2011年11月23日

霊学45

小此木啓吾 自己愛人間から、見ている。

戦前から戦後、現代に至る社会は、かつてフロイトが個の自立のために必要であると考えたいくつもの集団幻想を、主体的にではなくむしろ受身的に破壊するプロセスをたどってきました。
小此木

ちなみに、この本の発売は、1981年11月である。
つまり、30年前である。
それから、また、変転している。

だが、興味深いことなので、取り上げていく。

第一は、女性の性愛に対するタブーの解体です。いまや女性もまた男性と同様に性愛をみたす権利があるという動かしがたい認識を確立しました。

第二は家庭幻想の崩壊です。親は神聖でとても偉いものなのだから、子どもは親のいうことを聞かねばならないという幻想がありました。それに対して、実際には子どもは親を単純に神聖視するわけではない。親もセックスする人間であるという現実は公然化し、家族、親が神聖であるという幻想は破壊されてしまいました。

第三に国家幻想への幻滅であり、第四は宗教に対する幻想の喪失です。フロイトはこれらの集団幻想からの自由な知性に基づいた個の確立を人類の普遍的課題であると考えていました。それを主体的に人間の内面にそって行う道を示したわけです。
小此木

ここで、そのフロイトが、作り上げた、精神分析に対して、批判を控えて、先に進める。

集団幻想からの、自由な知性に基づいた、個の確立・・・
それが、人類の普遍的課題である・・・
そのフロイトの課題に、新しい倫理進化学という、学問が生まれている。

心理学や、精神分析だけではない、学問の世界が、広がっているのである。

心理分析のみによる、分析も、限界があることを、認識しなければ、心理学に対する、妄信になってしまう。陥るということである。
心理学の分析を、絶対と思い込む、賢い馬鹿が、世に溢れている。

それに、関しては、後々、書き込むことにして、小此木氏の、論説を見続けることにする。

自分を支配している、集団幻想から、内面的、主体的に脱却することが、自己自身の人間の課題とした、フロイト以降、この問題は、モノ的な力によって受身的に解体してきたということができます。
と、小此木氏が、指摘する。

家庭も、解体し、親の権威も、地に落ちた。国家の権威も、宗教の権威も、イデオロギーも、失われた。

つまり外から見れば、20世紀初頭にフロイトが個々人の内面で達成しようとした主体的課題はすべて外的な世界のこととしては没主体的に達成されたのが現代です。
小此木

その結果、性のタブー、親の権威、国家、宗教、イデオロギーに対して、こうした文化的、歴史的なものは、価値の無いモノとして、それを作り出し、解体するのは、自分たちであるという、全能感を抱くようになった。

自己愛の肥大化が、気づかぬうちに、誰にでも、起こっている。

確かに、個々人の生活、生き方に、それは言えるだろう。
様々な、例を上げて、説明できる。

しかし、日本の場合を見ても、国家、宗教、イデオロギーの権威が失われたが、それが、新しく提供されたとも、言える。

国家も、宗教、イデオロギーのひとつとして、まとめて、新しい、イデオロギーが生まれて、そこに、身を投じる人たちもいた。

その空虚感を埋めるため・・・

あの、オウムという、新興宗教を、どう解釈するのか。
小此木氏が言う、現代の状況の中で、病として、生まれたのか。

更に、多くの新興宗教は、何故か。
それらは、既成の宗教団体に対する、反乱なのであるのか。

また、国家という、イデオロギーに対して、極右、極左が、生まれている。
これは、何故か。

小此木氏の言う、既成の様々な、価値観の崩壊と共に、実は、邪悪なものが、多々生まれているのである。

考えが甘すぎるとは、言わないが、彼の見た世界は、実に、狭いものである。

世界的に見ても、イデオロギーは、極端に権威を持った。
原理主義・・・
テロリストはじめ、様々な、原理主義者たちが、世界を恐怖に陥れている。

つまり、心理学、精神分析というものは、単なる、一つの遊びであり、ある程度の、知的ゲームとして、認識することもできるのである。

心理学者の岸田秀も、心理学を真っ当に批判している。
いずれ、それも、紹介する。

実は、上記の権威なるものは、変容して、なおも、続いているということである。

例えば、新興宗教の教組は、家庭や、親、国家幻想さえも、凌駕して、権威を持った。そうでなければ、人はあれほど、騙されない。

足裏診断で、天の声を聞くという、教組は、詐欺罪で、起訴されなければ、今も、続けていただろう。

確かに、個々人の生活、生き方も、変容した。
変容したのであり、喪失したのではない。

なるほど・・・
と、思わせるのが、心理学の特徴である。
あたかも、そうであるかのように、分析する。

そして、それが、学問とされることから、それで判定されると、少しズレていても、納得するという、馬鹿げた対応を、せざるを得ない。

憑依現象なども、心理学が、云々すると、もう、霊的作用などは、マヤカシ、誤魔化し、嘘偽りと、判断される。

確かに、多く、心理的要素が、重なるが、霊的要素を見ることが、出来ないでいる。

小此木氏の、自己愛人間を続ける。




posted by 天山 at 08:08| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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