2011年11月01日

タイで考えたこと

ミャンマー難民の、孤児たちの支援を終わり、メーソートから、バンコクに戻る。
最初に泊まった、マンションホテルに、再び泊まるはずだったが、荷物が返送されたため、泊まる意味がなくなり、スクンゥィットのナナ付近の、ゲストハウスにした。

そこは、いつもの宿である。
何せ、料金が安い。
そして、客の多くは、アラブ人である。
その付近に、アラブ人街があるのが、特徴。

ここでは、色々な情報が集められる。
また、辻さんが、私たちより、先に帰るために、辻さんの最後の宿となる。

着いた日の夜は、定番のカレー屋に行く。
兎に角、美味しいのである。

12カ国を回っているが、食べ物が美味しいのは、タイが一番。
それが、疲れを吹き飛ばす。

食べ物があまり無い国は、疲れが倍増する。
例えば、マニラ、パプアニューギニア、バリ島・・・

ただし、私たちは、いつも庶民の食堂である。
高級店には、行く気も無い。

そのカレー屋は、少し高めであるが、それ以上に美味しいから、行く。

食事が終わると、寝るだけである。
だが、コータは、それからが、情報の仕入れ時。

その辺りは、夜の遊びで有名な場所。
ゴーゴーバーの多い地域である。

そして、レディボーイの多数。
手術をしいる者、していない者も、多数なのである。

丁度、世界中の性学者たちが、バンコクに集結していた。
レディボーイ、タイでは、カトゥイという、その調査と研究である。
世界的に、レディボーイが増加傾向にあり、それを理解し、その生態を知るために、学者たちが、終結したのである。

コータは、レディボーイたちの、よき理解者であるから、色々な話を聞いて来る。
それを、私が紹介したりするが、本人も、いずれ取材の成果を本にまとめるだろうと、思う。

ナナ界隈には、物乞いも多い。
そこで、今回は、カンボジア流民の親子の多くを、目撃したと、コータからの、報告である。

パタヤが、その場所だったはずが、バンコクに移ったのか・・・

とすると、その背後の、組織がそのように、場所を替えたと思われる。
その後、パタヤに行くが、カンボジアの母子の数が、激減していた。

矢張り、バンコクに移ったのである。

そして、更に、これは組織的なものであることを、今回は、確認した。
パタヤでは、時間制で、その場所にいる母子が違う。
いや、正確に言えば、母子の関係より、祖母と孫の組み合わせが多くなっていた。
そして、それも、不審である。

これは、組合わせを変えたとしか、思えない。
ということは、相当大きな組織が、動いていると、感じた。

物乞い商売である。

日本で言えば、ヤクザの集団であろう。

そこで、矢張り支援のあり方を変えなければならないと、気づく。
今までも、お金は、上げない。衣類と、食べ物を上げていた。

今回は、その食べ物も、拒む者がいた。
あくまでも、金なのである。

金を得なければ、組織に脅されるという、現状になってきたのか。
確かに、人攫いの場合も、子供に物乞いをさせて、その額が少ないと、食事を与えないと、聞いた。

益々、状況が悪くなっているのである。

世界的不況は、こんなところにも、顕れる。

コータの毎晩の報告を聞いて過ごした。
私は、夜は、苦手であるから、出掛けない。
酒も、飲まない。

夜の食事をしたら、もう、駄目。
寝る用意である。

そして、頭の中を整理して、書くべきことを、反芻する。
旅に出ると、本も読まない、物も書かないのである。
メモすら、あまり取らない。

頭の中に、叩き込むしかないのである。

ナナ界隈は、朝まで、喧しい。
部屋にいても、その音が聞えてくる。
それは、眠るまでの辛抱である。

ゲストハウスの下にも、飲み屋が出来て、そこから人の話し声、音楽が聞えてくる。

更に、屋台の物売り、食べ物屋・・・
毎晩、お祭りのようである。

そして、そこは、売春地帯でもある。
悲しい話も多い。

タイの東北地方、イサーンから出て来た、女たちが、生活費を実家に送るために、体を売る。誰も、それを止められないし、止められる権利も無い。

posted by 天山 at 06:07| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

タイで考えたこと2

辻さんを、スワナプーム国際空港に見送った後、私たちは、バスで、パタヤに向かった。

パタヤで、カンボジア流民の状況を知る。更に、コータの取材である。
だが、今回は、色々な状況の変化を見た。

まず、インターネットで予約し、安いホテルに到着。
ところが、階段がない、四階・・・
ああ、これでは駄目だ。

日に何度も外に出る。
四階は、きついし、ベッドが一つである。

追加分を払って、二階の、二つベッドのある、部屋に移ることにした。

そして、ホテルの道は、マッサージのオンパレードである。
パタヤで、これほどマッサージ店の並んでいる場所は、他にないだろうと、思われる。

それに、料金が安い。
タイマッサージ、150バーツ、オイルマッサージ、200バーツ。
安すぎる。
これには、何か理由があるはず・・・

結論から言う。
オイルマッサージには、エロが伴い、500バーツ追加で、射精に導くのである。
そして、私が、密かに、あるマッサージ嬢に尋ねた。
SEXもあるの・・・

その子は、日本人の母と、タイ人の父の、子供だった。
英語も、日本語も、あまり話せない。
私が日本人なので、片言で、色々なことを、教えてくれた。

SEXは、1000バーツでする。
つまり、売春行為を行っていたのである。

以前は、エロマッサージだけだったはず。
つまり、不景気なのである。

更に、ゴーゴーバーでも、ショートタイムで女の子を連れ出すと、1000バーツ。
少し前は、1000バーツは、3000円であるが、円高で、2500円である。

それに、コータによると、時間が遅くなると、値崩れするという。
800バーツから、500バーツに落ちる。

そして、需要と供給のバランスが悪いのである。
供給過剰である。
それは、その中に、レディボーイ、つまりカトゥイが、混じるからである。

そこから、とんでもない、情報も得た。

レディボーイとは、手術した者と、手術しない者がいる。

ホテルのボーイは、手術しないものを、上は女、下は男と、言って、教えてくれた。
更に、ゲイボーイも、カトゥイと呼ぶ。

タイでは、レディボーイ、ゲイボーイも、カトゥイなのである。

世界の不況の波が、即座に現れるのが、歓楽街の特徴である。

ここで、児童買春についても、調べたが、情報になるため、省略する。

そこで、日本人が、上は女で、下が男の、カトゥイを好むという、情報である。
驚く。

コータは、彼らから、いや、彼女らから、質問されたと言う。
日本の男は、バイセクッシャルか・・・

何故、ペニスのある、カトゥイを好むのか・・・

女装している、男に欲情するのか・・・

更に、一人の上は女で、下が男の、カトゥイが、今度、この日本人と、一週間旅するのよと、示されたのは、名刺と、写真である。
恐ろしい。

ある大手建設会社の何々課の課長・・・
そんな情報を、多々得るのである。

彼女たちは、信頼すると、何でも話してくれる。
より具体的に、である。
日本人の男のセックスまで、細かく話すというから、仰天する。

兎も角も、私たちは、多くの情報を得た。

ここでは、売春行為の是非は、問わない。
もし、それは、悪いことだというなら、彼女たちの生活を助けなければならない。
多くは、家族のために、働く。

勿論、東北地方から出て来て、屋台を持ち働く女性もいる。
それは、もう、体の売れない年齢である。

だが、その利益は、微々たるもの。

そして、私たちは、屋台で働く人の中に、組織化されて、働く者もいるということを、知った。
それは、監視されて、働かされているのである。

どこの国にも、ヤクザのような者がいる。
その売り上げから、ピンハネされるのである。

18歳の少女が、屋台を持たされて働いていた。
売春よりいいが、いずれ、売春の世界に・・・とも、思う。

パタヤは、世界中から、人が集う。
男も女も、家族連れも、である。

それは、病気の巣になるとも言える。
世界中の菌が、入ってくる。
特に、性病は、計り知れない。
これを読み、パタヤで、女を買おうと思う人は、本当に、注意して欲しい。
あらゆる、性病の温床である。


posted by 天山 at 07:11| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月03日

タイで考えたこと3

微笑みの国タイ、というが、いつも微笑んでばかりいるわけではない。
逆に、私は、微笑まないタイ人を多く見る。

微笑む状況にない、タイ人は、過酷な運命にいる。

彼らが微笑むのは、私に対してだけである。

新しいスラムを訪ねた。
パタヤには、東北地方から、多くの人たちが仕事を求めて、やって来る。
その中には、その人たちのための、食堂を始める人、屋台を出す人たちがいる。

スラムというのは、ただの空き地を不法占領して行っているから、いつ、トラックが来て、潰されても、文句は言えない。

そういう、食堂のある場所に出掛けた。

極めて、悲惨な状態である。
不衛生極まりない。

裏側から入ったせいか、すべてを理解した。
調理場も、洗い場も、それを見たら、誰も食べ物を食べる気がしなくなるだろう。
しかし、地方から出て来た、貧しい人たちは、安いので、利用する。

寝るための、小屋が後ろに建つ。
トイレは、三角に囲い、ただ、穴を掘っただけ。

暑いのに、クーラーもない状態で、食堂がある。

そこに集まる人たちに、少ないが、衣類と、子供たちには、現地で買った、ノートと、えんぴつを配った。

辻さんが置いていった、着替えの衣服と、タオル類、そして、私とコータも、着替えのシャツを何枚か、出した。

皆さん、とても喜んで貰う。

シャツ一枚買うことと、食べる事は、同じこと。
200バーツのシャツを買うことは、10回分の食事になるのだから、彼らの経済を助けることになる。

裏で、洗物をしていた、若い女性に、私は、恥ずかしく思いつつ、辻さんが、置いていった、生理用品を渡した。
ジャパンのもの・・・
若い女は、とても、喜んだ。
恥ずかしいという、気持ちは無い。

子供たちも、ノートと、えんぴつを渡すと、しっかりと、お礼を言う。
女性たちは、日本の物は、本当に良いものと、感嘆する。

私は、汗をかいていた。
水を勧められたが、丁寧に断った。
水道の水を使用しているかもしれない。

すべてが、簡易なのだから、何でもありである。

本当に、支援物資は、何も無くなった。
もう、何も出来ない。

そこから近い、スラムには、入ることも出来ないほどだった。
子供たち三人が、遊んでいたが、着の身着のままである。

例えば、親が工事現場で働くと、子供たちも着いてきて、一緒に、工事現場の小屋で、暮らしている。

時々、そんな子供たちに、私は、お菓子を買って渡した。

パタヤは、歓楽街であるから、観光客は、それらの姿を見ない。見えない。
それで、いい。
楽しむことによって、金を落とし、少しばかり、人々に配分される。

日々を生きる。
それを、目の当たりにする。
しかし、悲壮感は無い。

空き地で、麺類を売る夫婦に出会った。
目の前で、お湯に通すので、私たちは、そこで食べた。

赤ん坊を連れて、出稼ぎである。
25バーツ程度で、食べられる。
その商売道具も、セットで、借りているらしい。

僅かな収入を頼りに、働く。
そういう人たちが、ごまんといるのが、パタヤである。

物売りたち・・・
パタヤを売り歩く。

人が集まる所では、少しのアイディアで、商売が出来る。
市場で買った、果物をカットし、食べやすいようにして、売る人たち。

不況の日本でも、道路法を改めて、屋台を認めれば、仕事を失った人たちが、屋台を開く事が出来るはず。
タイのように、それを実行すれば、日銭は、稼げる。

インターネットを使い、大金を得るという、情報に溢れているが、それは、一過性のものである。

それらを、否定しないが、それでお金を得て、どうするかである。
使えないほどの、金を得て、ニタニタ笑っているとしたら、アホである。

目的が、ただ、金という、人生の空しさを、死の床で知るはず。

更に、金で、すべてが解決する訳ではない。
もし、私が、彼らに、定期的に金を渡したら、彼らの人生は、貰うことで、終わる。何も、創作的なことはしない。

衣服より、金という、馬鹿者がいるが、全く、考えが浅いのである。
愚かな人は、死んでからも、愚かである。

posted by 天山 at 06:49| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

タイで考えたこと4

パタヤで、五泊した。
私の慰霊と、支援の旅では、はじめての半月であった。いつもは、10日間である。

二日で、パタヤでやることは、無くなった。であるから、後は、朧に過ごすことであった。

しかし、それでは、芸が無い。
私は、いろいろな人たちと、話しをした。

面白かったのは、国別、人気度である。
円高の日本が、一番だった。
今、大切にするのは、日本人・・・・

マッサージ嬢が、分析した。
一番、嫌な人は、アラブ人、インド人だと、言う。
アラブ人は、しつこい、インド人は、ケチである。

そして、アメリカ人は、もう、用済みであった。
ドルが、信用されないのである。

インド人の、ケチさを、私も見た。
路上の、果物切り売りで、値切るのである。

大半が、10バーツ、25円である。
しかし、インド人は、それを、値切る。値切ろうとする。

五人ほどの、インド人の男が、集って、値切るのである。
呆れた。

アラブ人の、しつこさは、セックスである。
イスラムの教えで、本国では、非常に厳しいものがある。
だから、パタヤに来て、羽目を外す。
それも、半端ではない。

与えられた、時間を目一杯使うという。
何度も、何度も、求めるという。

マッサージ嬢も、アラブ人と、インド人は、お断りだと、言う。

日本人は、行儀が良いと、評判である。
人には、厳しい、レディボーイ、カトゥイも、日本人の、行儀を誉める。

酔っ払って、静かなのは、日本人であり、一番、悪いのは、何と、騎士道のイギリス人であると言う。
汚い言葉を吐き、暴力もあると言う。

白人を、代表してか、最もイギリス人の評価が、悪い。

フランス人の、セックス好き。
イタリア人の、馬鹿騒ぎ。

兎に角、日本人が一番、いいのである。

金払いも、ダントツに日本人がいい。

私が、日本人だから、言うわけではなかった。
他の、方々から、聞きつけたのである。

ただ、白人の名誉のために、言う。
中には、女に子供を産ませても、しっかりと、養育する。
白人のおじいさんが、タイ人女性との間に生まれた子供を、ベビーカーに乗せて、歩いているのを、よく見た。

私も、その成長した子供と、話しをした。
実に、素直に育っている。

さて、円高である。
以前は、1バーツが、3円だったが、それが、2,5円になっていた。
一万円が、四千バーツである。

つまり、以前の、四分の三の値段になった。
実に、お徳である。

私の、滞在費は、大半が、安いホテルと、ゲストハウスであり、食事は、屋台とか市場であるから、ほとんどかからない。

半月滞在しても、五万円にもならない。
タイに旅した人に、どのくらい、お金を使ったかを、尋ねれば、おおよそ何をしたかが、解る。

男や、女を買う人は、大枚な金を使う。
タイに、男を買うために、出掛ける日本の女も多い。

それは、バリ島の次である。

勿論、それを、私は、非難しない。
逆に、タイ人は、どんどんと、そういう人たちから、金を取ることであると、思う。

人間の欲望は、食欲と、性欲に尽きる。
日本の政治家も、大半は、タイに出かけるという。
勿論、食事と、売春のためである。

違うという、政治家がいたら、メールを下さい。

ノーマルも、アブノーマル、つまり、ゲイも、タイに行く。

私は、タイが大好きになった。
兎に角、食べ物が美味しいのである。

楽しみは、食べ物。
実に、危険で辛い旅で、食べ物が、不味いと、気が滅入る。
例えば、パプアニューギニア・・・
バリ島・・・

そして、最悪な、フィリピン、マニラである。
他の、フィリピンの島々では、そうではない。
マニラは、最悪。
でも、私は、庶民の食堂で、比較的、美味しいものを、食べている。
これで、おしまい。

posted by 天山 at 06:43| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

最期の沈黙を破る。57

人と人の間の利害の対立、これは基本的に暴力によって解決されるものです。動物たちはみなそうやって決着をつけています。人間も動物なのですから、やはり暴力で決着をつけます。・・・戦争は自然世界の掟に即しており、生物学的なレベルでは健全なものと言え、現実には避けがたい・・・

これは、心理学者、心理分析で、有名な、フロイトの言葉である。

アインシュタインが国際連盟の知的協力国際委員会からの提案、人間にとって最も大事だと思われる問題を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わして下さい、との提案を受けて、フロイトに宛てて、戦争を避けるためにはどうすればよいのか、と自問し、その現実の、糸口を、人間の心自体に問題があると、推測し、その道の専門家である、フロイトに、問い掛けた、答えである。

更に、フロイトは、平和のために、巨大な中央集権的な権力による暴力管理の必要を説いたという。
つまり、それは、ファシズムではないか・・・

フロイトの、答えの是非は、兎も角として、戦争という、暴力行為は、当然であると、考える人たちが、存在するということである。

精神分析の・・・人間心理の・・・
真っ当な、見解であろうが、それでは、今までの、人類の叡智、なるものを、フロイトは、どう考えたのかと、考える。

勿論、より具体的に、丁寧に意見を述べたと、言われるが・・・

そのもの、ズバリ、それで、納得する人も、多々存在する。
国際社会の一つの、問題解決の方法であると・・・

それでは、今までの、平和共存するという、努力を重ねてきた、人類の叡智、智慧は、一体、何なのか・・・

いや、人類は、そんなことは、考えていなかったという人も、いるだろう。

だが、人類は、過酷な自然の中で、相互扶助によって、生き抜いてきたと、私は、考えている。

戦争、つまり、人殺しをはじめたのは、何か、である。

結論から言えば、宗教、それにまつわる、思想である。

生物学的にいえば、人間も、動物である。
耳障りのいい、言葉である。
人間も、動物である。

それを、進めてゆけば、何事も、許されることになる。

キリスト教圏においても、そのように、返答した、フロイトであるから、戦争、殺し合いの、意味が、他の動物と違うと、何故、指摘できなかったのか、不思議である。

それで、説けば、種族保存の本能から、本能的なもの、すべてが、戦争と、人殺しを、容認することになる。

それでは、ユングならば、どのように、答えたのか。
深層心理における、記憶の問題が、戦争、人殺しに、通じているというのか・・・

心理学が、平和に貢献しないのならば、その存在意義は、人間を分析して、遊ぶおもちゃのようなものである。
更に、心理学という、学問を使い、勝手気ままにに、人の心を、分析して、遊ぶ、くだらない学問になり得る。

うつ病治療に、精神分析をしても、治らないことの方が、多い。
坑欝剤を、一つ飲む方が、効き目がある。

心理学なるもの、まだ、進化していないようである。

更に、学者、医者に、カウンセリングをしてもらうより、自己カウンセリングによって、改善する人の方が多い。

あるいは、別な方法も、多々ある。

心理学用語を使用する人には、注意が必要である。
騙しのテクニックだからである。

と、まあ、フロイトの、言葉から、戦争肯定が出たことに、私は、驚いているし、更に、ファシズムを容認したことにも、驚いた。

そして、それを実験した人が、その書簡を交わした年に、ドイツ第一党となった、ナチ党の、ヒトラーである。

彼は、大統領を兼ね、総統になった。
そして、独裁政治を行い、戦争まっしぐらであり、ユダヤ人大虐殺をやって、のけたのである。

私は、仏陀を、宗教家というより、古代の心理学者だと、理解している。
彼は、すべては、心によると、教えた。

心に発するものが、現実になる。
だから、と、心の、有り方を、説いて教え、生活指導をしたのである。

物事は、心に基づき、心を主とし、心によって、作り出される。
これが、仏陀の、すべての指導の主だった。

人間も、動物である限り、そのように、生きるべきだとは、言わなかった。
つまり、人間は、動物と違うということである。

何が違うか。

人間には、心という、もの、を、持つと、言明しているのである。

心理学で、解決する問題は、個人の、瑣末な問題に、限る。

心理学で言う心、仏陀の言う心は、同じものか、違うのか・・・

私は、霊学という、エッセイで、それを、徹底的に、解りやすく、そして、心理学で扱う心の、領域が、とても、狭いものであることを、書き続けて、心、それが、霊的存在であるという、ところまで、進めたいと、考えている。

ユングにおける、無意識といわれる、潜在意識が、果たして、霊的なものに、つながるのかにも、興味がある。

心と、霊と、魂というものの、定義を、考えたいと思うのである。


posted by 天山 at 07:38| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

天皇陛下について。90

歴代個々の天皇の徳不徳、賢愚、善悪はそのあるがままのものでありながら、しかも万世一系一体の大いなる徳は何であるか。万世一系一体の大いなる価値は何であるかを明るみにみることによって、天皇の意義、価値というものがはっきりしてくるのである。天皇の聖徳は、「万世一系の天皇」においてみるのが本格であって、個々の聖徳は第二義だということを知るべきだ。
里見岸雄

実は、ここに、天皇の奇蹟がある。
万世一系である。

それを、守り続けてきたということ、以外に無い。
人は、生まれに寄らず、その行為による、とは、仏陀の言葉であるが、それは、当時のインド、バラモンのカースト制に対する、激しい批判である。

万世一系とは、その仏陀の言葉に、背くようであるが、全く、意味が違う。

天皇として、生まれた、ということ、それが、すでに、行為なのである。
そのように、日本民族は、考えた。
そこに、奇蹟がある。

世界史の中で、天皇のような、存在を見ることが、あろうか。
皆無である。

統治し、支配する者は、いつかは、倒される。そして、新しい支配者、統治者が、就く。
しかし、天皇は、統治者であるが、万世一系を保たれてきたのである。

生まれに寄らず・・・
それを、超えた存在に、国民が、押し上げたのである。

天皇に、無形の権威を、見出した、国民は、世界に唯一である。

であるから、天皇制ということを、考える場合は、それは、制度ではなく、伝統であると、認証しなければならない。

制度は、作られるもの、作るものである。
しかし、天皇は、作られたものでも、作るものでもなく、すでに、存在していたと、観たのであるから、その先見の明は、素晴らしい。
それこそ、民族の智慧であったと、言うほかに無い。

皇祖皇宗とは、天照大神を総称としての、祖霊のことである。
国民、皆、祖霊なのである。

その象徴として、現世において、天皇を戴くという、考え方は、一体、何によってなったのか。

更に、統治するという、天皇の、御行為である。

それは、統治権とは、別物である。

統治権とは、天皇でなくても、できるものである。
例えば、徳川幕府など。
しかし、統治するというのは、全く、別物である。

大和言葉によって、それを説く。
統治とは、シラスという、大和言葉からなる。

統治は、シナの言葉である。
本来は、シラス尊、しらすみこと、なのである。

それは、窮極的の安定、統一を保持する作用である。天皇の御側について観念すれば、統治なさるのであるが、国民の側についていえば、統治されるのである。
里見

更に、統治されるのと、支配されるのとは、別物である。
支配というのは、それを好まずとも、力の関係により、抵抗できず、更に、抜け出すことができない。

しかし、統治されるというのは、我が身、自分自身で、天皇統治の作用の中に入り込むことである。

天皇をもってわれわれの生活に対する重圧と感ずるのではなく、君民一体的情感により、天皇の中に吸引されてゆくのである。だから、天皇は、対立者ではなく、同一体の根源者と信ぜられ、従って、天皇によって強制的に圧政的に治められているというのではなく、天皇を中心としてみずからおさまり入るわけだ。いわば天皇統治とは、日本民族が天皇を中心として自分で治まっていることにほかならぬ。
里見

統治の、統とは、分裂せずに、一つになるみことであり、治は、整う、求める、ということである。

この意味における統治とは、天皇と国民が対立する関係ではなく、日本民族の自己統治、自己統収にほかならない。それ故、統治は、単に個人的な意志や能力によって行われる減少ではなく、日本民族が天皇を中核としておのずからに、窮極的に一つのもの、永遠のものとしておさまっていくことであって、天皇個人個人の意志で国民を支配するなどと考えるなどとは、とんでもない見当違いなのである。
里見

統治の本質とは、天皇を中核として、民族国家の同一性と、永久性を、保持する、その作用である。

里見氏が、君民一体の情感という言葉を、使う。
この、情感を知らない、忘れた、更に、理解できないというのが、敗戦後の人々である。

その、情感というものを、語りつくさなければ、解らないと、平然として、言う、言える、人々が、多数登場したということである。

それは、主に、欧米の思考方法を、学んだゆえである。
学ぶことは、間違いではなく、大いに、学ぶことであるが、最も、学ばなければならない、わが国のことを、粗末に、おろそかに、してきたのである。

ここに、不幸がある。

日本のことは、日本語で、考えなければならないという、当然のことを、放棄した。
更に、大和言葉で、考えなければならないということを、放棄した。

自らが、自らを、放棄して、どうする。
どこに、わが身の、存在の確たるものがあるのか。
日本の歴史は、我が心のうちに、在るものだという、認識を取り戻すべきである。

posted by 天山 at 00:00| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月07日

天皇陛下について。91

日本の歴史は祭祀を中心とする原始時代から、神武天皇ないし雄略天皇に至る祭祀と討伐と同化と統一の時代、推古朝ないし大化の改新の統一完成時代、隋唐の制度を学んだやや東洋専制君主時代の奈良朝、天皇がまったく象徴化した藤原時代、皇権回復の意図を含んだ変態の院政時代、武士政権の確立した鎌倉時代、天皇がますます象徴化した室町時代、天皇の権力が皆無となった江戸時代、名分的には統治権総攬となった明治時代、最後に天皇が純粋の象徴となり国民主権となった現代そのすべてを通じ、天皇統治の歴史として一貫しているのである。
里見岸雄

更に、続けて
およそ国を営む民族にして、国家の同一性、国家の永遠性を望まぬものはあるまい。日本はこの点、建国以来、この国家最大の願望を達成しきった稀有の国であって、「万世一系の天皇は之を統治す」ということは、今後も、日本の絶対的規範として不滅であるにちがいない。
里見

と、綴る。

島国、日本だから、それが、出来たのか・・・
違う。
同じ島国でも、多くの王朝が、現れては、消えたのである。
しかし、日本だけは、残った。

何故か。
民族として、国民が、望んだからである。
だから、民族の智慧だというのである。

その、作用は、権力にはない。
権威の作用である。

天皇は、一時的に、武力を持つことがあったが、それよりも、長く、一切の、武力、武器を持つことがなかった。
それでも、権力のある者は、天皇の権威を、守ったのである。

織田信長も、徳川家康も、天皇家の、廃止を打ち出さなかった。
出来なかった。
天皇を、敵にすることは、民を、敵にすることだった、からだ。

まさに、天皇統治の権威が、存在したのである。

更に、私有財産である。
現在も、国王は、最も富める、家系である。
だが、天皇は、無一文になっても、その権威は、失われない。

世界の王で、無一文になれば、自然に、王位は、廃れる。

財、多くなければ、王位を守れないのである。
財力が、王位を、国民に認識させる。

日本国憲法下においても、日本を統治している者は国会でも政府でもない。国会や政府は単に必然としての歴史社会を内容として、それぞれ分限された権力を行使して、国家社会の安寧秩序を保持し運営を処理しているだけのもので、日本を窮極において統一し安定せしめている者は、「国政に関する権能を有しない」無権力なる天皇の、侵し得ない統治あるがためである。
里見

国政に関する権能を有しない・・・
無権力の天皇・・・
それが、侵し得ない、統治・・・

統治権とは、全く別物である。

大和言葉による、すめらみこと、である。

統御言、または、統命、なのである。
天皇という、語源は、シナの天帝である。

すめらみこと、を、それに当てた。

聖徳太子が、隋の煬帝に当てた、書の中に、
日出処の天子・・・
と、書いた。
天の子、という意味である。

それは、それ以前の歴史を知る者だから、書けたのである。
太陽崇敬を行ってきた、民族の、こと。
太陽の子孫であるとの、観念である。

山に帰る、祖霊が、更に、高みに昇る。
そして、太陽と、一体になる。

彼が、国書として、残したはずの、歴史書は、大化の改新の際に、蘇我蝦夷によって、焼かれた。

蘇我入鹿が、惨殺された際に、父である、蝦夷が、屋敷に火を放ち自害した。
蘇我王朝を夢見た、蘇我氏であるが、武力では、統治することが、出来なかったのである。

ほぼ、蘇我王朝は、完成に近かったと、思える。
しかし、それは、夢に終わった。
それにより、日本は、救われたのである。

もし、武力政権が、誕生していれば、今、現在も、政権が変わり、安定しない、国情を為していたはずである。

統治権は、武力で成るが、統治は、権威で成る。

そして、現在の、政治家の多くは、それを、知らない。
更に、サヨク系といわれる、政治家は、全く関心が無い。

権力により、何事かが、出来ると、考える。
実に、愚かである。
国民は、それを、許さない。

その証拠は、敗戦後の、昭和天皇の行幸に現れている。
天皇を見ることさえなかった、多くの国民が、天皇を熱狂的に、迎えた。
その天皇の名のゆえに、多くの日本兵が死んだはずだが、天皇、そのお方には、何も、罪は無いと、見抜いた、国民の多くは、実に賢い。

どれほど、共産主義者が、叫んでも、天皇廃止などは、考えなかった国民は、賢い。

もし、共産主義者が、天皇を廃止し、殺害し、国政を行っていたら、カンボジアの、あの悪夢が、今も、続いていただろう。
そして、最も恐ろしい、独裁政権を樹立していた。

宗教と、共産主義は、ただ、ただ、虐殺のみを、好むのである。

人類の半分は、それによって、殺された。


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2011年11月08日

天皇陛下について。92

時代は、変化する。
そして、今、先の大戦に関して、多くの資料が出され、事実を見る事が出来る。

すでに、あの戦争は、白人主義の植民地支配から、アジアを開放させるものだった、との、評価が、高いのである。

再度、昭和天皇を、書く。
それは、歴代天皇の中で、唯一、世界大戦という事態に臨み、そして、敗戦した、日本の最高権威である、天皇が、いかにして、その身を、演じたかということ。
そして、天皇とは、何かということを、昭和天皇ほど、明確に伝える存在はないのである。

畏るべき昭和天皇
松本健一著から、それを、眺める。

天皇はマッカーサー元帥のまえに、軍人として地位が対等な元帥裕仁として立つことも出来たが、そうはしなかった。かれは占領軍の最高司令官のまえに、いわば政治的人間として、その一身を投げ出したのである。
松本

その時の、マッカーサーの衝撃は、次の回想録にある。

私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきでない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。

天皇の戦争責任、云々を言う者は、よくよく、聞くがいい。
マッカーサーは、そのように、聞いたのである。

いつの時代も、その時代の制度に合わせて、君主として、権威のみで、存在された、天皇という存在の、真である。

昭和天皇は、世界大戦という、初めての、敗戦に臨まれて、わが身を、差し出したのである。

マッカーサーは、天皇が戦争における、政治的、軍事的「責任」の一切を引き受けようとする態度に対して、感動をおぼえるのである。それは、マッカーサーが評したように、「勇気」ある態度だった。「勇気」とは、雄々しい、とか、男らしい、とか、勇ましいとかの、たんなる情緒的な態度の問題ではない。みずからが行った政治的「決断」に対して「責任」を負ってゆこうとする、いわゆる政治的人間としてのつとめを遂行する態度をいうのである。
松本

ただし、ここで、天皇に責任がある、無い、の問題ではない。
天皇は、国民が、決定したことを、承認する存在なのである。
最初から、天皇は、民主的であったといえる。

その当時の、政治家たちが、決定したことを、承認して、成り立つものだった。
統治しても、支配しないのである。

だが、この国難にあって、敗戦の処理をするのは、私であると、決めた、昭和天皇に対して、マッカーサーが、その態度に、感動したのである。

皆々、マッカーサーに対して、戦争責任逃れをしていた、時である。
自ら、私が、すべての責任を負う・・・

昭和天皇御製
爆撃に たふれゆく民の 上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも

それは、天皇にしか出来ない、行為だった。
そして、そのような、天皇を、戴いた日本という国の、幸運である。

ご聖断・・・
誰も、決めることが、出来なかった。
そこに、2600年の歴史を有する、日本国の君主たる、天皇が、ご聖断された。

当時、天皇が、ご聖断を下さなければ、日本は、内戦状態に突入したであろうと、私は、考える。
その、ご聖断に際してさえ、反乱を起こそうとした、兵士たちがいるのである。

しかし、帝が、仰せられる・・・
国民は、それで、よし、とする。
伝統である。

帝が、仰せられる。
では、止めましょう。
それが、日本国民である。

そうして、時代の、苦難を乗り越えてきたのである。

松本氏は、天皇の国家元首としてのパフォーマンスであると、御製についてを、言う。

しかし、他の誰がそのようなパフォーマンスを演じ切ることができたろう、と考えると、やはりこれは昭和天皇しか詠めない歌なのである。
松本

天皇はいままさに「占領下の天皇」としてあった。
松本

占領下の天皇を、昭和天皇は、見事に、切り抜ける。あるいは、演じ切ったとでも、言うか。

そして、
占領軍のもとですすめられた戦後民主化を、「天皇制下の民主主義」へとじりじりと押し返していったことである。
松本

何故、畏るべき・・・なのか・・・

天皇は、いつの時代にも、その時々の、政権に対して、君主として、権威として、対座されたという、事実を、昭和天皇が、そこでも、見せてくれたということである。

まさに、我らが天皇陛下、なのである。

戦争回避に、ご尽力され、更に、やもうえず、戦争に突入し、そして、敗戦に当り、身をとして、国を守るという。
一体、どこに、このような、存在が見出せようか。
日本にしか、存在しないのである。

posted by 天山 at 00:06| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月09日

天皇陛下について。93

「天皇の国家」において「民」をおもい、救うのは、ついに天皇である、という意識が、昭和天皇にはあった。それが、かれの「国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者」という、マッカーサーへの言葉になってあらわれたわけである。
松本健一

そして、天皇は、天皇制下の民主主義へと、進むというのが、松本氏の、意見である。

昭和天皇は、アメリカの短波放送を聞いていたというから、驚く。
そして、アメリカの論調に対して、非常に敏感に反応していたという。

マッカーサーとの、会見を、アメリカが、どのように、報じていたかを、天皇は、御心配されていた。

そして、その内容に、天皇のファシズムと、民主主義アメリカの対決という、図式を持って、対応していたことに、天皇は、憤慨する。

自分があたかもファシズムを信奉するが如くに思わるることが、最も堪え難きところなり、実際あまりに立憲的に処置し来たりしためにかくのごとき事態となりたりともいうべく、戦争の途中において今少し陛下は進んでご命令あたりしとの希望を聞かざるにはあらざりしも、努めて立憲的に運用したる積もりなり。戦争についても極力避けることに努力し・・・
木戸幸一内大臣書簡より 読みやすく書き直した

天皇は、出来る限り、立憲的な君主として、内閣が決めたことを、ベトーと言わず、裁可したと、弁明する。

天皇システムからすれば、外の文明はいかに新しいく、強大であろうとも、いずれは滅びてゆくのである。日本文化としての天皇システムは外の新しい文明を手に入れることによって、みずからの文化をすこしは変容させつつ、それによって日本文化が滅びない方法をとるのだ。
松本

上記は、明文である。
まさに、日本が、滅びることがないのは、天皇システムに置ける、他の文明摂取にある。
であるから、敗戦後の、アメリカ文明、デモクラシーも、受け入れていった、天皇システムである。

だから、
アメリカの短波放送を聞いて、皇室に政治的権力があるらしく見ゆるは不得策なり、と、考えれば、内大臣府は「廃止する方」がいいと、いうのである。
松本

この内大臣府の廃止を提案した11月2日、昭和天皇はアメリカの空軍司令官アレキサンダー・P・セベルスキー将軍を引見して、次のようにいった。

各国が航空機によって親善を進めればいい。
徳川義寛「侍従長の遺言」

と、なる。

これが敗戦二ヶ月半後の昭和天皇の発言であることを思うと、かれは敗戦さえもすでに新しい文明として受け入れてしまっている、という気がする。戦闘機もふくめて、飛行機を現代文明の一つの表徴と考えれば、天皇はそのアメリカの新しい文明との戦争に負けたのだと捉え、セルベスキー将軍に戦争のみならず、これからの国際親善は飛行機によるものだな、と確認していたのである。
松本

これを、知ると、敗戦後の日本を、真っ当に立て直したのは、天皇であると、確信する。
誰もが、敗戦により、呆然としていた際に、天皇は、すでに、新しい世界と時代を読み取っていたのである。

この、余裕。
そして、この国の先行きを、眺めて、時代の一こまを、生きるという、自覚を持たれた、昭和天皇の存在により、本当に、日本は、救われたのである。

天皇の問い掛けは、敗戦の原因を航空機に求めたものでありながら、かれの発想はすでにその外の文明を受け入れていく方向においてなされている。
松本

日本文化の永続性こそが皇室の存在意義である、といってもいい。
松本

さらに、占領軍と、戦後民主主義が、天皇に要求したのは、皇室が明治維新の前に戻り、日本文化の永続性を象徴するに留まらず、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることを、求められるのである。

昭和天皇は、そこで、天皇、および皇室の変換を、一身に背負われたのである。

そして、昭和天皇は、空っぽな、存在になったわけではなかった。
より一層、国民の支持を受けて、目に見えない、君主としての、権威を敢然として、有したのである。

天皇の存在は、その時代に合わせて、臨機応変、融通無碍・・・
しかし、その権威には、何の曇りもなかった。

天皇がいらっしゃれば、こそ、どんな思想も、宗教も、日本では、思う存分に、言論を自由に出来たのである。

何が入っても、天皇の権威が、揺るぎの無いものであり、それぞれが、対立することなく、融和を持って、対処できることを、天皇みずからが、お示しになるからである。

その後の、天皇の、ご勉強は、多岐に渡った。

権力によって、保つものは、必ず亡びに瀕するが、権威に在るものは、何によっても、揺るがないことは、天皇の、存在が証明する。

世界最大の大戦に、敗戦した国が、見る見る間に、世界第二位の経済大国に上がったことは、事実である。
敗戦・・・負けなかった。
そして、負ける意味もなかった。
それは、天皇陛下が、存在したからである。

勿論、その後、サヨク系の人々によって、敗戦が、日本のくびきのように、語られ、それ以前の日本の歴史も、伝統も、文化も、否定するという、暴挙を招いたが、全くそれらは、意味の無いものだった。

誰一人、天皇陛下に、適う者などいなかったのである。
単なる、迎合型の、烏合の衆であった。

帝・・・
その存在の伝統を、否定して、日本の国、云々など、語ることは、出来ないのである。


posted by 天山 at 00:19| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月10日

もののあわれについて。537

所々の大饗どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬる頃、時雨うちして、萩の上風もただならぬ夕暮に、大宮の御方に、内の大臣参り給ひて、姫君渡し聞え給ひて、御琴など弾かせ奉り給ふ。




大臣、二人の任命披露の宴も、終わり、朝廷の御用もなく、ゆっくりとした頃に、時雨が落ちはじめて、荻の上葉を吹く風も、身に沁みて感じられる、夕暮れの時、大宮のお住まいに、内大臣が伺った。姫君も、そこへ呼んで、琴などを弾かせるのである。

萩の上風
秋はなほ 夕まぐれこそ ただならぬ 萩の上風 萩の下露
和漢朗詠集より




宮はよろづの物の上手におはすれば、何れも伝へ奉り給ふ。内大臣「琵琶こそ、女のしたるに憎きやうなれど、らうらうじきものに侍れ。今の世にまことしう伝へたる人、をさをさ侍らずなりにたり。何の親王、くれの源氏」などかぞへ給ひて、内大臣「女の中には、太政大臣の、山里にこめ置き給へる人こそ、いと上手と聞き侍れ。物の上手の後には侍れど、末になりて、山がつにて年経たる人の、いかでさしも弾きすぐれけむ。かの大臣、いと心ことにこそ思ひて宣ふ折々侍れ。他事よりは、遊びの方の才はなほ広うあはせ、かれこれに通はし侍るこそかしこけれ。ひとりごちにて、上手となりけむこそ、めづらしきことなれ」など宣ひて、宮にそそのかし聞え給へば、大宮「柱指すことうひうひしくなりにけりや」と宣へど、面白う弾き給ふ。




大宮は、何もかにも、上手であられるので、それをみな、お姫様に、教える。
内大臣は、琵琶は、女が弾いていると、不恰好みたいですが、見事な、音色です。今日、正しく弾き伝えている人は、まずまず、いなくなってしまいました。何々親王、何々源氏、と、数えて、女の中では、太政大臣、源氏が、山里において、いらっしゃる方が、誠の上手と、聞いております。名人の血統では、ありませんが、落ちぶれて、田舎に長年いた人が、どうして、そんなに、上手に弾くのでしょうか。あの大臣も、特別な人と、考えて、口にされることが、何度かあります。他の事とは違い、音楽の才能は、やはり、色々な人と、合奏し、あの人、この人を、精通してこそ、立派になるものです。一人で弾いていて、上手になったということは、あまり聞きません、などと、おっしゃり、宮に頼むと、大宮は、柱を押さえるのが、下手になってしまいました、と、おっしゃるが、見事に、弾かれる。

琵琶には、柱というものがある。
一般の琵琶は、四柱。琵琶法師のものは、五柱である。
その、柱を、押して、弦の強弱を調節する。




内大臣「幸にうち添へて、なほあやしうめでたかりける人や。老いの世に持給へらぬ女子をまうけさせ奉りて、身に添へてもやつし居たらず、やむごとなきにゆづれる心掟、事もなかるべき人なりとぞ聞き侍る」など、かつ御物語聞え給ふ。




内大臣は、幸運ばかりではなく、どう考えても、不思議なほどに、結構な人です。年になるまで、持たなかった、姫様を産んで差し上げ、自分の傍に置いて、みすぼらしくするのではなく、指も指されない身分のお方に、お渡しした事、咎めることも出来ない人だと、耳にします、などと、弾きつつ、お話になる。

幸にうち添へて
源氏の子を産むという、幸運である。
明石のこと。




内大臣「女はただ心ばせよりこそ、世に用いらるるものに侍りけれ」など、人の上宣ひ出でて、内大臣「女御を、けしうはあらず、何事も人に劣りては生ひ出でずかし、と思ひ給へしかど、思はぬ人におされいる宿世になむ、世は思ひの外なるものと思ひ侍りぬる。この君をだに、いかで思ふさまに見なし侍らむ。東宮の御元服ただ今のことなりぬるをと、人知れず思う給へ心ざしたるを、かういふ幸人の腹の后がねこそ、またおいすがひぬれ。立ち出で給へらむに、ましてきしろふ人あり難くや」とうち嘆き給へば、大宮「などか然しもあらむ。この家にさる筋の人いでものし給はで止むやうあらじ、と故大臣の思ひ給ひて、女御の御事をも、いたちいそぎ給ひしものを、おはせましかば、かくもてひがむる事もなからまし」など、この御事にてぞ、太政大臣もうらめしげに思ひ聞え給へる。




内大臣は、女は、気立て一つで、出世するものです、など、弾きながら、お話しになる。
そして、女御を、そうではなく、何事も誰にも負けずに、成人したと思っていましたが、思いによらない人に、負かされた不運により、この世は、案外なものと、思っていました。せめて、この人となりと、理想通りにしたいもの。東宮さまの、御元服も、もうすぐのことですし、密かに考えていたのですが、こういう幸運な人が生んだ、皇后の候補者が、また、追いついて、きました。入内されたら、一層競争相手は、いません、と嘆かれると、大宮が、どうして、そんなことがありましょう。この家に、そうなる方が、出ないで終わることは、あるまいと、亡くなった大臣が、思いになって、弘薇殿の女御の、入内にも、熱心に準備されました。生きていらしたら、こういう、酷い目に遭わなかったことでしょう、と、立后のことでは、太政大臣を、恨めしく思うのである。

思わぬ人とは、梅壺の女御のこと。
雲居雁が、大宮のところにいる。当然、こちらの姫が后になるはずと、話し合うが、梅壺が、なったことを、話し合うのである。




姫君の御さまの、いときびはにうつくしうて、筝の御琴弾き給ふを、御髪のさがり、かんざしなどの、あてになまめかしきをうちまもり給へば、恥ぢらひてすこしそばみ給へるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、取由の手つき、いみじう作りたる物の心地するを、宮も限りなくかなしと思したり。掻き合わせなど弾きすさび給ひて、押しやり給ひつ。




姫君の、様子が、ひどく子供っぽく、可愛らしく、筝の琴を弾くのが、髪が下がるところ、髪の格好などの、品よく、美しいのを、父大臣が、じっと見つめていると、恥ずかしそうに、横を向く。その横顔の姿が、可愛らしくて、左手で、琴の緒を押える手つきが、上手に、作った人形のような感じであるのを、大宮も、この上なく、可愛いと思う。
掻き合わせなどを、軽く弾いて、姫は、琴を前に、押しやった。


posted by 天山 at 00:09| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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