2011年11月14日

もののあわれについて。541

内大臣「よし、しばしかかること漏らさじ。隠れあるまじきことなれど、心をやりて、あらぬ事とだに言ひなされよ。今かしこに渡し奉りしてむ。宮の御心のいとつらきなり。そこたちは、さりとも、いとかかれとしも思はざりけむ」と宣へば、いとほしき中にも、うれしく宣ふと思ひて、めでたきにても、ただ人の筋は何のめづらしさにか思う給へかけむ」と聞ゆ。姫君はいと幼げなる御さまにて、よろづに申し給へども、かひあるべきにもあらねば、うち泣き給ひて、いかにしてか徒になり給ふまじきわざはすべからむ、と、忍びてさるべきどち宣ひて、大宮をのみうらみ聞え給ふ。




内大臣は、しかたがない、暫くの間、ふたりの事は、人に知らせずにおこう。隠し切れないだろうが、何気ない風に、嘘だと、せめて言ってくれ。早速、私の方へ、お引取りしよう。宮のなさりようが、恨めしい。お前たちは、それでも、こんなになって欲しいと、思わなかっただろう、と、おっしゃる。可哀想だが、嬉しいことをおっしゃると、思い、乳母など、とんでもないこと、大納言さまのお耳に入ることを考えますと、結構な方でも、ただの臣下では、どの点をかって、ご結婚を願いましょうぞ、と、申し上げる。姫君は、見た目にも、大変子供の様子で、内大臣が、色々と注意されるが、何もわからないらしく、ほろりとされて、どうしたら、傷物にならずに済むことだろう、と、こっそりと、乳母たちと、相談されて、ひたすら、大宮を恨むのである。

大宮はそこまで、気が回らないのである。




宮はいといとほしとおぼす中にも、男君の御かなしさは優れ給ふにやあらむ、かかる心のありけるも、うつくしう思さるるに、情なくこよなき事のやうに思し宣へるを、などかさしもあるべき、もとよりいたう思ひつき給ふことなくて、かくまでかしづかむとも思したらざりしを、わがかくもてなしそめたればこそ、東宮の御事をも思しかけためれ、とりはづして、ただ人の宿世あらば、この君よりほかに勝るべき人やはある、容貌ありさまよりはじめて、等しき人のあるべきかは、これより及びなからむ際にも、とこそ思へ、と、わが心ざしのまさればにや、大臣を恨めしう思ひ聞え給ふ、御心の中を見せ奉りたらば、ましていかに恨み聞え給はむ。




大宮は、大変可愛いと思う、二人の中でも、男君、夕霧への愛情が、勝っていらして、このような気持ちを持っていたことというのも、可愛く思うが、内大臣が、思いやりもなく、酷い事のように思う、口ぶりであるゆえ、どうしてなのだろうか。もともと、それ程に、可愛がっていたわけでもなく、これほど大事にしようとも、思っていなかったはずなのに。自分が、こんなに世話をしてきたからこそ、東宮へのことも、考えるようになったのだ。思い通りに行かず、臣下に嫁ぐ運命なら、この君より、立派な人があろうか。容姿、姿をはじめ、並ぶことのできる人があろうか。この姫以上に、内親王とでも、結婚させようかとまで思うのに、と、我が愛情の強いゆえか、大臣を恨めしく思う。その御心を、見せたら、一層、酷く恨むだろうと、思うのである。

夕霧と、雲居雁のことで、人々が悩む様子である。




かく騒がるらむとも知らで、冠者の君参り給へり。一夜も人目しげうて、思ふことをもえ聞えずなりにしかば、常よりもあはれに覚え給ひければ、夕つ方おはしたるなるべし。宮、例は言ひ知らずうち笑みて、待ちよろこび聞え給ふを、まめだちて物語など聞え給ふついでに、大宮「御事により、内の大臣の怨じてものし給ひにしかば、いとなむいとほしき。ゆかしげなきことをしも思ひそめ給ひて、人に物思はせ給ひつべきが心苦しきこと。かうも聞えじ、と思へど、さる心も知り給はでや、と思へばなむ」と聞え給へば、心にかかれる事の筋なれば、ふと思ひよりむ。面赤みて、夕霧「何事か侍らむ。静かなる所に籠り侍りにし後、ともかくも人にまじる折なければ、うらみ給ふべきこと侍らじ、となむ思う給ふる」とて、いと恥づかしと思へる気色を、あはれに心苦しうて、大宮「よし、今よりだに用意し給へ」とばかりにて、他事に言ひなし給うつ。




騒がれているとは、知らず、夕霧が大宮の所に、上がった。先夜も、人目が多く、心の内を申し上げることが、できずに終わったので、いつもより、慕わしく思われたゆえ、夕方に、お出でになったのであろう。
大宮は、いつものように、嬉しくニコニコして、よく来ましたと言う。だが、今日は、真面目な顔で、お話しされるうちに、大宮は、あなたの事で、内大臣が恨みことを言いましたので、本当に、気の毒です。人が耳にして、感心しないことなどを望みになり、私に心配をかけるのが、辛いのです。こんなことを、お耳に入れまいと思いますが、そういう、事情も、知っておかれたほうがと、思いまして、と、おっしゃると、夕霧が心配していたことなので、すぐに気づいた。
顔が赤くなり、夕霧は、何事でございましょうか。静かな場所に籠もりましてからは、どのような交際もすることが、なくなりました。お恨みになるようなことは、ないだろうと思いますが、と、大宮の顔も、見られぬ様子で、可愛くもあり、可哀想でもあり、大宮は、よろしい。せめて、これからは、注意することです、とだけ言い、他の話しにしてしまったのである。

ゆかしげなこと
人が聞いても、面白くないことで、ここでは、いとこ同士の結婚を暗示する。

さる心も知り給はでや
内大臣が、二人の恋愛に、酷く立腹しているということをいう。

あはれに心苦しうて
可愛い、可哀想だ・・・
大宮の、心模様を、そのように、言う。

言葉にする、許容範囲を超える、心境をこそ、あはれ、となる。

人の心の、機微を、明確にして、表現することは出来ない。そこで、あはれ、という言葉を、縦横無尽に使い、それを、表現すると言う、日本文学の、最初である。

もののあはれ、について、を、書こうとすれば、こうして、延々として、書き続けことしかないのである。

仔細に、言葉の跡を辿ることを、放棄しては、堕落する。

日本人の、心象風景が、あはれ、という言葉を、支えて成り立つのである。




posted by 天山 at 07:24| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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