2011年10月21日

霊学40

無意識の世界を探索してゆくうえにおいて、われわれがイメージということを大切に考える。
河合

そして、シンボルである。
しかし、学者により、違いが大きい。

一般に心理学においては、内面を表すものとしての、イメージと、その逆に、外界の模像としての、イメージを考えることが多く、イメージを知覚対象にない場合に生じる視覚像と定義する。

イメージに対しては、実験心理学的な考え方と、無意識の心理学の考え方は、両極端を示す。
実際に、個々のイメージは、両者の中間にあり、内界、外界の両方からの、影響を受けて存在する。

臨床家としては、イメージを内界の表現として、考える立場であると、河合氏は、言う。

内界の表現としては、言語がある。だが、人間は、言語によらないときでも、表現しているのである。
それを、身体による表現、身体言語という。

言うに言われぬ思いが、身体によって、語られる場合があるということだ。

イメージは、その中間に位置するものだとのこと。
つまり、イメージ言語である。

日本人は、実に、この身体言語と、イメージ言語を深く追求した、民族であると、いえる。

これを語ると、長くなるので、先に進む。

イメージは単純な記憶像から、夢やヴィジョンにいたるまでいろいろとあるが、それはすべて本人の主観的体験であり、その人の報告に頼らないとなにも解らないのがその特徴である。そこで、その人の表現にまたねばならないが、それは言語に表現される場合と、絵などによって非言語的になされる場合とがある。
河合

そして、イメージとして、取り扱うものを、分類すると、
視覚像そのもの、それは、自分の主観的体験。
視覚像の表現、それは、言語による表現と、非言語的表現である。
外在化されたイメージである。

イメージを通して、人間の無意識の世界に接近してゆくのである。

イメージは、具体性、集約性、直接性、多義性などを有し、心的内容をわれわれに生き生きと伝えてくれるものである。
河合

ユングがイメージと概念とを比較して、前者は生命力をもつが明確さに欠け、後者はその逆になると述べているのは興味深い。われわれは概念をできるかぎり明確に規定し、それを操作して合理的思考を組み立ててゆくが、その背後に存在するイメージにも注目し、われわれの思考が生命力を失ったものにならぬようにしなければならない。
河合

さて、次は、シンボルである。
一般心理学では、シンボルを、なんらかの他の対象を代表しているもの、と、広く定義されているが、ユングは、シンボルを記号や標識と区別している。

ユングは、
言葉やイメージはそれが明白で直接的な意味以上の何ものかを包含しているときに、象徴的なのである。それはよりひろい「無意識」の側面を有しており、その側面はけっして正確に定義づけたり完全に説明したりされないものである。誰もそれを定義したり説明し切ろうと望むことはできない。人間の心が象徴の探求を始めると、それは理性の把握を超えた観念に導かれる。
と、言う。

シンボルは、言葉で、説明しきることの出来ない、何か、を表現する、もっとも適切なものとして、非常に高い意味を持つものだと、河合氏が、言う。

更に、また、心の意味を、完全に言語的に把握したと、思うとき、それは、シンボルできなくなっているとも。

イメージと、シンボルは、体験の言語化しがたい部分を、描き出す。
それゆえ、無意識の探求には、不可欠の素材なのである。

そして、臨床家たちは、それらを通じて、その特性を出来る限り、言語化し、意識化することに努めるが、それでも、尚、常に把握し残された部分のあることを、忘れないと、同時に、言語化を焦り過ぎて、それらのもつ生命力を奪わないことと、河合氏が言う。

実際、言語化を、焦り過ぎる者、多数であり、更に、人間を超越したかのような、専門家も、多数いる。

解らない、とは、言えない、言わないのである。

心理学のおおよその、理論を知るだけで、人の心の、分析が出来るのである。更に、あたかも、そのようであるかの如くに、分析するのである。

実に、恐ろしい、行為である。
自分が計った、計りで、あなたも、計られる・・・とは、聖書の主イエスの言葉である。
心理学を身につける者に、そのような馬鹿者が多い、事実。

ユングも、何度も、自身の、イメージと、シンボルの世界に、嵌り、狂う手前まで行く。壮絶な戦いをしたはずである。

私は、二十歳過ぎに、毎晩、毎晩、大海を泳ぐ夢を見た。
そして、必ず、目覚めて、その意味を探ろうとした。
心理学などの知識など、僅かな頃である。

そして、ある日、それが、無意識の世界であると、確信して、夢を見なくなった。

実に、恐ろしい思いをした。
我が内にある、無意識の世界を、見るという行為は、実に恐ろしいのである。
つかみ所がない。

無意識の世界に、溺れて死ぬ・・・
そんな思いに駆られた。

そして、生まれ持った、性質である、パニック障害を認めて、ようやく、心理学と、霊学に関して、少しばかり、確信ができたのである。




posted by 天山 at 00:05| 霊学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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