2011年11月22日

霊学44

正常な発達とは、どのようなものか。

自己―対象への固着が起こらずに、正常な発達が進んで次の段階になると、自分はそんなに全能なものでもないし、母親も現実的な母親として、無力で悪い面もあるということがわかってきます。
小此木

これは、当たり前のことで、特に言うこともないが、それが、現代では、損なわれているということである。

ではこの場合、肥大していた幼児的自己愛、つまり幼児的全能感にみちた自己―対象はどうなるかというと、現実の自分が確立され、それに対立する自我理想と超自我になるわけです。
小此木

それは、理想化された親が、同一視を通して、内在化する。
そして、現実の親は、現実の親として子どもに見えてくるという分化が、進む。

自己―対象が、超自我、自我理想として、現実の自分と対立する。それが、正常であると、言うのである。

理想化された親、つまり、もう一つの自分の存在である。

それが、内なる声とか、良心とか、色々と、言われる。
中には、神の声という人もいる。

病的な自己愛の持ち主は、自我理想も超自我もすべて誇大自己の中に吸収されてそれ以上に分化していきません。すると、一見すると超自我にしたがっていたり、自我理想に従って行動しているかのようですが、実はそれは誇大自己をみたすためのものにすぎません。
小此木

そして、それは、実に恐ろしいのは、現実の未熟な自分に気づかず、絶えず、誇大自己の錯覚の中にいるということだ。

すべての存在が、その誇大自己を満たすための、手段に過ぎなくなる。
これを、コフートが言うところの、自己愛パーソナリティの心理構造ということになる。

このように、自己愛パーソナリティでは、超自我や自我理想も、自分そのものになってしまうのですから、自分が法律そのもののようになって、外界に対してもそういう態度になるわけです。
小此木

本来は、誇大自己から分化した、理想化した親と、現実の自分の関係が、自我理想と現実の自我との関係になるということ。

自己愛パーソナリティでは、それがならないのである。

自分と対立したものを、精神の中に、持たない人たちである。

また、精神の中に、対立したはずの、自我理想が、歪む人がいる。
それが、実に道徳的で、規律的なものであるが、実は、それも、自己愛パーソナリティなのである。

早い時期から、何らかの、強制によって、洗脳されている場合など、である。
小此木氏は、それについては、触れていないが、そのいう人たちが、いる。

頭脳優秀な人にも、多い。
つまり、頭脳優秀であることから、幼児期から、礼賛されて育ち、その礼賛された自分が、誇大自己を作り出すのである。

ある時期からでも、それは、あり得る。
全能感を持ったままに、成長する。
今では、もっぱら成績が良い場合に、そうなる。

挫折を知らない人として、言われることがある。

自己愛パーソナリティでは、何でも自分の思い通りになるという親像をとり入れている。そのために、自分と対立する自分を超えた、超自我・自我理想ができないままになってしまうわけです。
小此木

自分が、正しいと、どんな状況の時にも、それを人に押し付ける。法律に触れることをしても、自分がやる場合は、正しいのである。

全く、通常の話し合いが出来ない人である。
全く通じないから、馬鹿かと、思うが、違う。
自己愛パーソナリティなのである。

現代は誇大自己ばかり肥大して、超自我や自我理想に分化しなくなってしまった時代といえるでしょう。
小此木氏は、そう言う。

それは、つまり、自分の土俵でしか、話し合いが出来ない。自分の土俵でのみ、言葉が通じる。さらに、人の痛みなど、全く関係ないのである。

例えば、タレントを見ると、すぐに自分と比べる。そして、自分の位置からのみ、言葉を発する。
あたかも、自分がタレントになっているかの如くである。
つまり、内が対立していないから、外にも、対立を見出さないのである。

一冊の本を読む。
ベストセラーである。しかし、自己愛パーソナリティの人は、唯一、自分だけが、読んで知っていると、思う。

損得の世界では、もっと、明確である。
父親が亡くなり、遺産相続である。
自分が正しいのであるから、預金も、株式も、生命保険も、すべて自分の手に中に収めてしまい、それで、正しいと、思うのである。
相続人が他にいても、それを平然とやってしまう。

そして、争う段になると、知らない、無いと、平然として言う。

更には、遺書さえ、隠す、捨ててしまう人もいる。
要するに、自分のことしか、頭に無いのである。

人のことは、どうでも、いい。
小此木氏は、現代は、そういう人たちの時代だというのである。
つまり、様々な面で、そういう、自己愛人間が出現して、世の中を作っている。それは、霊的世界に関しても、そうなのである。

昔と違い、狐憑きが、いなくなったが、別に憑くものが、現れた。
神とか、天の声とか・・・



posted by 天山 at 02:55| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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