2011年11月09日

天皇陛下について。93

「天皇の国家」において「民」をおもい、救うのは、ついに天皇である、という意識が、昭和天皇にはあった。それが、かれの「国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者」という、マッカーサーへの言葉になってあらわれたわけである。
松本健一

そして、天皇は、天皇制下の民主主義へと、進むというのが、松本氏の、意見である。

昭和天皇は、アメリカの短波放送を聞いていたというから、驚く。
そして、アメリカの論調に対して、非常に敏感に反応していたという。

マッカーサーとの、会見を、アメリカが、どのように、報じていたかを、天皇は、御心配されていた。

そして、その内容に、天皇のファシズムと、民主主義アメリカの対決という、図式を持って、対応していたことに、天皇は、憤慨する。

自分があたかもファシズムを信奉するが如くに思わるることが、最も堪え難きところなり、実際あまりに立憲的に処置し来たりしためにかくのごとき事態となりたりともいうべく、戦争の途中において今少し陛下は進んでご命令あたりしとの希望を聞かざるにはあらざりしも、努めて立憲的に運用したる積もりなり。戦争についても極力避けることに努力し・・・
木戸幸一内大臣書簡より 読みやすく書き直した

天皇は、出来る限り、立憲的な君主として、内閣が決めたことを、ベトーと言わず、裁可したと、弁明する。

天皇システムからすれば、外の文明はいかに新しいく、強大であろうとも、いずれは滅びてゆくのである。日本文化としての天皇システムは外の新しい文明を手に入れることによって、みずからの文化をすこしは変容させつつ、それによって日本文化が滅びない方法をとるのだ。
松本

上記は、明文である。
まさに、日本が、滅びることがないのは、天皇システムに置ける、他の文明摂取にある。
であるから、敗戦後の、アメリカ文明、デモクラシーも、受け入れていった、天皇システムである。

だから、
アメリカの短波放送を聞いて、皇室に政治的権力があるらしく見ゆるは不得策なり、と、考えれば、内大臣府は「廃止する方」がいいと、いうのである。
松本

この内大臣府の廃止を提案した11月2日、昭和天皇はアメリカの空軍司令官アレキサンダー・P・セベルスキー将軍を引見して、次のようにいった。

各国が航空機によって親善を進めればいい。
徳川義寛「侍従長の遺言」

と、なる。

これが敗戦二ヶ月半後の昭和天皇の発言であることを思うと、かれは敗戦さえもすでに新しい文明として受け入れてしまっている、という気がする。戦闘機もふくめて、飛行機を現代文明の一つの表徴と考えれば、天皇はそのアメリカの新しい文明との戦争に負けたのだと捉え、セルベスキー将軍に戦争のみならず、これからの国際親善は飛行機によるものだな、と確認していたのである。
松本

これを、知ると、敗戦後の日本を、真っ当に立て直したのは、天皇であると、確信する。
誰もが、敗戦により、呆然としていた際に、天皇は、すでに、新しい世界と時代を読み取っていたのである。

この、余裕。
そして、この国の先行きを、眺めて、時代の一こまを、生きるという、自覚を持たれた、昭和天皇の存在により、本当に、日本は、救われたのである。

天皇の問い掛けは、敗戦の原因を航空機に求めたものでありながら、かれの発想はすでにその外の文明を受け入れていく方向においてなされている。
松本

日本文化の永続性こそが皇室の存在意義である、といってもいい。
松本

さらに、占領軍と、戦後民主主義が、天皇に要求したのは、皇室が明治維新の前に戻り、日本文化の永続性を象徴するに留まらず、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることを、求められるのである。

昭和天皇は、そこで、天皇、および皇室の変換を、一身に背負われたのである。

そして、昭和天皇は、空っぽな、存在になったわけではなかった。
より一層、国民の支持を受けて、目に見えない、君主としての、権威を敢然として、有したのである。

天皇の存在は、その時代に合わせて、臨機応変、融通無碍・・・
しかし、その権威には、何の曇りもなかった。

天皇がいらっしゃれば、こそ、どんな思想も、宗教も、日本では、思う存分に、言論を自由に出来たのである。

何が入っても、天皇の権威が、揺るぎの無いものであり、それぞれが、対立することなく、融和を持って、対処できることを、天皇みずからが、お示しになるからである。

その後の、天皇の、ご勉強は、多岐に渡った。

権力によって、保つものは、必ず亡びに瀕するが、権威に在るものは、何によっても、揺るがないことは、天皇の、存在が証明する。

世界最大の大戦に、敗戦した国が、見る見る間に、世界第二位の経済大国に上がったことは、事実である。
敗戦・・・負けなかった。
そして、負ける意味もなかった。
それは、天皇陛下が、存在したからである。

勿論、その後、サヨク系の人々によって、敗戦が、日本のくびきのように、語られ、それ以前の日本の歴史も、伝統も、文化も、否定するという、暴挙を招いたが、全くそれらは、意味の無いものだった。

誰一人、天皇陛下に、適う者などいなかったのである。
単なる、迎合型の、烏合の衆であった。

帝・・・
その存在の伝統を、否定して、日本の国、云々など、語ることは、出来ないのである。




posted by 天山 at 00:19| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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