2011年11月19日

霊学41

さて、小此木氏の、自己愛人間より、
ここで、私は自己愛のパーソナリティのもっとも重要な特徴の一つとして、主観的な思い込みの中で暮らし、本当の現実とつながらないところで自信をもち安定しているという事実をあげたいと思います。
もう少し厳密ないい方をすれば、彼らは主観的なイリュージョンの中で暮らしているのです。イリュージョンというのは、錯覚と訳されますが、ここでは現実の経験をすべて自分の自己愛をみたすように都合よく解釈し、そう思い込んでしまう心理状態という意味で用います。
小此木

錯覚しつつ、暮らす。
そして、それは、よほどの衝撃が与えられない限り、誇大自己そのものであるような、幻想の中で、暮らすというから、驚く。

しかし、時に、自己幻滅の状態に陥っても、ある程度の適応力を持つ、自己愛パーソナリティは、幻滅体験をきっかけに、一時的破綻状態に陥っても、再び、誇大自己を、取り戻す事が出来る、条件を見つけ出す。そして、自己愛幻想を、回復させるという。
これも、驚きである。

であるとすると、錯覚して、生きていても、人に迷惑をかけなければ、まあ、何とか、生きられるということである。

錯覚の、人生を生きる。
そして、本人が幸せである・・・

自己愛パーソナリティの人は、自分自身が何かを思い込んで、そのことで自己愛をみたしている間は、再び元気になります。たとえそれが、まわりからみて主観的なものであり、時にはイリュージョンであっても、本人にとっては誇大自己をみたすものであれば、それは十分なのです。
小此木

対人関係でも、相手が、どうあれ、自分の誇大自己を満たすのに、相応しい人であれば、いいのであり、その他は、いらない。
とういことは、対人関係でない。
人を、モノのように、扱うのである。
自己愛を、満たすのみ、相応しい人・・・

随分と、行き過ぎた時代になったものである。
つまり、本当の、人間の付き合いなどが、出来なくても、生きて行けるのである。

人間が、自己愛の、道具になる。

さて、もう一つの特徴である。

自分の誇大自己をみたし、さらに肥大させていこうとする飽くことのない貪欲さです。
小此木

名声、権勢、栄光、自己顕示・・・

つねに極端な自己中心性があって、他人から称賛を浴びたり、自分の能力を発揮して自分の理想化した誇大自己を実現することに、すべてをかけている人間であるわけです。そして、同時に他人に対する関心とか共感性が欠けている。天職とか使命感に燃えて、これを実現できるのは自分しかいないと思い込み、そういう自分が特別待遇を受けるのは当然だと考えるわけです。
小此木

人間は、多少なりとも、そういう要素がある。
しかし、それが、極端になり、もはや、そういう自分を、絶対的に考えてしまうと、病理的になるのである。

端的な存在が、教祖になる人たちである。

人にも、そういう、誇大自己の要素があり、その、バランスにより、時には、それを受け入れるという、心の所作を持つのが、普通である。
だが、人の誇大自己は、受け入れないのである。

後に、小此木氏が、病的な自己愛が、肥大化する人として、上げているが、振り子が、振り解けてしまう人たちである。

その前に、もう一つの、特徴は、羨望心が異常に強いということである。

羨望というが、精神分析では、羨望と、嫉妬を区別する。
ねたみ、という。

自己愛パーソナリティの人がねたみ深いというのは、羨望心が強いという意味です。
小此木

それは、他人が、自己愛の満足を得ることを、許せない。
つまり、他人の自己愛に、共感する事が出来ないのである。
更に、他人の、自己愛の、傷つき、悲しみや、痛みに、関心なく、解らないのである。


自分勝手な人として、くくられるが、それは、実に恐ろしい、心の病になる。

そういう、人が、組織の上に立つと、絶望的である。

羨望心も、また、多かれ少なかれ、人の心にあるものである。
しかし、それも、バランスを保っている。
その、バランスが持てない人がいる。

現代の家庭崩壊の、元が、そこにあることもある。
それぞれに、自己愛を満たすためだけにある、家庭である。

健康な自己愛は、ミューチュアリティ、相互性があると、小此木氏が言う。

そして、
このような現実の満足体験は性欲の満足と同様にそれなりの完結性があります。
小此木

相互性を、エロス的コミュニケーションの体験から、出発するものだとの、提言である。

要するに、与えることと、与えることによって、それぞれが、受け取る関係である。

与え合うという、関係が、自己愛の健全な姿であるということだ。

何も、精神分析から、言わなくても、遠い昔から、言われてきたことである。
ところが、こうして、精神分析、心理学・・・などから、言われなければ、納得できないという、ボンクラが多くなったのである。
普通の言葉ではなく、それらしい、学問的・・・なにか、小難しい・・・
兎に角、ややこしい説明を好むようになったのである。

そして、それだから、真っ当だと、考える、歪さである。

これは、日本人が、堕落した、西洋化の一つである。




posted by 天山 at 01:04| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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