2011年10月26日

孤児たちを訪ねて2

翌朝八時に、ホテル並びの食堂に、朝ごはんを食べに出る。

出発は、十時であるから、のんびりである。
だが、ホテルに戻り、九時過ぎに、広倉さんから、電話が入る。

森の中の、孤児院は、十時から教会に行くので、十時前までに、行きたいと・・・
えっ、あの子供たちのバックは、教会だったのか・・・
フランスのボランティア団体が、勉強を教えるために来ていると、言っていたが、カトリック系だったのだ。

それでは、と、急ぎ、準備をする。
車もホテルに、向かっていると言う。

広倉さんと、その娘さん、そして、中野さんのお孫さんと、そのお母さんが、一緒だった。
そのお母さんは、最初の時にも、道案内をしてくれた。

中野さんの長男の奥さんである、お母さんは、カレン人であるが、タイ語、英語、カレン語の三種類を話すので、通訳には、もってこいである。心強い。

荷物は、積み上げるほどある。
私と、辻さん、コータは、車の中に乗ったが、広倉さんと、娘さん、お母さんは、車の荷台に支援物資と共に、乗る。

広倉さんの娘さんは、中学の時に出会っているが、今は、チェンマイの高校に通う。丁度、休暇なので、里帰りしていた。

道は、森の中に向かう。
運転の彼は、昨年も一緒だから、道を覚えている。

森の施設に着くと、子供たちが、私たちを待っていた。

私は、日本語で、お早う、元気ですかと、声を掛けた。
何人か、覚えた顔もある。

兎に角、衣類を出して、一人一人に手渡すことにする。
皆さん、総出で、手伝う。
私は、男の子に、辻さんが、女の子に渡すと共に、辻さんには、子供たちに、触れて欲しいと、頼んでおいた。
人に触れられることの少ない、子供たちは、人の温もりを求める。
辻さんは、それで少し時間がかかっていた。

それに、今回は、お菓子と飲み物を、持参しているから、急ぐ、急ぐ。

全員に渡して、私は、今日は、お土産を持ってきたよ・・・と、声を上げた。
お母さんが、通訳する。

五人一組になって、それぞれに、お菓子と、ジュースを渡すと、子供たちは、行儀よく、机について、食べ始めた。
それは、とても良い光景だった。

更に、小さな男の子が、自分たちのお菓子を、世話をしている、大人の男たちの元に、持って行き、それぞれに、渡した。
皆、そのように、思いやりを育てて、成長していると、感心した。

一人では、生きられないことを、子供たちは、身に沁みて感じているのだ。

子供たちが、全員、食事用の机についたところで、辻さんに、歌を御願いした。
さくらさくら、である。

辻さんの声が、森の中に響く。
とても、良い。

最後に、二人の中学生くらいの女の子が、私に、お菓子を貰いに来た。
まだ、足りなかったのだ。
それで、余分に、一箱のお菓子を用意していたのが、正解だった。

兎に角、時間までに、渡すことが出来た。
あっという間の、出来事。

写真を撮り、お別れの挨拶である。
代表の先生とも、お別れする。
また、来ます・・・

子供たちは、前回より、増えていた。だが、前回と違い、着ているものは、良くなっていた。大きなシャツ一枚に、体を包む、小さな子もいない。
衣類の支援は、私のみであるから、皆、私の手から渡したものである。

まだまだ、足りない。
予備の物が、まだ、必要である。
更に、文具も・・・

彼らは、国籍がないから、結局、メーソートの中でしか、生きられない。
すると、ここを出ると、メーソートの町の中で、仕事を探して生きるしかないのである。

とても、悲しい現実は、女の子の中には、誘われて、体を売る子も出る。
それは、確実な情報として、私は、確認した。

私の泊まるホテルでは、17歳、18歳のミャンマー難民の女の子を呼ぶ、つまり、売春斡旋をしていたのである。
料金は、700バーツ。

円高で、1バーツが、25円である。
以前は、30円。
つまり、四分の三の値段に下がったのである。

1000バーツが、2500円である。

私たちには、料金が安くなることは、助かるが・・・

しかし、それを詳しく書くことは、一つの情報になるため、極力、書かないようにしたい。

さて、森の孤児施設を後にした。
さようなら・・・
バイバイ・・・
またね・・・

次ぎは、もっと、ゆっくりして、子供たちと、触れ合いたいと、思うのである。
ここは、三度目の訪問である。



posted by 天山 at 06:38| 孤児たちを訪ねて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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