2011年11月28日

天皇陛下について。95

昭和天皇は、昭和50年、1975年、アメリカに渡った。
旅の名目は、前年11月の、フォード大統領訪日に対する、返礼である。

天皇には、戦後日本の再建にアメリカが果たした多大な助力を感謝する気持ちがつよく、この訪米をアメリカ国民に謝意を表明する機会としたかったのである。
松本

そして、その挨拶は、フォード大統領主催の晩餐会で、述べられた。

次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。と申しますのは、私が深く悲しみとするあの不幸な戦争の直後、貴国がわが国の再建のために、温かい好意と援助の手をさしのべて下さったひとを、ふかく感謝します。

天皇のアメリカに対する感謝の意が、ここには明らかだろう。しかし、その晩餐会のまえ、天皇はワシントンに直行せず、近くのウイリアムズバークという町で、二日間の休養をとった。この町から車で40分くらいの距離にあるノーフォークには、マッカーサー元帥の墓と元帥記念館がある。
松本

天皇の、訪米が決まった時、記念館では、天皇の訪問を要請している。
しかし、天皇は、それを断った。
宮内庁では、老齢で、健康に差し支えるという理由をつけた。

元帥の未亡人が、改めて、手紙で要請したが、宮内庁は、相手にしなかった。

昭和天皇はキリスト教を押し返したように、長い時間をかけて、連合国最高司令官のマッカーサーも押し返したのである。
松本

これは、松本氏の、見方である。
確かに、見方によっては、そのように、受け止められる。

天皇個人としては、押し返したが、歴史としては、それも、受け入れているのである。

天皇自身が、明確に拒絶したのは、幕末の孝明天皇の、外国である。更に、開国である。

歴史は、信教の自由であり、キリスト教は、日本で、難なく布教している。
マッカーサーにしても、誰が、どのように、受け入れてもいいのである。

さて、帰国後の、記者会見で、ロンドン・タイムズの日本人記者から、予定外の質問が出る。
それは、天皇が晩餐会で、感謝の意を口にした言葉である、私が深く悲しみとするあの不幸な戦争、という、発言に対してである。

これに対する、天皇の発言は、
そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よく分りませんから、そういう問題については、お答えできかねます。
である。

この返答については、当時から「噛み合わない」とか、「文学方面だなんて、見当違いの答え」だ、といった批評がなされた。しかし、わたしの感想をいえば、これは木で鼻を括るたぐいの答え方である。要するに、天皇は記者のそんな質問には答えない、ということだろう。
松本

しかし、マッカーサーから発せられたら、別である。
私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、と述べている。

政治責任のない、記者に、そのような重大な発言はしないのである。
松本氏が言うように、私も、そう思う。

さて、天皇、特に、昭和天皇について、書かれた物は、実に多い。
そして、そこから、著作者の考え方というものが、解る。

また、無意識のイデオロギーによって、天皇を解釈するものも、多々ある。
私は、一つだけ言いたい。

まず持って、天皇という存在は、御一人であらせられる。
ここのところを、明確にしないと、解らないことが、多い。というより、解らないと、言った方がいい。
分析は、しても、天皇そのものに、成り、その御心というものを、見ることは、出来ないのである。

天皇という、存在は、分析しても、人間であるから、ハイ、全部解りましたということにはならない。
それを、踏まえた上での、分析がいい。

学者の中には、とても、多くの文献を準備して、天皇を描くが、残念なことに、無意識のイデオロギーにより、余計な、考え方と、色眼鏡を持って、解釈する者達がいる。

例えば、原武史の昭和天皇、である。

数ページめくると、このような、驚くべき見解が書かれる。
天皇の祈りを本物にしたのは、戦争であった。太平洋戦争が勃発した翌年の1942年、天皇は伊勢神宮に参拝し、アマテラスに戦勝を祈った。戦況が悪化した45年になっても、天皇は祭祀を続け、勝利にこだわった。六月にようやく終結に向けて動き出すが、天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた「三種の神器」を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった。
と、書くのである。

これなどは、まさに、色眼鏡一色である。
どんなに、分析をしても、結果、それに対する、価値判断が、色眼鏡であれば、それは、意味の無いものになる。
価値判断をせずに、資料だけを、分析し、紹介するならば、まだ、救いがある。

この人には、昭和天皇を、貶めようとする意志がある。
国民の生命を救うことは二の次であった、とは、如何なることか。
国民あっての、日本国であり、国民あっての、皇祖であろう。

それが、基本である。
国民が無ければ、天皇も、皇祖も、存在しないのである。

実に、軽薄な付け加えである。

もし、それを、サヨク的というならば、一時期の日本の出版界は、サヨク系一色であった。
それを、持って、世間から、認められるという、歪んだ時代を経ているのである。
それを、また、邪とも、言う。

最も、愚かな書き込みは、
なぜ天皇は、祈りがかなわなかったにもかかわらず、戦後も戦前と同様に祭祀を続けたのか。
であり、それを、解明するために、書くと、宣言するのである。

要するに、戦勝祈願が叶わなかったという意味であろう。
実に、馬鹿馬鹿しい。

天皇は、祭祀の長である。
こういう人は、御利益信仰をする人であり、信仰の意味など、全く理解できないのである。
そういう、高貴な心境には、辿りつけない者なのである。

高貴な心境とは、天皇の祈りであり、それに順ずる、国民の祈りのことである。

資料集めが、真っ当なだけに、実に、惜しいことである。
学者が、陥る、蒙昧である。




posted by 天山 at 06:03| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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