2011年10月15日

もののあわれについて。535

大学に参り給ふ日は、寮門に、上達部の御車ども数知らずつどひたり。おほかた世に残りたる、あらじと見えたるに、またなくてもてかしづかれて、つくろはれ入り給へる冠者の君の御さま、げにかかる交らひには堪へず、あてにうつくしげなり。例のあやしき者どもの立ちまじりつつ来いたる座の末を、からしと思すぞ、いとことわりなるや。ここにても、またおろしののしる者どもありて、めざましけれど、すこしも臆せず読み果て給ひつ。




大学に上がる日は、正門に、上達部の車が何台も、数え切れないほど、集まっていた。来ないでいる人は、いないと思われたが、特別に大事にされて、装束を整えてもらい、入られる、冠者の君の姿は、まことに、このような生活は、気の毒なほど上品で、可愛らしいと感じる。例の、みすぼらしい者たちが集まり、その座の末に座るのを、辛いと思うのも、無理は無い。

大学では、年齢により、座が決まる。
夕霧は、最年少の12歳であるから、末席である。
それが、辛いと、作者が言う。

本来、学生は、13歳以上16歳以下である。




昔おぼえて大学の栄ゆる頃なれば、上中下の人、われもわれもとこの道に志し集まれば、いよいよ世の中に、才ありはかばかしき人多くなむありける。文人擬生などいふなる事どもよりうちはじめ、すがすがしうはて給へれば、ひとへに心に入れて、師も弟子もいとどはげみまし給ふ。殿にも文づくりしげく、博士才人ども所えたり。すべて何事につけても、道々の人の才の程、あらはるる世になむありける。




昔が、思い出されるほどに、大学の盛んな頃なので、身分の上下を問わず、我も我もと、この道を希望する。益々、世の中には、有能で仕事の出来る人が多いのだ。
文人擬生などとかいう試験をはじめ、すらすらと合格するので、ひたすら学問に打ち込んで、先生も、弟子も、一層の努力をする。お邸でも、作文の会が、度々あり、博士や、才人たちも、得意だった。すべて、何事につけても、それぞれの道に努める人の、才能が発揮される時代である。

文人は、式部省の試験に合格したもの。
擬文章生は、大学寮の試験に合格したもので、文人擬生、もんにしぎよう、と言う。








posted by 天山 at 01:13| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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