヨク系にかぶれたものも、苦痛に歪んだ顔で、天皇・・・と、吐き棄てる。
勿論、何も知らないからである。

知る必要もなかった。
何せ、教師たちが、そうだから・・・
時代の先端を行く者は、天皇なんて・・・である。

平成元年、つまり、昭和が終わった。
昭和天皇の、崩御。

ただ、心ある人たちは、小声で、言った。
天山さん、天皇が死ぬって、凄いことなんでしょう、と。

それらの人たちも、何も知らないのである。

天皇陛下について、である。

亡くなった私の父親は、天皇反対でも、批判でもなく、天皇否定だった。
天皇・・・あのために、どれだけ、兵隊が死んだか・・・それが、口癖だった。
最後の志願兵である。

モノも満足に食えず、北海道から、木更津に出て、出番を待っていた。
志願兵に食わせるモノも、無かったのである。

腹が減って、腹が減って・・・
朝鮮人のおじさんが、いつも、食べ物をくれた。死ぬ前に、一度で、いい、お礼を言いたいと、死んだ。

その私の父親のような、敗戦後の人たちに、迎合するように、天皇・・・なんて・・・
である。

知らないものは、無いものである。
知るものは、有るものである。

日本民族の創造した天皇は、そのような主権の有無によって、その価値を増減する通常の観念における君主とはいささかその趣を異にするものがある。
里見

イギリスの君主と同じように、考えるな、である。
また、多くの国の、国王という、ものでもない。
日本には、日本の考え方があるのである。

日本語は、英語で、考えるのではない。
大和言葉で、考えて、解釈しなければならない。
しかし、どこを、どう間違えたのか、敗戦後は、外国語で考えるのである。

舶来主義という。

本当に、語学堪能な者は、日本語も、堪能である。
母語が、基本に有るから、外国語の理解も、素晴らしい。

英語で考えるという人がいるが、それでは、日本語の解釈は、出来ない。

日本語の美しさは、母音に戻るからである。
だが、外国の言葉も、美しい。
子音の美しさである。

さて、話しを元に戻す。

皇室自ら権力掌握したまうことも一度ならずあったし、権力争奪を演じられたこともあるけれども、そういう現象を引きくるめて考慮に入れても、なお、皇室の価値は権力の有無によって増減しないと言いきれるものがある。
里見

皇室、天皇の存在が、権力の有無によって、増減しない・・・
このような、君主は、世界に唯一である。
国主といってもいい。

いったい現代日本の学者は、君主と主権を不可分のごとく考え、主権を失った君主は君主でないように言うが、これはヨーロッパ的、シナ的主観であって、日本の歴史には事実上妥当せぬ。
里見

妥当せぬことを、あたかも、妥当する如くに言うのである。
何故、日本の歴史と、日本語により、解釈しないのか・・・

舶来主義である。

白人が正しい、白人主義が正しいと、思い込む。更には、共産主義が、正しいと、思い込む。

私は、両者、共に、否定はしない。
だが、日本の国のことは、日本の歴史上で、考え、解釈しなければ、理解は、成り立たないのである。

日本全土が最初から皇室の下に一元的に組織せられていたのではないことは、必ずしも今日のバクロ主義者の言を待つまでもなく、「古事記」「日本書紀」等の古い史書が公然と認めていることである。最初から統一国家など存在するはずがないのであるから、その昔、クマソが国を成していようとエゾが独立していようと、そのほかいろいろ小国が存在していようと、そんなことは、皇室の価値に何らの関係もない。
里見

全く、その通りである。

歴史の意志と、民族の智慧が、そのように、働いたと、私は言う。

この国に、合った、方法であり、他の国には、無い、形であった。

だから、日本民族の、思考法によって、考えるべきなのである。
それから、他国の君主との相違を研究すれば、いい。

相違を考えることは、哲学のはじめ、である。


posted by 天山 at 07:55| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月10日

もののあわれについて。542

いとど文なども通はむことの難きなめり、と思ふに、いとなげかし。物まいりなどし給へど、さらにまいらで、寝給ひぬるやうなれども、心も空にて、人しづまる程に、中障子を引けど、例はことに鎖し固めなどもせぬを、つと鎖して、人の音もせず。いと心細く覚えて、障子によりかかりて居給へるに、女君も目をさまして、風の音の竹に待ちとられて、うちそよめくに、雁の鳴きわたる声のほのかに聞ゆるに、幼きここちにも、とかく思し乱るるにや、雲居雁「雲居の雁もわがことや」と、ひとりごち給ふけはひ、若うらうたげなり。




今まで以上に、文のやり取りも、難しくなると思うと、まことに悲しい。大宮は、夕食を召し上がるが、君は、何も食べられず、休むようにしていたが、心は落ち着かない。皆が、寝静まる頃に、中の障子を引いてみると、いつもは特別に鍵をかけることもしないのに、しっかりと鍵がかかって、女房の声も聞えない。一人ぼっちの気持ちがして、障子に寄りかかると、女房も目を覚まして、吹く風が竹を震わせて、音を立てる。その一方で、雁が鳴きながら空を渡って行く、声が聞える。子供心にも、あれこれと、悩み、空飛ぶ雁も、私のように、悲しいのか、と、つい、独り言が漏れる様子で、若く可愛らしい。

最後は、作者の言葉である。

幼い心の恋である。




いみじう心もとなければ、夕霧「これあけさせ給へ。小侍従や侍ふ」と宣へど、音もせず。御めのと子なりけり。ひとりごとを聞え給ひけるも恥づかしうて、あいなく御顔も引き入れ給へど、あはれは知らぬにしもあらぬぞ憎きや。めのと達など近く臥して、うちみじろくも苦しければ、かたみに音もせず。

夕霧
さ夜中に 友呼びわたる かりがねに うたて吹きそふ 萩のうは風

身にもしみけるかな」と思ひ続けて、宮の御前にかへりて嘆きがちなるも、御目さめてや聞かせ給ふらむ、とつつましく、みじろき臥し給へり。




男君は、気が気でない。夕霧は、戸を開けて下さい。小侍従はいないのか、と、おっしゃるが、音もしない。小侍従とは、乳母の子である。独り言を言うのも、恥ずかしくなり、訳もなく、顔を衾の中に入れてしまった。恋心は、知らないでもないことは、憎いこと。乳母たちなどが、すぐに傍に寝ていて、少し動いても、大変である。
お互いに音も、立てない。

夕霧
真夜中に、友を呼びながら、飛んでゆく雁の声に、萩の葉ずれの音が、更に、吹き加えること。

身に沁みること、と、思い続けて、大宮の御前に戻り、すぐため息が出るが、大宮が目を覚まして、耳にされると思うと、遠慮して、もじもじと、横になっていらした。

身にもしみけるとは、
古今
吹きくれば 身にもしみける 秋風を 色なきものと 思ひけるかな
からである。




あいなくもの恥づかしうて、わが御方にとく出でて、御文かき給へれど、小侍従にもえ会ひ給はず、かの御方ざまにもえ行かず、胸つぶれて覚え給ふ。女はた、騒がれ給ひし事のみ恥づかしうて、わが身やいかがあらむ、人やいかが思はむとも深く思し入れず、をかしうらうたげにて、うち語らふさまなどを、うとましとも思ひ離れ給はざりけり。またかう騒がるべき事とも思さざりけるを、御後見どももいみじうあばめ聞ゆれば、え言もかよはし給はず。おとなびたる人や、さるべききひまをも作り出づらむ、男君も、今すこしものはかなき年の程にて、ただいと口惜しとのみ思ふ。




むやみに、顔を見られたくないと思い、自分の部屋に早くから入り、手紙を書いているが、小侍従にも、会うことができないのである。
雲居雁の部屋に、行くことも出来ず、辛くてたまらない。女は女で、騒ぎのもとになった事が、顔も赤くなる思いで、自分は、どうなるのか、世間がどう思うだろうかとは、別に気にしていない。美しく、可愛らしいのである。
女房たちが、噂する話しを聞いても、いやな人たちと、嫌いになることもない。それに、こんなに、大騒ぎするとは、思いもなかった。
世話役たちも、酷いことと、お叱りを受けるので、手紙を差し上げることもできない。もっと、大人なら、適当に機会を作り出せるが、男君も、まだ、心細い年頃で、ただ、残念だと、思うばかりである。

随所に、作者の思いが、入る。

posted by 天山 at 00:27| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月11日

もののあわれについて。543

大臣はそのままに参り給はず、宮をいとつらしと思ひ聞え給ふ。北の方には、かかることなむと、気色も見せ奉り給はず。ただ大方いとむつかしき御気色にて、内大臣「中宮のよそほひことにて参り給へるに、女御の世の中思ひしめてものし給ふを、心苦しう胸いたきに、まかでさせ奉りて、心やすくうち休ませ奉らむ。さすがに、上につと侍はせ給ひて夜昼おはしますめれば、ある人々も心ゆるびせず、苦しうのみわぶめるに」と宣ひて、にはかにまかでさせ奉り給ふ。




内大臣は、あれ以来、こちらには来られず、宮を酷い方だと、思っている。
北の方には、こういうことがあったと、顔色にも、出さない。何となく、この頃は、ご機嫌の悪い様子なので、内大臣は、中宮は、大変な御仕度で、宮中にお入りでしたが、女御は、これからのことを心配して、お気の毒で、胸が痛むので、里下がりを願い、ゆっくりと、休ませて、上げましょう。何といっても、主上のお傍に、ずっと着かれて、夜昼と、おいでのようだから、お傍の女房たちも、気楽に出来ず、堪らないと、嘆いているようだ、とおっしゃり、急に、里に下がらせる。

中宮は、梅壺のこと。
内大臣は、雲居雁を、引き取ることにしたのである。

女御とは、弘薇殿の女御である。




御いとまもゆるされ難きを、うちむづかり給うて、上はしぶしぶに思しめしたるを、しひて御迎へし給ふ。内大臣「つれづれに思されむを、姫君わたして、もろともに遊びなどし給へ。宮にあづけ奉りたる、うしろやすけれど、いとさくじりおよずけたる人立ちまじりて、おのづから気近きも、あいなき程になりたればなむ」と聞え給ひて、にはかに渡し聞え給ふ。




お許しは、難しいが、無理をいい、主上はしぶしぶだったが、無理やり、邸に連れてきた。内大臣は、お暇では、嫌だろうから、姫君をこちらに、お連れして、ご一緒に音楽でも、されるがいい。宮に預けていると、安心だが、ござかしくませた人が一緒にいて、どうしても、親しくする。それも、困る年頃になった、と、おっしゃり、急に自分の方へ、引き取ったのである。

さくじりおよずけたる人
作事る・・・
こざかしく振舞う。さしでがましい、との、意味。
これは、夕霧のことである。





宮いとあへなしと思して、大宮「ひとりものせられし女なくなり給ひて後、いとさうざうしく心細かりしに、うれしうこの君をえて、生ける限りのかしづきものと思ひて、明け暮れにつけて、老いのむつかしさもなぐさめむとこそ思ひつれ。思ひのほかに隔てありて思しなすも、つらくなむ」と聞え給へば、うちかしこまりて、内大臣「心にあかず思う給へらるる事は、しかなむ思う給へらるる、とばかり聞えさせしになむ。深く隔て思う給ふる事はいかでか侍らむ。うちに侍ふが、世の中うらめしげにて、この頃まかでて侍るに、いとつれづれに思ひて屈し侍れば、心苦しう見給ふるを、もろともに遊びわざをもしてなぐさめよ、と思う給へてなむ。あからさまにものし侍る」とて、内大臣「はぐくみ、人さなさせ給へるを、おろかにはよも思ひ聞えさせじ」と申し給へば、かう思し立ちにたれば、とどめ聞えさせ給ふとも思しかへすべき御心ならぬに、いと飽かず口惜しう思されて、大宮「人の心こそ憂きものはあれ。とかく幼き心どもにも、われに隔ててうとましかりける事よ。また、さもこそあらめ、おとどの、物の心を深う知り給ひながら、われを怨じて、かくいて渡し給ふこと。かしこにて、これよりうしろやすきこともあらじ」とうち泣きつつ宣ふ。




大宮は、張り合いのない気持ちになり、一人だけいた姫が亡くなってからは、手持ち無沙汰で頼りなかったが、嬉しいことに、この姫を預かり、自分の生きている間中、お世話をしようと思い、朝な夕なに、年寄りの憂さ辛さを、慰めようと思っていたのに。意外に、冷たい心をお持ちなのが、辛いと、おっしゃると、内大臣は、恐縮して、心中不満であることを、このようにと、申し上げただけです。冷たくすることなど、どうしてありましょうか。宮中に仕える者が、御寵愛が失せたと、辛がりまして、近頃、里下がりをいたしましたが、する事もなく、塞いでおりましたので、気の毒に思い、一緒に遊び事でもして、気を紛らわせるのがよいと思い、ほんの暫く、引き取るものです、と、申して、育ててくださり、一人前にして下さった恩を、いい加減には、決して思うことは、ありません、と、おっしゃると、こう思い立った以上は、止めさせようとしても、思い直す性質ではないから、まことに、不愉快で残念に思い、大宮は、嫌なものは、人の心です、あれこれにつけて、幼い二人も、私に冷たくて、嫌なことでした。それに、子供は、そんなものであろうと、大臣は、物の道理が十分に解っているはずながら、私を怨んで、このように連れて行くとは、あちらでは、こちらより、安心なこともあるまい、と、泣きながら、おっしゃるのである。

ひとりものせられし女
葵の上のことである。




折しも冠者の君参り給へり。もしいささかの隙もやと、この頃は繁うほのめき給ふなりけり。内のおとどの御車のあれば、心の鬼にはしたなくて、やをら隠れて、わが御方に入りい給へり。内の大殿の君達、左の少将、少納言、兵衛の佐、侍従、丈夫などいふも、皆ここには参りつどひたれど、御簾の内は許し給はず。左衛門の督、権中納言なども、異御腹なれど、故殿の御もとなしのままに、今も参り仕うまつり給ふ事ねんごろなれば、その御子どももさまざま参り給へど、この君に似るにほひなく見ゆ。大宮の御心ざしも、なずらひなく思したるを、ただこの姫君をぞ、気近くうらうたきものと思しかしづきて、御かたはらさけず、うつくしきものに思したりつるを、かくて渡り給ひなむが、いとさうざうしきことを思す。




そこへ、丁度、冠者の君、夕霧がやってきた。
もしや、少しの隙でもないかと、この頃は、しきりに顔を出される。内大臣のお車があり、良心が咎めて、具合が悪く、こっそりと、隠れて、自分の部屋に入られた。内大臣の若い君達の、左少将、少納言、兵衛佐、侍従、丈夫なども、皆、こちらにご一緒に入られた。だが、御簾の中に、入ることは、許されなかった。今も、大宮の所に伺い、心から御用を頼まれているので、そのお子様たちも、それぞれに上がられるが、この君ほどの、美しさはない。大宮の愛情も、ひとしおだったのに、夕霧の移転の後は、この姫君一人を、身近な可愛い者と思い、大事にされて、いつもお傍に置き、可愛がっていらした。こんな事で、引き移るとは、と、寂しくて、堪らない、気持ちである。

この辺りは、一つの名場面である。
人の心の、綾が、見事に描かれている。

心の鬼には したなくて
気が咎める、のである。
幼い心の恋であるが、果たして、幼い心の恋が、ニセモノであるわけではない。

恋心は、一生のものである。

あはれ、とは、また、喜怒哀楽だけではなく、思い込みいの辛さ、儚さ、片恋、片思いの辛さなどなど・・・

内大臣の心、大宮の心、そして、夕霧の心、雲居雁の心、それぞれの心の綾を読み取るのである。


posted by 天山 at 00:11| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月12日

もののあわれについて。544

殿は、「今の程に内に参り侍りて、夕つ方むかへに参り侍らむ」とて出で給ひぬ。いふかひなき事を、なだらかに言ひなして、さてもやあらまし、と思せど、なほいと心やましければ、人の御程のすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、その程心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ、制しいさむとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ、宮もよもあながちに制し宣ふことあらじ、と思せば、女御の御つれづれにことづけて、ここにもかしこにもおいらかに言ひなして、渡し給ふなりけり。




内大臣は、少し参内して、夕方迎えに来ますと、ご挨拶して、出掛けた。今更言っても、しようがないことだから、穏便に言い、二人を一緒にしようか、と、思うが、やはり、癇に障るので、夕霧の身分が、少し、きちんとしたものになってから、一人前になったと、見てから、その時、姫への愛情が深いか、浅いかの様子を見極めて、許すにしても、きちんとした形にしてからにしよう。厳しく言っても、一緒にいては、子供だから、見ていられないことを仕出かすかもしれないし、宮も、まさか強く止めないだろうと、思い、女御の寂しがっていることを理由に、大宮にも、北の方にも、穏やかに、話をして、お連れになるのだった。

物語は、一人称だったり、三人称だったりと、混乱するが、これが、最初の物語の書き方である。というより、手本がないのであるから、物語の原型である。

原文のままに、人の心の機微に、触れるのが、いい。
ここにも かしこにも おいらかに 言ひなして
気配りである。

源氏物語は、気配りの勧めである。
もののあはれ、と、歌の道、そして、心の機微、気配りの、物語である。




宮の御ふみにて、「大臣こそ恨みもし給はめ、君は、さりとも心ざしの程も知り給ふらむ。渡りて見え給へ」と聞え給へれば、いとをかしげに引き繕ひて渡り給へり。十四になむおはしける。かたなりに見え給へど、いと児めかしう、しめやかに、うつくしきさまし給へり。大宮「傍さけ奉らず、明け暮れのもてあそび物に思ひ聞えつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残り少なき齢の程にて、御有様を見はつまじき事と、命をこそ思ひつれ。今更に見捨ててうつろひ給ふやいづちならむ、と思へば、いとこそあはれなれ」とて泣き給ふ。




大宮は、お手紙で、内大臣は、恨むでしょうが、あなたは、こうなっても、私の気持ちは、解るでしょう。いらして、顔を見せてください、と、おっしゃる。
姫は、見事に、装束を整えて、お出でになった。十四歳におなりになる。成熟し切ってはいられないが、鷹揚で、しとやかに、可愛らしい様子である。大宮は、そばを離れず、朝晩と、お世話をしてきましたのに、お別れすると、寂しくてたまらないことでしょう。余命のない私ですから、あなたの将来は、見届けることは、できないと、つくづく、寿命を考えます。今になって、私を見捨ててゆく先が、どこかと思うと、可哀想でなりません、と言い、泣くのである。





姫君は恥づかしきことを思せば、顔ももたげ給はで、ただ泣きにのみ泣き給ふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、宰相「同じ君とこそ頼み聞えさせつれ。口惜しくかく渡らせ給ふこと。殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせ給ふな。など、ささめき聞ゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物も宣はず。大宮「いで、むつかしき事な聞えられそ。人の宿世宿世、いと定め難く」と宣ふ。宰相「いでや、ものげなし、と、あなづり聞えさせ給ふに侍るめりかし。さりとも、げに、わが君や人におとり聞えさせ給ふ、と、聞し召し合はせよ」と、なま心やましきままに言ふ。





姫君は、何ゆえ恥ずかしいかと、思うので、顔も上げない。ひたすら、泣いてばかりである。男君の、御乳母の宰相の君が出てきて、同じく、ご主人様と思っておりました。惜しいことに、このように、お引き移り遊ばすこと。お父様は、他へ縁付けようとされましても、仰せの通りには、なりませんように。などと、小声で申し上げる。
いよいよ、顔も上げられない思いで、何も言わない。大宮が、さあさあ、面倒なことを、申し上げるでない。人の運命は、誰も、とうてい定めることのできないもの、と、おっしゃる。
宰相は、いいえ、いいえ。若様を一人前でないと、馬鹿にしているのでございます。今はそうでも、そちらの思い通り、若様が、負けるはずはないでしょう。どなたにでも、お聞きになってくださいませ、と、癪に障って言うのである。





冠者の君、物の後に入り居て見給ふに、人のとがめむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おしのごひつつおはする気色、御乳母いと心苦しう見て、宮にとかく聞えたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせ給へり。かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物もいはで泣き給ふ。夕霧「大臣の御心のいとつらければ、さばれ思ひ止みなむと思へど、恋しうおはせむこそ理なかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日頃、よそに隔てつらむ」と宣ふさまも、いと若うあはれげなれば、雲居雁「まろも然こそはあらめ」と宣ふ。夕霧「恋しとは思しなやむ」と宣へば、すこしうなづき給ふさまも、幼げなり。




冠者の君、夕霧は、物陰にいて、姫を御覧になっているが、人が見咎めるにせよ、普通の時は、辛くもあったが、今は、心細くて、たまらず、涙を拭いている様子を、御乳母が見て、気の毒に思い、大宮が、夕方で皆ざわめいている際に、姫に会わせた。
互いに、何やら恥ずかしく、胸が騒ぐばかりで、何も言わず、ただ泣くのである。
夕霧は、大臣のお考えが厳しいので、もういい、諦めてしまおうと、思いますが、矢張り、あなたを恋しく思うことでしょう。それが、たまらないのです。どうして、少し自由のある間、会う事無く、離れていたのか、と、おっしゃる様子も、見た目も、可哀想である。雲居雁は、私も同じこと、と、おっしゃる。
夕霧が、恋しいと、思って下さるのか、と、問うと、少し頷く姿も、幼い感じである。

いと 若う あはれげ なれば
とても若くて、あはれ気である。
初めて、あはれげ、という言葉が、出て来た。
あはれ、ではなく、あはれげ、なのである。
可哀想だ・・・

されば、とは、さもあらばあれ、である。
そうならば、そうしろ・・・
もう、どうでもいい・・・

現代に使用される言葉の、原型がある。

posted by 天山 at 00:13| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれについて。544

殿は、「今の程に内に参り侍りて、夕つ方むかへに参り侍らむ」とて出で給ひぬ。いふかひなき事を、なだらかに言ひなして、さてもやあらまし、と思せど、なほいと心やましければ、人の御程のすこしものものしくなりなむに、かたはならず見なして、その程心ざしの深さ浅さのおもむきをも見定めて、ゆるすとも、ことさらなるやうにもてなしてこそあらめ、制しいさむとも、一所にては、幼き心のままに、見苦しうこそあらめ、宮もよもあながちに制し宣ふことあらじ、と思せば、女御の御つれづれにことづけて、ここにもかしこにもおいらかに言ひなして、渡し給ふなりけり。




内大臣は、少し参内して、夕方迎えに来ますと、ご挨拶して、出掛けた。今更言っても、しようがないことだから、穏便に言い、二人を一緒にしようか、と、思うが、やはり、癇に障るので、夕霧の身分が、少し、きちんとしたものになってから、一人前になったと、見てから、その時、姫への愛情が深いか、浅いかの様子を見極めて、許すにしても、きちんとした形にしてからにしよう。厳しく言っても、一緒にいては、子供だから、見ていられないことを仕出かすかもしれないし、宮も、まさか強く止めないだろうと、思い、女御の寂しがっていることを理由に、大宮にも、北の方にも、穏やかに、話をして、お連れになるのだった。

物語は、一人称だったり、三人称だったりと、混乱するが、これが、最初の物語の書き方である。というより、手本がないのであるから、物語の原型である。

原文のままに、人の心の機微に、触れるのが、いい。
ここにも かしこにも おいらかに 言ひなして
気配りである。

源氏物語は、気配りの勧めである。
もののあはれ、と、歌の道、そして、心の機微、気配りの、物語である。




宮の御ふみにて、「大臣こそ恨みもし給はめ、君は、さりとも心ざしの程も知り給ふらむ。渡りて見え給へ」と聞え給へれば、いとをかしげに引き繕ひて渡り給へり。十四になむおはしける。かたなりに見え給へど、いと児めかしう、しめやかに、うつくしきさまし給へり。大宮「傍さけ奉らず、明け暮れのもてあそび物に思ひ聞えつるを、いとさうざうしくもあるべきかな。残り少なき齢の程にて、御有様を見はつまじき事と、命をこそ思ひつれ。今更に見捨ててうつろひ給ふやいづちならむ、と思へば、いとこそあはれなれ」とて泣き給ふ。




大宮は、お手紙で、内大臣は、恨むでしょうが、あなたは、こうなっても、私の気持ちは、解るでしょう。いらして、顔を見せてください、と、おっしゃる。
姫は、見事に、装束を整えて、お出でになった。十四歳におなりになる。成熟し切ってはいられないが、鷹揚で、しとやかに、可愛らしい様子である。大宮は、そばを離れず、朝晩と、お世話をしてきましたのに、お別れすると、寂しくてたまらないことでしょう。余命のない私ですから、あなたの将来は、見届けることは、できないと、つくづく、寿命を考えます。今になって、私を見捨ててゆく先が、どこかと思うと、可哀想でなりません、と言い、泣くのである。





姫君は恥づかしきことを思せば、顔ももたげ給はで、ただ泣きにのみ泣き給ふ。男君の御乳母、宰相の君出で来て、宰相「同じ君とこそ頼み聞えさせつれ。口惜しくかく渡らせ給ふこと。殿はことざまに思しなることおはしますとも、さやうに思しなびかせ給ふな。など、ささめき聞ゆれば、いよいよ恥づかしと思して、物も宣はず。大宮「いで、むつかしき事な聞えられそ。人の宿世宿世、いと定め難く」と宣ふ。宰相「いでや、ものげなし、と、あなづり聞えさせ給ふに侍るめりかし。さりとも、げに、わが君や人におとり聞えさせ給ふ、と、聞し召し合はせよ」と、なま心やましきままに言ふ。





姫君は、何ゆえ恥ずかしいかと、思うので、顔も上げない。ひたすら、泣いてばかりである。男君の、御乳母の宰相の君が出てきて、同じく、ご主人様と思っておりました。惜しいことに、このように、お引き移り遊ばすこと。お父様は、他へ縁付けようとされましても、仰せの通りには、なりませんように。などと、小声で申し上げる。
いよいよ、顔も上げられない思いで、何も言わない。大宮が、さあさあ、面倒なことを、申し上げるでない。人の運命は、誰も、とうてい定めることのできないもの、と、おっしゃる。
宰相は、いいえ、いいえ。若様を一人前でないと、馬鹿にしているのでございます。今はそうでも、そちらの思い通り、若様が、負けるはずはないでしょう。どなたにでも、お聞きになってくださいませ、と、癪に障って言うのである。





冠者の君、物の後に入り居て見給ふに、人のとがめむも、よろしき時こそ苦しかりけれ、いと心細くて、涙おしのごひつつおはする気色、御乳母いと心苦しう見て、宮にとかく聞えたばかりて、夕まぐれの人のまよひに、対面せさせ給へり。かたみにもの恥づかしく胸つぶれて、物もいはで泣き給ふ。夕霧「大臣の御心のいとつらければ、さばれ思ひ止みなむと思へど、恋しうおはせむこそ理なかるべけれ。などて、すこし隙ありぬべかりつる日頃、よそに隔てつらむ」と宣ふさまも、いと若うあはれげなれば、雲居雁「まろも然こそはあらめ」と宣ふ。夕霧「恋しとは思しなやむ」と宣へば、すこしうなづき給ふさまも、幼げなり。




冠者の君、夕霧は、物陰にいて、姫を御覧になっているが、人が見咎めるにせよ、普通の時は、辛くもあったが、今は、心細くて、たまらず、涙を拭いている様子を、御乳母が見て、気の毒に思い、大宮が、夕方で皆ざわめいている際に、姫に会わせた。
互いに、何やら恥ずかしく、胸が騒ぐばかりで、何も言わず、ただ泣くのである。
夕霧は、大臣のお考えが厳しいので、もういい、諦めてしまおうと、思いますが、矢張り、あなたを恋しく思うことでしょう。それが、たまらないのです。どうして、少し自由のある間、会う事無く、離れていたのか、と、おっしゃる様子も、見た目も、可哀想である。雲居雁は、私も同じこと、と、おっしゃる。
夕霧が、恋しいと、思って下さるのか、と、問うと、少し頷く姿も、幼い感じである。

いと 若う あはれげ なれば
とても若くて、あはれ気である。
初めて、あはれげ、という言葉が、出て来た。
あはれ、ではなく、あはれげ、なのである。
可哀想だ・・・

されば、とは、さもあらばあれ、である。
そうならば、そうしろ・・・
もう、どうでもいい・・・

現代に使用される言葉の、原型がある。

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2011年12月13日

もののあわれについて。545

大殿油まいり、殿まかで給ふけはひ、こちたく追ひののしる御前駆の声に、人々「そそや」などおぢ騒げば、いと恐ろしと思してわななき給ふ。さも騒がれば、と、ひたぶる心に、許し聞え給はず。御乳母参りてもとめ奉るに、気色を見て、あな心づきなや、げに宮知らせ給はぬことにはあらざりけり、と思ふに、いとつらく「いでや、憂かりける世かな。殿の思し宣ふことはさらにも聞えず。大納言にもいかに聞かせ給はむ。めでたくとも、物の初めの、六位宿世よ」とつぶやくも、ほの聞ゆ。ただこの屏風の後に尋ね来て、嘆くなりけり。




灯が灯り、内大臣が、お帰りになった様子で、大仰に先払いする声がする。女房たちは、それそれ、お帰りだと、恐ろしい気がして、こわがり、ぶるぶると震える。
そんなにやかましく言うならば、言わせておけと、姫を放さないのである。乳母が来て、捜すが、その様子を見て、あら、嫌だ。いかにも、大宮が、ご存知ない事ではなかったのに、と、思うと、たまらなくなり、乳母は、本当に、面白くない話しです。内大臣の腹立ちは、今更申しませんが、大納言様は、どのように思われるか。結構な方でも、ご結婚の最初が、六位では、と、ぶつぶつ言うのが、聞える。
二人のいる、屏風の後まで、捜して来て、嘆いているのである。

雲居雁と、夕霧を離す計画である。
当時の、身分というもの、甚だしいものがある。
この、身分は、豪族たちの古代から、存在していたものである。

平安期には、更に、整えられた。




男君、我をば位なしとて、はしたむるなりけり。と思すに、世の中うらめしければ、あはれもすこしさむる心地して、めざまし。夕霧「かれ聞き給へ、

くれないの 涙にふかき 袖の色を あさみどりとや いひしほるべき

はづかし」と宣へば、

雲居
いろいろに 身のうきほどの 知らるるは いかに染めける 中の衣ぞ

と宣ひもはてぬに、殿入り給へば、わりなくて渡り給ひぬ。




男君、夕霧は、自分に位がないと思い、馬鹿にしているのだ、と思うと、こんな二人の仲がたまらなく、恋心も薄らぐ心地して、憤慨する。夕霧は、あれをお聞きなさい。

血の涙で、深い紅に染まる、私の袖の色を、浅い緑と、けなしている。

顔向けができないと、おっしゃる。
雲居
色々なことで、情けない運命です。二人の仲は、どのようなものでしょう。

いい終わらぬうちに、内大臣が、邸にお入りになり、どうしようもなく、部屋に戻る。

あはれも すこし さむる心地
この場合の、あはれ、とは、恋心である。
恋心まで、あはれ、で、通すのである。




男君は、立ちとまりたる心地も、いと人わろく胸塞がりて、わが御方に臥し給ひぬ。御車三つばかりにて、忍びやかに急ぎ出で給ふけはひを聞くも、静心なければ、宮の御前より、参り給へ、とあれど、寝たるようにて動きもし給はず。涙のみとまらねば、嘆きあかして、霜のいと白きに急ぎ出で給ふ。うち腫れたるまみも、人に見えむがはづかしきに、宮はた召しまつはすべかめれば、心やすき所とて、急ぎ出で給ふなりけり。道の程、人やりならず、心細く思ひ続くるに、空の景色もいたう曇りて、まだ暗かりけり。

夕霧
霜氷 うたてむすべる 明けぐれの 空かきくらし 降るなみだかな




夕霧は、後に残された気持ちも、みっともなく、胸が一杯になって、部屋にて、横になっていた。お車を三つほど続けて、先払いの声も低く、急ぎ出てしまう様子を耳にすると、いらいらして、大宮の前から、こちらへ、との声はあるが、寝たふりをして、動こうとしない。涙は、止まらず、泣き明かして、霜が真っ白な頃になり、お出になる。泣き腫らした目元も、人に見られて恥ずかしい。宮も、お召しになれば、離さないだろうから、気楽な所へと、急いでお出になる。帰る途中、何もかも、自分が悪いのだと、心細い思いをしていると、空模様も、すっかりと曇り、まだ暗いのである。

夕霧
霜と氷が、張りつめたままに、まだ暗い空を、真っ暗にして降る、涙の雨。




そして、話しは、ころっと、変わるのである。
それが、物語の面白さでもある。

そして、また、元に戻る。
そうして、繰り返して、展開するのである。

突然、変わるので、読む側は、一体、これは、誰のことかと、思ってしまう。

ただ、物語は、自然、源氏から、夕霧へと、変転してゆくのである。

平安期は、色好みといわれる、時代である。
平安貴族の有様が、自然に、滲み出る。

源氏物語は、紫式部だけの、手ではない。
数名の作者によって、書き続けられている。

それは、書写していると、自然に解ってくるのだ。


posted by 天山 at 00:09| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月14日

最後の沈黙を破る。58

大震災、福島原発・・・
政治を批判していた。

そして、批判に、飽きた。

政治は、批判するものだと思っていた。
しかし、今年の九月頃から、心境が変わった。

批判は、もういい。
それより、その批判の的の、政治家になろうと、考えた。

それで、参院選に出馬することにした。

参議院議員が何をしているのか、よく解らないというものもある。
更に、参議院議員が、それを説明することもない。
選挙に受かれば、それで、お仕舞いなのだ。

それでは、私が、参議員になって、それを見て、国民に知らせたいと、思った。

参議員とは、何をしているのだろうか・・・

大半が、遊んでいる。

大枚な税金を貰い、遊んでいるのである。

遊び方は、議員それぞれ。

良識の府といわれるが、彼らに、良識があるのか・・・
解らないのである。

安穏として、議員生活を続けている。

いい気なものである。

私は、だから、議員になって、参議員削減を言う。
更に、議員報酬の削減を言う。
議員になれば、儲けものという、意識を、撲滅する。

議員報酬は、半端ではない。
遊んでいる、参議員が、であるのに。
勿論、すべての議員がと言うのではない。数名程度は、真っ当に、いや、それ以上に仕事をしているだろう。その仕事という意識は、議員の意識による。

良識の府を、任じるならば。天皇陛下に、任命された、数人で、事足りる。

議員に、当選した後で、手のひらを返したように、変わる、議員がいる。

名前は、上げない。
だが、相当に、多くの議員が、手のひらを、変える。

税金、ドロボーといっても、いい。
それは、党派に関係ないのである。

だが、参議院は、衆議院の、採決を確認する意味で、存在する。
参議院で、否決されると、衆議院に、戻される。

勿論、それでも、結果的に、衆議院にて、可決されると、それは、成る。
一応の、手続きである。

つまり、参議院は、とても、無責任な、場所なのである。

そして、衆議院より、批判が、極端に少ない。

命懸けで、参議員をしているという人は、数少ない。
命懸けなど、必要ないのである。

ただ、流れに任せていれば、いい。
それで、解散もない。六年間は、安泰である。

そんな、場所を、持つということ。それが、問題だ。

更に、有名人は、参議員になりやすいのである。
政治的、知識や教養など、なくてもいいのである。

また、それ以上に、馬鹿でも、アホでもいい。
兎に角、有名で、国民が知っていると、いいのである。

こんな、国会議員がいて、いいのか・・・

彼らの、特権は、甚だしいのである。

兎に角、金は貰う、特権は多い。
一度やると、止められないのである。

こんな、議員制度は、いらない。
必要ではない。

だから、私が、出馬して、それを暴露し、更に、必要性がないことを、訴える。

私が、参議員になれば、参議員の定数は、半減する。
私の公約は、議員定数の、削減であり、議員報酬の、削減である。

夏は、涼しく、冬は、ぬくぬくと、議員会館にて、過ごしている。
彼らは、どこにも、出掛けなくても、いいのである。

良識ある人たちだから・・・

ところが、良識など、持ち合わせていない。
良識を持ち合わせていれば、参議員には、ならないのである。

ホント、実に、馬鹿馬鹿しいのである。

一番、彼らの、口癖は、福祉である。
だが、福祉は、参議員になることである。
参議員になれば、死ぬまで、福祉の恩恵を受ける事が出来る。

ほんと、馬鹿馬鹿しい。
国民のことなど、考えなくなるのである。

posted by 天山 at 06:09| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月15日

希望のビルマへ

少数の
悲しみにある
民族の
ビルマの人を
あはれに思う

今年、平成23年、2011年の、最期の慰霊と支援の旅である。

今年、10回目の旅は、ビルマ難民支援を主にする。

寒い日本から、真夏のバンコクへ飛ぶ。
暑さになれるために、一日、バンコクで、いつもの、マンションホテルに泊まった。
皆さんと、顔馴染みである。

何度、そこに泊まったか・・・

今回は、何処・・・
と尋ねられる。
チェンマイ、チェンライ、メーサイ、ミャンマーのタチレク。
従業員は、黙って頷く。
私たちの、活動を知っている。

三日目の朝、空港に向かう。
チェンマイに飛ぶ。

チェンマイは、実質、二日の予定である。
その、三日目は、チェンライにバスで、向かう。

昼過ぎに、チェンマイ到着。
小西さんに、連絡し、更に、メーソートで、お世話になっている、広倉さんの、二人の娘さんに連絡し、食事の予定を決める。

夜六時に、小西さんの家族三名と、広倉さんのお嬢さん二人、そして、私とコータと、七人で、食事をする。

お嬢さんたちには、メーソートでも、会っている。
妹さんの方は、支援活動を手伝って貰った。

小西さん家族とは、一年振りである。
昨年は、10月に、チェンマイに来た。

一年の最後を、タイ・ビルマ戦線の戦没者の追悼慰霊と、ビルマ難民支援で、終わる事を、感謝する。

翌日の、一日で、慰霊と支援を行う予定である。

朝、10時から、小西さんの運転する車で、タイ・ビルマ戦線の戦没者の慰霊碑に向かう。
バンカート学校の敷地内に、それがある。
何度も、そこで、追悼慰霊の儀式を行った。

今回は、日の丸を掲げて、祈る。
その辺り一帯には、まだ、遺骨が見つからない兵士たちがいる。
約2万人である。

だが、慰霊碑は、多くの人たちの祈りによって、霊的に、清められていた。
宗教の如何を問わず、多くの人たちが、祈りを捧げたのである。

丁度、太陽が天中にある時刻である。
私は、太陽を拝し、そして、祝詞を唱えた。

皇祖皇宗と共に、天津神、国津神、八百万の神たち、そして、その地を治める産土の神を、お呼びして、清め祓いを行う。

小西さんに、本当に綺麗になりましたね・・・
と、言う。小西さんも、
ありがたいことです・・・
小西さんの長年の、慰霊の心を映すようである。

さて、それから、支援である。

その前に、ある出会いについて、書く。

私たちの泊まったホテルの、真向かいに、レストランがある。
そのレストランに、前日、チェンマイに到着した後、コーヒーを飲みに出た。

そこで、働いていた、女の子に話し掛けたのが、はじまりである。

何と、彼女は、ビルマ人で、タイアイ族だった。
両親は、イサーン、東北地方に住むという。
姉と、二人で、チェンマイで暮らす。

私たちは、彼女に私たちの活動を話した。
すると、お姉さんが、ビルマの人たちのボランティアを行っていると言う。
そこで、私たちも、是非、チェンマイにいる、ビルマの人たちに、支援をしたいと言うと、彼女が、お姉さんに、連絡した。

丁度、仕事中で、お姉さんから、こちらに、電話をしてくれるということになった。

ホテルで、電話を待っていると、お姉さんから、電話が来て、色々と教えてくれた。
その中で、場所のよく解る活動機関を教えて貰った。

その住所を聞いても、よく解らないが、小西さんに言うと、すぐに解った。
だが、住所は、解るが、特定の場所が解らない。
その住所に着いて、付近の人に尋ねる。

皆さん、わざわざ、付いて、その場所を教えてくれる。
そして、ようやく、ビルマ難民の支援を行う、施設を見つけた。

その代表に話をすると、事は、スムーズに進んだ。
その施設には、働いても、生活出来ない、若い人たちが、共に暮らしていた。
彼らにも、紹介された。

代表は、入院患者の施設に支援をして欲しいとの、願いである。
そして、私たちと、一緒に車に乗り、その、入院施設に出向いた。
全く、予期していなかったことである。

私たちは、コータが、見つけたという、水害の被害を受けた、スラム街に出掛ける予定だった。ところが、ビルマ難民の支援が、このように行われるという、僥倖である。

posted by 天山 at 01:47| 希望のビルマへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月16日

希望のビルマへ2

入院施設は、男性が、三名ほどで、あとは、女性と、子連れの母親で、総勢、25名程度である。

一緒に来た、代表が皆さんに声を掛けると、皆さん、玄関前の広場に集まった。

見た目では、どんな病気か解らない人もいる。
目の不自由な、中年の女性と、喉頭がんの手術をした少女は、痛々しかった。

私は、まず、バスタオルを取り出した。
それが、とても良かった。皆さん、バスタオルが欲しかったのだ。

それから、衣類をそれぞれに出した。
広場の中に、衣類を区分けて出し、必要なものを取って貰う。
更に、私が、サイズを合わせて、差し上げる。

静かに、それが進んだ。

言葉が通じないが、笑い声が聞える。
それぞれが、楽しそうに、選ぶのである。そんなことは、滅多にあることではない。
一人の少女が、嬉しそうに、自分に合うものを選ぶ。
そして、私の顔を見る。

オッケー、オッケー、良かったね・・・
私が声を掛けると、少女が笑う。

子供たちもいた。
それぞれに、おもちゃを渡した。そして、帽子である。

子どもは、どんなものでも、遊びに変える天才であるから、きっと、暫く楽しめるだろう。

私が何か言うと、それが英語に訳され、ビルマ語、民族語に訳される。
代表と小西さんが、通訳してくれる。

それぞれに、行き渡り、写真を撮ることにした。
私の日の丸を持つ人がいる。

また、来ますよ・・・
何度も、私が言う。

バスタオルが足りなかったようで、代表が、まだありませんかと、尋ねる。
すべてを出してしまっていた。

フェイスタオルを、とりあえず、渡して、次の時に、また沢山持ってきますと、言う。

写真には、皆さん参加して、日の丸と共に、写る。
子どもは、渡したものに、夢中になっていた。

気になったのは、喉頭がんの女の子である。
彼女は、声が出ない。更に、何一つも、受け取らなかった。
何か、諦めた気がある。
そして、笑えないのである。

わが身の境遇の不幸に、諦観した心。
難民であり、不治の病に・・・

開いたダンボールと、バッグを運び、最後のお別れである。
皆さん、玄関に立ち、私たちを見送る。

代表が、皆さん、ありがとうと、言っていますと、教えてくれた。

四人が車に乗り込み、次の場所へ、移動する。
その時、代表が、大人も子供も、働く人たちが暮らす場所があります。皆さん、五時には、そこに戻りますが・・・と、言う。
そこまでの、時間を待つことが出来ないので、次回に伺うことにした。

次ぎは、コータが見つけた、スラムに行く予定である。
水害の被害も受けていると、コータは、見ていた。

代表をお送りして、再会を約束し、コータの見た場所に向かった。
小西さんは、おおよその、場所を解っていた。

その入り口の前に、車を止めて、数名の女性たちに声を掛けた。
すると、何と、アカ族の人たちである。
タイ人のスラムではなかったのである。
ここも、ビルマ難民の人たちが、住むという。

その方たちに、衣類を差し上げて、車の入れない道を、コータと二人で、バッグを持って歩いて行った。

人を見ると、声を掛ける。
そして、バッグの中身を見せる。

フロム・ジャパン・プレゼント・・・
通じるか、どうか。
だが、私たちの、姿で、解るようだ。

必要な物を、差し上げる。
妊婦さんもいて、幼児物を差し上げる。
とても、喜んだ。

どんどんと、奥に入り、突き当たりである。
そこに、多くの人たちがいた。

すべてを渡すつもりなので、物資みな、人たちの前に出した。
遠慮しつつ、手に取る。
私も、その人に合うものを、体に当てて上げる。

私が、ミャンマーのタチレクに行きますと英語で言うと、英語で、私の両親が、タチレクにいますという、おばさんがいた。

おばあさんたちにも、渡すものがあり、大半を差し上げた。
写真を撮る。

一人の男の子が、私が上げた、おもちゃを掲げて、私に、これは、どうするの・・・どうやって使うの・・・と、言葉は分からないが、そのように聞いたが、私も、解らない。
勿論、誰も解らない。
おもちゃとして、支援袋に入れたものを、そのまま、持参したのである。

さようなら・・・
皆さん、この言葉は、知っていたようで、さようなら、ありがとう・・・と、日本語で言う。

私たちは、元に戻り、入り口に来た。
先ほどの人たちがいて、笑顔で、迎える。

二歳ほどの、女の子に近づくと、私に頬を寄せるので、頬にキスをしようとすると、額を出すので、額にキスをした。
何とも、平和で、穏やかな、支援活動である。

子どもは、私を怖がらないのである。
どこでも、そうである。

そして、その時、私と女の子だけの、空間ができた。
不思議である。
二人だけが存在するような・・・

私は、とても、その子が愛しく思われた。

心の中で、幸せになれ・・・
そう言った。

これで、今日の予定は、終わりである。


posted by 天山 at 00:25| 希望のビルマへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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