2011年11月01日

タイで考えたこと

ミャンマー難民の、孤児たちの支援を終わり、メーソートから、バンコクに戻る。
最初に泊まった、マンションホテルに、再び泊まるはずだったが、荷物が返送されたため、泊まる意味がなくなり、スクンゥィットのナナ付近の、ゲストハウスにした。

そこは、いつもの宿である。
何せ、料金が安い。
そして、客の多くは、アラブ人である。
その付近に、アラブ人街があるのが、特徴。

ここでは、色々な情報が集められる。
また、辻さんが、私たちより、先に帰るために、辻さんの最後の宿となる。

着いた日の夜は、定番のカレー屋に行く。
兎に角、美味しいのである。

12カ国を回っているが、食べ物が美味しいのは、タイが一番。
それが、疲れを吹き飛ばす。

食べ物があまり無い国は、疲れが倍増する。
例えば、マニラ、パプアニューギニア、バリ島・・・

ただし、私たちは、いつも庶民の食堂である。
高級店には、行く気も無い。

そのカレー屋は、少し高めであるが、それ以上に美味しいから、行く。

食事が終わると、寝るだけである。
だが、コータは、それからが、情報の仕入れ時。

その辺りは、夜の遊びで有名な場所。
ゴーゴーバーの多い地域である。

そして、レディボーイの多数。
手術をしいる者、していない者も、多数なのである。

丁度、世界中の性学者たちが、バンコクに集結していた。
レディボーイ、タイでは、カトゥイという、その調査と研究である。
世界的に、レディボーイが増加傾向にあり、それを理解し、その生態を知るために、学者たちが、終結したのである。

コータは、レディボーイたちの、よき理解者であるから、色々な話を聞いて来る。
それを、私が紹介したりするが、本人も、いずれ取材の成果を本にまとめるだろうと、思う。

ナナ界隈には、物乞いも多い。
そこで、今回は、カンボジア流民の親子の多くを、目撃したと、コータからの、報告である。

パタヤが、その場所だったはずが、バンコクに移ったのか・・・

とすると、その背後の、組織がそのように、場所を替えたと思われる。
その後、パタヤに行くが、カンボジアの母子の数が、激減していた。

矢張り、バンコクに移ったのである。

そして、更に、これは組織的なものであることを、今回は、確認した。
パタヤでは、時間制で、その場所にいる母子が違う。
いや、正確に言えば、母子の関係より、祖母と孫の組み合わせが多くなっていた。
そして、それも、不審である。

これは、組合わせを変えたとしか、思えない。
ということは、相当大きな組織が、動いていると、感じた。

物乞い商売である。

日本で言えば、ヤクザの集団であろう。

そこで、矢張り支援のあり方を変えなければならないと、気づく。
今までも、お金は、上げない。衣類と、食べ物を上げていた。

今回は、その食べ物も、拒む者がいた。
あくまでも、金なのである。

金を得なければ、組織に脅されるという、現状になってきたのか。
確かに、人攫いの場合も、子供に物乞いをさせて、その額が少ないと、食事を与えないと、聞いた。

益々、状況が悪くなっているのである。

世界的不況は、こんなところにも、顕れる。

コータの毎晩の報告を聞いて過ごした。
私は、夜は、苦手であるから、出掛けない。
酒も、飲まない。

夜の食事をしたら、もう、駄目。
寝る用意である。

そして、頭の中を整理して、書くべきことを、反芻する。
旅に出ると、本も読まない、物も書かないのである。
メモすら、あまり取らない。

頭の中に、叩き込むしかないのである。

ナナ界隈は、朝まで、喧しい。
部屋にいても、その音が聞えてくる。
それは、眠るまでの辛抱である。

ゲストハウスの下にも、飲み屋が出来て、そこから人の話し声、音楽が聞えてくる。

更に、屋台の物売り、食べ物屋・・・
毎晩、お祭りのようである。

そして、そこは、売春地帯でもある。
悲しい話も多い。

タイの東北地方、イサーンから出て来た、女たちが、生活費を実家に送るために、体を売る。誰も、それを止められないし、止められる権利も無い。



posted by 天山 at 06:07| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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