2011年11月24日

性について。188

売春婦の意志能力について問題を提起することは、実は否定的に回答を生じさせるものである。いったい真の売春婦が、何か気力をもっていることを証明しうるとすれば、それはどんな点だろうか。たとえどれほど僅かでも、売春婦が最初にそうした自発的に意欲をもっているのであれば、一度経験したあとでは別な生活を送ることになるだろうと思われる。
マンシニ

昔、売春婦だったという、女に、私はマニラで会っている。
若い頃は、カラオケパブにいた。つまり、売春婦をしていたということである。
そして、今は、年を取ったから・・・
何もしていない・・・

ただ、マッサージをすると言う。
呼ばれ部屋に行き、マッサージをして、性的サービスをするのである。

いったい、売春婦はみな、自分が堕落したという感情をもっているだろうか。もちろん、もっているのは確かである。商売の必要から、どうしても人の注意を自分に向けさせなくてはならないような場合、とくに初めのうちは、こうした感情を抱くものであり、最初はこうした感情がとても強いのである。
マンシニ

おおむね、そうであろう。
しかし、東南アジアにおける、売春婦は、それで、実家と、家族を養うのであるから、堕落というより、それ以外の方法が無いという、気持ちである。
堕落したなどとは、考えていられないのである。

マンシニは、
売春にさしてのいろいろな感情的な反応を取り上げることによって終えると、
いっさいの自己愛はどうしても捨てさられるということを認めておかなければならない。との、ことである。

だが、それに代わって、
一緒の誇りが生き残る。その集団的な誇り、それはまた、激しい労働に押しつぶされた不運な連中、「頬までくぼんだ連中」に対する、軽蔑の念を含んだ憐れみに根拠がある。
と、マンシニは書く。

つまり、売春という、骨を折らずに、金を得るという、優越感である。
だから、慈善家や、説教家が、彼女たちを、厚生させようとすると、形を変えて、怒りとなって、現れる。

彼女たちは、言う。
この商売は咎められないのだから奇跡でも起こらなければ私など救われない、というのがまず第一の答えである。もっとも、罰せられないからこそ、売春仲介をやる連中もうまい汁が吸えるわけである。この種の女たちの一般的な道徳観念については、一言で説明できる。それは、彼女たちの社会の道徳観念であり、われわれとは別の慣習と規範があるということである。
マンシニ

ここで、私は、売春仲介をする男たちと、それらを要しない、単独売春があると、言う。

売春宿には、いない、売春婦である。
夜、一定の時間になると、一定の場所に、立つのである。

値段も、客との交渉で、成り立つ。

貧しい国では、それらも、当たり前にある。
売春斡旋業者が、手数料を取ることを、嫌うのである。
それは、とても、勇気のある行為である。

多くの危険が、伴うことを、承知で、行う。

売春婦の感情について述べることは、もはやなにも残っていない。
マンシニ

世の中から、爪弾きされた女たちの、感情生活に、腕を差し伸べるようなものはなんら現れまい。
マンシニ

これは、彼の研究不足である。
彼は、現実の売春行為を見ていないようである。
分析は、よくするが、事実を知らないというのが、学者の多くである。

売春婦は、感情豊かであると、私は言う。
せめても、その感情を維持するために、努力している。

物乞いに、一番、興味と憐れみを示すのは、売春婦たちであることを、私は見てきた。
自分たちより、弱い立場の人たちに対して、彼女たちは、憐れみをかける。

感情を失うほどの、ことを体験するのは、不可抗力により、強制的に、売春行為をさせられる、売春婦たちである。

また、感情を失わなければ、それを、続けられないのである。

マンシニは、恋も、母親としての愛情も、現れない。恋なども、売春上から、禁じられていると言う。
違う。

彼女たちは、恋も、母親としての、温かい感情もある。

意欲も愛もなく、心の満足という点では、気晴らしになることを見つけることも覚束ないのである。
マンシニ

それも、違う。

同じ不可抗力でも、家族や、子供のために、売春婦をする者たちは、愛情も、感情も深いのである。

マンシニの見ている、売春婦は、西欧を中心とした、売春であるから、それは、西欧の思想、考え方による。
個人主義の、西欧の売春婦は、そのようであろうが、アジア地域では、また、別の考え方がある。

飛躍して言えば、楽しく売春行為をする、売春婦もいるのである。
これは、語弊があるだろうか・・・

タイの、パタヤのゴーゴーバーでは、深夜時間が、遅くなると、自ら、料金をデスカウントする、女たちがいる。
早く、私を買って・・・
1000バーツが、800バーツ、700バーツ、600バーツと、落ちてゆく。
それは、ショートタイムの料金である。
男を、射精させれば、終わりなのである。

何かを、きっぱりと、割り切っているのである。

それに関して、私は、深く追求する術がない。




posted by 天山 at 02:04| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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